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05 31
2008

バイク・ツーリング

教習所ってDQN(暴力的)体質なのか



 リストラ宣告されたのに、のん気に普通二輪教習に通っている私です。まあ、気分転換できるし、入学金は納めてしまったので仕方がないということで。目的の250ccは買えないかもしれず、原付くんを二種登録しようかな。

 今日はじめて技能教習に通ったのだが、鬼教官というものに出会ってしまった。ふつうの展開で説明がすすんでいたのだが、いっしょに受けていた高校生の子がバイクを倒してから、豹変。ボロクソに怒り出した。ちょっとの動作違いで噛みつく怒声が響きつづけた。教習とはこんなところなのかと唖然となった。

 私は原付のミッションに乗っているからクラッチとかギア操作にはたいそう苦労はしなかったのだが、その高校生の子ともうひとりの女の子はそれぞれスクーターと自転車しか乗ったことがなく、操作なんかすぐにできるわけがない。それなのにその鬼教官は怒鳴り散らす。女の子はバイクを倒すわ、高校生の子もまた倒すわ、そんなに怒られたらだれだってヒビッてできることもできなくなる。鬼教官はむかしの話だという神話はウソのようである。

 みんなのために怒るというが、私はそんなたわ言は信頼しない。人の感情や傷を配慮できない叱責や怒りなんてぜったいに当人のためにならないと思う。対人関係に恐怖を抱かせるだけで、運転への配慮とか慎重さを付け足すわけではない。たんなる感情の自制心のなさを言い訳に使っているだけだと私は思う。

 ミッションのバイクというのはさいしょ乗り出すとクラッチとかギアとかまったくワケのわからないものである。私も原付でミッションに乗りはじめたときにはさっぱりわからず、エンストばかりおこしたし、操作のつながりがまったくわからなかった。そういう当たり前の状態を配慮してやって、やさしく教えてやるものが教習というものではないのか。こんなに怒鳴り散らすのはもはや教習という範疇ではないだろう。たんなる歯止めのない怒りの暴発である。という私も反感の態度はおくびにも出さず、二度ほど怒られ、神妙に反省しているふりをしたものであるが。

 二輪の教習というのはこのような暴力体質、ブラック体質がふつうにはびこる場所なんだろうか。こういう軍隊的な対応なんて十数年はかかわりのなかった教育体制なので、私はこのような状態はなんなのかとなかなか理解しがたかった。まだ一回しか技能は受けていないが、まさかこんな恫喝・恐喝教習をカネを払ってまでして受けなければならないのか。スピード違反でつかまっても警察の態度はもっと紳士的でやさしいぞ。女の子はさいご泣きそうになっていた。つづけることができるのだろうか。

 怒って教えるか、やさしく教えるかは、ほかの仕事でもやはり問題になる事柄である。私は怒って教える人というのは、新人の事情を理解できない人なのではないかと思う。新人というのはとうぜん仕事のことはわからないし、身体も思いのとおりに動いてくれない。そのような理解や慣れの再現をくりかえしていない新人はとうぜん失敗するし、さいしょから仕事などできるわけがないのである。そんな当たり前のことを理解せず、配慮もせず、アホだダメだのように最初から怒り出す人もいる。私はそのような人はすこしくらい知っていたり、できることの「特権」を自分の恐さ表示や優越感、ウサ晴らしに利用しているだけの人だと思う。新人のできないことに怒ることってほんとうに効果があるのか。

 今回の教官は怒りの連鎖をとめられなかっただけのように思える。いちど腹を立てたら連鎖的に怒りが連想するのである。ひとつのインクのしみが全体にわたるように。この人は怒りのコントロールのような感情労働につく人としての基本マナーも身についていないのだろうか。

 まあ、教習というのは時間に追われる仕事だと思う。人は時間に追われて仕事をこなさなければならないときにいちばんイライラいやすいし、怒りやすくなる。教習は50分という決められたひとコマの時間のなかで、決まった過程を教えなければならない。ひとつ動作が失敗すると、その過密スケジュールが強迫観念となって、教官の怒りに火を点けるのだろうか。学科教習でもほんと決められた過程を時間内に収めることはかなりたいへんだと思う。

 まだ技能は一回しか受けていないからこの教習所がすべてこのようなDQN体質かわからないが、ひじょうに問題な場所でこれから過ごさなければならない懸念を感じる。体操なんかしていたらひじょうに悪どい、キツい目つきで生徒の体操をチェックしている教官もいたし、さいしょの所内案内で見たときの教官の群れというものもなにか威嚇っぽいものというか、生徒たちを愚弄するようなまなざしも感じたし。

 まあ、私は原付のミッションが乗れるわけだし、きょう400ccを乗ってもそんなに困難は感じなかったからそう怒られることはないと思うし、バイクで走り出したらクルマの教習のように教官にとなりで注意されるということもないから、私自身に害はさしておよばないと思うが、さんざん怒られつづけた女の子や高校生を思い出すと、このようなパワーハラスメント行為に何の対応もできないのかとちょっとふがいなくなる。

 バイクは危険な乗り物であるし、人をひき殺す凶器にもなるし、自分の肉体を損傷する道具にもなりうる。だから厳しくしなければならないというのは、どこか論理がすれ違っているように思える。人間から与えられた厳しさはたんに人間に対して厳しさを感じるだけであって、バイクや交通にかんしてでは絶対にない。この経験は交通に生かされるのではなくて、たんに人間のトラウマを生むだけに思える。私は厳しさの効果は信じないというよりか、正直なところ怒りや叱責が好きではないのである。人を傷つける対応は許されるべきものではない。

 教習所にDQNや鬼教官が生まれる要因としては、教官が教えたり守る立場に立たなければならないために、反抗的・非服従的な生徒を、抑えつける意味でそのような体質が盛り上がりやすくなる危険性が高いのではないかと思う。教えられたり、注意されたりする立場に立たされる生徒の中にはとうぜんそういう立場がガマンならないという者、さいしょから怒りっぽい者やキレやすい者もいるだろうし、教官も生徒たちとの関係の葛藤を数々経験しなければならない。教える、支配する立場を維持するために威嚇や恐怖の鎧を重ね合わせてしまった教官もいるのだろう。負けたり、なめらたりしないために教官もドキュン(暴力的)な鎧を覆ってゆくのである。

 教習所という公共的な場所がそういう巣窟だとしたら、うら寒いばかりなのであるが。あまり経験したくない、知りたくない教習なのであって、人間の暴力的性質をこんな公共の場で味わうなんて残念でならない。


参考になるサイト
★2007自動車学校ブラックリスト★教習所

自動車学校(教習所)被害報告スレ

私、自動車教習所が嫌いです。

教習所の教官の態度について - 教えて!goo

教習所の教官のDQN度は異常

最低教習所ランキング 京大生のためのコミュニティサイト

教習所で教官に泣かされかけてます・・

教官が最悪でした。インターネット自動車教習所 相談室

07 06
2008

バイク・ツーリング

『自由に至る旅』 花村 萬月



自由に至る旅―オートバイの魅力・野宿の愉しみ (集英社新書)
花村 萬月

自由に至る旅―オートバイの魅力・野宿の愉しみ (集英社新書)


 近々長い休みがとれそうなので、野宿ツーリングを楽しもうと、かつて読んだことのあるこの『自由に至る旅』を再読した。いぜん読んだときはバイクの免許もなく、ただ憧れだけで読んだ。いまは原付に3年乗り、野宿ツーリングも何度か体験し、感じ方も変わっているだろうと読み直した。

 私は旅行というものが嫌いだったし、バイクに興味をもったこともほぼない。通勤の必要から原付バイクに乗り出し、人と関わらないで地続きに日本の土地のどこまでもいける野宿バイクの魅力に改めて気づいたということだ。旅行は嫌いだった。「旅行にきています」と悟られるのがいやだった。ヘンな自意識なのだが、旅先で関わるいろんな人に旅行者というまなざしで見られることが不快だったのである。旅行を「感傷」や「郷愁」といったレッテルで見てしまう、そんな私の他者への投影に不快感をもっていたのかもしれない。

 野宿ツーリングはそういう私の不快感をいっきょに解決してくれる。地続きで人と関わらないでどこまでいけるし、他者の好奇の目(自意識ではあるが)を味わわないですむ。近所に出かける足をひきのばせば、どこまでもいけるし、泊まるところを安上がりであげられれば、何日も旅行することに平気になれる。こういう手段を確保してはじめて、日本の景色や風景は私の身近なもの、手の届くものになったのである。電車や旅館という手段しかもちえなかったら、たぶん私は旅を嫌いなままだっただろう。

「もういい加減、旅館やホテルなどの宿泊施設に泊まるということの不自由さに気づいてもいいのではないか。なんで、あなたの行程が、たかが宿泊施設の有無に左右されなければならないのか。わざわざ金を遣って面倒を背負い込むその精神が理解できない。
宿泊施設に頼る旅の欠点は、思いつきで行動できないところです。予約という名の予定を入れてしまえば、あとはそれをこなすだけになってしまう。それって日常的な仕事、作業と一緒じゃないですか」



 野宿ツーリングはたまたまめぐりついたところ、疲れてしまったところなどで、テントを張って眠ることができる。目的地や目標をいっさい設定しないで好きなところをめぐることができるのである。何時までにどこそこの旅館に入らなければならないとか、時間のために立ち寄りたい場所にも寄り道することができないといったこともない。すべて自由気まま風の吹くままである。はじめから目的地・時間の決まった旅程などがんじがらめの集団規律みたいなものである。

 私はバイクをカッコいいとか思ったこともないし、自慢や優越感をもって走るようなライダーとはまったく違う種類の人間だと思っている。バイクは移動するための「手段」や「道具」にしか思っていない。バイクに過剰な自意識を付与させる人たちとはまったく違うと思っている。私はあくまでも風景や景色を楽しみたいだけで、バイクのカッコよさとかライダーであるという自意識をまったくもっていない。バイク雑誌でいっているような良さとかカッコよさはまるでどうでもいいのである。なんだか「バイク同一性障害」みたいな感じだが、まったくバイクにそういう過剰な意味をつけることを削ぎ落としてほしいものである。それは私にとっては鉄道旅行の「てっちゃん」の趣味みたいなもので、私にはどうでもいいことなのである。

 花村萬月のこの著書はそういう意味ではライダーの部分が多い本であり、何百キロもいっきに走り飛ばしたり、バイクに優越的価値を求めたりと、そういうところは鼻につく、というか贅肉の部分であると思う。それはバイク雑誌の仕事である。個人的にはこういう景色がよかったとか、野宿の方法や場所だとか、冬や夏の対策だとか、そういう部分をいちばん読みたかった。もちろんこの本にはそういう情報は満載であるが、私にとってはこの人はまだライダー・オタクであると思う。

 私が野宿ツーリンクで興味をもったものというのが、風景のすばらしさや写真を撮ること、古代史や民俗学などであったりしたのである。風土や風景はその土地のよって立つ歴史を思い浮かべずにいられなかったし、山村や漁村に住む人たちの生活や生業に私は興味をかき立てられた。私の興味は完全にこちらのほうに向かっているので、バイクのどうのこうのという趣向はほぼない。でもバイクって、いやがおうにもバイク趣味でなければならない部分があって、やっかいな乗り物であるとは思うが。

 私は野宿ツーリングによって各地の風景や生活の営みを楽しみたいと思っているだけなのである。やはり「バイク同一性障害」だな。


オートバイ・ライフ (文春新書 (048)) 風と旅とオートバイ―ツーリング・シーン12章 (広済堂文庫) 暁のキックスタート (広済堂文庫) 出たとこ勝負のバイク日本一周(実践編) (〓@53B2@文庫) 出たとこ勝負のバイク日本一周(準備編) (〓@53B2@文庫)
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07 17
2008

バイク・ツーリング

『海とオートバイ』 内田 正洋



海とオートバイ (えい文庫 163)
内田 正洋

海とオートバイ (えい文庫 163)


 ツーリング紀行や旅行記というのは写真がたくさん収められているのが好きである。視覚にダイレクトに訴えてくるものは、一目瞭然なインパクトを与える。文章でどこそこに行き、どんなことがあり、風景はこんなものだと文字で語られても、行ったことも体験したこともない者には実感や興味もかき立てられないのである。ツーリング紀行や旅行記は文章家より、写真家のほうが適していると思う。

 私は壮大な風景に納まったバイクの姿が好きである。大きな風景にぽつんと孤独に走るバイクの姿に旅情をかき立てられる。自然の大きさとちっぽけな人間の対比に、主役としての風景や自然の偉大さや圧倒性、そして人間やバイクの卑小さを思い知らされる。そんな風景が好きである。

 この本にはそのような構図の写真が多く収められており、そして文章のほうもどこそこに行ったという紀行文ではなくて、風土や地名の起源、人類や日本人の移動や文化が考察されていて、ツーリングや旅行はこのような学問をひっぱりだしてくることで、おもしろみはもっと増すと思う。旅行は学問探索の知識に結びつくことで、深みと広がりを増すのである。

 方角の考察もまたいい。

北(キタ)は、汚し(キタナシ)という言葉から来たらしい。
沖縄では、北をニシと呼ぶ。ニシはイニシ(去にし)から来ている。
西日本では、帰ることを、イヌル(去ぬる)という。

南(ミナミ)とは水が多くある水辺のことらしい。
水面は(ミナモ)だし、日本の南は海の世界。

東(ヒガシ)は、ヒムカシ(日向かし)から来た言葉。
つまり太陽が出る方角に向かうこと。

西(ニシ)は、去にし。
シは方向を意味する。



 方角を言葉から読み解き、そして地名も言葉によって読み解く。

徳島はかつて阿波の国と呼ばれていた。……アワとはポリネシア語で海峡を意味する。
和歌山のワカもポリネシア語では、なんと船や船乗りや海人族を意味する。
さらに大阪の浪速は、それをナニ・ワという風にポリネシア語で解釈すると、ナニは美しいで、ワは河口。



 ツーリングで各地をめぐりながら、このような考察ができれば楽しいではないかと思う。また風土や土地はそのような疑問や考察を駆り立てるものである。深く、広く、学問の考察に結びついてほしいものである。新しい地に出会う新鮮さはそのような疑問や考察を思わず立ち上げてしまうものなのである。ツーリングや旅行によって、学問の考察と結びつくことが、たんなる観光消費との一線を引くだろう。

オートバイは自然に対峙する、気概のある人を育てるのだ。寒風の中を凍えながら疾走し、どしゃ降りの雨に打たれ、秒速30メートルの風に吹かれながらの旅。



人は簡単に死ぬ。そう自覚することが生きること。



 ツーリングや旅行はたんなる観光や享楽で終わるのではなくて、深い文化性や精神性が付与されてほしいものである。こういう姿勢は日常の生活や人生にも共通してくるものだと思う。享楽と精神性の違いは、旅の行動や結果に多くの違いを生み出すことだろう。人生や人格だって同じである。


Rider's Story バイク小説短編集 ひとたびバイクに 禅とオートバイ修理技術 上―価値の探求 (1) (ハヤカワ文庫 NF 332) 禅とオートバイ修理技術―価値の探求 (下) (ハヤカワ文庫 NF (333)) 路上へ。TOURING RUN MEANS...
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07 17
2008

バイク・ツーリング

教習所とはどのようなところか



 フリーの身となって、平日昼間から普通二輪の教習に通っている。無職の身となって平日昼間に通うのは少々恥ずかしいが、ニートのような気持ちで平日昼間の自由感と優越感を主張すればいいのである。平日昼間に通える人なんて専業主婦か、夏休みや冬休みの学生、平日休みのサービス業の人くらいしか思い浮かばないが、教習所は平日昼間からやっている。

 私は車の免許がないから、普通二輪でもクルマといっしょの学科を受けなければならない。なんでクルマの話を聞いているんだろうと思いつつ。しかも40歳である。だいたいは学生や20代前半でクルマの免許をとりにいくものだろうが、私はクルマに興味がなかったり、カネがなかったりとで、クルマの免許をとっていない。なんとなく異質感があるが、開き直ることにする。20年ひとまわり下の子たちが成人に達していると思うと、月日の早さに呆然となるしかない。しかも私と同年代を親にもつ子たちもいるのである。人間の成長のサイクルの早さに嘆かざるを得ない。

 教習所というのは、小中学校のような学校とちがって、自分たちのクラスや教室というものがない。自分の受ける学科や技能の教習に出てきて、終われば帰る。大学の講義と同じものである。友だちや横のつながりはほぼできないと思う。空き時間でもみんな黙って、それぞれの時間を過ごしているだけである。恋愛に期待する向きもあるだろうが、そういう空間には思えない。クルマの教習は若い女性が多く、クルマはこれから女性のものになってゆくのだろうか。

 公立学校で問題になる「いじめ」だが、このような教習スタイルにすればなくなると説く学者もいる。クラスで集団主義や窒息しそうな共同体意識を植えつけられるから、異物排斥の動きが顕在化してしまうのだと。だけどこのような教習所スタイルは、あの小中学生のむじゃきな仲間関係ができないとしたら、寂しいことである。学校のような友達関係は社会に出るともうできないものである。

 学校という関係はむしろ社会にはないものである。社会に出ると人々はたこつぼや閉鎖的な環境に収まってゆく。職業世界というのはひじょうに狭く、一度収まってしまうと、なかなかなほかの職業や環境の人と出会うことはない。学校こそが、社会にないものである。職業・環境横断的な人々の集まりや場所というのは学校をおいてほかにないものなのである。教習所は公立学校とまったく違うものである。

 学科の教習は、配当表というものがあって、それぞれの時間に何番目の学科のスケジュールがあるか決められていて、受けれる時間を自由に選択していい。配当表というのを見せられて、まったくなにがなんだかわからなかったが、一段階、二段階の学科のコマをそれぞれ選択していけばいいのである。予約はいらず、自由に参加すればいいのである。こういう授業スタイルで質問で当たられるのはたいへんにいやだが、学科のほうは受ければいつの間にか時間が過ぎていて、単位をとれるということになるのでラクである。

 技能のほうは予約が必要で、じっさいに自分がバイクにまたがり、注意や指摘をされなければいけないわけだから、あまり快い体験ではない。まちがったり、失敗したりすると、怒られるような、詰め寄られるような雰囲気になったりして、気分がゆううつになるときもある。ミスが多かったり、失敗が多いと、やはりそうとうに注意されるので、めげない心構えが必要である。

 私は原付のミッションを3年乗ってきたので、400ccに乗ってもそう違和感は感じなかったのだが、スクーターや自転車に乗っていた人たちは、クラッチ操作やギア操作はとまどうことが多いだろう。自転車しか乗ったことのない人は、こがずに勝手に動く乗り物というものに驚くかもしれない。教習を受ける前に自分ひとりで練習できるような場があればいいと思うのだが、そういう場がないのが残念である。

 私は一発試験でもいけるかもと思ったのだが、仕事の関係で何度も落ちる可能性のある試験はそう受けられないし、二段階に入る前に技能や学科はもうだるいなと思って、とちゅうでショートカットして一発試験を受けてやろうかと思ったのだが、たとえ免許がとれても、6時間くらい講習をうけなければならないらしい。どのみち教習には通わなければならないのである。

 技能の一段階はおもに操作面を習い、カーブやスラローム、一本線、クランクや曲線など課題が増えてゆく。つぎにどんなことをやり、なにを課題にするのかわからないと不安だから、ネットには教習日記というものがたくさんあって、どのよう課題があり、失敗があったとか、事細かに記されているので、かなり参考になる。できるだけ失敗やミスの多い人の日記を読むとはげまされるし(笑)、勉強になる。

 気になるのは教官との関係や対人間関係の部分ではあるが、だいたい技能も学科も同じ教官に当たりつづけるということは少なく、鬼教官やニガテなタイプの人とも一回だけとか、数回しか当たらないという場合が多いと思う。あっさりと一回かぎりの関係と思って、距離を保てるのではないかと思う。ずっと同じ人が担当するとすれば、いいところもあると思うが、担当が替わるのも関係がこじれるリスクを回避するためにはいいかもしれない。怒られたり、しつこく注意されるのも、しっかり覚えるための自分のためだと思うに越したことはない。

 教習にかかる時間だが、働いているととうぜん土日や夜間にしか受けられず、ペースは遅くなるだろう。私は一段階の技能9科目と教習10科目だけで、おおよそ二ヶ月くらいかかった。休日は午前中しか受けなかったし、2時限連続で受けられる技能もしんどいので一時限しか受けなかったから、このくらいの時間がかかった。平日昼間まるまる受けられるとすれば、学科も技能も段階ごとにほぼ一週間か二週間で終えることができるようだ。フリーになった私はこの一週間、二週間でばっと二段階をとってしまい、はやくキャンプ・ツーリングへと出かけたいと思っている。

 いぜんに技能のはじめての日にヘタな人と受けてかなり怒られた体験をしたので、「教習所ってDQN(暴力的)体質なのか」という記事を書いたが、このような心配はとり下げてもいいと思っている。のちの教習はそんなに目にはあっていない。ただし、技能がうまくこなせないとそういう環境になる可能性もあるので、なるべくバイクや課題は前もってなんらかの予習はしておいたほうがいいと思う。 

 
07 22
2008

バイク・ツーリング

『出たとこ勝負のバイク日本一周(実践編)』 小林 ゆき


4777901998 出たとこ勝負のバイク日本一周(実践編) (えい文庫)
 小林 ゆき
 えい出版社 2004-09

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 「日本一周」ってなんだか「優等生」的な発想を感じてしまう。だれかのいいつけを守って、しっかり「課題の頂点」を達成しましたみたいな。だからある意味ではこっけいであり、嘲りの対象にもなる。そしてナショナリズムのむじゃきな信仰者であるし。あるいは大きなことをしたという優越感を育むことになるのだろうが、そういうことにいっさい価値をおかない「定住民」には、かれらの優越ヒエラルキーに足蹴にされて腹を立てたりする構造があると思う。価値序列としてとりあつかいの難しいジャンルである、というか、モノサシの違う人たちにはほぼ黙殺されるジャンルだろう。「だからなに?」と返される個人的な自己満足であることを勘違いしないのが賢明というものである。

 野宿ツーリングが好きになってきた私であるが、そういう旅の情報がなにか得られたらと思ってこの本を読んだが、ものすごく個人的な日記のようなもので、おいおいこのような内容が公共の出版物として出されるものなのかとすこし首を傾げるものであった。こういう出版物って極力、個人的な情報を避けて、一般的・普遍的な情報を書くべきではないのか。ガイドブックではないのだから個人のツーリング記であってもいいわけだが、それにしても個人の日記まるだしの内容はすこし出版物としてのボーダーに達していなように感じられた。これは自費出版か、ブログか、まったく個人日記向けのものだ。でもそういう本でもツーリングに役立つ情報はないわけではないが。

 この小林ゆきという人はモータージャナリストで、ある程度業界ではメジャーな人であって、だからこのような個人記が許されるのだろうか。作家の旅行記だって、ここまで個人的な内容は書かないと思うのだけれど。これは衆知されているモータージャナリストの自伝なのだろうか。

 この本は1989年に旅した記録であり、彼女はだいたいユースホステルに泊まっている。ミーティングや自己紹介があったりして、孤立好きな私などは「ウザ!」と思ってしまうのだが、そういう人との出会い、友達との出会いというものが、フツーな旅の楽しみなのだろう。この旅の記録はほとんどそういう人との出会い、関わりに重点がおかれていて、風景や風土、また観光がほとんど触れられていなくて、旅の目的はそれぞれ違うのがあたりまえでいろいろな価値があっていいが、これは出会いの旅であって、べつに日本一周する必要もないのではないかと思えてしまう。

 キャンプで日本一周している女性の750ccライダーにも出会い、著者もキャンプをするのだが、林道で何かの動物が近づいてくる気配を感じたりして、なかなかたくましい体験をしているのだと思う。私は夜の林道の暗さと恐ろしさでテントは張れないと思う。女性のライダーがキャンプ・ツーリングなど思いもよらないことだが、けっこういるのかもしれない。

 この当時に30代や40代のフリーターのような人もいて、「夏は北海道、冬は石垣」で暮らすような人たちもいて、もうすこしこういう人たちがいるという情報がわれわれの中にあったのなら、決められたコース以外の人生も謳歌できたかもしれない。「キャンパー」はニンジンやモロコシ、鮭加工の日払いバイトなどをして移動費を稼ぐ。建築家で一年のうち9ヶ月働き、3ヶ月沖縄で遊ぶような人にも出会っている。旅行というジャンルはこのような漂泊者や流浪者を生み出しているのである。むかしから季節労働のようなものはあったと思うが、その系譜は今日もしっかりつづいているのであるる

 この本、というか著者のもうひとつの主題というのは、男から「性の対象」としか見られないことへの憤りである。著者は典型的な女性らしい音楽家の道もめざしていたのだが、男っぽいライダー関係の道へと進んでいる。ショートカットで男に間違われるような格好をして、30分話しても女性と気づかれないような男らしさを身につけている。中性的になれば、性や恋愛の問題から解放される。「女の部分」にたいして吐き気がするくらい嫌悪感が募ったそうだ。

 女性は「性の対象」としての女を受け入れることに、たいそう苦労するらしい。さいきんのドラマ『ラスト・フレンズ』で上野樹里がそのような性同一性障害の役を演じていたが、葛藤の起源を考えればわからないでもないだろう。私の身体が他人の欲望の対象となり、私が望まずとも私の身体は欲望をそそる惹起物となり、貞操観から性の抑制や禁止を学び、なおかつ性を受け入れなければならない。性対象としての身体の統合ができない。その苦しさから男であれば苦しまずにすむという方向へも進んでしまうのだろう。この旅は性的な女性であることの脱出、模索の旅でもあったのだろう。女性の性の統合はかんたんなものではないようである。

 ところでさっこんはネットで「日本一周」を検索するとさまざまなホームページやブログに出会うことができる。こんなに多くの人が日本一周を敢行しているんだなとわかる。旅に生きるということは仕事も学校も放り出すことである。生産ではなく、非生産な生き方をすることである。こういう境界によって人々の生き方や人生の幅や選択は広がってゆくものなんだろう。


出たとこ勝負のバイク日本一周(準備編) (〓@53B2@文庫) バイクの島、マン島に首ったけ。―出たとこ勝負のバイク旅・海外編 (〓文庫) 自由に至る旅―オートバイの魅力・野宿の愉しみ (集英社新書) 暁のキックスタート (広済堂文庫) 50CCバイクで島の温泉日本一周 (小学館文庫)
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07 23
2008

バイク・ツーリング

『アタシはバイクで旅に出る。』 国井 律子

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アタシはバイクで旅に出る。―お湯・酒・鉄馬三拍子紀行〈1〉 エイ文庫
国井 律子

アタシはバイクで旅に出る。―お湯・酒・鉄馬三拍子紀行〈1〉   エイ文庫


 かわいい。アイドルの写真集をながめているような本。お決まりの温泉入浴写真もあるし。アイドルのような女の子がハーレー・スーパースターに乗っているという本であって、男ばかりの世界で孤独であったライダーには慰められる本である。文章はおとなしくて、文学志向が強そうな文章であるが、ところどころにかわいさが浮き出る。コイズミ的感性(古い)の自己のつきっ放し方がかわいいのである。

 バイクはなぜか男の趣味、というお決まりがある。クルマはそうではなく、一般人や女性の乗り物と見なされている。バイクもエンジンで走る乗り物であって、変わりはないと思うのだが、むき出しの危険性が男の乗り物だという趣向を高めるのだろう。「危険性が隣り合わせの世界に耐える男だ」というメッセージ性に男たちは群がるのだろうか。

 そういう孤独な男の世界にアイドルのような女の子が現われ出たら、男たちは群がる(笑)。またそういうハーレムを見て、女性たちにも憧れられるかもしれない。ライダーでもアイドルになれるんだ!と。女性のライダーで有名人というのは私はあまり知らないのだが、作家の赤坂真理とかタレントの真鍋かをり、財前直見、松雪泰子、高島礼子なんか乗っているそうだ(カッコつけの人が多そうな)。「バイクに乗っている有名人

 そういえばバイク雑誌とかカー雑誌の表紙って不自然なくらいにバイクやクルマといっしょにセクシーな女性が写っている。中身はまったく女性と関わりがないのにである。こっけいである、というかほとんどギャグ。メッセージは「バイクやクルマを買うともれなく女性が――それもセクシーな女性が、ついてくる」という意味なのだろうか(笑)。男たちはカッコいい、カネのかかるバイクやクルマに乗ることによって女を手に入れられるとせっせとバイクやクルマにカネをかけてきたのである。それはヤドカリの貝に惹きつけられることと変わりはないのだが(笑)。

 そういうおまけに女がついてくるライダーの世界に、バイク自身にまたがるアイドルのような女性が出てきた。男たちは、男の要素をもったライダーの世界を身にまとうアイドル女性の存在にとまどい、彼女の置き場所に困る。「おまけ」についてくるはずだった女性が、オレたちの道具をとってしまった。そうして恐々とその存在のありようを確かめてみなくてはならなくなったわけである。貝をとられた男たちはハダカのまま女性と向き合わなければならなくなったのである。男たちの自負、男たちの包囲網への挑戦である。ジェンダーのボーダーが破られるのである。もちろんそのようなジェンダーへの挑戦はアイドルのような「かわいい子」として中和されるだろうが、男たちは内心では男のジェンダーの崩壊をじわりと感じているのではないだろうか。だから女性ライダーは男の前提をつき崩す少々気になる存在になるのである。この女性はどんな存在か、なぜバイクに乗るのかと。

 私は雑誌はほぼ読まないので知らないが、国井律子はこのバイク旅エッセイを皮切りにアウトドア雑誌や自転車雑誌などに進出しているようである。旅行や放浪が好きなようである。アイドルか、文筆家か、放浪者なのかよくわからない活躍をしているが、もし彼女をタレントやアイドルと定義するのなら、芸能界の活躍の場が舞台から路上や周辺とうつりかわっていったのだと見なすこともできる。いぜんの国民の憧れがアイドルのような舞台で歌う女性であり、われわれはそのような姿に憧れてカラオケを歌ったとするのなら、これからの憧れはアウトドアや旅行の上で築かれてゆくのかもしれない。いや、あるいはこれは狭いジャンルの上のアイドルのことでしかないかもしれないが。


関連URL
 国井律子ブログ ツーリングに旅行に身辺とさすがにおもしろい。
 国井律子さんインタビュー
 国井律子ホームページ
 

アイドル写真集と遊びの指南書のボーダーをいきますね。
さぬきうどんサイクリング 国井律子が3泊4日でさぬきうどんを食べ漕ぎ!タ・ビ・リ・ツ―Love Bike,Love Life.Ritsukong―国井律子写真集クニイの素―Love Bike,Love Life.

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08 04
2008

バイク・ツーリング

普通二輪教習を無事、卒業しました。



 五月の下旬から通いだした普通二輪の教習だが、きょう卒検があって、無事卒業できました。

 卒検は10人のうち最後で、緊張がながらくつづいて、困ったものだと思った。ふだんの練習ではめったにおこさないエンストやニュートラルになかなかギアチェンジができないという失態を見せて落ち込んでしまったが、あっけなく合格だった。ほかの課題は問題なかったのだが、ひやひやものだった。

 私は原付のミッションに三年乗っていたので、400ccのバイクでもほぼ違いを感じないで運転できた。一発試験でもよかったと思うのだが、やはりじっさいに400ccに乗らないと不安だし、仕事をそう何回も休んで試験を受けるわけにもいかず、教習に通った。のちに失業していくらでも一発試験を受けられる環境になったのだが、その前に入学を申し込んでしまったので、皮肉なめぐり合わせである(泣)。

 私の考えとしてはバイクは自分で練習したほうがうまくいくと思うし、気持ちにゆとりがもてると思うのである。教習ではうまくいかなかったり、覚えるところを覚えてなかったりしたら、教官に怒られたり、険悪になったりするのだから、どちらかというとこちらのほうに気をとられてしまい、運転技術の向上にうちこめない。人に監視されながらの練習は気をつかってよけいな神経に時間をとられてしまう。人によっては教えてもらうほうがいいというタイプもいると思うが、私は自分ひとりで練習にうちこめる方法のほうがしっくりとくる。原付のミッションを覚えるのにそうとう苦労したが、そういう壁や模索と格闘しながら、運転を克服していった方がよほど自分の身についたと思うのである。

 私はクルマの免許もないから、学科の教習も受けたが、私は人に教えてもらうより、ひとりで問題集を解いていたほうがいいと思うタイプである。教科書なんか自分で読んで問題を解いたほうがいいと思うのだが、たしかに多くの教科は教えてもらわないと覚えが悪いかもしれない。でも問題をやるころにはいぜんの講義はすっかり忘れているのだが。

 学科はそうとうに難しいと苦労している(笑)。ちゃんと教習を聞いていたはずなのだが、問題をやってもぼろぼろ間違うし、覚えていない。私はむかしからもの覚えが悪く、英語のスペルと意味を覚えるのに大学ノート3ページくらい書いても覚えられないくらいだった(泣)。問題をやってもやっても合格点に達しない。

 教科書と問題の違いは、教科書はこれはこう、あれはこうと限定せずに指示をするわけだが、問題は違いや異なるものを聞いてくる。限定や相違点を教科書は指示しないのだが、問題集はそれだけを聞いてくる。だからなにが異なるかと聞かれても答えられない。おまけに物覚えも悪いから、さっぱり答えられない。「安全地帯があるときは徐行か、停止か」と聞かれてもどちらが正解か覚えてない。原付で公道を走っていても、そんなルールはとっくに忘れていて、状況次第で運転している。試験センターでの学科試験が心配だが、それ以前に問題集をまちがいのないようなレベルにひきあげるのがタイヘンである。

 教習でいちばん気を回したことが、人によっては違うのだろうが、私は教官との関係にけっこう神経をつかったのだと思う。教官との関係はコンビニのように顔を覚えられてほしくない距離感のような気もするし、運悪く覚えられたら、距離感を縮めるような関係をつくるべきなのか。教官の顔を覚えても、その自覚を顔に表わすべきなのか、知らんぷりをするべきなのか、こういう距離感に私は神経を使ってしまうのである。このような存在の承認の関係というのは、知っている人からあいさつがなかったり、無視されたりすると、なにか傷つけるようなことをしてしまったのかと不安にさせるものだから、承認というのは人間関係において意外に重要なものである。学生が「あいさつしろ」といわれるのは、無視はときに人を傷つけてしまうからである。それは同時に「制裁の方法」もであるのだから。

 教官との関わりというのは、スクールによって違いがあるのだろうが、あの覚えたての教官がきょうは学科の教習か、きょうは技能の担当か、きょうはシミュレーションの担当かと、ころころ変わっていって、ほとんど消息不明の関係になったり、ときに顔をあらわしたり、またこの担当者と出会ってしまったという関係であった。個性的で覚えやすい教官は「うっ、またこの人か」と思ったり、「この印象のない人はたしかこないだ技能の担当をしてくれた人だな」とか、「この技能の担当者は学科のときこのように講義するんだな、へ~」とか思ったり、なかなか人間観察がおもしろい場でもあった。

 そしてそのような一期一会の関係をくりかえしながら、ある生徒が顔を見せたと思ったら、さいきん見かけないな、いつの間にか卒業していたということになる。覚えるころに卒業ということになっていたりする。消息がひとコマの教習にあらわれたり、とぎれたり、終わってしまったり、どうなったのかわからないといった存在の不在と顕在をあらわしながら、生徒はころころと変わってゆく。この人の移り変わりの早さからくる喪失感は、けっこう新任の教官なんかは、胸にこたえたりするんじゃないかと思ったりする。まるで親密になる前にベルトコンベアーで人が過ぎていってしまうようなものである。終わってしまったら、あっけないものである。

 生徒同士のつながりはほぼなかった。みな無口にスクールにやってきて、寡黙に教室に入り、沈黙のまま教室を出てゆく。自分の内面の心配や不安や喜びや言いたいことは、いっさい表に出ない。たまに顔を覚えた生徒をよく見かけたり、会ったりするのだが、それもいつの間にか卒業して二度と出会うこともない。徹底的に機能的な学習の場であって、私たちが知る公立の学校のような親密で濃密な共同体の関係はいっさい排除されている。まるで電車に乗り合わせた人たちの群れのようであり、そして電車内では知らない人にみだりに声をかけたり、親密な会話をいきなりしてはならないというルールがあり、この教習所にもそのような規範が支配していたようである。

 まあ、教習で感じたことをあまりながながと書いても読んでもらえないだろうから、そろそろ終わりにするが、ちゃんと頭でまとめて書けよ(笑)とツッコミをいれたくなるのだが、教習は技能のプレッシャーやゆううつ感を感じながらも、終わるときにはあっさりと終わるんだなと感じた。

 あとは試験センターでの学科試験だが、ひじょうに苦戦しそうだ。問題集を間違ってばっかだ。何回も落ちて恥をさらさないようにしっかりとベンキョーしたいと思う。とりあえずは技能の免許レベルには達したのでひと安心だ。

08 05
2008

バイク・ツーリング

バイクはエストレヤRSに決定。


エストレヤ 
 カワサキ・エストレヤRS


 免許取得と同時に250ccのバイクで野宿ツーリングに出られることを計画して、ぽつぽつGoo Bikeを見たり、ショップめぐりをしてきたが、写真のようなレトロなタンク・デザインのカワサキ・エトスレヤRSを購入することに決めた。車体価格19万8千円。

 バイク選びはオールド・スタイルとかレトロ・スタイルとか、とにかくシンプルな感じのバイクを考えていた。アメリカンとかレーサーレプリカのようなスタイルはいっさい考えられなかった。私がバイク選びで考えることは、カッコよさや速さを街中で「誇示したくない」という一点に尽きると思う。そういうバイクの優越感や顕示欲はいやだ、目立ちたくない、という気持ちがオールド・スタイルなバイクに目を向かわせたのだと思う。

 私はバイクにもメカにも性能にもほぼ興味がない。モーターで動くラクな乗り物で、クルマのように駐車代とか車検代とかかからないものに乗りたい、車体価格が高すぎるという「ビンボー根性」でバイクに乗っているだけである。私のアイデンティティとしては「バイク乗り」や「ライダー」であるというものがいっさいなく、「この人たちとは違う、仲間には入れない」と思っている。性能やメカには興味がないライダーって多いのだろうか。私がバイクに求めるのは、自然の景色を見ることだけである。興味があるのは風景だけで、性能なんかどうでもいいし、速さも気にかけない。

 バイク雑誌なんか見ていてもほとんど興味が向かないし、向かう方向性がほとんど興味をもてない。だからバイク選びはなかなか困るのだが、むかしからのレトロなバイクは気をてらわないでふつうに乗れるということでターゲットになった。私にとってバイクは「たんなるモーターの乗り物」以外のなにものでもない。ライダーが憧れる方向性にまったく興味がもてない。私が気になるのはデザインだけである。

 GooBikeとか見ているとそういうオールド・スタイルで気にかかるものがだいたいはカワサキのエストレヤやスズキのST250、ホンダのGB250クラブマンあたりかなと絞れてきた。とくにGB250クラブマンの中古相場は10万台ちょっとのものが多く、狙い目だと思った。安くあげたいというのが大きな目標であった。べつに性能がいいとかスピードが速いとかどうでもいいからね。

ホンダ GB250 クラブマン ホンダ GB250 クラブマン
ST250 スズキ ST250

 しかし写真で見るのと、実物で見るのとは大きく違う。写真で気に入っても、じっさいに見てみるとどうも違うという場合が多い。写真は小さく写っているからその中だけのバランスに目が向きがちだが、実物はサイズがかなり違って感じられるし、視点の違いからでもかなり印象が変わるし、ほかのバイクとの大きさと比べるとそのよさやカッコよさも相対的に変わってくる。原付を買うとき、YB-1のバランスやスタイルはなんていいんだと思ったのだが、実物を見てみるとそのおもちゃみたいな小ささに唖然となった。じっさいに目で見てたしかめるほかない。下のバイクがYB-1であるが、写真で見るとほかのバイクと見劣りしないが、じっさいの大きさはかなり小さくて、恥ずかしくなるほどである。

YB-1 ヤマハ YB-1

 バイク屋はどこもスーパーのように黙って商品を見回るということができない。一歩店に踏み入れば、たちまち店員が食いついてくるというところばかりである。店員に気兼ねせずにあれもこれも見て回るということができないのである。だから冷やかしでいいから実物を何回も見て目をなじませるということがなかなかできない。全体の商品を見て比較・検討するという段階は、雑誌やカタログなどですませておいたほうがいいのだろうが、やっぱりバイクの印象は実物とはだいぶ違う。

 エストレヤのデザインはいいと思ってじっさいに見てみるとどうも印象が違う。横から見るとしごくシンプルで細い印象があるが、実物を上の視点から見るとタンクがかなり大きく丸っこいのである。このタンクの大きさが違うと思わせてしまう。エストレヤはふつうのシートと、ぶち切れたようなダブルシートがあるが、このダブルシートを見ていると、これはいったいどういうカッコよさを志向しているんだろうと悩んでしまう。エストレヤは女性にも人気ということだが、タンクのデザインや丸みを帯びた感じがいいのだろうが、私はいまいち細さのほうを望んでしまうのだが。下の写真のようなタンク・デザインはほんとおしゃれだと思うが、最新型なので激安狙いの私には手が届きません。

エストレヤ カワサキ・エストレヤRS

 エストレヤがいいと思ってバイク屋をめぐってみたのだが、どうもタンクの太さや丸みが違うという印象が大きくなってくる。GB250クラブマンはタンクの無骨なデザイン、激安商品の古さや痛みを見ていやになってきた。10万少しの激安商品を狙ったのだが、さすがに年代モノやボロの入ったものが多く、予算はもう少しひき上げなければならないようだ。スズキのST250はこれはビジネス・バイクだという印象を受けて早くもパス。

 バイク屋を街で見つけるという作業もなかなか難しいものである。駅前にいけば必ずあるというわけではないし、ロードサイド・ショップ沿いにあるというわけでもなし、バイク・ショップの標準的な店舗場所というのは決まっていないのである。Goo Bikeで地図を見ていってみたり、ネットのバイクショップNAVIの地図を見て探したり、ときにはやみくもにバイクショップをもとめて走ってみたり。効率のいい探し方や気に入ったバイクを見つけるのはなかなか難しいのである。住宅街のガレージ・ショップや入りにくそうな店もあったりして、バイク屋めぐりはほんと難しい。レッドバロンのような量販店はいいのだが、激安路線がないのが残念である。松屋町のバイクロードは一店一店、店員と相手をしていたらかなり疲れる。

 エストレヤを見て回って失望しはじめて、GB250クラブマンもいいかもと思い始めたのだが、前に見たエストレヤの茶色のレトロなタンク・デザインが忘れられず、売れしまったらもうなかなか出会えないだろうということで、このバイクを購入することにした。決め手はボーリングの玉を思わせるようなレトロなデザインである。車体価格が19万8千円。整備や登録代などでトータル24万となった。

 私の計画としては一週間先の盆前に納車できてツーリングができると踏んでいたのだが、なんと三週間先に納車になるということでひたすらがっくり。免許がとれたら飛び出そうと思っていたのに、またもや出足をくじかれた。それもほぼ一ヶ月先である。がく~(泣)である。

 原付でロング・ツーリングするのはカッコ悪いからと普通二輪の免許をとろうと思ったのに、しばらくは原付のYB-1くんで野宿ツーリングしなければならないようである。YB-1くんとの最期のお別れを楽しむとするか。


▼あ~、早く緑の山中にもぐりこみたい。(兵庫県北部の山中。GWの野宿ツーリングで撮影)
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【追記】 8年後、グラストラッカーに乗り換えました。

 エストレヤと旅した8年間の思い出 2016/5/13

 ぼろエストレヤからグラストラッカーに乗り換えてよかった 2016/5/23

08 06
2008

バイク・ツーリング

『旅々オートバイ』 素樹 文生



旅々オートバイ (新潮文庫)
素樹 文生

旅々オートバイ (新潮文庫)


 素樹 文生という人は『上海の西、デリーの東』という旅行記を出している印象があるが、この『旅々オートバイ 』という本を読むと文学を志向している文体だなとわかる。ひさしぶりに文学的文体の穴に入るような細密さにちょっと重くて読む進めるのがしんどいなと思ったが、慣れたら旅のエピソードや観察のおもしろさもあって一気に読めた。がんばって小説家として立ってほしいものである。

 この本は日本中を一年のあいだオートバイで放浪したさまが描かれていて、野宿ツーリングを志向する私としてはいろいろ参考になった。バイク雑誌にはそういう連載はあるのだろうけど、文庫となるとそう多くなく、貴重な参考資料である。多くはオートバイ紀行のエピソード集であるが、文学的内省の網のかかった紀行文である。

 著者はクルマでの旅はTVを備えた自分の部屋のようになってしまい、止まりたいところにも止まれないから、風土や空気や季節の中にさらけ出されてしまうオートバイの旅を好むという。かわりに土砂降りの雨や風、寒さ、暑さなどにもろにさらされてしまうのだが、それが空間を移動する旅というものだろう。そのような損な代わりに得られるものが多いことを知っている人がバイク乗りになったり、あるいはクリエイティヴな才能を発揮するという。

 日本中を放浪しないとわからないようだが、けっこう日本には各地を放浪しつづけている人がいるそうだ。渡り鳥のように春に北海道に渡り、南下して石垣島に入る。おもにテントや野宿で暮らし、これは旅人とホームレスの境界が引けないような暮らしをしていることになる。旅とはこのような自由な世界をもっているのである。そして哀れみをもって見られるテント暮らしの人たちとも通底する。アジアを旅する人たちとかも合わせると、旅からもうひとつの日本の姿というものが見えてきそうだ。

 さすらいのライダーがどう見られているというと、男は自由な本能を会社や学校で束縛されているから憧れの目をもって見られることがあるが、若い女性はオートバイなんか視界に入っていないし(笑)、ライダーなんか無視である。女性にモテたいならクルマである。私もクルマの序列に敏感に反応する女性たちを見たことがあるが、友だちのクラウンで歓喜し、軽自動車に軽蔑のため息を吐いたことを思い出す。女性たちはオートバイには信じがたいほど興味を示さない。バイクを「アリみたい」と形容する。オートバイはおもにひとりで乗る乗り物であり、そういう序列市場からのアンチや逃走もひそかにもくろむ乗り物であるかもしれない。

 著者の関心はどこにあるかと考えると、あらゆるエピソードを文学的表現の網にかけることにあることなのだろうかと思う。旅行から文学的考察がすすめられるのである。哲学や社会学ではないな。私なら各地の風景や生業、営み、暮らし、地域の歴史などに興味が向かうのだが、私はそういう考察が跳ねるような野宿ツーリングをしたいと思っている。


上海の西、デリーの東 (新潮文庫)クミコハウス (新潮文庫)愛のモンダイ (ダ・ヴィンチブックス)

08 11
2008

バイク・ツーリング

普通二輪の免許、取得できました!



 本日、ようやく普通二輪の学科試験に受かり、晴れて免許証を取得することができました!

 試験センターに早めに行き、学科試験のだいぶ解きやすいレベルの試験を受けて合格、写真撮影の非効率な撮影を終え、免許証をもらった。8時半くらいから、休憩や待ち時間をあわせて2時くらいに終わった。

 あまりうれしさがこみあげてこないなと思った。思い当たることは、原付を三年乗り回してきて、もう公道を十分に走り回っているから、実感的には普通二輪の免許はそんなに必要ないと思っていたからかもしれない。いまのままでも十分に乗れると思っているのに、どうして学科や技能の教習を何時間も受けなければならないのかと内心思っていたからかもしれない。なんだか公安委員会の禁止解除をいただくためだけにまじめに教習や試験を受けただけな気がする。もちろん学科や技能の教習を受けて自分が忘れていたことや知らなかったことをたくさん再確認させられることも多かったが、それでも見合わない気がする。

 さて学科試験だが、教習所からもらったエクササイズや市販の問題集で練習をやってみると、まちがってばっかり。覚えていないこと、知らないこと、覚えられないことがたくさんあって、合格のボーダーを上下する悔恨の日々がつづいただけに、試験センターの学科試験はそれらの問題に比べると、かなり基本的な問題ばかりで、まちがわない安全の姿勢を問うだけの質問も多く、「これはずいぶんとやさしい問題ばかり出しているな」と思った。もちろんあまり勉強しなかったら落ちるレベルでもあり、きょうは20人くらい落ちていた。

 私はほんとこの学科試験の問題には手こずった。違いが覚えられないのである。駐車禁止は何mまでの地点か、ある場所での追い越しはOKかOKではないか、安全地帯は徐行かそのまま通行か、路側帯の駐車はOKか通行はどうか、などなどなかなか覚えられなかった。覚えるとなんの問題もなく○×を答えられるのだが、覚えるまでがたいへんだった。記憶が根づかないのである。

 物覚えのいい人は学科教本だけで問題を完璧にこなすことができるものなんだろうか。私は新しい問題や覚えていない問題に出会うたびに面食らい、こんな問題知りもしないし、見たこともないとさじを投げることが多かった。教本を見直すと、教本に書かれていても覚えていなかっただけとあとで発覚するのだが。学科教本だけで問題を完璧にこなす人っているとしたら、そのような人の頭をほしいものである(笑)。

 教本は指示だけをする。限定や排除をせずにこれはこうですと教える。試験の問題のほうはこれは違うか、これはOKか、どこまでOKでどこから×なのか、といった問いをしてくる。範囲や境界のくり抜きである。それらが明確でないと答えられない。しっかりと区切ったり、明瞭に切り分けることを要求される。どちらがOKで、どこまでが×なのか、しっかりと覚えていなことは、明確に分けることができないのである。

 たとえば、通行止めと車両通行止め、車両進入禁止の規制標識の区別はしにくい。路線バス等優先通行帯と専用通行帯はなにが違うのかも答えにくい。車線数減少と幅員減少の警戒標識はテストによく出るが、まちがいやすい。補助標識の始まりと終わりはどちらが左向きで右向きなのか。路側帯の駐車と通行はとりわけ覚えにくい。徐行すべき場所はどこなのか、どの場合に徐行で、一時停止で、そのまま通行できるのか。路面電車は停止なのか、徐行なのか、通行なのか。追い越しはどこで禁止されて、どこでOKなのか、何mではダメなのか。とくに駐停車禁止と停車禁止の区別、何mかという質問には困らされる。

 頭がこんがらがって、覚えたすぐから忘れてゆく(笑)。これは教習でもらったエクササイズの問題だけではとてもだめだと市販の問題数のいちばん多い問題集を買ってきて、1800題解いた。数をこなすしか仕方がないと思ったからだ。ほとんど合格の90点のボーダーでこれでは合格すれすれである。間違った問題の答えを再度見直し、覚える。でもその違いを覚えにくいものだったら、また忘れていたりする。

 イラストの危険予測問題は、だいたいは慎重さや譲る気持ちを正解にしている。来ないだろう、曲がらないだろう、右折しないだろうなどの自分によいほうに考える「思い込み」を排除する答えを推奨している。慎重に慎重に、譲れば、危険は防げるということである。

 完璧にはほど遠いのだが、もう受けるしかないと観念する。原付の問題のときも市販の問題集はやたら難しくて間違いの箇所が多かった覚えがあるのだが、試験はひたすらかんたんなものが出ていて拍子抜けした覚えがある。その前例からして、もしかして試験センターの問題もこのようなものかもしれないと踏んだ。案の定、市販の問題集から比べるとかなりかんたんな問題が数多く出た。安全への姿勢を問う問題はそう間違わない。これは市販の問題集では自信がない私でも、自信をもって解けるレベルであった。思わず助かったと安堵の気持ちをもったのだが、はたして完璧にルールを覚えていない者に免許を与えていいものだろうか、と思わなくもない。市販の問題集を完璧に覚えてすべて100点をとる人ってやっぱりいるのだろうか。私はたっぷり勉強していまだに90点前後ラインだが、時間がたつにつれ、記憶は落ちてゆくのだろう。

 なにはともあれ免許証が取得できてよかった。これで晴れて250CCのバイクに乗れる。しかし原付の30㎞制限はかなり不快だったが、ぎゃくにゆっくりなスピードで運転しても車が追い抜いてくれるという安全性は手放したくないなと思う。中型以降のバイクは原付目線で見ていると発進からスピードがすごくて、クルマのあいだをすり抜けたりしてかなり危険なスピードをもっていると思う。あの危険なスピードの乗り物に乗るのか。また車の流れやスピードに乗ることは、身体を露出したバイクにとってはクルマ以上に危険なリスクを抱えることになる。ときたま、原付のふりをしてクルマに追い抜いてもらうことにしようか。。


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(2007/03)
長 信一

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【お知らせ】
 さて、それではみなさん、ようやく拘束されていた免許取得の行程から解放されたので、しばらく野宿ツーリングに出るかもしれません。エストレヤは月末まで納車されないので、原付で行くしかねぇな。四国をぐるっと回りたいと思ってネットを探っていたら、しまなみ海道の原付専用道路があるようで、これは楽しみ(たとえば「原付パライダイス しまなみ海道ツーリング」。

 でもここは広島の福山市から出ていて、大阪から原付で山陽側をおおよそ2日かけなければならないようだ。市街地はあまり走りたくないな。おおざっぱに計算すると8日~10日かかるかもしれない。あまり長すぎるツーリングはなぁと少し引き気味。いやになったら帰ってくることにしよう(笑)。何日か走って帰ってきてまた出てといったプランを考えていたのだが、どうしよう。。と迷ってしまう

 ということでみなさん、しばらく更新とコメントができないかもしれませんので、よろしくお願いします。よい風景写真と日本の風土の考察ができればいいなと思っています(笑)。しばらく休養かもしれません。


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うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。ビジネス書、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、精神世界、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

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