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07 15
2017

幻想現実論再読

過去は電車の隣の駅?――『不在の哲学』 中島 義道

448009721X不在の哲学 (ちくま学芸文庫)
中島 義道
筑摩書房 2016-02-09

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 中島義道は、客観的世界像の崩壊をもくろむ哲学者である。

 そういった世界観の崩壊の果てにある「無」に安心の境地を見いだした人である。これはまったく禅や仏教の立場なのであるが、中島義道はさいしょからさいごまで西洋哲学の道を手放さない人である。

「世界は絶えず消えていく。

…広大なシベリアは刻々と消えていくのだ。いや、地球も、太陽系も、銀河系宇宙も、まるごと崩壊していくのだ。

…私が数時間前にそこから飛び立った成田空港はいまはまるごと消えてしまって「ない」。そして、やがて私が到着するであろうシュベヒャート空港もまったく「ない」。私はいま無と無のあいだを飛んでいるのだ」

――『人生に生きる価値はない』



 かつて『時間を哲学する』という新書によって、過去が奈落の底のように深淵に呑みこまれてゆくという記述によって、わたしの過去の非実在感を深くすることができた。

 仏教や神秘思想を読むことによってそれを知ることも可能であるが、あいまいで明確に語らないそれらに比べて、西洋哲学はなにからなにまで説明しようとするスタイルをもち、ぎゃくにそれが深い理解の助けになるし、客観的な理解も可能にする。

 東洋宗教は主観的な体験や気づきを重視するあまり、客観的にはそれはどういうことなのかという説明が弱い。ために理解も深まらない。そういう欠点を補う意味で、西洋哲学は気づきの一撃をあたえる一文に出会えることが期待できる。

 という期待でこの本を読み始めたのだが、あまりにむずかしすぎて、わたしには議論の内容がほとんど頭に入ってこなかった。

 それこそ、禅の公案のように「クソベラな議論だ」と一喝したいくらい、無益な議論をしているように思えた。

 もっともこれは西洋哲学のメインストリームである認識論や時間論をやっているのだろうが。

 ほぼ収穫がなかった本書であるが、つぎの一文にはひざを打った。

「過去の出来事は、世界から消え去ったのではなく、時間という直線上を運動しただけであり、現在から過去という場所に移行しただけなのである。
…こうして、不在が消え去り、それぞれの時点において現在するものだけから成っている世界、それが客観的世界である。

過去の出来事は「すでにない」のだが、ちょうど過ぎ去った電車が隣の駅に「ある」ように、「過去」という場所に<いま>依然としてある。それは、現在という場所ではない別の場所である」



 われわれは時間を電車の駅のように認識しているのではないだろうか。隣の駅はずっと実在しているはずだと思っている。

 しかし赤ん坊のように目の前に見えないものは存在していないと見なす者にとっては、いま過ぎ去ってきた隣の駅はもう無に帰してしまう。そして赤ん坊のような認識のほうが時間をより正確にとらえていて、われわれは想像や過去の反復や継続によって、過ぎ去った隣の駅もまだ実在しているはずだと思い込んでいるのではないだろうか。

 いま、この瞬間しかないとすると、過去は奈落の底に呑みこまれてしまった。わたしたちは想像力で、過去と同じように実在していると補っているだけではないのか。

 このような想像力で補った部分がわれわれの認識の大半になってしまって、その想像上や観念によるほんとうは「実在しないもの」が大半を占めるようになったのが、われわれの認識ではないだろうか。

 そして、われわれはその想像や観念によって補った認識の「非実在性」を悟ることによって、言葉や思考がつくりだした苦悩や悲嘆の「無」や「空っぽさ」から解放されるのではないだろうか。

 中島義道はこのような想像上の観念の無を悟ることによって、長年の不安だった死の恐怖というものから解放されようとしているのである。

 われわれは隣の駅のように過去は実在しているはずだと思い込むと、その過去の苦悩や悲嘆にずっと捕らえられたままになるのである。


明るく死ぬための哲学時間と死――不在と無のあいだで人生に生きる価値はない (新潮文庫)「時間」を哲学する (講談社現代新書)明るいニヒリズム (PHP文庫)


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07 13
2017

幻想現実論再読

人類の壮大なミステイク――言葉の非実在性

 人類の壮大なミステイクというのは、言葉や観念の実在性を信じることである。

 言葉や概念は存在しないのにその実在性を信じ、いま・ここ以外の膨大な世界を言葉で補っていることに気づかないことである。しかも、それがまったく実在しない空っぽであることにも思い至らない。

 いわば、これは想像や空想の世界にいりびたっていることと同じで、しかもそれは存在しない。

 わたしたちはなぜこんな重大なミステイクを気づかないまま放置しているのか。

 宗教の核である神秘思想が、言葉や概念の非実在性をとなえているのだが、ご承知のとおり、宗教は神を信仰することによって宗教団体に隷属することと思われている。

 これは言葉がなにも存在しないものから、「創作する」作用をもつことからおこっていると思われる。宗教的法悦の状態を神とよび、それに人格神をまとわりつかせた段階から、神の実在性が信仰の条件になり、それが崇拝の対象になった。言葉のミステイクを指摘するはずの宗教が、言葉の創作能力によって違うものに変貌されたのである。

 言葉の創作作用というのは、言葉の性能のひじょうに大きな側面を占めており、言葉はないものから、「あるもの」を創りだすのである。この作用の重大すぎる悪影響を人類はこうむっている。

 わたしたちはなぜに言葉のフィクション性や非実在性に気づかないのか。

 社会生活を営む上での必要性が、言葉の非実在性の気づきを拒むのだろうか。人はいま・ここ以外の情報を言葉によって補っているわけだが、目の前以外に存在しないものは信じないといった立場にあふれた人ばかりに満ちると、社会合意が成立しなくなる。

 たとえば、過去はもはや地球上のどこにも存在しないものになったのだが、過去はまったくなくなったとされたなら、過去におこなった商取引や人におこなったひどい行いの互酬性や報復が機能しなくなる。過去は「実在」していなければならなくなったのだ。

 どうように人のおこないや情報は、伝聞や言葉で伝えられた目の前で確かめたものでないものであっても、それを実在のものとして認識して、行動の参照や行動基準の典拠として、もちいられなければならない。

 情報の蓄積を拒絶するような態度では、社会生活や社会基準を守れない。わたしたちは過去や言葉によって聞き伝えられた情報であっても、信憑性のある、実在性あるものとして、行動の基準にしなければならないのである。

 そういった意味で、目の前に存在しないものでも実在の地位に祭り上げる必要がある。いま・ここ以外になにも存在しないといった態度では、社会生活は成立しないのである。

 過去も言葉もまったく実在しないという態度にあふれた人ばかりでは、社会合意や社会行為は成立するだろうか。

 社会生活の必要から言葉の実在性は信じられる必要があったのだということになるだろうか。

 わたしたちは言葉の実在性を信じることによって、存在しない虚構のフィクションの世界に生きることになり、存在しない、実在しないいらない不安や悩み、苦悩をもかかえることになった。

 言葉の実在を信じるということは、思ったことや考えたことが現実に存在すると思い込むこと、頭で考えたに過ぎないことを現実にリアルに存在すると思うこととおなじである。

 つまり空想や想像と、現実の区別がつかなくなる。

 わたしたちはしょっちょう犯罪がおこると、TVで空想と現実の区別がつかないと聞かされるのだが、われわれのたいていの人も、現実と空想の区別がついていない。日常生活の何%くらいは空想で占められていると考えたことはあるだろうか。われわれはいったいどのくらい現実とよばれるものだけをリアルに体験しているのだろう?

 あなたは銀行通帳を見て、明日を不安に思うかもしれない。きのう、友人にひどい言葉をかけられて、どう対処しようかと悩んでいるかもしれない。きのう、上司や教師に怒られて、ずっとそのことで悩んでいるかもしれない。恋人がほかの異性とつきあっているかもしれないとあれこれと想像しているかもしれない。

 これらはなにひとつ現実に存在するものではない。想像や記憶を働かせて、悩んでいるだけであって、現実とはいえない。過去は地球上から去り、もう現実のものではなくなった。未来はいまだかつて存在したことはない。存在しないものに悩んでいるのに、なぜ現実にリアルに存在するといえるのか。

 わたしたちは現実にあるものと思っている大半のものは、存在しない、実在しないものなのである。それなのに、わたしたちは現実にリアルにあると思い、そのことについて悩む。

 言葉というのは、創作作用が強く、不在であるとか、存在しないこと、実在しないもの、無であるといった方面への気づきをあまりもたらさない。ひたすら創作するばかりで、それが実在しないことに思い至らせない。

 言葉や思考の対比として、非実在性をもちだすと、その虚無性がうきぼりになり、言葉の創作作用というものがよりいっそう明確に見えてくる。言葉はなにもないところから、創造するものなのである。

 悩みというのも、存在しないところから創作・想像する面がひじょうに強い。言葉や思考することがなにも存在しないとするのなら、わたしたちはなにを思い煩っているのだろうか。それは言葉によって創作された「なにもないもの」ではないのか。

 わたしたちは悩みや苦痛を自分で「創作している」面のほうが強い。それを「事実」や「現実」と思うことによって、あるいはその地位まで祭り上げることによって、空想や想像にすぎないものを、現実に存在するものとして苦悩しているだけなのである。

 それに気づくには、言葉の非実在性というものを深く実感しなければならない。あるいは過去が深淵に呑みこまれた様を深く実感することが助けになるだろうか。その実感を深くしたところに、言葉や想像の虚構性や創作性の愚かさが見えてくる。

 わたしたちは言葉や想像の実在性、リアルさを信じてしまうがゆえに、深い苦悩や悲嘆も背負うことになった。わたしたちはこのミステイクを手放して、どうじに社会生活もきちんと送れるような分別を得られるようになるだろうか。

 言葉はきょうもわたしたちの頭に創作をほどこしていって、苦悩や悲嘆の雪を募らせてゆく。幻の存在しない雪を。
 

▼こちらもあわせ読むとわかりやすいです。
 言葉が実在しないことについて
 人類の壮大なフィクションが存在しないこと
 人は存在しないものに泣いたり、悲しんだり、苦しんだりしている

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07 12
2017

映画評

『ぼく明日』の京都ロケ地聖地巡礼にいってきました

 7回もくりかえし見てしまった『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』の京都聖地巡礼をしてきました。この空間から離れたくないという切なさをこの映画は残しますね。

 この映画は、男女のすれ違いがテーマだと思うのですが、さいしょの出会いが最後の別れという、二度と戻らないこの瞬間の大切さや切なさを描いているから、なんどもこの映画の空間に帰りたいのだと思います。

 タイムパラドックスものは、変えられない過去をどうやって変えるかということに四苦八苦してきましたが、この映画では過去の否定、この瞬間の大切さを説いたターニング・ポイントになる作品だと思います。

 ロケ地は公式ホームページにのっているのですが、ばくぜんと宝ヶ池と白川一本橋を見にゆきたいくらいでした。もっとちゃんと正確につめるべきだったと後悔は残りますが。


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物語の重要な舞台となる宝ヶ池。ふたりの命がつながった場所です。

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この東屋にたどりつきたいと。

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ロケ地マップにこの白川一本橋がのっているのですが、なんか渡った一本橋がすこし違うような。そう、柳はありませんでたし、この手前が夜のシーンに使われていました。

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白川一本橋はこのような雰囲気のところで、ふたりが渡った一本橋はここではありません。鳥居のある場所を見つけたかったな。

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きました。宝ヶ池は山あいのしずかな池で、ひっそりとたたずんだ雰囲気がします。向こうの東屋がロケ地ですね。

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タカトシが溺れてエミが助けた桟橋ですが、じっさいに見るとこんなに狭かったのと。

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池を一周ぐるりと回って、東屋にたどりつきました。瓦屋根だったんだと気づきました。

P_20170708_161103.jpg
ここだあ、という感慨がわきます。欄干ぎりぎりに撮ってこれで、映画のシーンはボートから撮られたのでしょうね。

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宝ヶ池のこの山が印象的に撮られていましたね。かつての日本人の信仰、人が死ぬと山に帰り、人は山から生まれてくるというディープな信仰を示唆したわけではないと思いますが。

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叡電の宝ヶ池です。ふたりがさいしょに出会って、ふたりが最期に別れた場所ですね。住宅街のひっそりした無人駅です。

P_20170708_181229.jpg
福士蒼汰と小松菜奈のサインがまだ残っていましたね。小松菜奈は人をバカにした薄ら笑いの印象しかなかったのですが、こんなに印象の違う顔を見せるのだと顔が定まりません。

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あ、さいしょの出会いの角を曲がったシーンだと思いましたが、叡電さん、雑草ぼうぼうです。


■わたしの映画感想です。
 かけがえのない今、この瞬間――『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』を読み解く

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東宝 2017-06-21

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