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07 29
2008

旅へ

『やった。』 坂本 達


やった。―4年3ヶ月の有給休暇で「自転車世界一周」をした男 (幻冬舎文庫)
坂本 達

やった。―4年3ヶ月の有給休暇で「自転車世界一周」をした男 (幻冬舎文庫)

 おもしろいので一気に読み終えた。とくに人種も民族も違う人たちに食事をもらったり、宿にとめてもらう親切をうけたことなど、思わず涙がにじんでくるほど感動的。アフリカでマラリアと赤痢になり、治療してくれた医師ががんとしてお金をうけとらなかったり、アラスカの酷寒のなかで無料のキャビンが用意されているところなど、見返りを期待しない人間の親切ほど人を感動させるものはない。またどんな国や人種にあってもそういう無料で食事をおごってくれたり、親切に宿を提供してくれるなどのやさしさを受けると、国や人種になんの隔たりもないことを思い知らされる。

 こういう旅はサイクリングの世界一周だからこそ、得られた貴重な体験であると思う。電車やタクシー、ホテルなどに泊まっていると、こういう体験にも出会わないだろう。クルマに乗れと誘われたり、ウチに泊まってけといわれたり、チャイをすすめられたり、食事をすすめられたりと、世界各国で人の親切ややさしさに出会っている。このような見返りのない親切というものは、都会の中で暮らしているといっさい出会わなかったり、通り過ぎたりするものだから、この著者は世界中で貴重なすばらしい体験をしてきたのだと思う。都会の寒々しい関係しか知らない人は、この旅のやさしさや親切を一度読んでみたほうがいいかもしれない。

 同じようなユーラシア大陸ヒッチハイク横断をした猿岩石が香港を出発したのは96年4月。著者はイギリスを95年9月に旅立っているから、猿岩石より早い。「電波少年猿岩石1」YouTube。猿岩石はこのような親切を受けなかったように思う、というか、自虐的なハプニングがウリだったから、そのような親切は印象が薄くなっただけかもしれない。

 旅行の中でとくに印象深かったふたつの経験を引用したい。見返りのない親切が感極まる。

昼時になると、高床式住居の下の日陰から、「キンカオ!(ご飯食べな!)」と声がかかるので、寄らせてもらう。
とくに田舎は質素な生活をしていて、みんなほとんど靴を履いておらず、ごく限られた身の回りの品だけで、つまくし暮らしている。日本にくらべれば、足りないものばかりなのに、ラオスの人たちはなんでも人にあげたがり、心が満たされているんだと思った。近代的な発展だけが幸せでないことを、痛感させられる。



「ナダヒニ・リゾート」。これはサイクリスト、スキーヤー、そしてハイカーに無料で利用してもらおうと、ある善意の人が建て、メンテナンスまでしている小屋だ。
この厳しい寒さと、向こう何十キロと何もない吹きっさらしの土地に、まさに天国を見つけた思いだった。
「ここにたどり着けたことが、どれだけ幸せだったか! このキャビンは、人間を幸せにするために、いかに少ない物でこと足りるか、ということを教えてくれた」



 自転車旅行というのはそうとうの体力やタフさがいる。いまは距離のある移動だと電車やバス、クルマに乗るのが当たり前である。あえて自転車という自分の体力だけが頼りの旅に出ると、寒さや熱さ、疲労をもろに受けて、見えるもの、体験すること、そのどれもが違ってくるのだろう。電車やクルマはとちゅうのこのような情景や経験をすべてぶっ飛ばしてしまう。それらで出会えるのは商業化された、ビジネスの人たちだけである。自転車旅行は生活や暮らしを体験できる移動手段なのかもしれない。

 なお著者はミキハウスの有給休暇を利用して4年3ヶ月の世界一周の旅に出ている。会社の業務に関係あるのか、企業にこんな要求をしていいものかすこし心配になったが、ミキハウスはこれで宣伝になるのだろうか。著者はいま人事部に属して、講演やギニアの井戸掘りプロジェクトをおこなったりしている。自分探しの若者の中にはボランティア的自己実現をめざす人がけっこういるが、そういう方向にいこうとしているのだろうか。


著者のサイト
 TATSU SAKAMOTO'S BIKE TRIP AROUND THE WORLD



ほった。―4年3カ月も有給休暇をもらって自転車で世界一周し、今度はアフリカにみんなで井戸を掘っちゃった男 行かずに死ねるか!―世界9万5000km自転車ひとり旅 (幻冬舎文庫 (い-30-1)) 流学日記―20の国を流れたハタチの学生 (幻冬舎文庫) いちばん危険なトイレといちばんの星空―世界9万5000km自転車ひとり旅〈2〉 (世界9万5000km自転車ひとり旅 (2)) 洗面器でヤギごはん 世界9万5000km 自転車ひとり旅III
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07 27
2008

旅へ

『アジアを歩く』 灰谷 健次郎 石川文洋


灰谷さんアジアを歩く (えい文庫 156)灰谷さんアジアを歩く (えい文庫 156)
(2007/11/10)
灰谷 健次郎

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 旅行記は写真がたくさんあるほうがいい。写真はダイレクトに情報をつたえてくれる。文章は知らない国についての満足な視界を与えてくれない。

 この本は写真が多い。とくにアジア人の顔、子ども、女性たちの表情がゆたかにいきいきと捉えられている。下町や庶民の人たちの表情が多く捉えられていて、アジア人の魅力や活気はこのようなところにあるのだと思う。

 アジア紀行の順番としてタイ、ベトナム、フィリピン、ミャンマー、ラオス、ネパール、中国、インド、パラオと捉えられているのだが、アジア人の顔の特徴やつくりがそれぞれ個性的で、そのような顔はどのように変遷・拡大していったのか、やっぱり日本人にいちばん近い顔やどこから日本人はやってきたのかという関心も抱かざるを得なかった。

 ときに私は日本人の顔の特徴を忘れるときがある。街中で見ていて、日本人とくくるよりか、アジア人の顔とくくったほうがいいと思うときがある。縄文顔、弥生顔と分けられるときがあるが、縄文顔のほうが多いように思ったりする。日本人のルーツは中国雲南省あたりと聞いたことがあるが、ラオスの女の子の顔は日本の子どもの顔にそっくりだ。カゴを背負って仕事の手伝いをする髪の毛がぼさぼさの女の子たちを見ていると、むかしの日本人の子どもたちもこんなふうだったんだなと思う。フィリピンといえばマリーンというジャズ・シンガーの顔のように瞳が大きくて鼻が広がっているのが特徴だな。ベトナムは透けるアオザイが魅力的である。ネパールやインドにくるとアジア人というよりか、トルコ人やヨーロッパ人の顔つきになる。このようなアジアの並びの中で中国は冷えた、つまらない社会に思えてしまう。

 灰谷健次郎はいくどかアジアに旅したそうだが、魅かれる理由としては貧しさとたたかう姿や泥臭さ、人間臭さ、そしてかつて貧しかった日本の姿に重ねられるからだと分析している。貧しさには同時に活気や熱気もある。豊かになるとそのような熱気も失われ、死んだような、冷めた国になる。おそらく市場や屋台にあふれる人の姿が建物の中に隠されてゆくからだと思ったりする。喧騒や猥雑さは日本の働く場から失われ、せいぜい繁華街やターミナルで見かけられるていどだ。社会がそのような活気を失った傷跡は大きいといわざるをえない。

 灰谷健次郎は2006年に11月に亡くなっており、この本は追悼書のような体裁も合わせ持っている。


灰谷健次郎の著作
太陽の子 (角川文庫)兎の眼 (角川文庫)天の瞳 幼年編〈1〉 (角川文庫)


日本人はどこから来たのか
DNAでたどる日本人10万年の旅―多様なヒト・言語・文化はどこから来たのか?日本人になった祖先たち―DNAから解明するその多元的構造 (NHKブックス 1078)日本人のルーツ探索マップ (平凡社新書)DNAから見た日本人 (ちくま新書)

日本人の起源―古人骨からルーツを探る (講談社選書メチエ)日本人の骨とルーツ (角川ソフィア文庫)私たちはどこから来たのか―日本人を科学する

日本人はどこから来たのか―古代日本に“海上の道”を通ってやって来た部族がいた!日本人のルーツ―血液型・海流で探る (ニュートンムック)日本人のルーツ解明―2500年前中国呉国の国家大移動 (ルネッサンスBOOKS) (ルネッサンスBOOKS) (ルネッサンスBOOKS)

日本人は何処から来たか―血液型遺伝子から解く (NHKブックス)
日本人は何処から来たか―血液型遺伝子から解く (NHKブックス)
日本人の起源(ルーツ)を探る―あなたは縄文系?それとも弥生系? (新潮OH!文庫)
日本人の起源(ルーツ)を探る―あなたは縄文系?それとも弥生系? (新潮OH!文庫)

07 15
2008

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『ASIAN JAPANESE〈2〉』 小林 紀晴



ASIAN JAPANESE―アジアン・ジャパニーズ〈2〉 (新潮文庫)
小林 紀晴

ASIAN JAPANESE―アジアン・ジャパニーズ〈2〉 (新潮文庫)


 「いい大学へ入っていい会社に入って」といった人生観やサラリーマン人生にたまらない閉塞感を感じはじめていた90年代、若者たちはアジアやヨーロッパにほかの人生を探しにいった。はるか昔にはモラトリアムやアパシーとよばれた若者の閉塞感は、00年代にひきこもりやニートとなり、若者の高失業率や非正規雇用と加速し、閉塞感の深刻度はいっこうに解消されないように見える。

 著者の小林紀晴は68年生まれのだいたいバブル入社世代である。サラリーマン社会の閉塞感から脱出し、ほかの人生を探るアジアの旅に三年の新聞社勤務の後に出た。自分と同じように何者かになろうとする「途中の人たち」をアジアに探しにいったのである。

 この巻ではヴェトナムとパリのアジアン・ジャパニーズが取材されている。ヴェトナムとパリの対比といえば、もちろん先進国と発展途上国の位階秩序である。ヴェトナムが混濁した若いパワーをもつ国だとすれば、パリは熟成した成長を通り越した国になるのだろう。熱い国と寒い国、または赤い焼けた土と、石の街という対比がいえるだろう。あるいは汗をかいて走っている姿と、体温を失ってしまったように映る街とも表現されている。小林自身はトレッキングシューズと底の厚い靴という対比や、汚れたザックと金属のスーツケースという違いをそれぞれの国に感じている。

 日本が凝り固まった石の街、システマティックな経済マシーンと化してしまったとするのなら、パリはその先にある街であり、ヴェトナムはまだここにこない熱い国になるだろう。青年期と老年期のようなものである。そしてわざわざ日本の国を飛び出した若者たちはそれぞれの発展段階になにを見て、なにを託してきたのだろうか。日本の閉塞状況の突破口のヒントは老年期と青年期の国に見つけられるのだろうか。

 書店の文庫本の棚をみると、アジア旅行記の本が何冊も見つかる。若者たちの視線は熱いアジアに向かっているのである。それはシステマティックなこり固まった社会になってしまった日本の、失われてしまったパワーやハングリーさ、活力や生といったものをとりもどすための旅に思える。高度成長を担う前のハングリーさやパワフルさを味わいたいがために、アジアに向かっているように思える。昭和30年代ブームの背景にも同じ志向が流れているのだろう。

 新聞やマスコミの目がいつもヨーロッパやアメリカの先進国に向かっていたとすれば、若者たちは東南アジアの後進国や発展途上国に向かっていたのである。小林紀晴のこの本はその流れの先陣をつけた。若者たちは死んで固まった日本ではなく、若者がそうであるように東南アジアのパワフルさやエネルギーに同調していったのであろう。

 東南アジアのエネルギーの源を探索する旅だったのかもしれない。日本はなぜ閉塞し、冷え込み、死んでしまったのだろうか――東南アジアの旅にはそのような問いがこめられている気がする。高度成長を沸騰させたエネルギーや活力の源はなんなのか、日本にそのような磁力をとりもどせないのか――アジアの旅にはそのような問いが潜んでいるように思える。エネルギーやパワーへの巡礼の旅といっていいかもしれない。

 死んでしまった国を蘇らせる――若者の東南アジアの旅にはそのような動機があるように思える。われわれの国はなぜ死んでしまったのか。国家や社会の若返り、あるいは成熟の継続はどのようにしたら得ることができるのだろうか。アジアや昭和30年代への熱い視線はその答えが得られるまでつづくのかもしれない。「ジャパン・デス」からの再生が求められているということである。


ASIAN JAPANESE〈3〉 (新潮文庫) ASIAN JAPANESE―アジアン・ジャパニーズ〈1〉 (新潮文庫) アジアロード (講談社文庫) デイズ・アジア Tokyo Generation
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07 10
2008

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『5万4千円でアジア大横断』 下川 裕治


5万4千円でアジア大横断 (新潮文庫 (し-57-1))
下川 裕治

5万4千円でアジア大横断 (新潮文庫 (し-57-1))


 5万4千円でアジアが横断できるのかと読んでみたが、ひたらすバスに乗りつづける自虐的な旅は、猿岩石の無銭旅行を思い出させたが、そこまでおもしろいものではない。ひたすらバスの行程が描かれるだけで、すこしの期待を抱いては読めるが、それ以上でも以下でもない。まあ、そういう本であり、ほかにいうこともない。

一軒の食堂に入り、注文に戸惑う僕らに露骨といっていいような嫌な顔をされると、中国社会で生きていくことの厳しさのようなものを痛切に感じてしまう。

 ところがボーダーを越え、時差の調整のために時計の針を一時間遅らせるベトナム社会では、急に人と人のあたりが柔らかくなる。日々の暮らしには笑顔があり、遠慮とか謙譲といった空気が流れてくる。タイやカンボジア、ラオスといった小乗仏教ともいわれる上座部仏教の国からやってくると、ベトナム人のきつい国民性にたじたじとなることは多いが、中国からやってくると、すべてを包みこんでくれるような優しさが際立つのだ」



 旅行でこういう比較文化的な視野がひろがるのっていいなと思う。中国から東南アジア、インド、イスラム圏と来れば、かなり人種や風合いも変わってくるだろうし、違いも明瞭なものがあると思う。そういう視野が手に入るのなら、アジア旅行の醍醐味があるというものだろう。

「イスラム圏には大家族が残っている国が多い。子どもはすべて神の子だからだ。それは、少子化に悩む先進国に比べると、出生率が高く人口増加が維持できることを意味していた。いまの世界を、イスラム教対キリスト教といった対抗軸で語る人が多いが、その一方で、その勝敗はすでに決しているという見方もある。出生率を眺めると、キリスト教のなかでもプロテスタント圏、そして仏教圏が軒並み低下しているというのだ」



 人口増加の数でいえば、イスラムとかインド、アフリカなどが勝っていて、先進国はもう先がないといえる。人口が増える国に新しい文化や文明が生まれ、世界の中心になってゆくのだろうか。そしてこんにちの先進国は世界の遅れた、片田舎になってゆくのかもしれない。それにしてもキリスト教や仏教のような禁欲を説く宗教が先進国をおおい、人口数を減らすような宗教が受け入れられたりしたのだろうか。ヘンな話である。

 アジア旅行に出かける人が多くなったり、アジア旅行記の本がたくさん出ているが、アジアに興味が向かうと、なぜかヨーロッパに興味が向かわなくなる。ヨーロッパは高級ホテルで、アジアは大衆ホテルといった感じがして、ヨーロッパの敷居は高くなる。アジアに魅かれる人は若干の先進国の優越感をもって、アジアの後進性に自負心を満足させるのだろう。「先進/後進」のヒエラルキーが旅行者を満足させる。

 旅行者はアジアの後進性を笑うために向かうのだろうか。いいや、後進性のスローさや猥雑さ、そして飾らなさ、そういったもののアジアに魅かれるのだと思う。アジアの旅行者は日本が失ったむかしのよさを思い出すためにアジアに向かうのかもしれない。昭和30年代ブームと近いものなのだろうか。

 旅行というのは比較文化的、比較文明論的な視点を養うものなのだろう。そして井の中の蛙の人生や常識にゆさぶりをかける。人間というのほかの人の生き方や考え方、技術などをたくさん学ぶことによって、進歩したり、あるいはよりよい生き方、人生を選びとってきたのだろう。選択の幅をひろげるということである。たったひとつの人生しかないと思い込んでいた井の中の蛙の日本人は、たくさんの蛙がいることを知って、はじめて自分はなんて狭い井の中に住んでいたのかと悟ることになるのだろう。


12万円で世界を歩く (朝日文庫) 週末アジアに行ってきます (講談社文庫) 古戦場 敗者の道を歩く (講談社+α新書 (345-1C)) 日本を降りる若者たち (講談社現代新書) 新・アジア赤貧旅行―やっぱりアジアは面白い (徳間文庫)
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07 05
2008

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『アジア定住』 野村 進


アジア定住 (講談社プラスアルファ文庫)
野村 進

アジア定住 (講談社プラスアルファ文庫)


 私は海外旅行にいきたいだとか、海外に定住したいという夢などちっともたなくて、アジア各国に定住する日本人をインタビューしたこの本はべつに魅力的ではなかったし、憧れを駆り立てられるということもなかった。

 ただアジアは日本を相対化してくれると思う。西洋化、経済化しすぎて閉塞状況に陥っている日本の行きづまりになんらかの打開策をもたらしてくれるのではないかと思うのである。日本はヨーロッパやアメリカのほうばかり目を向けているのだが、近代化される前のアジアに日本は改めて学べることが多くあるのではないかと思う。私たちの社会というのは経済化されすぎた社会になったためにたまらなく息苦しく、生きづらい世の中になっているのではないかと思う。アジアの古き佳き時代、スローな生活というものに学べないものだろうか。日本人はそういう時代に還りたいと思っていないだろうか。

「タイに長く住む日本人研究者に言わせると、日本に帰るたびに日本の若者がタイの若者に近づいていることに気づかされるという。
「いい意味で"脱力"していますよね。出世しようとか金持ちになろうとか力まないで、その日その日を楽しく快適に過ごせばいいと考えるようになっている。日本の若い人は、すぐにしゃがむでしょう。ああいう姿勢なんか、タイ人にそっくりだと思いますね」



 日本は西洋化・経済化の150年をつっ走ってきたわけだが、ここいらで疲れてきた、もういいや、という気持ちになってきているのではないだろうか。「生産マシーンの日本人」をやることにへとへとになってきたのだろう。またのんびりしたスローペースのアジア人、むかしの日本人に帰りたがっているのではないだろうか。日本人はそろそろ目標を西洋からそらして、タイとかアジアに定めるほうが、日本の民衆はじつは心の底から願っていることはではないだろうか。「軍隊=経済化」しなくても、日本は生きてゆけるのだろうし、日本の新しい世代はもうそんなことをのぞんでいないだろう。日本人はまだ「軍服」を脱いでいないといえる、経済という名の国家軍事である。

「日本にいると先のことを考えないといけないでしょう。バリの人は、その日その日のことしか考えないんです。きょう食べる分があればいいという考え方。……ここの人たちは飢えることがなかったし、暑いからこごえる心配もありません。先のことを考えなくても生きていけるんです。がんばらなくてもいいというのは、とても楽ですよ(笑)」



 いまの日本人には足りないのはまさにこのような考え方だろう。日本人は学生のころから年金や生涯の安定のことを考えて生きるように設計されている。その有利な席を確保するための学歴競争や出世競争で人生を終える。一生を先のことを先のことを考えて暮らし、老後の不安や心配ばかりに今日を生きるのである。幸せなわけなどないのである。日本もかつては豊潤なアジア的な生態系に満たされて明日のことなど心配しない生活を送ってきたのではないだろうか。明日の心配をとりのぞくことがまったくムリだとしても、もっと身近な設定までで打ち止めにできるような人生のほうが、日本人を豊かにできるのではないかと思う。こういう意味で日本は悲愴なまでに「貧しい」といえるだろう。

「マレーシアを含めて東南アジアの民族や民衆は、日本人のように組織とか国に仕えるという気持ちはこれっぽっちもない」



「(中国人は)愛社精神とか会社への帰属精神なんてありません。……技術者のプライドというのはありません。給料の少しでもいいほうにいいほうにと転々と職を変えていきます」



 日本人は組織とか国家への忠誠心がいぜんとして高いといえるだろう。年金とか社会保障だとか、年功賃金だとか退職金、転職の不利さなどから、組織や国家にしがみつかざるをえない仕組みがあるからだろうが、日本の閉塞状況、あるいは民衆の豊かさ、自由さを生み出すという意味ではあえてこの組織依存のメリットを破壊してゆかなければならないと思う。このメリットのせいで日本人はとてつもなく縛られた監獄の人生を送らなければならなくなっている。これは生涯保障という捨てられない安心なのだが、生理的に耐えられるものではない。だからアジアのスタンダードのように組織や国家にそっぽを向いたような人生のほうが、日本人をラクにできると思うのである。

 ただアジアには悲惨や学ぶべきではないものもたくさんある。アジアに手放しで学べるなんて思いはだれももたないと思うが。

「実は日本以外のアジアの大半は、「カーストなきカースト社会」と言ってもいいほどの階層社会なのだ。人々は、民族、宗教、職業、居住地、貧富、それに男女の差などによる階層で、幾重にも厳しく分断されている。
階層が違えば人を人とも思わぬメンタリティーを、少なくとも戦後これまでの日本人が否定してきたことの尊さを強調したい」



 日本は西洋からの相対化の目よりか、アジアからの相対化の目をとりいれる必要があるのではないかと思う。西洋は進んでいて優れていて、アジアは遅れていて劣っているというモノサシだけではたぶん日本人は幸福になれないだろうし、今日の日本の閉塞感は突破できないだろう。西洋一辺倒が私たちの今日の忙しい、息苦しい人生と生活を提供してしまったのではないだろうか。アジアの先進国という優越感をもつより、すなおに人間らしい生き方、ゆとりのあるラクな生き方を教えてもらうという意味で、アジアはもっと大きな懐をもっているのではないだろうか。


アジア新しい物語 (文春文庫) コリアン世界の旅 (講談社プラスアルファ文庫) 新・アジア赤貧旅行―やっぱりアジアは面白い (徳間文庫) 香田証生さんはなぜ殺されたのか 笑うバックパッカー (双葉文庫)
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07 01
2008

旅へ

『アジアン・ジャパニーズ〈1〉』 小林 紀晴


ASIAN JAPANESE―アジアン・ジャパニーズ〈1〉 (新潮文庫)
小林 紀晴

ASIAN JAPANESE―アジアン・ジャパニーズ〈1〉 (新潮文庫)


 先ほど読んだ下川裕治『日本を降りる若者たち』。旅行ってお決まりの観光地をめぐる引率パッケージ・ツアーの呆けたイメージしかなかったのだが、この本を読んで旅行に日本のオルタナティヴを探す、あるいは日本を降りるという動機があるのを知って、がぜん旅の可能性に啓かれた気がした。

 日本以外のほかの生き方はないのか、ほかの国でそのような可能性が見つかるかもしれない。日本ではサラリーマンになって年金や退職金のために定年までがんばるといった人生しかないのだが、他の国の人たちはもっと自由に多様な生き方をしているかもしれない。とくに先の本の中でタイにハマる若者は現地の気楽な労働観にふれて、「沈没(その国に長期間滞在)」してしまうことが多いそうである。平日の昼間からぶらぶらしていても後ろ指をさされない「ゆるさ」にハマってしまうらしい。アジアはそういった労働観においては「ゆるゆる」のものをもっているらしく、私もそういう実情を探るべく旅行本を物色中にこの小林紀晴の本を見つけた。小林紀晴の本を読むのは十年ぶりくらいだ。

 小林紀晴は三年勤めた新聞社のカメラマンを辞めてアジアの旅に出た。同じようになにかを求めてアジアを旅する若者に、旅する意味や旅から得たものを問うた。写真を撮り、インタビューすることにより、みずからの迷いや問いの答えを見い出そうとしたのである。日本のサラリーマン人生の閉塞感や空虚感のオルタナティヴを見つけようとして。

 アジアの旅に出たからといって、帰ってきても日本は変わっているわけではない。同じ退屈な終わりなき日常、先の見えたサラリーマン人生が待っているだけである。この本が出たのは95年だから、それから十年たち、日本の閉塞感や就職氷河期、若者の混迷は深度を深め、とうとうアジアに沈没し、長期滞在する若者もかなり増えたことだろう。日本は経済マシーンや労働マシーンと化してしまったのだが、そこまで到らない貧しいアジアはぎゃくにゆるやかで穏やかな人生が広がっているのかもしれない。アジアを旅する若者はそのような「ほかの生き方もできる」という人生観を啓かせて帰ってくるのかもしれない。

 日本に暮らしていれば、知ることは日本のことばかりである。海外の国や社会のことをほとんど知ることはない。日本人という画一化・均質化したステレオ・タイプの人生コース、人生観を叩き込まれるばかりである。アジアを旅するということはさまざまな人生観や社会、労働観にふれ、実感として味わってくることではないだろうか。そのことによって、こういう人生しかないとか、「正しい人生コースから落ちたら生きてゆく道がない」といった思い込みからの脱出と寛容の意識が芽生えるかのかもしれない。

「人間はどんな風に生きてもいいんだ」



「会社を辞めて旅している人たちに何人か出会ったんだ。五年くらい就いた仕事が向いてなくて、もう一度やり直そうと旅に出ている人たちに。……僕は一回就職したら、そのまま一生やらなくてはとずっと思っていたんだけど、そんなに固く考えなくていいんだな、考えすぎなんだと気づいたんだ。すごく気が楽になった」



「貧しい、遅れていると言われていた世界で実は、四角い空ばかり眺め、満員電車に乗っていた僕などより、幸せを感じている人間がいた。しかし、それはけっして幸せだけではない。悲惨さも、醜さも、卑怯さも、滑稽さも、生も、死も、あからさまだった。リアルであった」



「日本人は大変ね。だって休みとれないでしょ。フィンランドでは四、五ヵ月くらい休みとって旅行とか行くの当たり前だから。日本は一ヵ月の休みをとろうとすると、会社を辞めなければとれないなんてナンセンス。厳しすぎるよ」


 
 アジアを旅する若者たちは日本と異なった人生観や労働観を見ることによって、人生の多様性や自由を垣間見てくるのだろう。そして日本でのオルタナティヴを切り開いていったり、あるいは人々の意識を変えていったり、または日本の労働マシーンにただ呑みこまれてゆくだけかもしれない。でも知っていることと知らないことの差は大きいだろう。さまざまな生を知っておれば、一流コースから落ちれば終わりだみたいな人生観のアホらしさに気づくだろうし、責めさいなまされることもないだろう。

 労働マシーンの日本にとってアジアは「癒し」なのである。多くの日本人にこの強迫的な労働マシーン以外にほかの可能性や生き方もあるのだと知らしめることが、アジア旅行の重要な役割なのかもしれない。日本人は北朝鮮を笑えないって。アジアの人たちも日本のマシーン国家を憐れんでいるのかもしれない。アジアに滞在する日本人も同じような目線で日本人たちをまなざしているのだろうか。
 


ASIAN JAPANESE―アジアン・ジャパニーズ〈2〉 (新潮文庫) ASIAN JAPANESE〈3〉 (新潮文庫) アジアロード (講談社文庫) Tokyo Generation デイズ・アジア
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プロフィール

うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。神秘思想、仏教、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

Kindle本、2冊発売中です。

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