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03 18
2006

書評 経済

『自由はどこまで可能か』 森村進


4061495429自由はどこまで可能か―リバタリアニズム入門
森村 進
講談社 2001-02

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 リバタリアニズムとは政府に介入されない市場の自由や、個人的自由を守ったり、国家の縮小や廃止を説く立場のことである。経済的自由だけを認めのは保守派である。規制や再分配をおこなうのがリベラルである。みんな「自由」を唱えておきながらずいぶん違う。

 私としては政府が市場に介入したり、財の再分配をおこなうと、社会や人がどんなに歪むのかという話を聞きたかった。また、いちばんに社会保障が人をどんなに奴隷状態に釘づけるのかということも知りたいのである。

 安い入門書ということで買ったが、私としてはリバタリアニズムの古典ブックガイドのほうを読みたかった。

アメリカの保守とリベラル国家制度とアナーキーアナーキー・国家・ユートピア―国家の正当性とその限界CIMG00021113.jpg

03 25
2006

書評 経済

『リバタリアニズム読本』 森村進



4326101547
 リバタリアンの思想を知りたいのなら、入門書を読むより原典を読んだほうが理解がしやすい。古典や名著とよばれる書物はそれだけ多くの人に理解されたり感銘された歴史があるわけだから、入門書よりはるかに読みがいがあるはずである。へたな入門書より原典もしくはブックガイドのほうが役に立つ。

 この読本にはリバタリアニズムの25冊としてあげられているのは、アダム・スミス『国富論』、ハイエク『隷属への道』、ミーゼス『ヒューマン・アクション』、ミルトン・フリードマン『資本主義と自由』、ブロック『擁護できないものを擁護する』、ディヴッド・フリードマン『自由のためのメカニズム』、ノージック『アナーキー・国家・ユートピア』、ロスバード『自由の倫理学』、ゴティエ『合意による道徳』、アイン・ランド『水源』、バーネット『自由の構造』などである。

 自由主義でいちばん感銘したのはここにはあげられていないが、フリードマンの『選択の自由』である。市場のメカニズムのはたらきには驚きだった。アダム・スミスは一巻くらいで放り出している。ロスバードは『20世紀を動かした思想家たち』(新潮選書)という本にあきれられるアナーキストとして登場している。ハイエクやブロックはさいきん読んだ。

 国家の干渉や介入を避ければ人間は自由を得られるのか。げんざいの日本は福祉国家や統制経済の末期症状を呈しているのではないか。

 そういう疑問からノージックやロスバード、D・フリードマンやミーゼスなどの著作を読んでみたいとおもったのだが、いずれの本も五千円近い高額な本ばかりだ。まいったな~、古本でも見つかりそうにもないしな~。どうしよー。

アナーキー・国家・ユートピア―国家の正当性とその限界CIMG00021113.jpg不道徳教育
自由の倫理学―リバタリアニズムの理論体系自由のためのメカニズム―アナルコ・キャピタリズムへの道案内選択の自由―自立社会への挑戦
水源―The Fountainhead国富論〈1〉

04 20
2006

書評 経済

『日常生活を経済学する』 デイビッド フリードマン

4532147905日常生活を経済学する
デイビッド フリードマン David Friedman
日本経済新聞社 1999-11

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 読みすすめるのにだいぶ時間がかかったし、何度投げ出したいと思ったかわからない。いくら日常的なことを経済学で説明するといっても、経済学の理論はむずかしすぎる。

 そもそもこの本を読もうと思ったのは、リバタリアンの思想を知りたかったからだが、D・フリードマンの『自由のためのメカニズムは』は四千円もして高すぎるので、こちらの二千円代の本を読もうと思っただけだ。

 経済学理論は、グラフや数学をみると思考停止反応をおこす私にとっては理解不可能な代物だ。20年ほど前、私はどこかの大学で経済学の授業をうけていたが、自分の頭が社会学や思想に適していると知ったころには遅すぎたのである。

 なお、このデビッド・フリードマンはミルトン・フリードマンの息子だそうで、私はこの父の『選択の自由』にはおおいに感銘したのでこのようなわかりやすい書を期待したのだが、おおいに期待は外れた。


04 25
2006

書評 経済

『日本型資本主義と市場主義の衝突』 ロナルド ドーア


4492222111日本型資本主義と市場主義の衝突―日・独対アングロサクソン
ロナルド ドーア Ronald Dore 藤井 真人
東洋経済新報社 2001-11

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 経済活動に頭が弱い私がこの本を評する資格はない。株式重視企業への変化や日本の取引関係がどのようなものなのか、ちょっと勉強させてもらっただけの本になる。ほとんど心に訴えかけるものはなかった。

 日本の企業というのは、従業員に雇用と賃金を守るための「共同体」であるという指摘は、そうだよな~と思う。私は会社というところは、個人が金を稼ぐために一定時間集まって、それ以上は拘束されたくないし、保障もしてほしくないと思っている。

 日本の企業はあまりにも雇用が守られるために、たんなる経済機能でしかないものが、「運命共同体」のようなものになってしまっているのである。そのおかげで個人にはまったく自由がなくなってしまっている。私はこんな企業のあり方に嫌悪してきたので、もっとドライな経済機能に企業はなるべきだと思っているのである。

 戦前の企業は英米の企業に似ていたそうである。従業員重視より株主重視であったし、労使関係は対立的なものもあったそうだ。戦争によって企業は生活保障の団体となり、個人は人生のおおくを呑みこまれてゆくことになったのである。

 福祉は企業がになうべきではない。そんなことをすれば、企業は経済機能でなくなり、「家族」や「慈善団体」になり、個人はどこまでも滅私奉公を強いられる。福祉はいろいろなものに分散されることが必要だと思うのである。

 しかしはたして市場主義は個人の企業からの解放をもたらすだろうか、あるいは尊厳も権利も奪われた無力な個人を生み出すだけなのか。この本ではそのような問いはなかった。


05 08
2006

書評 経済

『ケインズの予言』 佐伯 啓思


456960675Xケインズの予言
佐伯 啓思
PHP研究所 1999-06

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 かなりわかりやすく説明してくれる本である。その論理のつなげ方には納得のし通しである。

 ケインズはなぜげんざい不人気である公共事業などによって有効需要を増大させようとしたのか、当時の時代背景や貨幣とは何かといったことから説明し、なぜ国民経済主義者(エコノミック・ナショナリスト)に変貌していったのか、といったことなどを説得性のある論理で展開してくれる。

 イギリス経済の不況の原因は海外投資の過剰にあると見て、国民の産業や生活を向上させるためには国内投資つまり公共事業が必要だと説いたようである。投資家の利益は国内であろうと海外であろうと関係ない。しかしそれは国民生活の安定にはならない。だから国内の需要を政府が増やすべきだと考えたようである。

 この金融と産業の対立はげんざいでもつづいていて、グローバリズムの時代には資本は短期的な利益をもとめて世界中をかけめぐる。おかげで国内の産業や経済は長期的な展望を持てずに短期利益に支配されることになる。金融はわれわれの生活を破壊してしまうということだ。

 ケインズの予言というのは絶対的な貧困が去り、ありあまる消費物資の中で過剰な生産能力をどうするのか、人びとはいかに経済を運営するのかということであった。豊かさゆえの停滞というものだ。つまりほしいモノがなくなれば、つくるモノがなくなり、雇用がなくなってしまうということだ。そのときに人はどうやって生計の糧を得るのか。

 というようなことをこの本ではいっているように私には思えたのだが、こんなまとめ方でいいのだろうか。グローバルな市場の力に任せていたら、国民の生活や経済は破壊されてゆくばかりだということだろう。といっても公共事業はもう悪と腐敗のなにものでもないし、これ以上の消費の欲望も喚起されるわけでもない。需要と雇用が人為的につくられなければならないということなのだろうか、公共事業ではないやり方で。

  なお、上巻の『アダム・スミスの誤算』は99年の夏に読んでいる。自由主義のアダム・スミスは読む気がしても、ケインズなんて読む気がまったくしなかった。反対意見にも耳を貸すべきだと思ってこの本を読む気になった。7年かかって下巻は読まれたわけだ。


05 14
2006

書評 経済

『経済学で現代社会を読む』 ロジャー・ミラーほか


143491.jpg経済学で現代社会を読む
ロジャー・ミラー ダグラス・C. ノース ダニエル・K. ベンジャミン
日本経済新聞社 1995-02

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 なかなか魅力的な本だった。私が経済学にもとめているのはこのような本だったかもしれない。ただし巻末の解説編約100ページほどはむずかしすぎて読めた代物ではない。

 経済政策や社会背策が市場にどのような結果をもたらすのかということだ。この本によると、「善き意図というのは、しばしば予期せざる、そしてあまりにもしばしば有害な結末を招来するという教訓である」。またはこうもいっている。「まさしく、犯罪の防止が犯罪の原因になるのである」

 政府がやっていることはいつも悪い結果をもたらしてしまう。善き意図とぎゃくの結果、またはほかの不測の悪い結末をももたらすのである。そういう2500年前の老荘からいわれていて、ハイエクやミルトン・フリードマンを介した思想を、じっさいの経済市場において見せてほしかったのである。つまり経済政策の失敗である。あるいは「情けは人にためにならず」である。

 この本では章のタイトルをあげると、「犯罪防止の経済学」や「売春、酒、麻薬禁止法の経済学」、「農業保護の不経済学」「高医療費の経済学」「家賃規制の経済学」「カルテルの経済学」「航空規制撤廃の経済学」「高齢化の経済学」「福祉の経済学」「住宅規制の政治不経済学」「保護主義の負経済学」などがとりあげられている。

 売春を減らすコストは暴行や強盗の増加だった、農産物の余剰は政府の最低価格の設定による、医療保険は保険者にも医者にもふつうの金銭感覚を失わせてしまう、カルテルはわずかな低価格で収入の増大を狙えるのですぐに抜け駆けされる、金融機関の損失を政府がカバーするようになって投機的な失敗も許されるようになった、年金と医療保険は高齢者の生活レベルを上げたが母子家庭の貧困層をうみだした、空気は皆の所有物と考えられるからだれの所有物でもないとの前提で人は行動してしまう、貿易保護は犠牲のコストのほうが大きい、など経済のからくりを垣間見せてくれる。

 経済のからくりというのは政府や人為による規制や設定をはねかえしたり、はばんだりする。価格が落ちたものを上げることはできないし、ほかの犠牲やコストを強いるだけであり、禁止されたものは価格や価値をあげてしまうのである。私はこのような市場原理を社会学的な目線で理解したいと思うのである。

 同じような本としてデイビッド・フリードマンの『日常の経済学』は難しすぎて理解を超えていたが、こちらのほうの本はだいぶ理解がたやすかった。もうすこし類書を読んでみようかと思う。

05 21
2006

書評 経済

『インビジブルハート』 ラッセル ロバーツ


4535552975インビジブルハート―恋におちた経済学者
ラッセル ロバーツ Russell Roberts
日本評論社 2003-04

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 こういう本を読むのは珍しいかもしれない。つまり企業や経済活動を、悪や搾取と見る捉え方を訂正している点である。

 ビジネスや企業は貪欲で冷酷で、人を容赦なく切り捨て、労働者を搾取するものだとわれわれの多くはとらえているのではないだろうか。どうもそういう見解はハリウッド映画やディケンズの小説などから得られたみたいである。もちろんマルクスーエンゲルスの経済観もあるだろう。つまり社会主義や福祉主義が資本主義を悪者に仕立てた。

 ぎゃくにこの本で主張されていることはビジネスのほうこそが善良な奉仕を求められるということである。人がイメージするビジネスは客をカモにしたり、搾取したりするものであったりするが、そんなことをしていればいずれ客を大量に失う。

 ビジネスは私利私欲と競争のために顧客に満足や利便をもたらす。それは愛情や慈愛、慈善から発する心よりもっとよい結果を相手に届ける。悪いサービスを届ければ、市場からはそっぽを向かれるからだ。人間の道徳というのは私利私欲から発するほうがよい効果をもたらすようである。それが利他行為の本質だからかもしれない。市場はこの力を利用するのである。

 ぎゃくに正義のために規制や保護がおこなわれると、労働者の賃金低下や雇用機会の減少、たまは物価の増加にはねかえってしまう。良いことをするためにはだれかが費用を支払わなければならない。無料のランチやコストなし・犠牲なしの善行などないのである。それはだれが負担を負うことになるのか。けっきょくその救おうとした人たちにコストを押しつけられるのである。また政府は人びとの自発的な寄付や、個人の責任としての善行を奪ってしまう。どうも慈善や慈愛は政府の代行によっておこなわれるべきものではないようである。

 この本は自由主義者の経済学者と政府は市民を守るべきだと考える文学者の女性教師との議論を中心とした小説である。自由主義か、福祉主義のどちらがいいのか、論争しあった本というのは意外に見当たらないので、この本は価値あるものだった。この関係を図式的に理解する必要があると思った。

 いまは政府の規制や慈善の失敗を目の当たりにしている時代である。そして国家による社会主義の崩壊も経験した。市場の力にまかせつつ、政府によるものではない、民間による福祉が必要になってくる時代ではないのだろうかと思う。もう政府の時代ではないのである。


05 29
2006

書評 経済

『ランチタイムの経済学』 スティーヴン・ランズバーグ


453219248Xランチタイムの経済学―日常生活の謎をやさしく解き明かす
スティーヴン ランズバーグ Steven E. Landsburg 佐和 隆光
日本経済新聞社 2004-09

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 経済学的思考を身につけたいと思っている。たとえばつぎのようなことはなぜ起こるのかを知りたい。

 「雇用者に出産休暇を与えることを義務づける「家族休暇」法は、女子労働者の勝利だと騒がれたが、この法律によって最も失業の危険性が高まった者を「勝利者」と呼ぶのは変ではないか」

 政府の保護や保障がぎゃくの結果や思わぬ被害をもたらしてしまう。このからくりをもっと理解したいと思うのである。

 この本はそのような本の中では私としては次点である。ちょっとわかりにくかったり、興味がわかないところもあった。やはりフリードマンの『選択の自由』、ブロック『不道徳教育』、『現代社会を経済学する』あたりがいい。

 いい言葉があったので引用。

 「学生は、この(経済)ゲームからたくさんのことを学ぶだろう。人生の成功は他人の成果との比較で測るのではなく、自分自身の満足で測るものだということを知る。

 …また、勤勉には見返りがあるけれども、その分、他の活動のための時間が奪われるし、何を一番したいかは人によって異なることもわかるだろう。何よりも重要なのは、貯蓄と勤勉ではなく、消費と余暇こそが人生であることを学ぶだろう」

 「主だった経済モデルはすべて、人は消費を増やして労働を減らしたがっているものと想定している。…経済学の基準によれば、人をムチ打って働かせ、彼らを金持ちにして死なせるような政策は悪い政策なのだ。

 現代は、政策の良し悪しを生産性、あるいは生産量、労働意欲に及ぼす効果によって判断する「生産至上主義」の時代らしい。…エコノミストは、彼らの生産のこだわりは常軌を逸した不健康な強迫観念だと考えている。彼らはアメリカ人が金持ちになって死ぬことを願い、エコノミストはアメリカ人が幸せに死ぬことを願っている」

 「もし私たちの目標が投入する労働力にかかわらず利益を最大にすることだとするならば、アメリカ人の大半は強制労働キャンプに入ることになるだろう。大勢が強制労働キャンプなどまっぴらだと思うという事実を、生産という物差しだけで政策を判定する人びとは再認識すべきだろう」

 「ジャーナリストは失業率を経済全体の良し悪しを表わす指標に使いたがる。だが失業をめぐる議論においては、ふつう、失業が人々の望む状態であるという事実が見過ごされている。余暇を何もせずにのんびりと、あるいは好きなことをして過ごすのは、一般に好ましいこととされている。しかし、それが「失業」という名で呼ばれるとなると、突然、悪者のように聞こえる」

 「雇用の減少が、時代が良くなったことを意味する可能性もある。…私たちの誰もが、週八十時間、労働搾取型工場で汗を流していた一〇〇年前の先祖に比べれば半失業状態なのだ。だが、先祖と入れ替わりたいと思う者はいないだろう。
 …悪い時代に嫌な仕事にしがみついていた労働者も、時代が良くなれば、給与外の所得が増えたために、あるいはもっと良い仕事につくチャンスがあると思って、自発的に失業するかもしれない」


06 09
2006

書評 経済

『市場対国家〈上〉』 ヤーギン&スタニスロー


45321909401.jpg市場対国家―世界を作り変える歴史的攻防〈上〉
ダニエル ヤーギン ジョゼフ スタニスロー Daniel A. Yergin
日本経済新聞社 2001-11

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 二十世紀前半は市場がまったく信用されなくなり、政府の役割がかつてないほど拡大した時期であり、そしてこんにちではそのぎゃくのことがおこっている。この皮肉な反転を世界規模で追った長大なドキュメンタリーで、たしかにこの「市場対国家」という流れは二十世紀の大きなテーマであった。世界はこのイデオロギーで動いたといっていい。

 私は歴史個別的な物語はどうも苦手な部類に属するので、エッセンスだけを読みたかったとは思わなくもないが、まあ、たまには市場と国家のドキュメンタリーを読むのも悪くないと思いながら読んだ。エッセンスだけを見ると、エッセンスをふくらましたり、同じことのくりかえしばかりに思えてしまうのだが、それは個人の好みだろう。

 上巻ではヨーロッパ混合経済、アメリカの規制型資本主義、第三世界の開発主義、そしてイギリスの市場革命、アジアの勃興などがとりあげられている。各国の国家情勢や政治的経緯が追われている。

 この本では考え方が世界を変えるととらえられている。世界は政府を信用するか、市場を信用するかという考え方の違いによって大きく動いてきたのであり、そして壮絶なバトルをくりひろげてきたのである。人間にとっての考え方の変化はきわめて重要だと著者のいうとおりである。

 二十世紀前半の混乱がもたらした苦痛がきわめて大きかったために市場はまったく信用されなくなり、政府の役割や信頼は絶大に拡大した。その考え方が70年代ころまでピークを迎えたのだが、こんにちでは政府の失敗をまのあたりにしたり、信頼をまったく失ってしまっている。考え方はまったくひっくりかえったといえる。この歴史の皮肉を味わうのが本書の醍醐味だといえるだろう。かつては正しいと思われていた考え方がこんにちでは間違いだと思われている歴史の中に、人間の限界やあやまちを見ることができるだろう。

 下巻が書店で見つからなかったためにまだ上巻までしか読み終えていないが、下巻もひきつづき読みたいと思っている。感想をつけ足すかはわからないが。


06 11
2006

書評 経済

『セーフティーネットの政治経済学』 金子 勝


4480058141セーフティーネットの政治経済学
金子 勝
筑摩書房 1999-09

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 TVに出る学者は信用されなくなる。たぶん足場をTVにもつからだろう。本業をおろそかにしていると見られる。または本業の力量がないからTVに活路を見い出したとも見られる。TVから知った学者の本は読みたくなかったのだが、本を読んでみて私の邪推は当たってないように思えた。私はあまり経済学のレベルは知らないけど。

 90年代、アメリカ流の市場原理化はことごとく失敗している。規制が外され、自由化がすすめられると、銀行が破綻したり、大きな矛盾である公的資金が投入されたり、雇用の流動化がすすめられると人びとは不安になって貯蓄を増やし、消費はますます冷え込み、企業は雇用を削減せざるをえなくなる悪循環に陥っている。

 金融自由化もタイでおこなわれると巨額の短期資金が流入するようになり、97年夏にタイバーツが暴落し、東南アジアに通貨危機がおそったのはご存知のとおりである。

 この本の中でいちばん感銘した部分は自己利益のみを追求する個人主義を前提とした主流経済学を徹底すれば、人々の中に極端な集団主義があらわれることになるというくだりである。話が極端なポップス界に飛ぶが、80年代にマイケル・ジャクソン、90年代に宇多田ヒカルというスーパースターがあらわれたのは、共に両国で不況によって自由化がおこわれた時期である。

 自由化という強迫は人びとを不安に陥れ、ますます福祉の必要を感じるようになるという矛盾があるようだ。自由化は不況の間におこなわれると、ますます不況を深刻にするだけみたいである。人びとの安心を破壊するだけなのである。これは覚えておきたい重要事である。

 金子勝は「市場原理か政府介入か」、「大きな政府か小さな政府か」「競争か平等か」という二分法はもう陳腐だという。この思考法に捉えられている限り政治権力の肥大化はまぬがれないという。金子の説く政策はいまいちインパクトがなく、第三の道といえるほど強烈な印象をのこしたわけではないが、たしかに自由化は人びとの安心を破壊して不況を深化させるのはいうとおりだと思う。


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うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。ビジネス書、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、精神世界、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

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