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12 02
2007

集団の序列争いと権力闘争

『「しきり」の心理学』 林 理

「しきり」の心理学―公式のリーダーと非公式のリーダー「しきり」の心理学―公式のリーダーと非公式のリーダー
(1998/05)
林 理

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 古本屋でたまたま見つけて、「非公式のリーダー」という存在がおもしろいかなと思って読んでみたのだが、あまり参考になる知見がくわわったわけではない。

 私の職場でも公式のリーダーは現場のスタッフたちに比べると権力がよわく、傀儡といった感じがしないでもない。現場の作業の実権を握っている者が、公式のリーダーの情報量や技能よりどうしても勝ってしまうのである。だから非公式のリーダーという存在に目をひかれたのである。公式のリーダーというのは対外的なリーダーであるようである。集団というものはじっさいは非公式のリーダーがとり「しきる」ものなのである。

 非公式のリーダーとは「まあまあ型」や「ゴリ押し型」、「おれだよ型」、「小学校の遠足型」の4分類に分けられるとされる。専制タイプと民主的タイプの両極端がなるわけである。

 集団のとりきめというのはたいがいは「自分には利害のないどうでもいいこと」である。そしてそういうとりきめはほとんどが好みの問題である。好みを決める際に非公式のリーダーがしきることになる。好みの問題は非公式のリーダーの専横になりやすく、それで派閥ができたり、陰湿なものになりやすいのである。ながく積み重なった社内の慣行や蓄積を知っているものに新参者はたちうちできない。非公式のリーダーの権力の源泉をしっかり見極めることが社内遊泳には大切なものなのである。

 それにしても集団論や組織論でこれがいいという本にはなかなか出会えない。会社に長くいると対立や抗争ばかりが起きる。私の性格が悪いのか、職場とはこういう人間関係の戦争の場なのか。ついこないだも上司にケンカ腰で殴られそうになり、辞めようか、労働基準局に相談しに行こうかと悩んでいる最中である(泣)。私はうまく人にとりいるとか、おべっかができなく、いちど許せないと思ったら頑なになるところなんかが抗争に放り込まれる原因になったりするのかなと思う。自分では穏やかな人間だと思っているんですが(悲)。。ま、この上司はいつもケンカ腰なのでとっくに相手しなかったからキレられたのですけど。。


 ▼いままでそういう集団抗争や権力闘争で参考になった本の私の書評をあげておきます。ほんとに役に立つ本は少ないのが残念です。

 『権力(パワー)に翻弄されないための48の法則〈上〉』 ロバート・グリーン
 権謀術数を生きるには最高の本。
 『チンパンジーの政治学』 フランス・ドゥ ヴァール
 まるで人間のボス争い、派閥闘争そのもの。
 『女の子どうしって、ややこしい!』 レイチェル・シモンズ
 裏攻撃やいじめ、仲間外れ、女性の集団も同じことである。
 『子ども社会の心理学』 マイケル トンプソン
 グループのオキテを泳いできた子ども時代とはなんだったのか。
 マキアヴェリ 『君主論」
 やっぱりマキャベリズムで生きなければならないのかも。


11 10
2007

集団の序列争いと権力闘争

悶絶!の「ランチメイト症候群」の考察

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 職場の昼飯というのはむずかしい。とくにみんなで固まって食べなければならない職場は苦痛である。会話がないと気まずいし、会話に入れないと苦痛はいっそうひどい。嫌ったり、仲良くなったりする流動的な関係にしがみついてゆかなければならなかったりする。

 私は基本的にひとりランチである。ひとりで外食にいったり、どこか昼寝の場所を見つける。だれかと食べる関係は気まずかったり、関係の波間にほんろうされて、苦痛である。だから私は関係を断つ。男でよかったと思う。

 「ひとりランチ」で検索すると、読売新聞の発言小町に女性たちによる「ランチメイト症候群」関係の悩みや相談がよくひっかかってくる。身につまされる思いで読む。

 男も女性と同じような感覚はもつのだが、女性ほど群れやグループの強制力は強くない。それでも除け者や嫌われ者、孤立者と思われないための予防策は張らなければならないのは基本的に男も女も変わらない。

 「ランチ時間の孤独」
 「仕事より疲れるランチタイム 」
 「お昼休みの憂鬱」
 「ランチ 誰かとつるまないといやですか?」
 「職場で一人ランチ 」
 「職場でのお昼ごはんは、1人で食べたい 」

 何件かのランチ時間の苦痛や悶絶の発言を抜書きしよう。

■全く理解できない人種の女の子たち(常に文句・愚痴・人の陰口のオンパレード)といやいやランチをともにしてる私です。
じゃあ一人で食べればいーじゃんとも思うのですが、そうもできないので。
ほんとこの子達と話すの嫌・・って思ってたら顔に出ていたらしく、今では完全無視されてます。

■その時話す事といえば、会社の人の悪口・昨日見たトレンディドラマの感想(見てないと仲間はずれ、、、なので見たくもないのにみてました)その内昼休みが来るのがいやで、3年後出社拒否症になってしまいました。

■今回の職場は買いに行くのも皆一緒、食べるのも1つの机を囲んで皆一緒(食べる直前に一人がトイレにいけば帰って来るまで皆食べずに待っています)というような状況。。ここでは何となく一人行動が出来ない空気なのでこの2ヶ月、修行だと思ってお昼は彼女達と共に過ごしてきましたが、大抵が聞いた事もないバンドの話やかなりオタク系なアニメ、漫画の話で盛り上がるので全く付いていけずもう限界です。この職場は仕事内容等は気に入っているので辞めたくはありません。

■いつも4人で食べているのですが、たまに3人の時なんか私の存在は無視かい??と感じるほどずーっとあとの2人(AさんBさん)で喋っていて、時折私にはわからない話をされ、こちらから無理くり会話に入っていかないと参加できないみたいな状況。

■ちなみに私も最近はほとんど会話に参加することなく、もくもくと食べています。当然私以外の5人はお喋りに夢中なので食べるのも遅く、食べ終わった後の時間が更に苦痛でしょうがありません。その子達のオタク話やドラマ話をBGMにぐるっと辺りを見回すと、隣の部署の男性が自分の席でグウグウ昼寝してるのを見えるので心の底から羨ましく思います。
一度皆が食べている途中に「銀行に行って来ます」と席を立ったことがありましたが、その瞬間、場の空気が一変したので、それ以来その手は使っていません。
あぁ、この「何でも一緒集団」から早く抜け出したいです。

■私を含め5人で一緒にランチをとっているのですが、他の4人が私のわからない話ばっかりするんです。
(たぶん意図的)
あとは会社の人の悪口。毎日よくネタがあると思います。
最初はわからないなりに質問や相槌を打つなどして
なんとか話に加わろうと努力していたのですが、
私が話に加わろうとするといきなり話題を変えられたりすることもあり、
ランチの間一言も話さない事が増えました。
さすがに私も頭にきて、銀行に行くとか近くの会社で働いてる友達と食べるから
など理由をつけて別行動をとるようにしました。

■5人で食べていたのですが、アニメやドラマの話ばかりで全然話がつまらない。
一人で席で食べるとなぜか苦情がくる・・・

■女って、「あの人はつるむ相手がいない」「嫌われてる?」と見られるのを極端に怖れますね。群れないと安心しない。私は寂しい女じゃないわ!ほら、周りに仲間もいるでしょ!って。
その考えに囚われてると、一人ランチは、異端児かあぶれ者のする事でしょう。楽だろうけど、自分は勇気ないな・・・って。

■男性3人女性(私)1人、計4人。昼はみんな事務所で食べています。テレビはNHK。仲が悪いわけではないけど、特に喋る人もいません。し~んとした中テレビの音と、くちゃくちゃ食べる音。お茶をゴクンと飲み込む音。
不快でたまりません。昼休みは特に嫌です。時々車の中で食べます。

■お弁当持参でも社食で食べなければならず、同僚と必ずテーブルが一緒になります。
それはそれでものすごく辛いです。
一人で静かにその時間くらい過ごしたいですよ。

■1時間の昼休みが3時間くらいに感じ、午後仕事をスタートする時にはもうグッタリですよね・・・



 女性がいつも群れて、同一行動を終始おこなわなければならないのは、嫌いや対立を極力避けるからだろう。好きな者同士は同じ行動やファッションをおこなったりする。姿勢反響や同調行為とよばれものだ。違う行動は嫌いや対立の表明である。だからひたすら同調行動がおこなわれ――強制されるのである。

 これはアメリカの市民社会を分析した社会学の本でもかなり多くの例が観察されている。アメリカの市民のとなり近所のグループにひたらす同調化・画一化してゆく様子が考察されているのである。嫌うことや対立、衝突がひたすら避けられる社会というのは、どこまでも画一化・同調化してゆかざるをえない。女性たちはこの波に呑みこまれて、身動きがとれないのである。

 職場というのはこんにちの多くの家にあるような個室がない。大部屋やひとつの部屋に複数の集団で同一時間を過ごさなければならない。対立や衝突は業務上あってはならず、そのためにひたすら同調と、集団やグループでのかたまりが強制されるのである。集団として管理されているのである。

 集団から外れることは、集団で業務や仕事をこなすさいの支障になる。孤立はチームワークの失敗の目印、連携の支障の目印である。だからひたすら集団のかたまりと同一行動が要求される。

 でも人間は機械でもないし、集団や幾人かでいるとかならず齟齬をきたしたり、感情的対立やいがみあいをもたらすものである。業務上の集団での要請は人間への過剰な要求である。嫌ったり、きまずい関係でも、同じ部屋で同じ時間を過ごさなければならない。

 そうしてえんえんとあなたを嫌ってませんよ、集団を嫌ってませんというメッセージである会話がつづけられなければならないのである。でもこの会話は通じない人や合わない人も発生させる。沈黙がつづくと、「あなたを嫌っている」という無視の往還になってしまうのである。沈黙とは、「無視」の側面ももち、敵意や攻撃の一面ももつ。そして同一行動内での会話の「戦争」がおこるのである。

 会話の流通権の戦争が起こる。会話から疎外された者は無視や除け者という屈辱や攻撃をうける。意図ではなく、会話が合わなかったり、内向的であるばあいにもそれがおこり、心を痛めつけられる思いがするものである。おそらくははじめは攻撃の気持ちなどみじんもないものが、会話が合わないということで、敵対的関係になることもあるだろう。

 このような会話の惨劇にならないために沈黙を賢明にも選びとる集団もある。みんなもくもくとTVを見ながら、食事をとるといった職場である。またこれも苦痛なものである。気まずいし、食事の音ばかりが耳に響き、不快になる。集団というのは、しゃべろうが、沈黙しようが、どちらに転ぼうが、苦痛を発生させるものである。

 集団でいることは苦痛であろうとも、孤立や仲間外れと見なされないためには、人は集団やグループに意地でもしがみつかなければならない。人から「嫌われ者」や「除け者」と見られることを、人は極端に恐れる。あるいは、学校教育などで「教育」されるのだろう。

 とくに教育や知識のウェイトが落ちたさっこんでは、学校で生き残る術はこのグループに属することのみになっている。ために「ランチメイト症候群」と命名されたひとりランチのできない若者が生まれることになる。これは病気でもなんでもない。「生存条件」といってよいレベルのものである。「嫌われ者」や「除け者」になったら、職場でも学校でも、「居場所」はないのである。私たちはこの苦痛をより強く「刷り込まれ」ている。

 孤立やひとりランチは「嫌われ者」や「除け者」の目印なのである。人格的に欠点のある人物なのである。それはただ集団に同調できるか、画一化できるかという条件の内でしかないのだが、いまはその基準が猛威を振るうようになっている。個人主義や自由はこの社会の中ではお笑い種だ。なぜここまで極端になったかと考えると平和で安定した社会の、対立や衝突をひたすら避けてきた社会の帰結なんだろう。

 このような集団の力学を利用した管理方法というのは、思想教育よりよほど人々の自由な人権を剥奪するのに強力な武器になってきたのだと思う。言葉や思想が育つ前から、集団の除け者を恐れる感情的な気持ちが個人の自由や個人主義を奪いとってゆくからだ。

 私たちの時代というのはこの集団で群居しなければならないという要請に多くの魂を殺されていることだろう。仲良しグループや集団に承認されなければならないという罰則規定に、多くの人たちが轢き殺されていることだろう。

 こういう状況で孤立やひとりランチをみずから選びとることはかんたんではないだろう。ある意味ではみずから「嫌われ者」、「除け者」のレッテルや役割を買って出るようなものだからだ。それは相手に対しての「嫌い」や「対立」をメッセージするばあいも時にあり、集団全体に攻撃を仕かけていると見なされることもあるだろう。

 しかしこの集団同調行動はあまりにも不自然であり、苦痛である。はやく「一抜けた」ほうが賢明というものである。対立や嫌いを避けた苦痛の代償は、身の安定を得られる代わりに、自身の自由や個人主義の抹殺をもたらすことになるだろう。あるいは「居場所」の確保できない犠牲者を多く増やすことになるだろう。ゆるやかに離れた、個人でも存在することのできる社会にもってゆくほうが、多くの人のためになるのだろう。またそういうことが理解できる、群れを離れることの寛容度の高い社会になる必要もあるのだろう。


08 26
2007

集団の序列争いと権力闘争

『彼女がイジワルなのはなぜ?』 菅 佐和子編著


彼女がイジワルなのはなぜ?―女どうしのトラブルを心理学で分析!
菅 佐和子編著 小坂 和子 服部 孝子

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 私たちが心理学に求めるものというのは、日常のいざこざやもめごと、トラブルなどの対処法ではないかと思う。それなのに心理学は心の深層や理論などをあつかう。なんか違うなと思いつつ、心理学の森をさまよう。「HOW TO」が必要なことは忘れるべきではないと思う。

 この本では女同士のどこにでもあるトラブルや確執が14例とりあげられていて、カウンセラーが答えるかたちになっている。分析もたしかに大事だけど、もっと対処法や解決法をはっきりと知りたいと思うものである。ときにはその方法だけが必要なほうが多いのかもしれない。間違った迷路にはまってはならない。

 トラブルの内容というのは、女子高の仲間に入れてあげた子がぎゃくの立場になると自分を仲間外れにしたといったことや、育児を手伝ってくれ手が離れたときの母の怒り、管理職に登用された女性社員が後進の女性の抜擢をはばんだり、女子大のゼミで教授にひいきにされたために仲間外れにされたり、個人アクセサリーショップに雇ったパート主婦の嫉妬、セクハラを訴えたら同じ被害にあった女性たちに仲間外れにされた、姉のものを奪わなければ気がすまない妹、職場は色男の元恋人だらけといった相談が寄せられている。

 私たちは日常のこういった人の行動や人間関係に面喰い、心理学にその分析や解決を求めるのではないか。イタみや悲しみを癒し、対処や解決を知りたいからである。そしてこのように求めた解決法を心理学の森の中からかんたんにひきだすことができないのである。途方に暮れるしかないのである。

 ヒドイことをされた、理解できないことをされた――そうして私たちは人はなぜこのような行動や心理メカニズムをもつのか、失望とともに人間性のありようを探ろうとする。そしてその理解できないものとは嫉妬や競争のような公式には悪いこととされていること、社会に表立って表わしてはいけないとされる否定的な感情などであったりするのである。倫理の紙からつき出た人間の悪感情のメカニズムに私はまだまだ子どもであったと悟り、知識の欠落をおぎなおうとするのである。

 人間というのは、私にとってヒドかったり、残虐であったり、冷酷であったりする。人はふつう倫理や道徳から私を守るべきだ、傷つけるべきではないというルールがあるはずだ、私はそういう思考の前提で生きている。だからこそ、人とのいざこざやもめごとに面喰う。人間は私にとって残酷や非道であるのがあたりまえだという思考の前提に書き替えないと、私たちは人間関係の波を渡ってゆけないのかもしれない。

 嫉妬ややっかみ、競争心というのは、当人にとってはふつうに道に歩いていて、いきなり道端で因縁をつけられるようなものだ。「は? 私がなにかした?」と面喰うのだが、ふつうに歩いているだけでも人の怒りや恨みを買ってしまうのが人間というものの難しさ、奇怪さである。そしてなにも悪気も意図もなかった自分の行動や言動に制限を加えなければならなくなるのである。

 人に嫌われたり、恨まれたり、トラブルに巻き込まれないための人間性の洞察が、この本から得られるかもしれない。私たちは道端の群集(世間)にヤジや非難を与えられないために、人の心の奥底にうごめく嫉妬や競争心というものにしっかりと気を配らなければならないのである。


08 21
2007

集団の序列争いと権力闘争

『すぐカッとなる人びと』 クリスチャン・ザジック


すぐカッとなる人びと―日常生活のなかの攻撃性 すぐカッとなる人びと―日常生活のなかの攻撃性
クリスチャン・ザジック(2002/03)
大月書店
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 これは失敗。さまざまな学問的知見を寄せ集めただけのほとんど心に響いてくるもののない本だった。読んでムダ。

 あまりにもそっけないので、ふたことほど引用。

「君が傷ついたのは、むしろ、「この男が私を傷つけたのだ」という君の意見なのである」 エピクテートス

「嫉妬はしばしば、恋愛に持ち込まれた、専制へのやみがたい欲求にすぎない」 マルセル・プルースト




08 07
2007

集団の序列争いと権力闘争

『マフィア流 交渉の極意』 丸山 隆三


マフィア流 交渉の極意
丸山 隆三

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 日本社会は穏やかで信頼できる社会と思われている。しかし一度暴力や憎悪や策略にみちた集団のなかに放り込まれたら、あなたはうまく立ち回れる自信があるだろうか。マフィアはそういった世界を日常として生きているから、そのことについては学ぶものがある。

 この本は意外に読ませた。なにより著者の人生がすごい。アメリカで高級ディーラーとして成功するのだが、麻薬取引に手を染めたため、重犯罪刑務所レベル4に9年間も放り込まれることになったのである。凶悪犯の巣窟で生き残るために著者はかつて聞いたマフィアの生き残り方法を実践してそこで生き残らなければならなかったのである。

 世界とはこのような凶悪さや謀略にみちた世の中がふつうである。それにくらべて日本人はお人よしすぎるし、人を信じすぎるのである。他国に侵略されたり蹂躙された歴史をもつ人たちのなかを功利的に立ち回ってきた人たちのなかに放り込まれたら、はたして日本人はかれらと互角に闘えるだろうか。たちまちカモやいいようにこき使われるか、消されるかだけだろう。私たちはこのような極限の世界を生きてきた人たちと互角に闘えるわけなどないのだ。

 暴力や策略を土台として生きたマフィアは交渉や駆け引きのプロである。そした私たちの日常も、マフィアのレベルになることはないが、怒りや憎しみの関係になると、このような一面をむき出しにするものである。そのようなときにマフィアの生き方には学ぶべきものがあるというしだいである。

 これはどんな人でもいつかは人間のこのような面と何度か向き合うときがあると思う。人間の凶暴さや非情さに立ち向かわなければならなくなったとき、私たちは人間のマフィア性を見ることになるのだろう。

「ここでは、力の強い者、資産を持っている者、便宜を図る権限のある者が、強者として生きる権利を獲得するのだ」

「法ではなく、掟が支配する閉じた社会。そこでものを言うのは、力と金と権力だけ。抗争や殺戮と隣り合って生活する日々」

「中でも、もっとも役立ったのは、権力の構造を見抜き、その大本を掌握するやり方である」

「あなたの身になって、あなたが望むようなものを与えてくれる相手など、世の中に一人もいないのだ」

「法は金持ちのためにあり、絞首台は貧乏人のためにあり、正義は愚か者のためにある」――シチリアの格言。



 重犯罪刑務所レベル4とマフィアが生き抜かなければならなかった社会は人間の同じような凶暴さや非情さをあらわしている。そしてそれは私たちの日常や社会も一皮向けばそのような相貌をあらわすものなのである。このような人間の一面と出合わなければならない環境に巻き込まれたとき、この本の知恵は役に立つことになるのだろう。

 この凶暴さは人間の普遍的なものなのである。けっして重犯罪刑務所やマフィアだけの世界ではない。あなたはこのような世界で非情さや凶暴さの仮面をかぶれるだろうか。




07 30
2007

集団の序列争いと権力闘争

『ヤクザに学べ! 男の出世学』 山平 重樹


ヤクザに学べ! 男の出世学 ヤクザに学べ!男の出世学
山平 重樹 (2003/08)
筑摩書房
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 お断りしておくが、私はヤクザに一度も憧れたことはないし、尊敬することもない。私が学びたかったのは、集団内で憎しみや争いが勃発したとき、どのように関係を渡っていったらいいかということだ。勝つためには、あるいはやられつづけないためにヤクザになにか学べないかとやみくもに、ヤクザの処世術の本に手を出しただけである。

 ヤクザとて人間の集団であり、組織である。なるほどビジネスマンもヤクザに学ぶことはあるだろう。ヤクザのほうが人間の集団や構造をよりよく表わしていると考えられる部分もある。あの緊張感や脅しやハッタリ、その対極といえる思いやりや気配り、義理や人情といったものは、なまはんかな企業組織にはとうぜんないものである。

 ヤクザはサラリーマンとちがって、自分でシノギを見つけてこなければならない。フリーランスや自営業と近い。そしてお客はカタギの人間である。だから一方では脅し恐がれつつも、営業マンのような穏やかで信頼される商人像も必要なのである。組織内においても義理や信頼がものをいう。オオカミの顔をもち、その獣性をかぎりなく従順な飼い犬のように飼いならす技能も必要なのである。ヤクザは恐怖を元手にした商人ともいえるのである。

 この本から私の感銘したところをかいつまんで。ヤクザも真面目じゃなければだめである。新聞に書かれるようなヤクザは決してヤクザではない。抗争事件が起こって、若いヤツが捕まるが、親分が命令を出したのではない。命令されなきゃ若い衆が動かないようでは組織はつぶれるのである。成功は他人に譲り、失敗の責任は自分で負えとビジネスでは言われるが、ヤクザでは組のために働いても見捨てられることがあるのがシビアなところである。

 ヤクザもカタギに高圧的にしゃべると怒られるが、なめられてはならない。ヤクザも武闘派と頭脳派の両輪が必要である。おいしい仕事は子分に花を持たせてやると恩を返してくれる。ヤクザの上下関係の厳しさは軍隊と同じだが、この厳しさが組織の強化につながっている。非情さのない人間はリーダーになるな。

 ヤクザなんて事件やニュースで知る限りではたいへん恐ろしい連中ばかりだと思うものである。しかし本を読んだりして内実を知るにつれ、ただの人間や集団にすぎないのだというイメージもできてくる。そりゃあ、しょっちゅう、ケンカや抗争を組織内部でくりかえすようでは組織自体がもたないし、命がいくらあってもたりないし、稼ぎもない。自重する部分と脅しのイメージがうまく重なり合ったところにヤクザの成功があるのだろう。


07 29
2007

集団の序列争いと権力闘争

『現代ヤクザに学ぶ最強交渉・処世術』 夏原 武


現代ヤクザに学ぶ最強交渉・処世術 (宝島社文庫)
夏原 武

現代ヤクザに学ぶ最強交渉・処世術 (宝島社文庫)


 交渉や処世によって人と駆け引きしたり取り引きしたりする知恵や技術というのはたいせつだと思うが、先を読んだり結果を見極めたりする能力はまたかんたんに身につくものではないと思う。チェスや将棋のように駆け引きの先手まで読めるものなんだろうか。どうも私は駆け引きの先が読めないようである。

 ヤクザというのはこのような駆け引きにおいて、功利的にエゴイスティックに自己利益を最優先して動きそうである。ずる賢さや抜け目なさにおいて、私はヤクザなら学べると思った。

 この本では交渉や取り込む・ハメる、おだてる・謝る、開き直る、借りる・逃げる、といったさいの交渉術や処世術が事例をもとに説かれている。心理学よりよほど役に立つ心理操作のテクニックが書かれている。だけどこのような技術はどうやったら身につくのだろうと、こういうことにニガテな私は思うのである。人を操作したり追い込んだりすることは功利的であり純朴でないと思ってきた私はどうもその技能が身についていないのである。この本についてはあまり感想が書けないな。


続 現代ヤクザに学ぶ最強交渉・処世術 (宝島社文庫) ヤクザ式ビジネスの「かけひき」で絶対に負けない技術 図解 ヤクザの必勝心理術―ビジネスの「修羅場」で勝ち抜く交渉術・説得術 最後に思わずYESと言わせる最強の交渉術―かけひきで絶対負けない実戦テクニック72 ヤクザ式ビジネスの「土壇場」で心理戦に負けない技術
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07 24
2007

集団の序列争いと権力闘争

『ヤクザの実戦心理術』 向谷 匡史


ヤクザの実戦心理術―なぜ彼らの言いなりになってしまうのか (ワニ文庫)
向谷 匡史

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 なるほどかれらは心理操作のプロフェッショナルなのである。恐がらせて、怖れさせて、実をとる。実戦心理学のツワモノといえる。そういう「ダマし」ともいえるテクニックはこの業界に身をおくことによって身につくのだろう。

 ヤクザも依頼者がいなければ商売にならない。かれらの商売というのは人と人とのあいだの利害調整――仲介がおもな仕事である。債権の取立て、地上げ、用心棒、トラブル解決――これらの仕事は依頼からはじまるから、ヤクザも人気稼業といえるのである。

 自己演出、イメージが大事だから、金がなくても金があるように見せる。オイシイ話は国産の中古車に乗った男より、ベンツに乗った男にもってゆく。だから高価な服や装飾品を身につけ、財布にはたっぷりと現金をつめこみ、銀座を一巡して羽振りよさをアピールしたり、一晩の大判振る舞いを見せつけたりする。

 恐怖や脅しのイメージ戦略を操作する。恐く見られてナンボの世界である。ときには仲間とグルになって劇団まがいの演出をおこなって、カタギをだましたりする。恐怖を元手に人をだます詐欺師のようなものである。

 脅すだけではダメである。そんなことをすれば警察に訴えられてムショ行きである。だからお金ですんでよかった、と思わせなければだめである。感謝されなければならないのである。

 ヤクザは恐くなくてもいい。恐く見られ、表社会に恐れられればそれで目的は達せられるのである。

 かれらの儲け話の操作テクニックや、うまい話の追い込み方は、三段論法のように鮮やかである。感心するのだが、こんなふうに追い込まれるカタギの当事者はたまったものではないと思うのである。

 かれらはある特殊なビジネスのプロといえる。人を操作したり、だましたりするビジネスのプロである。心理戦術の技巧や戦略をこらしたテクニシャンなのである。ふつうの人のビジネスや世渡りにもそういう面が必要なのはいうまでもないことだから、かれらの技術には学ぶべきことがあるといえる。しかし脅しや恐怖を与えるような商売はもちろんしたくないものであるが。


ヤクザ式ビジネスの「かけひき」で絶対に負けない技術 図解 ヤクザの必勝心理術―ビジネスの「修羅場」で勝ち抜く交渉術・説得術 現代ヤクザに学ぶ最強交渉・処世術 (宝島社文庫) 図解 ワルの実戦心理術―利用されない・ダマされない・咬ませ犬にならないための知恵 (East press business) ヤクザの実戦心理術SP―値千金!禁断のパフォーマンスを極秘公開!
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07 19
2007

集団の序列争いと権力闘争

『マキアヴェッリ語録』 塩野 七生


マキアヴェッリ語録
塩野 七生

 マキアヴェッリ語録


 しみてきた。『君主論』の原著のほうは先に読んだのだが、こちらの塩野七生による抜粋は肝心なところだけが抜き出されているので、心によくしみこんだ。

 『君主論』は当時の歴史的状況もながながと記述されていて迷宮入りしてしまうし、こちらのほうは『政略論』や『フィレンツェ史』、『手紙』などの抜粋も、少ないけどあって、まったく損失ということにはならない。

 マキアヴェッリは人間性のダークサイドからの処世術を説いたのだろう。善や思いやりで世の中を渡ってゆくこともたしかにできる。しかしそれが権力の場や争乱の場となってしまうと、たちまちそんな生ぬるい処世術は一発で蹴飛ばされてしまう。人間性のずる賢さや残虐さが発揮される場での処世術をマキアヴェッリは説いたのである。

 国王の話だからといって、私たちと無関係な話だとは思ってはならない。すこし悪い関係になってしまうと、われわれの属する家族や友人、集団や組織はたちまちそんなずる賢くて残酷な場所になってしまうものである。だからこそ国王なき民主制の時代になってもマキアヴェッリの古典は残りつづけているのである。

「わたしは、愛されるよりも怖がられるほうが、君主にとっては安全な選択であると言いたい。
 なぜなら、人間には、怖れている者よりも愛している者のほうを、容赦なく傷つけるという性向があるからだ。



 このひと言にマキアヴェッリの人間性の洞察と出発点があるように思う。信頼は裏切られる。しかも信頼されているほうがなおさら欺かれやすいのである。君主には、あるいは人間にはずる賢さや権謀術数が必要というわけである。

しかし、われわれの経験は、信義を守ることなど気にしなかった君主のほうが、偉大な事業を為しとげていることを教えてくれる。
 それどころか、人々の頭脳をあやつることを熟知していた君主のほうが、人間を信じた君主よりも、結果から見れば越えた事業を成功させている」



「謙譲の美徳をもってすれば相手の尊大さに勝てると信ずる者は、誤りを犯すはめにおちいる」



 けっきょくのところ、人間は尊敬や信頼も大事であるが、最終的に勝つのは力や恐怖をあたえたものなのである。とくに君主や組織のリーダーなどの力の争いの場となりやすいポジションではそうなのである。たぶんにこれが人間性の正しい理解なのだろう。平等や対話などと甘っちょろいことをいってられるのは、そこが権力に守られた場だからだろう。権力に守られていない場所ではひたすら権力におもねるしかないことを人は学んできたはずである。

「人間というものは、必要に迫られなければ善を行わないようにできている」



 善をおこなうのは利益があるからである。親切や思いやりを返してくれるし、まずは攻撃や暴力をうけないと思われるからだ。攻撃の防御なのである。しかしもし攻撃されたとき、善や親切には闘うすべがない。ただやられっ放しになる弱さから出た処世術である。

 人間に大事なのは力である。権力である。そして権謀術数である。そんなあからさまな指摘がマキアヴェッリのいったシンプルなことだろう。残念ながら私もそう思う。そして権力が隠された生っちょろい理想なんか信じたくない。だからマキアヴェッリのいった処世術は私は助けてくれる知恵になると思うのである。


新訳 君主論 男たちへ―フツウの男をフツウでない男にするための54章 チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷 コンスタンティノープルの陥落 ロードス島攻防記

07 14
2007

集団の序列争いと権力闘争

『韓非子』


韓非子―ビギナーズ・クラシックス中国の古典
西川 靖二

韓非子―ビギナーズ・クラシックス中国の古典


 中国のマキャヴェリズムと称される韓非子。冷酷非情な知恵を学ぼうとしたのだけど、どうも私の目的とちがうことが語られているようだ。

 このビギナーズ・クラシックでは君主に知識を説く方法や支配の技術、人間観などがとりあげられている。この本はまだ私の心の琴線にふれない。

 非情で冷酷な知恵や態度はどうやったら身につけられるのか。私はこの技術が不足しているために権謀術数の世界で蹴とばされる。あるいは暴力的な環境にいやおうもなく巻き込まれたときにまったく自分を守るすべをもたないのである。非情で冷酷な人間になりたいというわけではなくて、そういう知恵や戦略も人間界では必要だという事実に私もようやく目覚めつつある。

 ニヒルで厭世的な世界観を説いた思想家といえば、ショーペンハウアーやニーチェ、マキャヴェッリなどが思い浮かぶが、実践的な非情な方法論を説いた思想家はいるのだろうか。

 「いいひと」や親切だけで世の中を渡ってゆけるのがいちばんいい、ほんわかとした人生である。しかし人はいやおうなしに争いや暴力の関係に巻き込まれることがあるだろう。そういうときに非情さや冷酷さの技術をもっていれば、身を助けられるかもしれない。どんな人も一度はそう思ったことはないだろうか。


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うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。神秘思想、仏教、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

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