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10 07
2008

歴史・地理

『県民性の人間学』 祖父江 孝男


県民性の人間学―出身県でわかる人柄の本 (新潮OH!文庫)
祖父江 孝男

県民性の人間学―出身県でわかる人柄の本 (新潮OH!文庫)


 県民性はおもしろいと思う。土地や風土がそこに住む人たちの性格を決めてしまうのかという、尽きせぬ疑問がわいてくるからである。ある程度固めてしまうように思うし、そんなマユツバの話はないだろうと思うし、学問でいえばあるゆる要素を総動員しないと県民性の由来や理由、解釈はできないから、おもしろいと思うのである。歴史に社会学に歴史地理、見聞とあらゆる要素のチャンポンの結晶である。

 この本は先ほど読んだ『出身県でわかる人の性格』岩中祥史と内容的にほぼ重なる。しかしこちらのほうが93年出版で早く、元本は71年に中公新書から出た『県民性』という本で、いささか古い、というよりかかなり古い。先に読んだ本はとうぜんこの本を参考にしただろうから、抜粋されていないかというななめの読み方も楽しめる。

 風土や土地はそこに住む人たちの性格を決めてしまうのか。イメージされる県民性というのはそこの気候や環境を語っている場合が多々あるようだ。雪が降る土地は忍耐深いとか暗いとかはそこの気候のイメージであるし、海に開けた土地に住む人は開放的で豪胆といった性格も環境のイメージである。気候や環境から連想されるイメージはそのまま性格に重ねられている。もちろんそこに歴史の経緯や職業特性も積み重なってきて、性格あるいは県民性イメージはかたちづくられてゆくのだろう。

 おもしろいのは県民の生き方はそれぞれ異なっていて、こんな生き方よくないのではないかとかスタンダードや平均ではない生き方と感じられる人生目標をもっている県民もあって、これはなかなか参考になる。県をあげてこんな生き方をしているんだ、してもいいんだという安堵感をどことなく与える。平均的な堅実な生き方からはアウトサイダーやアウトローといった感じもする生き方もあって、これはなかなかいい情報であると思う。土地に縛られた生き方、あるいは知らず知らずのうちにできあがった土地独特の慣習や性格といったものは、このようなよその生き方の見聞によって、鎧をゆるめたり、偏固な考え方の風穴を開けるものなのだろう。

「大正から昭和にかけて、金沢市内には「無職業者」が全市民の二十パーセント近くもいた。無職業者とは、定職を持たずに金利や財産などで生活できた人のことなのだが、社会的な地位はむしろ職業人より高かった」



 こんにち無職はかなりさげずまれる風潮が強いのだが、文化度の高い金沢にはこのような伝統があったのである。うらやましいのであるが、そういう有閑階級の生き方をできる人はこんにちにはそういないだろうし、格差社会の裏返しでもある。

「小さい町になればなるほど、女性は「見知らぬ者に笑顔を見せるな、親切にするな」と教えられて育ってきた」



 ふ~ん、そういうこともあったのか。村からの流出を防いだのだろうか。

「県庁のある富山市には、喫茶店が非常に少ない。昼休みや仕事帰りに喫茶店に寄る習慣があまりないからだが――。仕事帰りに同僚と飲み屋に入るとか、お茶を飲むといった「むだ」なことはあまりしない」



 職場によってはつきあいが半強制的や暗黙了解的なところもあったりする中で、こういうすっぱりした県はうらやましいこともあるだろう。いいわけや用事をつくらないでもいいのはありがたいだろう。

「明治期にバスや地下鉄、電気、ガスといった西洋近代の事業を東京でおこしたのはすべて山梨県民であり、当時の財界に甲州財閥という一大勢力を築いたほどである」



 意外な感じがするのだが、ここは土地が狭く資源が少なく、農閑期には野菜や布地などの行商に出るのが古くからの伝統であったらしく、こういう甲州商人の伝統が近代事業の礎となっていったのである。都市部の事業や労働を支えたのはどちらかといえば農家のあまった次男や三男であったという話からも、本流からはずれた人たちがこんにちの都市や工業を勃興させ、そして農村部を凌駕したのである。皮肉というか、不利な状況はぎゃくに幸いに転ずることもあるということである。

「「流行おくれのものを着たとしても気にならないほうですか」の問に対して、肯定の答えの最低、言い換えれば「流行を気にする」のトップは奈良、次いで埼玉、そして三位がこの山梨だった。実はこのいずれもが大都市の周辺に位置しているのであり、そういう地域においては、身近であるだけに、都市生活へのあこがれが余計に強いからだと解釈される」



 78年の調査でずいぶん古くていまは変わっているかもしれないが、上位には東京や大阪の都市がきそうに思うのだが、意外な結果である。ハングリーさや上昇志向は周辺や田舎のほうがより強く、都会ではそういう熱血は冷めた目で見られるころ、かれらはそのような意気込みの温度差で都会にのりこんでくる。またそういう流れは冷めた都会人をしだいに蹴散らしてゆくのだろう。

 このように風土や歴史はその土地の人たちの性格や考え方をつくりだし、人間の特性や特徴というものをうきぼりにする。鮮やかに社会現象や人間の特性が見えてくるものである。県民性というものはおもしろいと思う。

 ちなみに私は大阪生まれでずっと住んでいるが、郷土愛とか大阪を愛する気持ちはあまりなく、自分の住む土地を自慢したり、アイデンティティを重ねることは好きではない。ただ住んでいるだけという気持ちのほうが強い。集団への同一化、アイデンティティファイというやつは、集団の暴徒のような現象をつくりやすいと思うので好きではないのである。それは郷土利己主義や敵対性、閉鎖性をつくりださないための都市民のエチケットだと思うのである。どこかの集団に強烈に同一化すると、どこにも属さない公平性や客観性が欠如してしまう。私はそんな人間にはなりたくない。


県民性の日本地図 (文春新書) おんなの県民性 (光文社新書) 出身県でわかる人の性格―県民性の研究 (新潮文庫 い 54-3) 県民性の統計学 (角川oneテーマ21) 図解雑学 性格がわかる!県民性 (図解雑学シリーズ)
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10 05
2008

歴史・地理

『日本縦断 徒歩の旅』 石川 文洋


日本縦断 徒歩の旅―65歳の挑戦 (岩波新書)
石川 文洋

日本縦断 徒歩の旅―65歳の挑戦 (岩波新書)


 旅は歩くのがいちばんだと思う。景色は歩行の速度がいちばん楽しめると思う。電車は途中の風景を通過し、車やバイクはサーキットのように山間風景を通りすぎる。むかしの人が苦労して山道や峠越えをした旅のほうがよほど旅らしい感動と喜びがあったと思う。いまは電車や車があるために目的主義になってしまって、途中の過程を楽しめないし、観光地と家という点でしか旅を楽しめないのはかなりつまらないと思う。

 歩くことが好きな人はいいと思う。私は散歩があまり好きでないというか、楽しめない。市街地で歩いていても人がいっぱいいて安心できるものではない。バイクに乗るようになってわかったのだが、バイクは速度が速いので市街地の鎧のような役割をしてくれて、他人からのままなざしを遮断してくれる安心がある。車などはもっと他人の視線を遮断して、TVを見ているような私空間の移動を可能にしているのだろう。観客や観察になり、まなざされる不安を解消するのである。車は楯であり、鎧であると思う。

 著者の石川文洋も徒歩の旅で経験しているように山間部の山道やトンネルは人が安心して歩けるようにできていない。車がものすごく飛ばす。徒歩では危険極まりない。山や田舎はまるで価値や意味のない通過点と見なしている。ハイキングや山登りをする人はわかるだろうが、そういうところの景色や空気は歩くだけでもとても気持ちいい。車に奪われてしまったのは残念というほかない。自転車ですら危なくて走れない。

 石川文洋の徒歩の旅について私はあまり感情移入もできなかったし、楽しめたとは思わない。有名な報道カメラマンで、TVや新聞に報告されてたくさんの人が応援していて、無名人・一般人の徒歩旅のように感情移入できなかった。旅というのはだれからも放っておかれて、見捨てられたような気持ちを味わうものではないかと私は思うのである。「なにもの」でもない、「みじめな」孤独な気持ちを味わうのが旅ではないかと思う(私だけか(泣))。石川文洋は応援されすぎていて、無名人の旅の想いが感じられなかったのが感情移入できなかった理由であると思う。

 期間は北海道の宗谷岬を7月15日に出発して、12月10に沖縄の喜屋武岬にゴールしている。5ヶ月かかっている。日本海岸側ぞいをずっと一直線に歩いているが、日本海を見ながら歩きたいという単純な気持ちからだという。一日30㎞ほど歩いたそうだ。旅館やホテルに泊まり、好きな酒をたくさんのんでいる。せっかくのカメラマンなのにカラーの風景写真や人の姿がおおく写されていなくて、残念。自然の描写もすくなく、新書の体裁におさめるのにムリしたのか、そうおもしろくなかった。

 旅の写真篇はこちらの本のようだった。旅の紀行は写真のほうがダイレクトでわかりやすく、こちらのほうが旅に魅了されやすいものなのだろう。

 てくてくカメラ紀行―北海道~沖縄3300キロ (〓文庫)

 石川文洋は1938年(昭和13年)生まれで、バス停で石蹴りをする女の子たちを見て思う。自分の子どものころは貧乏で、そのために希望と夢があった。高校生になって働いたお金でスパゲッティを食べた感動はいまでも忘れられないという。TVでも中国の成功した実業家が稼いだお金ではじめて食べたケンタッキー・フライドチキンの感動が忘れられないといっていた。貧乏や苦しみはけっして悲劇のみの一面ではなくて、喜びや感動のひきはなせない土壌となるものなのだろう。哀れさ一色で飾るマスコミや、その反面である喜びに目を向けられないまなざしには注意したい。苦しいときにはこの対比を思い出したいものである。

 ラジオ放送で「人生で印象に残った言葉をひとつ」と問われて、著者はこう語っている。

「お金にならないことを一生懸命にするのは、最大の贅沢である。私の旅もお金にならないのに、毎日汗を流して歩いているが、とても贅沢な旅をしていると思います」と答えたが、どうもピンとこなかったようだ。




日本一周の徒歩の旅のサイト ネットの一般の人のほうが身近で楽しめるかも。
日本一周徒歩の旅
日の本の大和の国の細道を
徒歩で日本一周
目指せ!日本一周!! JINの徒歩旅行記


てくてくカメラ紀行―北海道~沖縄3300キロ (〓文庫) ベトナム戦争と平和―カラー版 (岩波新書 新赤版 (962)) 石川文洋のカメラマン人生 貧乏と夢編   エイ文庫 石川文洋のカメラマン人生 旅と酒編   エイ文庫 日本縦断徒歩の旅―夫婦で歩いた118日
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10 02
2008

歴史・地理

『47都道府県うんちく事典』 八幡 和郎


47都道府県うんちく事典―県の由来からお国自慢まで (PHP文庫)47都道府県うんちく事典―県の由来からお国自慢まで (PHP文庫)
(1998/12)
八幡 和郎

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いまの日本では外国を知っていることはメジャーになる条件だが、地方の事情に通じていることは何ら求められていない。



 著者の言葉だが、まったくそうだろう。他県のことをよく知っていたり、じっさいに行ったことのある人は旅行好きな人やビジネス関係の人でないとあまりいなかったりするかもしれない。他県に行くことはなんらハクをつけることでも、自慢になることでもない。自分の育った土地で働けばなさおら他県のことは知らない。

 人が遠い土地に関心を向けるのは観光であるか、魅力的な消費ができるかくらいでしかないのではないか。そのようなピンポイントなまなざしだけしか他県を見ず、おおよそ他県を知らない。先にかかげた外国との見聞とはエラい違いである。電車や車ですぐに行けるということがますます他県をエアポケットなものにしてしまうのだろう。

 私なんか大阪で育ち、働いているし、旅行も好きでなかったということで、日本のよその土地に行きたいとかほとんど思ってこなかった。他県や地方がどうなっているなんかまるで知らなかったし、それでなんの支障も、恥も感じなかった。あんがい、こういう人も多いのではないかと思う。人びとはメディアの情報に満足しているし、メディアに閉じこもることも多くなったし、観光以外に興味も向けず、他県のことなんか知ろうともしないのではないかと思う。

 ようやく自然の風景を見たいがために地方に出かけるようになり、地方の事情を知りたいと思うようになったのだが、学校を出た人の中でそのような社会科的な興味をいだく人はどのくらいいるというのだろうか。観光と消費だけで日本の他県やよその土地は見られているように思う。関心の範囲とはそのようなものであると思うが、日本人でありながら日本の地方を知らないというのが実情ではないだろうか。

 消費に関心を向ければ東京や都市にしか興味が向かわず、観光に興味を向けると観光地だけでその土地の人の暮らしや生活にはまったくまなざしを向けない。すっぽり抜け落ちるのはふつうの人の暮らしであったり、観光地ではない町並みや風景であったり、名物ではない産業や生業であったりする。こういうところにもっと興味をもってもいいのではないかと思う。でなければ、あまりにも日本というものを知らないということになってしまうのだと思う。まあ、それでなんの支障も問題もないのだけれど(笑)。

 私がこの本を読んだのもせっかく旅行するのなら、その県や地方のことをもっと知りたいという観光のつながりでしかない。観光するのなら、ふつうの人々の暮らしや産業も知りたい、そのくらいのことである。観光地のピンポイント情報もいいが、もうすこし広く土地のことを知りたいということである。あの土地にこんな事情や産業があり、また歴史があり、人々の暮らしはどのようなものか、わかればもう少し楽しくなるのではないかと思うのである。そしてなぜ愛知県から秀吉や家康などの天下人が生まれたのかとか、なぜ福岡出身の芸能人が多いのかとか、なぜ明治維新は薩長土肥からおこったのかとかそういう謎解きができれば、興味はもっと広がると思うのである。消費と観光と情報化によって、他県や地方はエア・ポケットになっていると思うのである。


都道府県についての本
47都道府県女ひとりで行ってみようデータが教える日本の県民性―思わず人に語りたくなるお国自慢データで読む47都道府県情報事典 (中公新書ラクレ)これからどうなる?47都道府県の経済天気図 (Yosensha Paperbacks)

09 29
2008

歴史・地理

『江戸300藩 県別うんちく話』 八幡 和郎


江戸300藩 県別うんちく話 (講談社プラスアルファ文庫)
八幡 和郎

江戸300藩 県別うんちく話 (講談社プラスアルファ文庫)


 こりゃ、ダメ。私の興味と好奇心の範囲ではカバーできなかった。旅行や地方にようやく興味が向いてきた私はなにか好奇心を駆りたてられる材料のようなものはないかとふと手にとってみたのだが、これは興味がはじめからある人向け。

 NHK大河ドラマや歴史人物、城に興味がある人は観光風に楽しむことができる本になっている。NHK大河ドラマは私はほぼ見ないのだが、このドラマや歴史が好きな人は城の様子や藩の事情などがわかって楽しめるだろうが、私はそこまで興味や知識ももっていない。人物からの歴史や地方の興味という道筋をこの本はとっているわけだが、おおくの歴史ファンの人はそうだろうが、私は政治史的人物の興味は薄いから、社会科のような方面から興味を駆り立ててほしいと思うのである。

 歴史へのメジャーな興味のもち方は、ドラマや小説で歴史人物に魅力を感じ、現地に観光旅行にいくといったふうに広がると思う。おおくの歴史人物に興味をもてば、おおくの地方にいきたくなり、城や城下町の舞台に感銘し、そして藩の事情はどのようなものだったのだろうという線になると思う。そのようなアプローチの結果に生まれたのがこの本のようである。観光や地方にこのように興味が広がるのは、歴史のひとつの醍醐味であろう。

 私はそのような人物への興味が薄いから、ひたすら抽象的なアプローチで地方や旅行の好奇心をかりたてなければならない。だいたいは風景や景観のすばらしさで満足するのだが、歴史や時間の軸の興味ももちたい。宮本民俗学とか、宗教民俗学とか、景観論、歴史地理とのか方面からアプローチしようとするのだが、かなり拡散して抽象化してしまって、深く掘り下げられない。地方の歴史と旅行の興味が重なれば旅行はもっと楽しめると思うのだが。

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 なお、著者の八幡和郎は見覚えがある方もおられるだろうが、官僚バッシングが吹き荒れる中、97年に通産省を退官してTVに出ていた人である。官僚批判より、地方の歴史書をつぎつぎと出しているらしく、この人の興味の核心はほんとうは歴史だったのか、あるいは官僚批判の危険性を知ってしまったのだろうか。官僚批判の急先鋒として活躍した『お役所の掟』の宮本政於は、99年に51歳の若さで亡くなっている。官僚批判はだいぶ影をひそめたのだが、民主党の小沢一郎がひとり気を吐いているといった感じだ。ウォルフレンもがんばっているのだろうけど。官僚批判はどこにいってしまったのだろう。官僚を変えればダムが決壊するような日本の変化は生まれるのだろうか。


著者のサイト
八幡和郎のニュース解説「時事解説」

江戸の殿さま全600家―創業も生き残りもたいへんだ (講談社プラスアルファ文庫) 江戸300藩の意外な「その後」―「藩」から「県」へ 教科書が教えない歴史 (PHP文庫) ビジュアル版 最後の藩主 四七都道府県別の幕末維新 江戸三〇〇年「普通の武士」はこう生きた―誰も知らないホントの姿 (ベスト新書) 江戸三○○藩 最後の藩主 (光文社新書)
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09 27
2008

歴史・地理

『出身県でわかる人の性格』 岩中 祥史



出身県でわかる人の性格―県民性の研究 (新潮文庫 い 54-3)
岩中 祥史

出身県でわかる人の性格―県民性の研究 (新潮文庫 い 54-3)


 いやはや、かなりおもしろかった。

 県民性というのは、学問でいうと、社会学とか経済学とか、歴史学、地理学とかいろいろな要素が混濁して納入されており、複雑すぎて因果を証明できないから学問にならないというジャンルなんだろう。そういういろいろな香りが感じられて、さまざまな方向から興味をかりたてられて、おもしろかったと思う。もうすこしこの手の本を読んでみたいと思った。

 数年前から県民性がブームであったようである。いまではTVで県民性の番組をやっている。こそばいような、気恥ずかしい感じもするし、かなり演技や枠の入った話ややりとりも聞かれるし、マユツバものであるとか、んなわけないとか、複雑な感情が入り乱れる番組であると思う。

 だいたい県民性などという何十、何百万もの人を強引にひとつの性格類型に押し込めることなんてできないのである。まあ、たしかにひとつの県民の性格パターンのようなもの、似たような性格風土みたいなものはあるにしても、みんながみんな金太郎飴みたいなひとつの性格の金型などもっているわけなどないのだ。だからTVではことさらそういう枠やパターンを強調する言動が増えてしまって、まるでロボットのような役割をあてはめられて、気恥ずかしく感じられるし、個性的でなければならないTVタレントは、枠のなかで窮屈そうに県民の役割を演じているように見える。

 へんにナルシシズムが満足させたられり、強調されたりして、気恥ずかしい。県やお国というのはどことなくナルシシズムが入っているものである。自慢や優越、または特徴がみんなの前で話されるわけだから、みょうにこそばくなる。自我というものはみんなで話題にされることを好み、認知をのぞむのだが、恥ずかしがる。このような羞恥とはなんなのだろうかと思う。うれしさと、価値がないという思いがゆれ動くからだろうか。自我は自分がいちばん価値があり意味があると思いたがり、しかし他人にとって自我は意味も価値もない存在である。その落差に私たちは人気や偉さを求め、他人にとって価値のない存在であるという恥ずかしさにゆれ動くのである。

 県民性がブームになった経緯というのは私はよく知らない。どこから、いつ、どのように火がついたのだろう。日本全国の東京化=消費の魅力が落ちた、終焉したと感じられるようになったからだろうか。いぜんは日本には東京しかないようなメディアがめだったし、全国の地方は東京になろうとした。バブル経済が崩壊し、東京=消費は低迷し、辺境である沖縄からミュージシャンや俳優が押し寄せ、地方が舞台の映画やドラマが増え、あらためて日本には地方があったのだと気づかれたみたいだ。東京化によって隠されていた、私たちは地方や県によって違うのだということにあらためて気づいている最中ではないだろうか。

 全国の県民性をならべると、バカにするとか、けなすことか、自分のところは強いんだとか、偉いんだとか、中心だとか、まるで差別や誹謗中傷の優劣感情まるだしになってくる。われわれはふつうそういう上下関係や優劣関係で人を見たり、他県をまなざしたりするのだが、マスコミのような公共な場でそれは少々ご法度である。個人的な蔑視や非難は容認されていても、公共の言論ではけっこう禁止コードすれすれになる。

 この本はよく県民性を「暗い」とか、「影が薄い」とか、蔑視すれすれの言葉も平気ではいている(笑)。でもそうじゃなかったら、おもしろみもないし、ホンネも語れないというものである。暗いというのは雪のおおい東北に語られたり、山陰もどうように語られている。存在感の薄い県は笑ってしまうのだが、じじつ、他県にはまったく認知されていないこともおおいというものである。佐賀とか福井とか、鳥取、福島とか栃木とかいったいなにがあるんだろうくらいに印象の薄い県もあるのだが、まあそれすらも自県民にはギャグになってしまうというものなんだろう。

 悲劇は中心的な県がとなりにある県である。東京のまわりにある県はどうしても東京と比べられてひときわ田舎の引き立て役になってバカにされるし、愛知のまわりの県は属国になってしまっているし、京都・大阪・兵庫には和歌山や奈良、滋賀の印象はどうしても薄くなってしまうし、九州の中心である福岡とか長崎のほかの県はイメージが薄れてしまう。近くのものほど比較対照の的になってしまうのだが、引き立て役になってしまった他県は悲劇である。埼玉は愛郷心がほぼないそうで、自分の住む場所から一刻も早く逃げ出したいと思っているのは悲劇だが、不謹慎にも笑ってしまう。

 県民性というのはもちろんひとりひとり個性や性格が違うのはあたりまえなのであるが、ある程度の性格風土のようなものは認められると考えるべきなのだろう。著者の岩中祥史はたとえば海が近くにあるとか交易がさかんであるところにオープンで開放的な県民性がみとめられると見なしているし、山国や雪国には暗くて閉鎖的で、忍耐強いという県民性を見出している。風土や地理的条件が県民の性格をつくりだすと考えているようだ。たしかにというべきなんだろう。

 風土と交易が県民の性格をつくりだしてきたと考えるのは妥当である。とくに交易は土地の性格をつくりやすく、古代の九州や山陰は中国や朝鮮との交易で早くも開けてきて進取の精神はつちかわれただろうし、こんにちではぎゃくに太平洋工業ベルト地帯が繁栄しているように、交易が繁栄やオープンな性格をつくりだすのだろう。職業に性格が依存することもおおい。そのようないろいろな要素が県民性をつくりだすのだが、「どこそこの県の嫁をもらえ」と人々の口にのぼったように、あんがい県民性の性格というのは、ひとつの共通した類型が認められるといっていいのかもと思う。もちろん県民性にまったくあてはまらない人びともたくさんいるというのが事実なんだろうが。

 いくつかの銘記しておきたい県民性を抜き書きしたいと思う。県民性をみているとけっこう人生訓というか、生き方が見出されて、興味深いと思うのである。

「働くことはつらいことだ」という質問がある。宮城県は全国で第四位だった。あくせくせずにのんびりと生きていくのがいちばんという考え方をしているにちがいない。そのため、負けることを悔しいとも思わない。

北隣の秋田県には、「嫁をもらうなら山形からもらえ」ということばがあるそうな。働き者で堅実、コツコツお金も貯めるので、夫にしてみれば大いに安心できるからだという。

いまでも東京都民のうち、他県出身者ではこの新潟県民がいちばん多い。長男以外は養えないということで、生活が苦しくなると、親も子どもたちをどんどん外に出した。銭湯、豆腐屋、米屋、看護婦。。

「今の生活に満足している人」の割合がなんと九割近くを占める。全国一。――福井県。

とにかくおとなしくじっとしているに限ると、どこへも行かず、何もせず、自然の流れのままに生きる。平々凡々たる人生こそベストと考える向きには、居心地がよさそうな県である。――岐阜県。

女性雑誌で新しい流行ファッションが紹介されると、名古屋-尾張の女性は、雑誌のページに掲載された商品そのものを買って身につける。自分なりにちょっとアレンジしてみるなどということは、思いも及ばない。

京都人は、曖昧なものの言い方、どちらともとれるような言い方、はぐらかすような言い方を多用するが、これは、いつなんどき権力者が変わるとも限らないのに、自分の考え方や行動パターンをはっきりさせてしまったら、生き延びていけないことがあるのを身にしみて知っているからである。

「大阪の食い倒れ、京の着倒れ」に対し、「奈良の寝倒れ」という言葉がある。何もせずに寝てばかりいて、あげくも身上をつぶすという意味なのだそうだ。

江戸時代、岡山県内の寺子屋数は長野県、山口県に次いで第三位、私塾となると第一位であった。

明治維新の立役者は薩長土肥であったという。辺境にあることがどのような影響を及ぼしたのかを理論的に解明するのはむずかしいが、端っこにいる人間というのは、いじけるか、いまに見ていろという反発心を抱くかのどちらかである。土佐はそもそもが流刑の地であった。反権力、反権威である。

この地特有の台風の襲来が宮崎県人の気風に強く影響していると指摘する人もいる。「自然の試練は、試練とならず、諦めと忍従、怠惰と投げやりに流れる。これにつづく自然の恵む復原は精励を必ずしも必要としないということを知る」。そうした生き方を「日向的台風メンタリティー」「日向ぼけ」と名づけている。

沖縄というところは、人があまりストレスを感じないような社会構造になっている。その一つが、「ユイマール」という地域共同体内相互扶助システムである。ユイマールのおかげで、仕事に就いていなくてもなんとか生き延びていくことができるし、乳飲み子をかかえて離婚しても、さほど困らないで済むようになっている。仕事をしないのは悪いことだという価値観が、本土では強い。沖縄ではそういうことにはならないのである。



 いろいろな生き方や考え方、処し方があって、日本人は一枚岩的な生き方をしてきたのではなく、地方でだいぶ違った生き方をしてきたんだなとわかる。そういう価値観や生き方の違いを、昭和の東京時代は押し隠してきたのではないかと思う。東京の中央集権は画一化の時代だった。地方に目を向けると根強く多様性は育っており、こんにちいわれるような格差社会はこの地方の多様性に太刀打ちできないだろうと思ってしまうのである。モノサシを一本化してしまうのは東京のまなざしであり、そのモノサシで優位性を保持したい欲望が根底にあるだけなのだろう。


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09 24
2008

歴史・地理

『武蔵野』 国木田 独歩


武蔵野 (岩波文庫)
国木田 独歩

400310191X  s0210r.jpg 国木田独歩


 近代の文学者が自然をどのように描写したのかという興味から『武蔵野』という短編を読んだが、まあほとんど感興はない。人がいうほどの美しさやすばらしさは、私には感じられなかった。武蔵野がどのあたりをさし、どのような風景がひろがっているのかも一端もわからないということが縁遠く感じられたのかもしれない。私は関西の田園風景や山村風景には癒されものを感じるのだが、同じようなものと見なしてよいものだろうか。

 この本の短編集の中には古文のような私にはほとんど読めない短編が何篇かある。国木田独歩は明治41年、36歳の若さで亡くなっており、ちょうど現代文と古文のような文体の過渡期に作品を描いていたようだ。苦労しながら、イメージを駆使しながら、なんとか読む。

 国木田独歩の年譜を見ていると、日清戦争に記者として従軍したり、日露戦争で雑誌をひと山当てたりしている。日露戦争あとに36歳で亡くなっている。短すぎる。昭和でいうと、高度成長とバブルでひと山当てた人生といったところだろうか。上り調子の40年を生き、下り坂の40年を知らなかった人いうことになるのだろう。日本は40年周期でのぼったり、下ったりするのが好きなようで、戦後の日本も46年目に起こったバブル崩壊で戦前のわだちを踏むように転がり落ちつづけている。

 この短編集は古文と現代文が混じった短編集で、たいていはおもろくないながらもなんとか最後まで読む。印象にのこった作品としては、乞食の子をひきとる『源叔父』、故郷への錦を飾られなかった『河霧』くらいだろうか。近代文学というのは評価は残っているのだが、現代の者が読んだとしても時代背景や興味が異なったりしていて、あまりおもしろく読めることは少ないように思う。評価が読ませしてしまう近代文学というのは、文学というものがこんにちの国家の教養レベルや郷土といったものをかたちづくっているからなのだろう。近代文学というのは国家の品質レベル、文明度のバロメーターをあらわすものであり、私たちはその誉れを守るために近代文学は評価されつづけるのである。


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09 20
2008

歴史・地理

『吉野葛・蘆刈』 谷崎 潤一郎

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吉野葛・蘆刈 (岩波文庫 緑 55-3)
谷崎 潤一郎

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 吉野は好きで、なんどか訪れている。桜の満開の時期にはぜったいに行きたいと思うし、ほかの季節にいっても高貴さがただよう場所であるし、紀伊山地の山奥がはじまる伊勢や熊野に通じる地点として興味津々の場所である。いままで知らなかったのだが、文豪の谷崎潤一郎が吉野について書いている本があるのかとこの本を読んだ。

 谷崎潤一郎は明治の終わりか大正のはじめに吉野を訪れている。南朝の取材旅行をかねての旅であったが、このころの吉野はどうだったのだろうと思う。電車は通っていたが、いまより手前が終点だったようだ(
谷崎潤一郎の「吉野葛」を歩く/東京紅團)。いまは車や道路が発達して秘境感はうすれてしまったが、当時はもっと秘境や山奥という感じがしたのだろうと思う。ただ、いまでもこれから先の紀伊山中は電車がひとつも走っていないから、まだまだ秘境といえるのだけど。

 この『吉野葛』という作品はうまいつくりになっていて、吉野の取材旅行記や紀行文と思わせておいて、もうひとつの主題というべき物語に途中からひきこんでゆき、感心した。同級生の津村という男の早くに失った母親の生家探しが語られ、そして母の面影を思うあまり、生家の姪を許婚(いいなずけ)にするのである。いつの間にかこの物語にひきずりこまれ、あっと驚く結末になっているというたくみな構成になっている。

 津村の語りもまるで谷崎自身を語っているような口ぶりになり、母に会えると思って信田の森にいくあたり、谷崎自身がいったかのように錯覚してしまった。葛の葉神社は私が育った近くにあり、よくこの池にザリガニ釣りにいったものだから、郷土愛のつながりを感じてしまうのである(笑)。

 恋しくば尋ね来て見よ 和泉なる信太の森のうらみ葛の葉



 父母をなくした津村は信田の森にいけば、母に会えるような気がするといって子どものころそこまで出かけている。信田の森は葛の葉伝説のあるところであり、安部晴明の母がきつねとなって帰っていったところである。津村は母がきつねであったら、人間のように死なないで会えると思っているのである。亡き母の思慕はまだ見ぬ未来の恋人の郷愁であると喝破するあたり、鋭い洞察を感じてしまう。

 母への思慕はまだ見ぬ理想の恋人の思慕であり、または内なる女性(アニマ像)であるというのは、なるほどなと思ってしまう。恋愛の萌芽が母の思慕をつくりだすというのである。私なんか『銀河鉄道999』のメーテルを思い浮かべるのだが、あれは母親とも恋人ともつかない存在であった。葛の葉伝説と似たような底流があり、日本で一番多いといわれる稲荷信仰、きつねの信仰がなんとなくつながりそうな気がするのである。母の思慕、恋人への思慕、そして豊穣を生み出す母なる大地への信仰とつながってゆくのだろうか。

 『蘆刈』のほうは『吉野葛』と似たつくりになっていて、紀行文から夢ともうつつともつかない幻想的な物語になってゆく。舞台は木津川や桂川、宇治川が合流する淀川あたりとなっている。ある男に出会い、その男から語られる父のせつない恋愛話が主題である。未亡人に恋し、その妹をめとり、姉思いの妹との関係が語られてゆき、その息子であるこの男はだれの子供なのか、未亡人はもうすでに高齢になっているのではないかという疑問をのこしながら、男は消えてゆく。夜半の淀川を背景にし、語られる物語はじつに幻想的でうつつなイメージがかもし出される。謎を残す物語である。解釈は評論家がたくさん語っているのだろうけど、そこまでつっこんで探そうとまでは思わないけど。

 谷崎潤一郎ははるか大むかし、中公文庫から出ていた『文章読本』という本を読んだことがある。ひらがな好きな、ひらがなを多用する、音読みができる文章が名文だといっていたような記憶がわずかに残る。この『蘆刈』の文章はそのとおりにひらがなが多用され、ふつう漢字にすべき言葉もひらがなにされ、句読点も読点も打たれない長い文章になっている。平安女流文学の美を追い求めたということなのだろうか。読みにくいのだが、谷崎がめざしたような音読みのできる文章にはたしかになっている気がする。


盲目物語 (中公文庫) 幼少時代 (岩波文庫) 武州公秘話 潤一郎ラビリンス〈6〉異国綺談 (中公文庫) 月と狂言師 (中公文庫)
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08 29
2008

歴史・地理

旅から開けてくる学問とは?



 旅に出れば、驚きや感動と出会う。いろいろな疑問や謎を抱いて、それを解きたいと思う。旅は新しい好奇心を芽生えさせる場所との出会いだと思う。

 しかし旅から芽生えた好奇心を満足させる学問とはなかなか出会わないのである。旅に出れば、どのような学問がいちばん自分の好奇心を満足させてくれるのだろうか。歴史なのだろうか、民俗学なのだろうか、または郷土史なのだろうか。旅の知的好奇心はどの学問がいちばん満足させてくれるのだろうか。

 私は十年ほど前に大阪近郊の山々をハイキングでよくのぼった。大阪の都市しか知らず、都市にしか興味の向かわなかった私には新鮮な驚きであった。「こんな自然の風景なんか残っているなんて」とあらためて自然の美しさや脅威に目を見張り、そして田舎や山村の暮らしにむかしの日本人の姿を見るような思いがした。いろいろな疑問な謎を解いたり、知識を得たいと思った。(風景写真)

 ハイキングで興味をもったのは、山村や漁村と出会い、むかしのような暮らしを目の当たりにし、民俗学に興味をもったりした。祠や自然の木々や滝などが祭られているのを見て、神とはなにかといったことや日本人の土着的な宗教観に興味をもったりした。ハイキング・コースには古代史にゆかりのある土地も多いので、古代史にも首をつっこんだりした。山々や自然の風景はなぜ心を癒すのかといった疑問から、景観論のようなものも興味をもったのだが、それらは充実した学問ではない。日本のむかしの水運や交通から町の発展を読み解きたいとも思ったのだが、文献も多くなく果せていない。(歴史・地理)

 ハイキングからはいろいろな興味を駆り立てられたのだが、いったいなにをいちばん知りたいのだろう、なにがいちばん満足させる知識なのか、自分でもよくわからなかった。古代史からは太陽の日の出・日没ラインに寺社がならぶレイラインの探求にハマったときもある。歴史をやっているうちに自国家の優劣イデオロギーに興味をもって、文明の優越感と蔑視のイデオロギーを探ったこともあった。私は古代史以外の歴史自身はあまり興味をもてない性質のようである。

 そしていまはそういう興味が失われていってしまって、旅から受ける好奇心が弱まっていると思うのである。いったい旅からはどのような学問的好奇心や興味をインスパイアされるのがいいのだろうかと迷うのである。

 そのようなあいだに電車で山に登るハイキングも関西近郊のガイドブックにある低山をだいたいは登って、バイクに乗るツーリングに変わった。山の緑や風景が好きだから、バイクでも山や緑のあるところばかりに向かった。バイクに乗るようになって未舗装の山道自体には入らないようになったが、距離は稼げるようになって違った角度から関西を見れるようになった。しかしハイキングのときのような興味はどんどん枯渇していっていると思うのである。

 せっかく旅に出て観光地や町に出会うのだから、なにかの好奇心や驚きとともに学問的な探究ができればいいと思うのだが、いったいどのような学問ジャンルがそれを満たすのだろうか。歴史なのだろうか、民俗学なのだろうか。町や暮らしの歴史を知りたいのだろうか、住人の暮らしや民俗を知りたいのだろうか、あるいは歴史的人物のゆかりのある場所や経緯を知りたいのだろうか。

 旅行に行けばあの土地はどんな歴史があったんだろうかとか、どんな暮らしで生計をたてているのかとか、あの町はどのような発展や他の町とのつながりがあったんだろうなどと知りたくなるものである。旅にいった場所の歴史を知ることが私の好奇心を満足させるのだろうか。

 こないだバイクでしまなみ海道をへて高知の四万十川までいってきた。ほとんどバイクで通過するツーリングであったのだが、その土地の歴史や民俗を知ることが私の好奇心を満足させるのだろうか。そういう郷土史や歴史書はないことはないのだが、多くはないし、部外者が興味をなかなかもちやすいような体裁でもない。やはり郷土にゆかりや由縁がないとなかなか興味を貫けそうもないものである。旅という通過者にとっての興味のレベルにあった歴史書というのはあまりないのである。

 旅に行っていちばん満足させる好奇心はどの学問ジャンルなのだろうか。歴史なのか、民俗学なのか、景観論なのか、あるいは土地の産業や生業を知ることなのだろうか。ハイキングからはじまったそのような興味はなかなか私の好奇心を満足させてくれないのである。なにか決定的な学問がないのである。四方八方に手を尽くしてしまったが、まだ決定的な学問にめぐりあっていない。私は旅にいっていちばんなにを知りたいのだろうか。新しい場所や空間はなにを知れば、人はいちばん満足するのだろう。空漠たる想いが私には残るのである。

12 30
2006

歴史・地理

『日本に残る古代朝鮮 』 段 煕鱗

 『日本に残る古代朝鮮 <近畿編>』 段 煕鱗(たん ひりん)
 創元社 1976/2 1700e

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 自分の育ったところや住んでいるところにどのような歴史があったのか知りたいとむかしから思ってきた。とくに朝鮮的な地名が残っていたり、変わった地名があるとどのような由緒があったんだろうとよく思ったものだ。神社はそのような歴史の結晶でもあるといえる。私は大阪の和泉地方で育ったから、おお、この神社や寺はこんな歴史があったのかと長年の疑問が解けたりした。

 この本では朝鮮の渡来人が痕跡をのこした神社や寺がとりあげられている。難波の都、河内地方、摂津地方、大和地方、平城都、京都市、近江地方がなどの古神社や古仏閣が紹介されている。地元に住んでいる人はこんな歴史があったのかと知ることができるだろう。ただし、古い本で古本屋でしかみつけることができないだろう。

 こうたくさん百済や新羅からやってきた朝鮮渡来人の痕跡をみせられると、はたして原日本人といわれる人たちはどのような活躍や活動をしてきたのだろうかと、影の薄い存在に思えてくる。日本という国は朝鮮渡来人の征服国家だったのかという思いもきざす。あるいは国家という概念まだ発達しておらず、べつに何人であろうと関係なかったのかもしれない。

 著者の段 煕鱗(たん ひりん)はソウルで生まれ、47年渡日留学し、関東から九州まで渡来人の足跡を憑かれたようにたどったそうだ。日本で暮らしてゆく自分と渡来人を重ねたのだろう。かれが問題としたのは現代の韓国人の立場と韓国人の優越感なのか、あるいは同化してゆく渡来人のすがただったのだろうか。古代の歴史とは現在の「私」が欲す物語でもある。


10 08
2006

歴史・地理

『名山へのまなざし』 齋藤 潮


4061498517名山へのまなざし
齋藤 潮
講談社 2006-07-19

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 カシミール(三次元地形CGソフト)や地図をふんだんにもちいていて、おもしろいかなと思ったが、私にはほとんど興味の魅かれる内容の本ではなかった。

 山のどのような見え方がいちばん神や仏として見られてきたのかといったことを、カシミールでさまざまな地点から探ってみるプロセスは楽しいかもしれない。三輪山や比叡山、伊吹山などちょっと興味が魅かれる。だけど、山がいちばん先鋭的に見える角度に神社や鳥居があったとしても、それを探り当てることにそんなに意味があることなのかどうかと思う。おもろしくない。カシミールで探り当てる、重箱の隅をつつくだけのプロセスを楽しんでいるだけの本に思える。

 いったい山の見える角度から何が見えるのかと思って読みすすめても、なにもない。山はどの地点から見るといちばん美しいのかと微妙な楽しみをもっている人にはおもしろいかもしれないが、私には美しさと神仏がどう結びつくのかをもっと論じてほしかったと思う。山の角度の美しさを楽しめる人ってけっこういるんでしょうか。残念。

 ちなみに私はカシミールをダウンロードをしたことがあるが、まったく使いこなせなかった。このソフトでつぎのような画像がつくれるらしい。(伊豆半島より富士・箱根)

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プロフィール

うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。神秘思想、仏教、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

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