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01 30
2009

書評 経済

『大恐慌のアメリカ』 林 敏彦


大恐慌のアメリカ (岩波新書)
林 敏彦

大恐慌のアメリカ (岩波新書)


 この本が出たのは1988年である。前年の87年にブラックマンデーとよばれる株価暴落がおこっており、すでに日本が空前のバブル繁栄を謳歌する前に大恐慌再来は恐れられていたのである。それからどんなに多くの大恐慌再来本が出たことか。1929年の大恐慌を恐れ、「くるぞくるぞ」と脅えつづけ、とうとう2008年のアメリカ株価大暴落とあいなったわけである。

 幸いなことに恐れとともにアメリカ大恐慌の教訓や失敗は多くの人の胸に刻まれ、このような本や知識も大量に出回っている。大恐慌がどのような経緯をへて、失敗したり、持ち直したりしたのかといった検討が多くおこなわれれば、同じ過ちやわだちに落ち込むことも少なくなるだろう。人類の叡智に期待したいというところだろう。

 われわれもこのような大恐慌本を読むことによって、大恐慌とはどのようなものだったのかという備えや恐れの軽減をおこなうことができる。ルーズベルトがいったように「われわれが恐れなければならないのは恐怖心である」ということである。恐れというのは知らない不安といえるだろう。知ることによって恐れが軽減されるのなら、大恐慌の実相というものを知ることはたいへんに大事なこととなるだろう。

 この本は大統領を中心にアメリカの20年代の繁栄から30年代への大不況が社会や経済状況とともに広く描かれていて、なかなかに参考になる本である。以下は気になったところを抜粋。

 暗黙の木曜日の暴落は14.8%にたっした。だがこの暴落は87年のブラックマンデーで破られるのであるが。暴落から三年後の32年には実体経済が最悪になり、GNPは29年ピークの半分になり、労働者の四人に一人は失業者となった。株価総額にして740億ドル、ピークから82%が株式市場から消滅した。アメリカの第一次世界大戦の戦費のおよそ三倍だった。

 アメリカは1920年代に空前の繁栄を享受したのであるが、すでに第一次世界大戦に幻滅し、人々は夢をもてないでいた。ヘミングウェイやフィッツジェラルドなどの「失われた世代」はこのころに現れた。金銭的・物質的成功に幻滅していたのである。アメリカの農家は戦争景気によって設備投資の膨大な借金によって疲弊しており、都市の繁栄からとりのこされた。住宅建設ブームも25年に終焉しており、苦境におちいっていた。そして戦後のベビーブームも終焉し、移民の制限も起り、需要が減りはじめていた。

 史上最悪の立法と呼ばれる輸入関税法スムート・ホーリー法は経済学者の千名の反対書名が集まったそうである。そしてヨーロッパは報復的関税措置を発表して、ヨーロッパは復興への手がかりを失ったのである。1931年にオーストリアの大銀行が支払停止におちいり、銀行の取り付け騒ぎが東欧にひろがった。

 名目GNPは32年までに44%下落し、工業生産は44%、国民所得は51%、企業売り上げは50%、輸出は36%下落した。失業率は25%、農業を除けば36%に達した。政府の負債残高は年間歳入の10倍にふくらんだ。

 ときの大統領フーヴァーは孤児から億万長者になり、戦争で困った人たちを助けた人道主義者でアメリカン・ドリームを体現した人なのであったが、大恐慌によって「金持ちを優遇する冷たい心の持ち主」となり、バラック小屋の集落は「フーヴァー小屋」とよばれるようになった。商店が襲われたり、小規模な騒乱があいついだ。ヘンリー・フォードは尊敬と賞賛から、旧体制の悪の権化と化した。国民的英雄にのぼりつめた財界人や金融界の大物も同様であった。三万あった銀行は半数の一万六千行がすがたを消した。失業者は1500万人にたっした。

 モノはたくさんあるのに必要な人に回らないという現象が各地におこった。失業者はろくに服を着れないのに農民は大量の綿の売れ残りをかかえていた。靴がないの靴工場は半年閉鎖しなければならなかった。食べ物がない一方、作物は畑で腐っていた。とうもろこしはあまりにも安くなったために暖炉で燃やされたが、牛や馬が餓死していた。酪農家は牛乳を排水溝に流しているのに失業者は満足にも子どもに牛乳をのませることができなかった。経済循環や経済機能が完全に麻痺していたのである。日本の戦後の買出しはこのような現象の結果おこったのだろう。

 ニューディールは経済学者の定説としてはそれ以上の悪化をくい止める役割を果たしたかもしれないが、総需要政策としては役に立たなかったといわれている。成長軌道にのって失業率が激減したのは第二次世界大戦がおこってからだった。しかしニューディール政策にあつまった人たちは個人の利害をこえた救済や建設的な事業のために使命感と熱気をもっていた。施しを受けるより労働者は仕事でお金を稼ぎたがっていた。ルーズベルトは250万人の青年を森の仕事につかせ、考えれる限りの仕事が連邦政府から提供された。その数は426万人にものぼったという。しかし回復に向かったかと思われた経済はルーズベルトの37年の緊縮財政によってふたたび厳しい後退に向かった。

 不況長期化の原因として所得分配の不平等化があげられている。それによって供給過剰と需要不足がひきおこされる。まさに現代にもおこっていることだろう。労働生産性は22年から29年にかけて21%上昇したが、実質賃金は16%にとどまり、大企業の利潤は170%にものぼっていた。富める者はますます富み、とりのこれる者はますますとりのこされる繁栄のかたちがつづいた。そして需要の減少とクラッシュがひきおこされたのである。いつの時代も同じ過ちがくりかえされるのだろう。


熱狂、恐慌、崩壊―金融恐慌の歴史 大暴落1929 (日経BPクラシックス) 昭和金融恐慌史 (講談社学術文庫) 映像が語る20世紀 Vol.4 ~吹きあれる大恐慌の嵐~ [DVD] 大恐慌を見た経済学者11人はどう生きたか
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01 20
2009

書評 経済

『世界永久デフレに克つ経営』 日経ビジネス


世界永久デフレに克つ経営―今どき元気な会社のビジネスモデル世界永久デフレに克つ経営―今どき元気な会社のビジネスモデル
(2003/03)
日経ビジネス

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 デフレの本ばかり読んでいるが、これからの時代はデフレという条件を知らずに生きてゆくことができないと思う。それとこれまで生きてきたインフレの時代がどのようなものだったのか、インフレによってできあがったしくみや成功パターンはどのようなものだったのか知らないと、文字どおり下り坂を転がり落ちることになると思う。いままで価値が上りっぱなしのものの多くが落ちてゆく時代に生きているのだ。われわれの生き方や価値観を変えてゆくのはまちがいない。

 この本ではデフレ時代でも元気に稼ぐ企業を多くとりあげているのだが、さまざまな企業の工夫やとりくみはさすがだと思うのだが、まあそれ以上の印象はない。第一章の扉に「中国価格を世界標準に」というタイトルが標榜されていたが、モノの値段はいいとしても、賃金もそんなふうになってしまったらとんでもない。恐ろしい時代を生きなければならないものだ。

 ここでとりあげられている企業について私はなにもいえないが、まあちょっとしたコメントを。

 ドンキホーテは深夜営業や圧縮陳列で効率一辺倒の流通業に新風をふきこんだのだが、私は買うものを決めて店に行くもので、ドンキホーテは探し物が見つからずいらいらさせられる。といっても私はモノをほとんど買わないのだが。

 オリジン東秀というのは惣菜のチェーンを出店しているらしいのだが、私も惣菜をよく利用するので近くにもあってほしいものだ。しかし店長の半分や90%の従業員がパートであり、もう非正規とかパートとかいうレベルではない。

 ショップ99はふつうの百円ショップと違うのは食品をたくさんあつかっていることだ。一度この店で買いはじめるとほかのコンビニとかスーパーとか高すぎて買えなくなってしまう。ただなんとなくこきつかわれるのであろう店員や店にすさんだ雰囲気があるが。

 コモという会社はパンの賞味期間が35日から90日もあって、自販機や駅売店で売り上げをのばしているそうだ。こんな長持ちするパンなら手に入れたいと思うものである。

 まあ、このような企業がデフレ下でも元気な企業としてとりあげられているのだが、これまでの常識や成功例を疑って脱常識の経営をおこなった会社がのびているということだ。こういう企業の工夫や戦略をたくさん学んだ人が新しい商売を切り開いてゆくんだなと思った。

01 19
2009

書評 経済

『下がり続ける時代の不動産の鉄則』 幸田 昌則


下がり続ける時代の不動産の鉄則 (日経ビジネス人文庫)
幸田 昌則

下がり続ける時代の不動産の鉄則 (日経ビジネス人文庫)


 「あちゃ~」って感じですね。2008年は不動産の上場企業が山のように倒産して、不動産産業はいったいどうなってしまっているのだろうかという興味と、アパートの賃貸は下がらないのかという興味で、不動産についてのこの本を読む。

 完全に時代が変わってしまったことを理解しなければならないのだろう。土地の価格は下がりつづけるし、すでに住宅の空き家は660万戸にもなっているし、「不動産はあまっている」という認識をもつことが重要になってくる。「余れば下がり、足りなければ上る」というあたりまえの需給関係で不動産も見なければならないということだ。

 インフレ時代には土地が上りつづけて不動産の含み益を担保に企業の資金調達は容易になり、設備投資をおこなうといった好循環で回ってきた。この構図が日本的経営の強さであり、典型であったわけだが、デフレ時代にはこのような方法はなりたたない。いまや不動産は魚といっしょになった。釣り上げて時間がたつごとに鮮度か落ちる。いまがいちばん売り時なのである。買主があらわれなければ落ちてゆくばかりだ。

 バブルが崩壊して土地価格が崩落してゆき、不動産はかなり苦しいんだろうなと思っていたら、住宅産業やデベロッパーはこの世の春を謳歌していたようだ。超低金利政策によってローンが安くなり住宅バブルがおこったようだが、そのあとにファンド・バブルというのもおこったらしい。私は土地価格が下がりつづけているし、人口も需要も減っていまに不動産業界はめゃくちゃになると危ぶんでいたのだが、首都圏のマンションや住宅の供給戸数が70年代よりバブル崩壊後のほうが増加していることに肝を冷やすばかりだ。

 けっきょくみんなバブル崩壊の不況を脱すれば土地価格は上りつづけるというインフレ時代の「土地神話」から離れられなかったのだろう。もういぜんのような土地の値上がりによる資産の価値なんかなくなってしまったのだから、損失やロスが増えてゆくばかりだ。この頭の切り替えができないととんでもないことになると思うのだが、住宅が660万戸もあまって、首都圏も関西圏も空室率が10%、20%にもなっているから、とんでもない時代をすでに迎えてしまったのだろう。戦後のインフレ時代は土地が足りないとずっと思ってきて、土地があまる時代の急転換への対応やブレーキが利かなかったのだろう。住宅はあまり、土地は下がりつづける、という認識を持ってこれからの時代を生きなければならないのである。

 住宅ローンを返せない人が急増しているという。私なんか不安定な生き方をしてきたからマイホームなんてとてもムリと思ってきたのだが、金利が安いとか賃貸と変わらないということでマイホームを買った人(とくにゆとりローン)は、給料が下がったり、倒産やリストラでローン破産せざるをえなくなっている。インフレ時代の給料があがりつづけると思っていたツケをデフレ時代に払わなければならなくなったのである。とくに住宅の購入も不安定労働や非正規労働の増加でますます手の届かないものになってゆくだろう。クルマの需要減さえいまは若者の欲求の変化のせいだと捉えられているが、所得が減ったことのほうが大きいのだろう。クルマさえ買えない若者が増加したら、マイホームなんて買えない若者がもっと増加することだろう。家や土地にたいする考え方が近い将来かなり変貌しそうな気がする。

 賃料はまだそれほど下がっていないが、法人はデフレに早くに対応したのだが、個人地主はまだ対応が遅れているそうだ。郊外や地方都市の地主の没落がはじまるという。賃料の値下がりはこれからが本番になるという。むかしはアパートを借りるのに敷金や礼金が必要だったが、住居が足りないという売り手市場の強さがあったのだろう。空室率がこれほどまでに増えたら、値段は下がらざるをえない。やっと買い手が強くなる時代がくるようだが、不動産業界の厳しさはひとしおでないものがやってくるのだろう。私は借り手でしかないから、賃料の値崩れがおこってほしいものである。それよりも将来の収入減にそなえてもっと安いところにひっこさないと生きてゆけないかもしれないと思うくらいだ。。。(泣)


土地の値段はこう決まる (朝日選書) 家の価値を半減させるコワ~い土地の話 お宝不動産セミナーブック 満室チームで大成功!全国どこでもアパート経営 (お宝不動産セミナーブック) 不動産は値下がりする!―「見極める目」が求められる時代 (中公新書ラクレ) リスクを移転し始めた不動産投資市場―移転したリスクはどこへ行くのか?
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01 16
2009

書評 経済

『デフレに勝つ経営』 中井 久史


デフレに勝つ経営―低価格競争に陥らない利益創出戦略デフレに勝つ経営―低価格競争に陥らない利益創出戦略
(2001/05)
中井 久史

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 いまはデフレの時代だとどれくらい認識されているのだろうか。物価が落ちているのは知ってるにしても、インフレ時代の経済や経営とどう変わるのかとしっかりと認識している人はどのくらいいるのだろう。インフレとデフレの経済条件の下では成功体験ががらりと変わってしまう。そのことをしっかりと理解している人はどのくらいいるのだろう。

 たとえばインフレ時代では土地の値上がりを信じて借金ができたり、マイホームのローンができたりしたのだが、土地の値段が下がりつづける時代にはそういうこともできなくなってしまう。店の出店にしても失敗しても土地の値上がりで損失を埋めることができたがそれも不可能になる。インフレの時代にはこういう成功体験がしみついていて、デフレの曲がり角に戦後の企業はおおくの不良債権を抱えて身動きができなくなっているのである。銀行なんか土地が担保にできないのだから金をどうやって貸すというのだろう。

 インフレとデフレの時代の違いを知りたい。この本は薄っぺらいブックオフの百円本で買った本で、2001年に発売されたのだが、意外によかった。私のようにデフレの時代の違いを知りたい不勉強者にはもう一度読み返したくなる本であった。私はデフレの時代の特徴というものをたっぷりと知りたい。そしてそのことによってインフレ時代の成功体験がなんだったのか、どういう成功例が失敗例に陥っているのかもよく見えてくるようになる。デフレの時代におこることを知っておくことはかなり大切なことだと思うのである。

 やっぱり土地神話で「借金も財産のうち」と考えた企業が苦しい目にあっている。ゼネコンや百貨店、スーパーなどである。土地の値上がりで含み益を得ることができなくなったのである。しかしデフレは不況ではないという。インフレの成功体験から抜け出せない企業がいまも苦境に陥っていて、デフレ時代にあった経営をおこなった企業は高収益を得ているのである。量産化や売り上げ主義もデフレ時代には足をひっぱる方法になってしまうという。

 インフレ時代の経験しか知らない者は失敗する、売り上げ至上主義は時代遅れ、業界ナンバーワンでは損失が発生する、コスト割れの価格競争は無知なやり方、原価+利潤=売価ではなくて、売価-原価=利潤に変えなければならない、従来の卸やメーカーに損失や負担を強いるようなやり方は競争力を失わせる、在庫はコストアップになる、決められた肉体労働をするのではなく、効率化やコスト削減を考える知識労働者にならないと低所得化してゆくばかりである、などの指摘がなされている。

 新しいデフレ時代というのは、インフレ時代の成功例をまざまざと見せつけてくれて、過去の成功体験がなぜひきおこされたのかのよい勉強になる。これまでの日本企業とかサラリーマンはこのインフレの幸運な波にのって成長を助けられてきたようなところがあり、そのような効用が得られないデフレ時代になるとたちまちその失態をさらすことになってしまった。インフレ時代の成功例をしっかりと洗い直すことが必要なのだろう。デフレ時代の波の特徴をしっかりと知ることが必要なのである。私はインフレ時代の波にも乗れなかったし、デフレ時代には落とされてゆくばかりなので、せいぜい観念と諦念の心を育てるしかないようであるが。。(泣)。


デフレは終わらない―騙されないための裏読み経済学世界デフレは三度来る 上 (講談社BIZ)デフレはなぜ怖いのか (文春新書)100年デフレ―21世紀はバブル多発型物価下落の時代賃金デフレ (ちくま新書)


01 15
2009

書評 経済

『空前の内需拡大バブルが始まる!』 増田 俊男


増田俊男の2007年大予測 空前の内需拡大バブルが始まる!
増田 俊男

増田俊男の2007年大予測 空前の内需拡大バブルが始まる!


 円高になるたび株価が恐慌に陥ったように下落する。こういう外需依存の体質はどうにかならないかとこの本を手にとる。ブックオフの百円本で手に入らなかったら読まなかったかもしれない。

 この本で円高は輸出産業にとってプラスになるといわれている。海外移転した工場が増えたのだから原材料や半製品は安く輸入できるし、円高で内需にむかうと輸出されるよりコストが安くつくため、企業の業績はのびるといわれている。といっても円高で株価がどかっと落ちるのはそれだけ収益が減ると思われているからだろう。内需は公共投資がそろそろ戻ってくるとしても、消費者のふところは減りつづけているのだから内需拡大バブルなどはとてものぞめそうに思えない。内需拡大と労働者を大切にする政策に転換してほしいものである。

 こういう本というのは株投資家のための国際情勢やマネーの流れを知らせるような本なのだろう。株投資には企業の業績だけではなく、世界のマネーの力学も知っておかなければならない。ということでこのような本が書かれるのだろう。私は株をする資金などないので、この本に書かれているような世界情勢にはあまり興味をもてないのだが、経済というのは世界の政治に左右されるのだから動向は知っておくべきなのだろう。

 ちょっとだけこの本に書かれていたことについて。2001年から2003年に欠けて失業率が5パーセントに増え、中高年の自殺が増えた。いざなぎ景気越えといわれた好景気の前にたくさんの犠牲者が生み出されたことを忘れてはならないと思うし、時代の転換期に犠牲者がおおく生み出されないための転換期に必要な政策が打たれることがのぞまれる。いまアメリカ大統領は表向きの顔を演じる顔に過ぎず、権力や政策は第四の権力とよばれるシンクタンクが力を握っているそうだ。

 85年のプラザ合意というのはアメリカの借金の棒引きのためにおこなわれたそうだ。日本の高品質の製品を買い、代金を払う段階になると為替を円高に誘導して半額に値引きしてしまったのである。中国の一党独裁というのはアメリカに戦争や市場を手に入れることの正当性を付与させる。そして世界の人々というのはアメリカの借金を払うために働いているという状況になっている。世界というのは政治権力によって経済や利益を一手に掌握できる構造になっているようである。アメリカの政治権力の放漫さややりたい放題の構造になってしまった世界はいつか大きなしっぺがえしを喰らうことになってしまうのだろう。


敗者の論理 勝者の法則 大金持ちになる最強の3原則―100万円からはじめる必勝ノウハウ 目からウロコのマーケットの読み方―国際投資戦略家が書いた (上) 戦争経済(ウォー・エコノミー)に突入する日本―見せかけの「景気回復」の陰で国が企んでいること (Econo‐Globalists (9)) またもやジャパン・アズ・ナンバー1の時代がやってくる―乗り遅れるな、最後のチャンス 円高、株高、資産高!
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01 14
2009

書評 経済

『デフレ生活革命』 榊原 英資


デフレ生活革命
榊原 英資

デフレ生活革命


 いまのデフレはバブルの後遺症なんかではなくて、何百年に一度かの構造的デフレという転換期にあるのだとのべている。革命的な転換点にあるのだということである。

 戦後の構造的インフレがあたりまえだと思ってきた私たちや企業は大きな転換や生き方の変換を迫られている。制度や慣行、生活習慣を大きく変換していかなければならないということである。

 堺屋太一がいっていた右肩下がりの時代と同じだと思うのだが、デフレという名目でながめてみるともうすこしその意味がリアルに見えてくるものがある。たとえば土地価格の値下がりがバブルの反動ではなくて構造的につづくものだとしたら、土地の値上がりをあてにした借金やマイホームといった経済行為は恒久的なデフレ時代には損害をこうむる行為になってしまう。この土地の値下がりはバブルの反動ではなくて、はるか高度成長時代からの値上がりの反動だというのである。

 借金もできるだけするなということになる。インフレなら借金の実質価値は減少するが、デフレでは年々増大することになる。不良債権問題というのはインフレを恒久的にみこんできた制度や構造の結果であり、そのための過剰債務問題とよびかえたほうがいいのである。日本では債務関係を時代の変わり目に「徳政令」でチャラにする歴史があったらしいが、デフレの曲がり角にある現在それが求められているということである。

 こうなると「インフレの夢よ再び」という声になるのだが、デフレの時代にはバブルに警戒的にならないのだが、それは資産バブルを生み出すことになり、暴落や恐慌を導き、危険だという。

 デフレが構造的になると家を買うより賃貸にしたほうがいいように、企業も生涯サラリーマンを雇うよりか、一時的に派遣会社から人員をレンタルしてきたほうがいいというように発想を変えることになる。モノの値段が落ち、売り上げか減るのなら、あとは人件費などのコストを削るしかないとなってしまうだろう。ヨーロッパでは労働組合が強く、福祉が手厚いから、この構造デフレの時代では大きな問題となってしまうだろう。終身雇用や社会福祉が戦後の構造インフレによってもたらされたものということがわかるだろう。いろいろなものの値段のインフレがみこめない時代は、所有は損失をもたらす経済行為なのである。

 われわれは所有であるとか、長期雇用が安定的だとか安心だと思ってきたのだが、それは構造インフレの時代に成り立ったひとつの信念であったということができると思う。年々値上がりがつづく世の中で安く買い、高く売ることがインフレ時代の勝ちパターンであったわけである。しかし値段が落ちつづけるデフレ構造では先に安く買い、高く売ることができなくなるどころか、安くなる一方なのだからメリットがなくなる。

 中高年の雇用保障世代と若者の非正規化には典型的に人材のデフレがあらわれているといえる。私たちの安心や安定と思ってきた根底を、デフレ時代は大きく転換しなければならないようである。われわれは長期保障を安心や安定と思う時代に首からどっぷりつかっていて、それが総崩れになる現代の変化に脅えているわけだが、デフレ時代のメリットや安心を早く見つけることがわれわれにもとめられているといえるだろう。デフレ時代の発想や安心に早く頭を切り替えることがかなり重要になってきているのだろう。

 デフレ時代の構造転換や成功パターンをしっかりと頭に刻みことが必要である。われわれはこの総崩れ時代に脅えて、なんとかインフレ構造の遺物から振り落とされないようにしがみつこうとするのだが、デフレ時代の力学というものをしっかりと把握しなければならないのだろう。このような時代背景を知らないと、われわれは自分が落ちこぼれる理由を自分の個人的能力や自己責任の問題に帰して、自分を責めてしまいがちになるだろう。つまり時代の変化が見えていないから、見える範囲での責任をすべて自分におしかぶせてしまうのである。構造デフレの時代であるからという時代背景をしっかり把握していないと、自分は損をしてしまうということをしっかりと理解しておくべきなのだろう。

 この構造デフレというのは産業革命以降の大量生産時代(つまりインフレ・ブーム)が終わってしまったことによるのか、それともたんにバブル崩壊後の景気循環に過ぎないのか、あるいは近代以降につづいてきたヨーロッパの世界進出によるインフレ・ブームによる終焉を意味しているのか、といったいろいろなスパンをとることによって、その終息時期は変わってくるということになるのだろう。私は物質文明・大量消費のインフレが終わってしまったとかいう大ふろしきはいいから、どうやったら私はメシを食っていけるのかということのほうが重要である。


日本は没落する 幼児化する日本社会―拝金主義と反知性主義 黄金の人生設計図―人生九〇年をどう生きるか 日本と世界が震えた日 ―サイバー資本主義の成立 (角川文庫ソフィア)
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01 13
2009

書評 経済

『これがデフレだ!』 吉野 俊彦


これがデフレだ!―歴史に学ぶ知恵 (日経ビジネス人文庫)
吉野 俊彦

これがデフレだ!―歴史に学ぶ知恵 (日経ビジネス人文庫)

 大恐慌のころの時代がどのようなものなのか知りたいと思っていて、明治のデフレや昭和恐慌のデフレを描いたこの本はぴったりだと思ったのだが、日本銀行をへた著者のこの本はとうぜん金融政策についてが主なので私の期待とすこし違った。

 私は恐慌時代の庶民の生活や労働、企業などがどうなったかという生々しい話が聞きたかったのだが、著者の昭和の銀行取り付け騒ぎをみた経験や永井荷風の日記だけではとても実情がわからない。ただ著者は1915年、大正4年に生まれているから、昭和恐慌の生き証人でもあるわけで実感をもってその時代を読むことができる。デフレの時代推移というのは歴史の教訓としてとても貴重なものだと思う。

 私のもう一つの関心はデフレが雇用削減や非正規増加の犯人になっているのではないかということである。デフレでは値段が下がり、売り上げか減るから生産を減らしたり、コストを減らさなければならない。それがこんにちの非正規増加の圧力になっているのではないかと思うのである。明治や昭和のデフレ下ではどうだったのか、どういう対策や歴史をへてきたのかこの本で学べる。私たちの労働の劣悪化はデフレを正さないと改善されることはないのではないだろうか。

 日本のデフレというのは戦争特需によるいきすぎたインフレや投機過熱を抑制するために政策として断行されたことが多かったようである。デフレというものも恐いものだが、インフレやその反動も長く人々に恐れられてきたのでデフレ政策を断行することが必要で、しかし不況や失業をまねいてしまって、ときの蔵相、浜口雄幸や井上準之助も暗殺されることになる。このような歴史的な時代の推移というのはこの本からひじょうに学べると思う。こんにちの長いデフレは平成バブルの破裂や抑制によるところなのだろうが、卸売物価というのはその以前の1986年から反転に転じていたことがデータで読みとれる。

 デフレというのはたいへんな状況だと思うのだが、消費者としては値段が落ちていいとしても企業は売り上げが減るし収益も上らなくなって人件費を削減したり、雇用を削減しなければならなくなる。モノの値段が落ちるのはいいし、モノにたいしてのカネの価値は上るのだが、企業や労働者は苦境を強いられる。雇用の削減や非正規の増加で消費者にカネが回らなくなり、モノがますます売れなくなり、また失業というようにデフレ・スパイラルに陥る。インフレはモノの値段が上ってたいへんなのだが、デフレでは労働者がクズのように扱われてたいへんだ。デフレをどうにかしなければならないのではないか。

 著者の知り限り世界のデフレで公共事業だけで脱却させた例を知らないという。戦争が活路になってきた事実は否定しようがないといっている。今回のデフレ脱却は戦争によらないで可能か政府の手腕がためされているといっている。戦争並みの莫大な公共事業が必要なら世界で「戦争ごっこ」や「破壊ごっこ」とかの莫大な支出や破壊的ポトラッチをしてデフレを止められないものなのだろうか。日本でも世の中がどうにもならなくなると世直しやお陰参りが流行ったし、経済人類学では奢侈を破壊することで部族同士の経済を回してきたという洞察をもっているのではないか。戦争機能に近い世界規模の公共事業や祭、リセット事業のようなものがおこなわれないものだろうか。

 デフレを止める賢明な政策を考え出してほしいものである。労働者がゴミのように捨てられるデフレ時代の圧力というのをすこしでも早くとりのぞいてほしいものである。


デフレの経済学 バブルの歴史―チューリップ恐慌からインターネット投機へ 昭和金融恐慌史 (講談社学術文庫) 市場社会の思想史―「自由」をどう解釈するか (中公新書) 知られざる真実―勾留地にて―
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01 12
2009

書評 経済

『ハイエナ資本主義』 中尾 茂夫


ハイエナ資本主義 (ちくま新書)
中尾 茂夫

ハイエナ資本主義 (ちくま新書)


 この本は私の興味のある範疇ではなかったのでなにもいえない。「ハイエナ」と名がつくからてっきり資本主義の酷薄さをあぶり出す本と思っていたら、経済学の本というよりか、国際政治にかたむくような本だったので、ほとんど私の興味をひきだせず、なんの本かもよくわからないで読み終えた。

 まあとうぜんアメリカ資本主義や政治を批判して、通貨危機にあった貧困にあえぐタイに将来の日本の姿を重ねたりして、日本の行方をさぐっているのだろうが、私の興味をほとんどそそらなかったのでなにもいえないというしかない。

 話はとぶが、本を読むときは私は必ず感銘した文章に赤線をひく。この本は赤線をひかずにページの肩を折るだけにとどめたが、赤線を引いていたらブックオフとかの古本にとても売れないと思ったからだ。本を売るか、捨てるかしないと、そろそろ本の置き場所すらなくなってきた。本を売るか、捨てるか、悩みに悩む。本って自分にとってなんだろうかと考え込む。

 読み終えた本は参照にしたり、引用したり、調べたりして役に立つと思って蔵書をずっとつづけてきたのだが、ほとんどそのような用途で本を開くことはない。私は読み終えたらほとんど読み返すことがない。本棚や床のうえでほこりをかぶるままになり、おまけにたばこのヤニさえつく。赤線も引いているし、汚れも積み重なってゆく。古本屋に売れない、自分自身も読み返さないとなったら、読み終えた本はゴミでしかないと考えるべきなのだろうか。読まれない本はゴミでしかない。私が価値があると思っていた本でさえもいまの私には価値がなかったり、市場でも価値がないのならただのゴミでしかない。なんかこの二十年間読みつづけてきた私の読書というのはなんの価値があったのだろうと少々がっくりとくる(泣)。


トライアングル資本主義 金融の時代―日本の選択
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01 09
2009

書評 経済

『経済大転換』 金子 勝


経済大転換―反デフレ・反バブルの政策学 (ちくま新書)
金子 勝

経済大転換―反デフレ・反バブルの政策学 (ちくま新書)


 金子勝という人はTVによく出ていて、どちらかというと批判的、悲観的な意見が多いという印象がある。市場原理主義には反対していて、社会福祉的な立場にたつのではないかと思う。著者自身はそういう二分法は時代遅れだといっているが、こないだNHKのTVで竹中平蔵、八代尚宏の自由主義陣営と対立させられていて、金子の批判に旗色の悪い竹中平蔵の苦虫をかみつぶしたような顔が印象的だった。

 民営化や規制緩和の市場主義はアメリカ金融危機や派遣切りなどによって、もうそういう時代は終わったとみなされているとのだろう。市場主義推進のアメリカ経済は金融・証券業界や自動車産業への国営化のような流れに陥っている。政府が企業や経済を守るといった政策がふたたび盛り返してくるのだろう。私も市場主義の論理にはなかなか納得されてきたのだが、現実の経済というのは労働者や国民の貧窮した生活をつくりだしてしまい、とても市場主義を容認する気なんかなれない。市場の流れに対抗するような形の施策も現実には必要とするべきなのだと思う。

 それにしても多くの専門家の交錯した意見や議論を聞いていると、世の中なにが正しいかちっともわからなくなるし、考えはぐらぐらするし、そもそも経済自体をちゃんと把握できるのかという気になってくる。私自身はちっともこの経済の現況というものを把握していなくて、この金融危機をきっかけに経済はどうなっているのかとベンキョー中なのだが、経済の状況自体を把握するのもそうとう困難なものを感じる。いったいこの経済はどうなっているのか、正しい経済像を人はもっているのか、という気がしてくる。そのうえに専門家の意見や考えもそれぞれ違っていて、ますますわからなくなる。まずは経済の現況をしっかりと捉えたいと思うのだが、人々はちゃんと捉えているのかということも疑問に思える。

 この本は2003年10月に出された古本で、例によって金欠のため古い本しか私は読めない。バブルをつなぐ危うげなアメリカ経済や銀行の不良債権処理、崩落する地方経済などがとりあげられていて、経済オンチな私としては銀行の問題あたりがとくにわかりにくいというか、なかなか理解しがたいものがあった。金子勝という人は悲観的なスタンスで経済を捉えることが多いようで、危うげな経済状況を批判的に吟味しているが、その後アメリカも日本も空前の好景気を享受したと公式には発表されているが、2008年9月に崩落的な経済危機を迎えることになった。2003年にこのような壊滅的になる芽は多くあったのだろうか。

 世界同時デフレはこのころから懸念されていたし、アメリカは不動産や株式でバブルでバブルをつなぐ危うげな経済綱渡りをしていたようだ。金融危機は92年の欧州通貨危機を皮切りに、94年のメキシコ危機、95年のアルゼンチン危機、97年の東アジア通貨危機、98年のロシア・デフォルト危機と中南米危機と、このところ世界経済は変調をきたしていた。ひとり勝ちだったアメリカもついに2008年に金融危機を世界的に波及させた。世界経済全体が危機的状況に転がり落ちているような感がする。

 「100年の一度の危機」といった掛け声はグリーンスパンや麻生総理によってひろまったのだが、多くの人がささやくその言葉はあの1930年代の世界大恐慌を念頭においての発言なのだろう。なんだか人々は大恐慌の時代に似つつあるとか思いはじめて、予言成就的に大恐慌の時代をひきよせているかのようだ。人類の周期的危機というのは、はじめは少ない人からの不安が雪だるま式に大きくふくらんでゆく過程のようだ。覇権であるとか、産業の大転換期がやってくる予兆を感じてなのかもしれないが、われわれの生活に大きな被害や損害を与えずにしずかに時代の流れは循環してもらいたいことを願うだけである。神社の賽銭も今年は大きくふくらみそうである。


逆システム学―市場と生命のしくみを解き明かす (岩波新書) 世界金融危機 (岩波ブックレット) セーフティーネットの政治経済学 (ちくま新書) 閉塞経済―金融資本主義のゆくえ (ちくま新書) 市場 (思考のフロンティア)
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01 07
2009

書評 経済

『日本の景気』 嶋中 雄二


日本の景気―復活の兆しはここにある! (角川oneテーマ21)
嶋中 雄二

日本の景気―復活の兆しはここにある! (角川oneテーマ21)


 景気循環論の第一人者らしい著者の本で、景気というのはサイクルのように循環するのだから悲観も楽観も永遠につづくのではないという気持ちにさせてくれる本である。ただこの本は2004年5月に出されていて、これからの先行きをいちばん占いたいのだが、いま古本の安い本しか買えない私はひたすらガマンするしかない。

 各種の経済指標や景気サイクルをながめていたら、これからの経済の予測や未来の予測もできるのではないかという思いにさせてくれるのだが、私みたいなしろうとには各種データの読み方がどうも理解できかねて、けっきょくだれか専門家に解釈してもらわないととても景気なんて読めないと思ってしまう。このデータの読み方や解釈はそうとう熟練が必要だと思う。

 日本は1980年から二十数年コンドラチェフ波の下降局面に位置しているという。グラフでみると、企業物価指数の長期波動は70年代に二倍にはね上がり、それからこんにちまで20数年下がりつづけている。欧米の例では二十数年で終わっているからそろそろ底入れするという指摘には期待したい。デフレというのはわれわれの賃下げや待遇の悪化をまねいてきた犯人だとすると予測が当たってほしいものである。

 景気には「楽観の錯誤」と「悲観の錯誤」というものに警戒が必要なようである。とくに「不景気はなくなった」、「繁栄はいつまでも続く」といった楽観の錯誤はその後に極端な不況や恐慌をまねくようである。世界大恐慌のアメリカの二十年代の繁栄や日本のバブル楽観論のころしかり。「山高ければ谷深し」。ジュグラー・サイクルを導き出したジュグラーいわく「最大の繁栄と最大の窮乏は姉妹である」。

 「山高ければ谷深し」は四段階をへてもとにもどってくるそうである。つぎに「谷深ければ山低し」となり、→「山低ければ谷浅し」→「谷浅ければ山高」となって、最初のサイクルにもどるそうだ。平成バブルが山高・谷深になったわけだから、それから何段階をへて、ことしの不況はどうなるのだろうか。

 株価が落ちると六ヶ月から一年のタイムラグで生産が落ちてくるという。景気の後退や株価下落は交易条件の動きである程度予想できて、それは原油価格に左右されるから、原油価格は景気を予想するうえで有用な判断材料となるそうだ。そのような指標によって景気の先行きを占える目を養いたいと思うのだが、やはりそうとうの目利きが必要となるというものである。

 目下の興味は2008年の株価大暴落とその後世界大恐慌になるのかという悲観と恐れなわけであるが、景気循環論というのは落ちれば必ず上るという規則性を思い出させてくれるのだからある程度は希望をもたせてくれる。この大暴落もひとつの景気循環の一サイクルに過ぎないと思うと、気持ちはかなり楽になる。願わくば意外に軽い景気循環に終わってほしいと思うのだが、著者はどういう予想をいま立てているのだろう。


著者のレポートが読めるようですね。
 三菱UFJ証券 | 景気循環研究所(嶋中・水野)レポ-ト

ゴールデン・サイクル―「いざなぎ超え」の先にあるもの ジム・ロジャーズ中国の時代 1997年――世界を変えた金融危機 (朝日新書 74) (朝日新書) 波乱の時代(下) 実践・景気予測入門
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