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05 06
2005

手塚治虫ノスタルジア

『ミクロイドS』 手塚 治虫


4253031242ミクロイドS 1 (1)
手塚 治虫
秋田書店 2000

by G-Tools

 アニメでもやっていた作品で再放送でもほとんど見かけなかったから、この本のほうで内容を知ったけど、アニメとは内容が違っていたかもしれない。アニメのオープニングです(YouTube)

 高度な文明をもった昆虫集団が襲ってくるもので、アニメはたんじゅんに敵とたたかうストーリが好きだなと思った。正義と悪をかんたんに分ける思考法と、敵を無慈悲にやっつける姿勢には疑問を感じる。ただ、そういうのは童話解釈によると、自分の中の悪をやっつける姿勢につながるわけで、たんじゅんに悪とみなすわけにはいかない。

 また高度な文明をもつことが手塚の一定した脅威であることを感じさせた。中期あたりまでの手塚はくりかえし高度な文明の不安を描きつづけていた。文明の進歩の不安である。それは敵の人種としてあらわれたり、ロボットによる支配や人類の滅亡などの物語としてあらわれた。『鉄腕アトム』もよく思われているように科学礼賛の物語ではなくて、高度文明の批判なのである。手塚は戦争の原因を文明の進歩に見ていたのかもしれない。

 この物語は人間が昆虫にやられっぱなしの物語で、アメリカ映画にもこういう昆虫が襲うパニック映画ってあったなあ。公害に対して自然の復讐を訴えかけていたわけである。

 アゲハがよくハダカになっていて、エッチだったなぁと小学生の私は思ったものである。マンガはエッチな感性を養うが、エロスをフェティシズムに誘導してしまうのはいいことなのか疑問だ。商品経済のなかではエロスは売り買いされるモノにならなければならないわけで、だから私たちは想像力のエロスを買う慣性にハマってしまう。よくいわれるように生身の女より魅力的になる。いいことか悪いことかはまだ判断留保。文明や貨幣経済はそれでこそ成り立っているといえるからだ。


05 07
2005

手塚治虫ノスタルジア

『手塚治虫マンガ漫画館』 石子順


 『手塚治虫マンガ漫画館』 石子順
 清山社 楽天フリマ

 mankan51.jpg

 この本のおかげで小学生の私は手塚治虫の多くの作品を知ることができた。そして近くの駅前の本屋にほしい本がなかったら、電車の沿線沿いに本屋を探す旅に出た。

 この本は本を探したり、見つけたりする方法論を教えてくれたわけだ。それはいまの学術書探しの方法に役立っている。だれかがいっていたが、学校はこういう本探しの方法を教えるべきで、あとは独学でいいのである。知識の楽しみはこの本と手塚治虫に教えてもらったようなものだ。優れたガイドブックを探せばいいのである。

 私がこのサイトで手塚評をやっているのは学術書を読むのはマンガと同じであるといいたいからである。好きな本を見つけたり、ほしい本を探す作業は同じである。私にとってマンガと学術書は同じ感性の上なのである。

 この本はもう手元にはないが、連載年表を見て多くの作品を知ったし、多くの作品の写真を見て想像力を駆り立てられたものである。私の読書の楽しみの原点にある本である。

 なお著者による手塚漫画10選は、『鉄腕アトム』『火の鳥』『ハトよ天まで』『リボンの騎士』『メトロポリス』『ロスト・ワールド』『0マン』『ジャングル大帝』『まんが平原太平記』『きりひと讃歌』だそうである。

 私の10選は、『火の鳥』『ブラックジャック』『三つ目がとおる』『ブッダ』『紙の砦』『ナンバー7』『キャプテンKen』『ジャングル大帝』『海のトリトン』『ふしぎな少年』くらいかなぁ。


05 08
2005

手塚治虫ノスタルジア

『三つ目がとおる』 手塚 治虫


4062604868三つ目がとおる (1)
手塚 治虫
コミックス 1998-12

by G-Tools

 『三つ目がとおる』は私の中でも好きな作品のひとつである。ふだんは知恵遅れのような写楽クンがバンソウコをとって三つ目があらわれると、たちまち天才的悪人に変わってしまう。こういうグズと天才の転換は気もちをわくわくさせる。読者にも優秀さを味わわせてくれるからである。

 この作品のもうひとつの魅力は、超古代文明の謎解きがおこなわれることである。現代より進歩した文明が滅亡し、地球のあちこちにその痕跡をのこしている。その謎解きはひとつのジャンルとなっている。写楽クンと和登サンはこの謎解きの冒険にのりだすからおもしろいのである。

 手塚はここでも優秀さや高度な文明の警戒をテーマにしているのである。進歩した文明はやがて殺戮や人類の滅亡に導いてしまう。手塚の終生のテーマで、このヴァリエーションはさまざまな作品でくりかえされている。写楽クンのバンソウコウはその高度な文明の封印なのである。

 あるいは優秀さや卓越さをめざさなければならない現代人や手塚自身の苦悩だとも読める。優秀さの目標とはある意味では自身への攻撃や批判に転身しうるものである。刃はたえず自分にふりかかる。

 ナンバーワンをめざしつづけた手塚はその破滅的終焉を怖れなければならなかった。比較を超える大愚としての良寛のような道を見つけられなかった手塚は破滅的ヴィジョンから逃れられなかったとも読めるのである。第一線を走りつづけた手塚に安息の日はあったのだろうか。


05 09
2005

手塚治虫ノスタルジア

『海のトリトン』 手塚 治虫


4253062962海のトリトン (第1巻)
手塚 治虫
秋田書店 1972-12

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 この作品も悪である怪獣をやっつけるという典型的なヒーローものである。そしてそういう物語は人気を博す。単純な目標に向かっているとき、人は美しさを感じ、賛同を得、団結をもたらすようである。

 物語はトリトン族の最後の生き残りがポセイドン族に立ち向かうというものだが、これは追いつめられたさいの最後の勇気の物語とも読むことができる。逆境や困難でもあきらめるなという強いメッセージをもつことになる。

 しかそれはあくまでも虚構の範囲内においてであって、現実に敵味方を明確にする捉え方は慎んだほうがよいというものである。現実の敵には家族もいるし、人間の心を持っているのだし、現実の人間社会では一方的に悪と決めつけるのは自己利益に鈍感すぎるし、オトナとはいえない。ただし、この作品ではラストにそのような批判があるようである。

 この手塚の作品はサンケイ新聞に一日一ページの割合で連載されたためか、絵は思いっきり雑であり、物語はふざけまくっている。まあ、それも味といえば味だが。

 アニメのほうは人気を博し、アイドルのようなファンクラブができたようだし、その後のアイドルタレント・ブームの先駆になった。(アニメのオープニングです。迫力ある唄でしたね。YouTubeから) 海の物語ということで、その後の青い海のリゾート地という旅行ブームの先駆けともなったのである。

 都市民はなぜ青い海に焦がれるのだろうか。都市は水のない監獄だからだろうか。トリトンはイメージ広告の先駆として、あるいはアイドルブームの先駆けとして、爽やかな夏の少年として消費されたのである。


05 15
2005

手塚治虫ノスタルジア

『ブッダ』 手塚 治虫


4267015112ブッダ (1)
手塚 治虫
潮出版社 1998-11

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 ブッダの物語であるけれども、ほかの登場人物が主役になって連作になるようなかたちになっていて、その物語のつづきを知りたいがためにつぎつぎ読んだ作品であった。

 ブッダが生まれるまではインドのカーストが主題になる物語が展開されたり、王権の争いが主題にあつかわれたりして、そちらのエピソードが物語をぐいぐいとひっぱるのである。その主人公たちは死んだり、あっけなく殺されたりして、悠久の物語がくりひろげられるのである。静的なブッダの物語にくらべてこちらのほうがよほどおもしろいわけである。

 動物の生命を尊重したり、輪廻の物語が『火の鳥』を上回るほど直接に語られるわけだが、輪廻や霊魂が私にはなかなか信じられないものだから、生命は連関しているとしか捉えようがない。せいぜい壮大な生命連鎖の世界の広がりを感じるくらいである。

 この物語はカースト制度に苦しめられる人たちや国王同士の権力闘争の物語のほうがよほどおもしろく、ブッダ本人よりインド社会の背景のほうが魅力的な物語になっているわけである。インド社会、あるいは人間社会や歴史そのものが主役であるといっていいかもしれない。その物語の中にカタルシスを感じるのである。

 ちなみに私の仏教理解は思考を捨てるための無念無想の方法論と、唯識と華厳経の世界観だけを知っているにすぎない。つまり実用的な心理学的程度しか必要としていない。生命や人生とはなにかといったスケールの大きい問題は、渇望したことがないのである。


05 17
2005

手塚治虫ノスタルジア

『百物語』 手塚治虫


408748291X手塚治虫名作集 (3)
手塚 治虫
集英社 1995-03

by G-Tools

 この物語はけっこう好きである。生きがい探しや人生の充実や幸福とはなにかといったことが語られているからである。

 切腹を命じられた主人公が願いごとの代わりに魂をさしだす契約を悪魔と交わす。願いごとは人生の充実と、一国一城の主となること、絶世の美女を手に入れることである。私は気づかなかったのだが、これはゲーテの『ファウスト』が下敷きになっている。

 これらを手に入れれば、人は満足して死ぬことができるのかといったことが語られているわけである。ふぬけだった主人公がたくましくなってゆくあたりや、魂を買った悪魔のスダマが主人公に惚れてゆく変節など、物語として楽しめた。主人公はそれらが与えられるものではなく、自分から手に入れようとしないと手に入らないことを悟ってゆくわけである。

 人は単純にはこの三つの願いを一度は夢見るものかもしれないが、はたしてこれら三つのものを叶えれば人は満足して死ぬことができるのだろうか。

 またはそれらは魂を売り払うほど価値のあるものかと問うこともできるだろう。現代人ならさしずめ金や安定のために魂を悪魔に売り払っているといえるだろう。魂を売り払った人生が生きるに値するものなのか、この物語を読んであらためて考えてほしいものである。なにかを得るためには大きな犠牲を支払わなければならないということを消費社会に生きるわれわれはあまりにも忘れがちなのである。


05 19
2005

手塚治虫ノスタルジア

『一輝まんだら』 手塚 治虫


406173282X一輝まんだら (1)
手塚 治虫
講談社 1983-12

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 手塚が大人向けのマンガを描くとなぜか歴史もの、それも近代の歴史を多くあつかった。『奇子』や『シュマリ』、『陽だまりの樹』などである。かれは自身のルーツやその生まれ育った時代を探りたかったのではないだろうか。

 物語はまだ西大后のいる清朝最後の時代に、義和団の乱に参加したはちゃめちゃな女性を中心に進んでゆく。『ラスト・エンペラー』の時代かな。彼女は日本に亡命し、孫文などと出会ったり、主役である北一輝と出会うわけだが、物語は未完で終わる。主役があらわれる前にべつの副主役が暴れるというのは『ブッダ』と同じである。

 なにか中国の近代化という問題をあつかっているようなのだが、社会主義者としての北一輝が主役ということは、手塚はそれが成就された国というものを描いてみたかったのだろうか。知識人にとって自分たちの頭で描いた青写真が叶うことはひとつの理想でもある。手塚は知性万能的な思考で社会主義の理想を信じていたのだろうか。


05 22
2005

手塚治虫ノスタルジア

『人間昆虫記』 手塚 治虫


kontyuki1.jpg人間昆虫記
手塚 治虫
大都社 1986-12

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 見事な作品であった。いぜんはグラフィックデザインで世界的になり、こんどは芥川賞を受賞した女性が、他人の才能を完璧に模倣する女性であることがわかってゆく。

 秘密を知ったものは殺されてゆくわ、利用できるなら自分の肉体はかんたんにさしだすわ、エリート商社マンと偽装結婚をおこなうわ、成功や頂点にのぼりつめるためなら手段を選ばない。模倣された者は破滅してゆく。『人間昆虫記』とは蝶々のようにさなぎから蝶に変態するさまをいっているのだろう。

 この作品でいっているのは、おそらく日本の経済的模倣や文明の模倣のことをいっているのだろう。文明というの模倣によってなしとげられ、そのお株を奪ってゆくものである。日本の経済的成功がアメリカの模倣であったように。日本もいずれ後進国に模倣され、追い越されるのだろう。模倣の怖ろしさと、利用できるものはすべて食い尽くす女の怖ろしさ(と魅力?)を感じさせる作品であった。

 しかし彼女は満たされない。死去した母親の蝋人形に裸で甘えてみたり、かつて才能を模倣して裏切った男が忘れられなかったり。せつなさやさみしさが彼女からは抜け切らないのである。成功や名声の空しさや病理面がそこには立ち現れているのだろうか。それらに魂を売った日本人の姿が透けて見えそうである。


05 22
2005

手塚治虫ノスタルジア

『ジャングル大帝』 手塚 治虫


4061086014ジャングル大帝 (1)
手塚 治虫
講談社 1977-06

by G-Tools

 これだよ、この表紙だよ。私がはじめて手塚治虫と出会った作品で、ぼろぼろになるまで読み返したものである。昭和52年、私が10才のときだった。それいらい、手塚の作品を読み漁った。僥倖の時期であった。

 子どものころは動物が好きなもので、シートンの『狼王ロボ』が好きだった私はこの作品のさいしょにあらわれるレオの父親パンジャに憧れたものである。

 きょう、マンガ喫茶で読み返してみてびっくりした。テーマがまったく文明礼賛だったからだ。未開で野蛮で後進的な動物たちをみちびいて、文明の先進的で進歩した知識や技術を教えるという恐ろしく植民地主義的な内容であったとはまったく知らなかった。

 ジャングルの動物たちが言葉や読み書きを教えられたり、道路や宮殿を建てたり、伝染病を進歩した人間の医学によって救われるという極度に無邪気な文明礼賛論だったのである。

 文明をそんなに讃美していいものかと思う。文明の負の遺産を経験しつつある私たちには手放しの文明讃美をもう唱えられないし、劣った文明を優れた文明が啓蒙するという考え方は世界の植民地化のイデオロギーにおおいに利用された歴史を知っているのである。

 もちろんこの作品が描かれたのは戦後まもなくであり、公害もオイルショックも経験しない高度成長期いぜんのことである。だけど高度な文明が無邪気にすばらしいという思想は、たしかにいまでも先進国と日本を比べるニュースからもうかがわれるのだが、もうこういう二分法からは脱却しなければならない。後進国を差別したり、侵略のいいわけに用いられるし、そして人生の意味も空疎になってしまう。私たちはこの後のつぎの時代を迎えているのである。

 アニメのオープニングはこんな感じでした。雄大な音楽がよかったね。(YouTubeの映像はあまりよくないです)

05 23
2005

手塚治虫ノスタルジア

『きりひと讃歌』 手塚 治虫


4091920012きりひと讃歌 (1)
手塚 治虫
小学館 1994-11

by G-Tools

 これはどう評価していいかわからない。医学部の教授に生体実験のようにされ、モンモウ病という犬のような顔になる病気にかかり、見世物として売られたりするストーリーを描いている。

 『白い巨塔』に触発されて描いた作品だと思うのだが、医学部の権威主義や名声のようなものが告発すべきテーマには私には思えないのだが。医者が患者を生体実験のように見なすのはどちらかといえば当たり前っぽい気がするのだけれど。

 子どものときに読んだ私には四国の山奥の因習的な村や、ごちそうのかわりに女体がさしだされるなんて、みょうに印象に残ったなぁ。

 それにしても手塚は『バンパイヤ』や『火の鳥 太陽編』など人間が犬になる物語をよく描いたな。「文明」の差別としての「獣」側に身をおくことによって、文明の権力性や身勝手さを告発したのだろうか。差別され、虐待される獣としての人間の気もちを文明人も知れということか。文明の放漫さは大切なメッセージである。


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うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。ビジネス書、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、精神世界、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

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