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04 16
2013

映画評

賢明な選択のために―『精神科医がすすめる“こころ”に効く映画』 高橋 祥友

4532196191精神科医がすすめる“こころ”に効く映画―シネマ処方箋 (日経ビジネス人文庫)
高橋 祥友
日本経済新聞出版社 2011-12-02

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 精神科医なりの映画の解釈を読みたいと思ったのだけど、精神科医の話は別項目としておかれている感じかな。

 あらすじがていねいに紹介されていて、解釈よりどの映画を見るか参考にするためのカタログ本に近い。たとえばこんなふうに。

子供が巣立ってふと空しく感じるとき『愛と追憶の日々』

自分とは一体なんであるかと混乱してしまうとき『17歳のカルテ』

もう自分のピークは過ぎてしまったのかと不安になるとき『レスラー』

人生でなにを達成してきたか不安に感じるとき『永遠と一日』



 テーマや問題別の項目から見たい映画を選べるふうになっている。テーマやメッセージはなにを語っているかと先にわかる映画はすくないからね。話題性や大ヒットという情報で選ぶより、こういうテーマやメッセージで映画が選べるようになりたいね。

 わたしは韓国映画の『八月のクリスマス』を見たくなったかな。不知の病にかかった三十代の男の恋。ネットで映画をさがしたけど見られなかった。こういう本から見たい映画をさぐるとおめあての映画はなかなか見れないことがあるね。

 『レスラー』もいいかなと思った。もうかつての栄光がすぎてしまったという話だね。わたしもそういう中年のあきらめ方みたいな作品に魅かれるような年になったのかな(泣)。著者は、スター選手より、代打選手や敗戦処理選手に魅かれるといっているのだけど、中年以降になるとそういう下り坂の下り方を無意識にまなぼうとするものかもしれないね。

 上記の引用のようにこの本の映画チョイスはあまり若者向けではないかもね。著者は53年うまれで、この本は04年に出されて11年に加筆訂正されたものだ。もう五十代の目線で見られたものが多いのだろうね。

 『愛と追憶の日々』はこの本でもとりあげられているが、わたしは田嶋陽子の『ヒロインは、なぜ殺されるのか』での解釈がよほど心に残った。「主婦という自己犠牲からの脱却」という項目で45ページも解釈されている。そういう解釈もこの本に期待したのだけど、この本はカタログ本と見なしたほうがいいようだ。

 だいたい30作品くらい紹介されている。あらすじを読んでこれを見たいという映画に出会えたらいいね。著者は「シネマセラピー」という言葉もつかっているのだけど、映画はセラピーになるのかな。

 わたしはあまり映画の選択眼というものが育っていなくて、なにを見るべきか、なにを基準にするべきかの自分の基準がないのだろうね。ビデオ借りるより本を読む時間を削りたくなかったので、テレビで放映される映画くらいしか見てこなかった。

 ネットでたくさん見られる機会がふえたので、こういう本を手にとった。あらすじやちょっとした紹介でこの映画はなにをテーマにしていてなにを語っているのか事前にわかるようになれたらいいのだけどね。そういう判別ができないと、自分にとって見るべき価値ある映画のなのかの判断ができない。

 自分に合わない映画を見てムダにしたくない思いが強いのだろうね。本を選ぶときにはそういう確認をしっかりとしたうえで買うからね。



ヒロインは、なぜ殺されるのか (講談社プラスアルファ文庫)「死にたい」気持ちをほぐしてくれるシネマセラピー上映中―精神科医がおススメ 自殺予防のための10本の映画映画にみる心の世界―パノラマ精神医学シネマサイキアトリー―映画からみる精神医学シネマのなかの臨床心理学 (有斐閣ブックス)

04 06
2013

映画評

『シュガー・ラッシュ』はいまの自分に不満な大人のための寓話

 『シュガー・ラッシュ』はゲームの悪役・壊し屋ラルフがヒーローになろうとした物語である。

 これは傑作だと思う。大人には自己啓発に対する物語として楽しめるし、子どもにとってはゲームの世界の向こうにある想像の世界にわくわくできるだろう。(以下完全ネタバレ)

 
 ▲「誰だって"ヒーロー"になれる」という予告CM。その否定じゃないのか。


シュガー・ラッシュ (字幕版)
(2013-07-17)
売り上げランキング: 3,711



 冒頭からグループ・セラピーの語りではじまっていて、これは自己啓発の物語であるとわかるようになっている。グループ・セラピーというのはアルコール依存症などを治すための自助的な集まりで、それぞれが自分たちの悩みを語って共有しあう。

 壊し屋ラルフは悪役を30年つづけてきて、ヒーローの修理屋フェリックスのようなヒーローに憧れる。メダルをとればラルフもヒーローになれるとほかのゲーム世界に冒険をはじめる。悪役というのは仕事や職業のことであり、自分の仕事に満足できない不満をかかえている大人が主人公にされているといえる。

 「自分でないだれかになりたいこと」。

 自己啓発や成功哲学というのはそういうことを語ってきたのではないか。夢や希望というのは、「いまの自分に満足しない、もっと輝いた、認められた自分になりたい、そういう自分になれるはずだ」という願望のことである。自己啓発や夢というのはそういうことを煽りつづけてきたし、社会にも奨励されていることである。

 この物語は悪役ラルフがヒーローになりたいと願う物語で、さいしょからムリなのである。この物語は自己啓発や成功を否定するテーマをもっているのではないか。

 「だれか自分でないヒーロー」に憧れるということは自分の否定のことである。自分にたいする不満や幻滅のことである。この社会はだれか有名人や成功者に憧れて、そういう人間になれ、有名になったり成功しろと煽る社会である。ずっと自分にたいする不足や不満を感じさせられる社会である。壊し屋ラルフというのはそういう社会の成功と自己否定にとりつかれた今日のみんなのことである。

 コインを奪われたラルフは欠陥プログラムであるヴァネロペのレースを助けることによってコインをとりかえすことになる。この少女も欠陥というハンデを背負っていて、悪役ラルフとともに自己否定と自己幻滅にとらわれているだれかである。欠陥プログラムをもっておりレースに出れば故障と見なされ、このゲーム世界が抹消されてしまうためにゲームに出れない少女である。少女はゲームにすら参加できない。

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 ▲ヒーローになりたいラルフとレースに出たいヴァネロペ

 ラルフはこの冒険の結果、悪役の自分に肯定できるような体験を得ることになっているのだが、わたしにはなぜそのような肯定と受容がおこったのか、いまいちわかりにくかった。

 この自分でないだれかに憧れて、自分のゲーム世界から飛び出て、そのふたつのゲーム世界を終了させてしまったのがターボである。こんにちの社会でいえば、成功者や有名人に憧れて外に飛び出した人になる。ゲーム世界では伝説の禁忌譚とされているのだが、結末にシュガー・ラッシュのゲーム世界の大王を乗っとっていた秘密が暴露される。じつはこれ、今日でいう成功のひとつのかたちでないのか。

 この社会での成功者のような人物が悪役にされているのである。欠陥バグにも感染され、奇怪な怪虫のような極悪人としてえがかれる。成功や自己啓発の否定である。予告CMでは「誰だって"ヒーロー"になれる」というコピーだったのだが、この映画はその否定ではなかったのか。

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 ▲成功を求めて大王になったターボは怪虫にえがかれる。

 ラルフは冒頭に出てきたグループ・セラピーの「悪役であることを受容する」という体験を一歩も出ない結末におちつくのである。いまの職業に不満をもたずに受容・肯定しなさいというメッセージではないのか。

 この映画は成功や有名になれという背伸びしたメッセージではなくて、「ありのまま」「そのままである」ことがメッセージされた自己啓発の内容になっているのである。自己啓発にもさまざまなものがあって、大きな成功をめざす成功哲学から、ただありのままの自分を肯定する・受容するというニューエイジまでさまざまなものがある。この映画は自分の職業や役割をそのまま肯定・受容するテーマをもっているわけである。

 大きな成功からただありのままの自分へ。『シュガー・ラッシュ』は子どもたちに大きく背伸びした夢から等身大の自分の受容への変化を、語りつたえるのである。自分を否定するのはよくないが、役割や立場を受容するだけなのもすこし問題だと思うのだけど。

 
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04 03
2013

映画評

映画を心理学・哲学で読むとく本を集めてみました

 映画の読み方や解釈ってわからないところがありますね。「おもしろかった」とか「楽しかった」だけで終らない映画の解釈って身につけたいですね。映画はどう読んだらいいのでしょうね。

 それなら心理学や哲学で読み解いた本はないのかと集めてみました。あまりないのですが、というより知らないのですが。。

 わたしの読んだ本より、読んでいない本の比率が多いです。
 

4062563096「本当の自分」をどうみつけるか―映画でみる精神分析 (講談社プラスアルファ文庫)
小此木 啓吾
講談社 1998-12

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小此木啓吾は「モラトリアム」で名をはせた精神科医。二巻に別れているのですが、この巻では「自己」についての映画。見たくなる映画が多いのですが、古い作品が多いので見られないという弱点も。

4062563053愛の真実と偽りをどうみわけるか―映画でみる精神分析 (講談社プラスアルファ文庫)
小此木 啓吾
講談社 1998-11

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この巻では愛や家族がテーマ。映画の違った見方を教えてくれるでしょうね。

4167801256映画の構造分析―ハリウッド映画で学べる現代思想 (文春文庫)
内田 樹
文藝春秋 2011-04-08

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レベル高い分析でした。ただほかの思想家の借り物が多いのかな。「エイリアン」やヒッチコック「裏窓」の解釈が目からうろこでしたね。

4062562111ヒロインは、なぜ殺されるのか (講談社プラスアルファ文庫)
田嶋 陽子
講談社 1997-08

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田嶋陽子はキワモノあつかいかもしれませんが、ここではじつに深い読み方を教えてくれますね。『存在の耐えられない軽さ』の依存をめぐるテーマにはおどろきました。

4641086419シネマのなかの臨床心理学 (有斐閣ブックス)
山中 康裕
有斐閣 1999-12

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こういう本を読むとあらたな解釈をひっさげて映画を見たくなりますね。ただその映画がなかなか見つからないという苦悶もつけ足されるかも。

4480429409映画は父を殺すためにある: 通過儀礼という見方 (ちくま文庫)
島田 裕巳
筑摩書房 2012-05-09

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こういうひとつのテーマで横断的に映画を読み解いてくれる本はひじょうにありがたいですね。人が大人になるための通過儀礼をめぐっての本ですね。

4797671033哲学の冒険 「マトリックス」でデカルトが解る
マーク・ローランズ 筒井 康隆
集英社インターナショナル 2004-12-15

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『マトリックス』や『スター・ウォーズ』などSF映画が多いそうですね。

490537412X父親はどこへ消えたか -映画で語る現代心理分析- (シエスタ)
樺沢紫苑
学芸みらい社 2012-12-06

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メルマガで人気のある方のようですね。

4794967748「死にたい」気持ちをほぐしてくれるシネマセラピー上映中―精神科医がおススメ 自殺予防のための10本の映画
高橋祥友 柳本あかね
晶文社 2012-02-02

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シネマセラピーという考え方もあるのですね。

4532196191精神科医がすすめる“こころ”に効く映画―シネマ処方箋 (日経ビジネス人文庫)
高橋 祥友
日本経済新聞出版社 2011-12-02

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こちらは日経ビジネス文庫だから手に入れやすいですね。

4883850447トラウマ映画の心理学―映画にみる心の傷
森 茂起 森 年恵
新水社 2002-12-10

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「心の時代」とよばれた90年代、トラウマをめぐる物語がたくさんつくられましたね。トラウマになる出来事が増えたというより、心理学で見る目が増えただけなのかもね。

4641086400ビデオで女性学―映画のなかの女性を読む (有斐閣ブックス)
井上 輝子 西山 千恵子 細谷 実 木村 栄 福島 瑞穂
有斐閣 1999-10

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映画で女性学をまなぶ方法もありますね。

4641085196ビデオで社会学しませんか (有斐閣ブックス)
山中 速人
有斐閣 1993-03

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社会学から映画を読んでみたいですね。

4840216428ハリウッドで政治思想を読む (オルタブックス)
副島 隆彦
メディアワークス 2000-07

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映画でアメリカの政治思想が読めるかもしれないですね。ただ著者の考え方はすこしいびつかも。

4901654551寅さんと日本人―映画「男はつらいよ」の社会心理
浜口 恵俊 金児 暁嗣
知泉書館 2005-07

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「フーテン」の寅さんはなぜ人気だったでしょうね。働かずぶらぶらして、恋愛話ばかり。どうして日本人はそうなれなかったのでしょうね。

4393203054はじめての宗教学: 『風の谷のナウシカ』を読み解く〔新装増補版〕
正木 晃
春秋社 2011-09-30

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「ナウシカ」読解が宗教学からおこなわれていますね。この著者は「千と千尋」も読み解いていますね。

4480847081汝の症候を楽しめ―ハリウッドvsラカン
スラヴォイ ジジェク Slavoj Zizek
筑摩書房 2001-07

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内田樹は映画論でジジェクの理論を援用していましたね。

4791753755斜めから見る―大衆文化を通してラカン理論へ
スラヴォイ ジジェク Slavoj Zizek
青土社 1995-06

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精神科医のラカンは難解さで知られていますから、大衆文化でやさしくなりますかね。

4480084649ロラン・バルト映画論集 (ちくま学芸文庫)
ロラン バルト Roland Barthes
筑摩書房 1998-12

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ロラン・バルトの映画論はそうとう古い映画が論じられているのでしょうね。

4588008552シネマ 1*運動イメージ(叢書・ウニベルシタス 855)
ジル・ドゥルーズ 財津 理
法政大学出版局 2008-10-01

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ドゥルーズはひじょうに難解なポエムなみのわからない文章を書きますが、読めるかな。

4498129369シネマサイキアトリー―映画からみる精神医学
ダニー・ウェディング メアリー・アン・ボイド
中外医学社 2012-06

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精神病理をあつかったかなり専門的な書物のようですね。

4788505827「家族」イメージの誕生―日本映画にみる「ホームドラマ」の形成
坂本 佳鶴恵
新曜社 1997-01

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こういうふうに映画が主題になるのではなくて、映画の中の家族が主題になるのが社会学というものですね。

4877142444スクリーンの日本人―日本映画の社会学
木下 昌明
影書房 1997-11

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反体制的で、青春映画も反抗から受容に変わっているとの指摘が。「橋本健二の読書&音盤日記

4990070895アメリカン・カルチュラル・スタディーズ―文学・映画・音楽・メディア
ニール キャンベル アラスディア キーン 徳永 由紀子
萌書房 2002-02-25

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カルチャラル・スタディーズがほかの文化論とどう違うのかわかりませんw

4022598956映画のなかのアメリカ (朝日選書)
藤原 帰一
朝日新聞社 2006-03

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映画で読むアメリカや各国という本も多いですね。こういう本は主軸に映画はあまりおいていないように思うのですが。

4765313174映画にみる心の世界―パノラマ精神医学
中村 道彦
金芳堂 2007-11

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精神医学テキストのような本であるとのこと。

4062560313昔話の深層 ユング心理学とグリム童話 (講談社プラスアルファ文庫)
河合 隼雄
講談社 1994-02-15

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映画の本がすくないと思ったら、童話解釈の本を手にとってみるのもいいでしょうね。こちらのほうが豊穣な学問世界がひろがっています。おなじ物語分析ですからね。子ども向けと思う人は甘いね。

童話はどう読むのかのおすすめの本


 ほかにいい本があれば教えてくださいね。

03 12
2013

映画評

認められれば自信をもてるのか―『自虐の詩』の幸江の場合

 映画のほうの『自虐の詩』をみた。いわれているとおり、軽いギャグ物語と思ってみると後半に泣ける感動作になる物語である。マンガのほうは未読だけど。

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ジェネオン エンタテインメント 2008-03-14

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 自己蔑視をかかえもって生きつづけた主人公の幸江が、自己肯定を得るまでの物語に思えた。

 幸江は働かないで遊んでばかりいる内縁の夫のイサオを自虐的に支えている。自己蔑視によって自分の価値を低く見積もっているために、自己承認をあたえてくれた夫を手放すこともできないし、ひどい仕打ちにもささいな幸福を見出す精神構造ができあがってしまっているのである。

 幸江がそうなってしまったのは少女時代の生い立ち――貧乏で母にも逃げられ、父が強盗によってつかまったことによる。自己蔑視をかかえもった幸江はからだを売って投げやりにしか生きる道を見出せなくなっており、真摯な求愛をおこなってくるイサオが信じられない。

 ひどく自分の価値を低く見積もる幸江にはイサオが愛してくれる現実をうけいれらない。だれからも愛される価値がないと思っている者には価値を重んじてくれる他者の存在が信じられないのである。

 しつこく求愛をせまられた幸江は自殺未遂をおこなってしまう。自分の価値をおとしめてきた過去が耐えられなくなったのか。たすけれた幸江はイサオと暮らすことになるのである。イサオが働かなくて遊んでいても、金をギャンブルにそそぎこんでも幸江がイサオを見捨てないのは、自己承認を与えてくれた存在だからだろう。

 自己否定から自己承認の物語では、『イグアナの娘』も思いうかんだね。母から娘の顔がイグアナに見えてしまい、自己否定や自己蔑視をくりかえし娘にたたきこまれる物語で、そのために娘は自己を肯定することも承認できない少女になってゆく。でも少女は自己肯定を勝ちとってゆき、さいごには母自身がイグアナの顔に見えてしまうという物語だった。

B00005MIHBイグアナの娘 The Daugther of IGUANA DVD-BOX
萩尾望都
パイオニアLDC 2001-09-07

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 松本一起の『恋愛セラピー』という本の中にこういう一節がある。

「恋人が出来なかったあなたは、今まで自分を大切にしてこなかったのです。…あなた自身があなたを粗末にしていた結果なのです。

…今日からは、あなた自身を適度に過大評価して、上へ上へと舞い上がりましょう。…大切なことは、あなたがあなたを大切にすることなんです。…あなたがあなたに自信を与えてくれるのです。あなた自身が自信をもつことなのです」



484540897X恋愛セラピー [セラピーシリーズ] (LONGSELLER MOOK FOR PLEASURE R)
松本 一起
ロングセラーズ 2012-02-12

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 自己承認をもちえない者には恋愛はできないといわれている。ふつうは他者に認められることで自信を得たり、自己肯定を得るものだと思うものだが、ぎゃくなのであって、自己肯定を得られないものには他者からの承認である恋人もできないというのである。

 われわれはだれかから評価されたり、認められると自信や自己肯定が身につくと思っているのだが、自己蔑視をおこなう者に他者からの評価や肯定は得られない。自己蔑視をおこなうからこそ、他者の評価は得られないのである。まずは自己の肯定を得ないとのぞんでいるものも得られないのである。

 しかし少女マンガを論じた藤本由香里は『私の居場所はどこにあるの?』のなかでこういっている。

「これが、昔から繰り返し繰り返し語られてきている物語、最も強く人を魅きつけてきた物語であることに同意するはずだ。自分の存在に関してどうしても否定的な感情をもたないではいられない主人公が、他者による再評価を受けて、自分の居場所を回復する物語――。ありのままの自分を受けいれてもらう物語――」



「これまで三十年間、浴びるように少女マンガを読み続けてきてつくづく思うことは、少女たちがいかに切実に「他者による自己肯定」を求めてやまないかということだ。「誰か私を愛してちょうだい。私が生きていてもいいのだと言ってちょうだい」と少女たちは叫び続けている」



4022615389私の居場所はどこにあるの? 少女マンガが映す心のかたち (朝日文庫)
藤本 由香里
朝日新聞出版 2008-06-06

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 少女たちは自己否定による他者からの自己肯定をたえず求めつづけているというのである。異性による承認がなければわたしの価値はない、無であるというのである。

 だけれども先ほどの引用でいわれているように自分自身で自信をもつこと、自己肯定を得ることによってしか他者からの自己肯定、評価は得られないのではなかったのか。自己蔑視をおこなう者はなにも手に入れることはできないのではなかったのか。

 自己蔑視をおこなう者はそれに対応したできごとや関係しかもたらしてくれないのではないか。低く見積もった自己は低い希望や低い満足しかもたらさない。自己を蔑視したものは蔑視された世界やものしか受けとることができない。自分はそのようなものしか値しないと思っているからだ。

 得る者はそれにふさわしい、それを得ることがわたしの価値だと思っている者にもたらされるのではないのか。高級なものはわたしにはふさわしくないと思っている者に棚からぼた餅のようにそれは降ってくるだろうか。甘いアメはとつぜん降ってくるのか。

 自己否定や自己蔑視は他者や恋人が排斥して、溶かしくれるのではない。みずからが排斥して、自己肯定や自尊心をもちこまなければならないものではないのか。

 だれかが評価してくれたり、有名になったり、人から認められれば、自己肯定や自尊心を得られるものか。そういう自己肯定は他者の評価にすがり、他者の評価を絶対視し、他者の評価に泣き言をいう自己をつくるだけではないのか。

 自己肯定や自尊心はみずからつくるもの、もちあげるものではないのか。自己否定や自己蔑視は他者からぬきとってもらったり、他者が評価してくれることによってなくなるものだろうか。他者に頼れば、気まぐれな他者にふりまわされるだけではないのか。いちばん守られなければならないのは、自分自身の評価、肯定なのだろう。

 自己否定や自己蔑視は放っておいても他人からいくらでも与えられるのだから、せめて自己に対しては自己肯定や自己弁護が必要だろうね。自分に対して悪くいったり、おとしめたりする否定の言葉は自分の中に入れるべきではないだろうね。自分への応援者や弁護者でないと、この世界に味方をしてくれ、世界の褒美を与えてくれる者はだれもいなくなってしまうのだろうね。


▼書いているとき、シュワルツの『大きく考えることの魔術』が思い浮かんだね。劣等感についてはミンチントンだね。
4788907186大きく考えることの魔術―あなたには無限の可能性がある
ダビッド・J. シュワルツ David J. Schwartz
実務教育出版 2004-09

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4569666035人生がうまくいく、とっておきの考え方―自分を信じるだけで、いいことがどんどん起こる! (PHP文庫)
ジェリー ミンチントン Jerry Minchinton
PHP研究所 2006-03

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02 01
2013

映画評

さいきん見た映画の備忘録 「ライフ・オブ・パイ」「ルーパー」「クラウド・アトラス」等

 さいきん見た映画を備忘録のために残しておきます。

B00B59RDH8ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日 映画パンフレット 監督:アン・リー 原作:ヤン・マーテル出演スラージ・シャルマ、イルファン・カーン、ジェラール・ドパルデュー
東宝

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襲われるトラと漂流した話というだけで楽しめますね。内容はひじょうに宗教的な部分もふくまれていて、ほかの生き物の命を奪って食べるという贖罪がテーマになっているのかもしれませんね。トラの名前は「チャーリー・パーカー」ですが、これはじっさいにあった漂流事故の食肉事件の被害者の名前だとか。



B005LAII8KLooper/ルーパー[英字幕のみ]


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ラストにすべての謎は解けたという状態になりますが、わたしには解けない疑問が残ったなあ。これは未来を守るより、過去をやりなおすという選択をおこなったことになりますかね。しかしオイディプスの物語が含まれているとはね。



B009Z9WOXIクラウド アトラス(トム・ハンクス、ハル・ベリー出演) [DVD]


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「マトリックス」の監督の新作ですね。輪廻の物語であり、いくつもの同時並行する物語のつながりがあるのかないのか、一回ではつかめなかったな。輪廻の因果はつながっているのか。



B002ZTEMKS見わたすかぎり人生 [DVD]
パオロ・ヴィルツィ
オンリー・ハーツ 2010-02-26

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これは意外に秀作のイタリア映画。就職難の哲学科卒業生と自己啓発的企業の物語。歌って踊る企業のうさんくささ、ウソをいって売ったり、成績が悪いとすぐにクビになる営業のつらさがにじみ出てきます。Gyao!で見ました。



B005KOK5XIダブルフェイス 秘めた女 [DVD]
マリナ・ドゥ・ヴァン
パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン 2011-11-25

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ソフィ・マルソーめあてで見ましたが、とちゅうからソフィー・マルソーがすり替わって自我像が混線するあたり、なにがなんだかわからない迷宮世界でしたね。ワケがわかると鮮やかな世界でしたね。Gyao!で見ました。



B00A9OS96ETIME/タイム [DVD]
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン 2013-02-06

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通貨の代わりに人生の時間が売り買いされるという設定はそれだけで秀逸で強烈な皮肉ですね。内容はいまいちぱっとしなかったかもしれませんが、この設定だけはスゴイ。



B0083RQHOA猿の惑星:創世記(ジェネシス) [DVD]
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン (FOXDP) 2012-07-18

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人生の初期に「猿の惑星」に強烈なくさびを打ち込まれたわたしとしては見ないわけにはいきません。だいぶ前に見たので忘れたw



B009NPC70Oプロメテウス [DVD]
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン 2013-01-09

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「エイリアン」の原点だということですが、だいぶ前に見たのでこれも忘れたw



B00005MINZ時計じかけのオレンジ [DVD]
スタンリー・キューブリック
ワーナー・ホーム・ビデオ 2001-08-23

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名作としてタイトルはずっと知っていたのですが、はじめて見て凶悪な犯罪場面には不快感でいっぱいになりましたね。



B0078YI11Qステキな金縛り スタンダード・エディション [DVD]
東宝 2012-05-25

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落ち武者の幽霊が裁判に出たら楽しいだろうなという発想だけの映画でしょうね。まあ、そのプロセスを楽しめたらいいのでしょうね。



B008RW9Z2Wミッドナイト・イン・パリ [DVD]
角川書店 2012-11-16

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ウディ・アレンのパリの20年代にタイムスリップできたらという憧憬からできた映画でしょうね。ヘミングウェイ、フィッツジェラルド、ガートルード・スタインなどが出てきます。でもいつの時代も過去の栄光の時代は郷愁されるものだという説教もありますね。

10 07
2012

映画評

成熟は世間のいいなりになることか―『映画は父を殺すためにある』 島田 裕巳

4480429409映画は父を殺すためにある: 通過儀礼という見方 (ちくま文庫)
島田 裕巳
筑摩書房 2012-05-09

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 映画を通過儀礼として読むという本だが、鋭い分析を見せてくれる本ではなかったな。あの映画のこういう場面はこう読むという解釈をのべてくれる点ではおもしろいのだが、「おお!」という感嘆するレベルにはとどかなかったな。もっともいっているわたしがそれより鋭い見方を提示できるわけではないのだけどw

 いちばん興味深い章はⅣの「アメリカ映画は父殺しを描く」と、Ⅶの「寅さんが教えてくれる日本的通過儀礼」あたりかな。それまでの『ローマの休日』、『スタンド・バイ・ミー』、『魔女の宅急便』の解釈はずいぶんあたりさわりがないような。

 父殺しというのは父のいいなりになって死す(自立できない)か、父をのりこえるかという選択を青春期に迫られることになる。ケビン・コスナーの『フィールド・オブ・ドリームス』で描かれるのは、メジャーリーグの夢が破れたさえない父への反抗と侮蔑だけだったが、父のいきいきした若いころに接して、和解をもたらすという話である。

 父はすでに敗残者のような姿を見せていたのだが、その時点で父殺しはなされていたので、「和解」が必要だったのである。

 60年代、若者たちは既存の価値観に反抗をつきつけたが、これも集団的な「父殺し」だったという解釈も可能である。『スター・ウォーズ』でもダース・ベイダーという父とルークにそういう「和解」が描かれているのではないかということである。

 『愛と青春の旅立ち』の解釈は興味深かった。父のいいなりになって自分の希望を押し通すことのできなかった友人は死んでしまう。ロビン・ウィリアムスの『いまを生きる』にも自分の希望より父の要望を押し通して死んでしまう友人が描かれる。試練を避ければ死んでしまうのである。

 『愛と青春の旅立ち』のザック(リチャード・ギア)は下仕官どまりで女性の心をふみにじった父と同じ人間にならないように父をのりこえなければならない。それで退学をせまられたとき、しごきに耐えていた彼が「いやだ。やめない。ぼくには行くところがない」と子どものように泣くのである。卒業した彼は上官の上の立場になり、かれは通過儀礼をはたすのである。わたしはこの映画はなにを描いているのかもやもやしていたので、よく解釈がわかった。

 父殺しというのは自立のことである。自分の意志や親の加護からの独立である。それが精神的な面では父殺しとして表象される、あるいは表現される。

 対して日本の父殺しは寅さんや漱石の作品にあらわれるように衝突が避けられる。

 寅さんは失恋などの問題にぶつかったとき、その場所から逃げてしまうため、試練としてうけとめ、克服してゆく努力をしない。

 漱石の主人公たちも大学を出ても働かないわがままな者たちが多く描かれる。

「寅さんは、「どうせ俺はこの家じゃ勘定に入れてもらえねぇ人間だからな」というが、漱石作品の主人公たちは、誰もが自らをそういった境遇に追い込んでしまっているように見える。彼らは、地道に働いて家庭を築き、社会に受けいれられて当たり前に暮らすことにどこか白々しさを感じ、わざと「勘定に入れてもらえねぇ人間」になろうとしているのだ」



 漱石の主人公や寅さんは、じつは日本人の男性のひとつの典型を示していると島田裕己はいう。

 わたしとしては日本の人たちは世間の求める人生コースやサラリーマンコースを躊躇なく選んでいるように見えるのだが、日本で愛されるのはそういう選択から逃れた寅さんや漱石の主人公たちである。できないことの願望なのだろうか。

 こう見るとアメリカのように父殺しをはたして自立する若者はいっけん自立しているようにみえるが、既成の社会に居場所をみいだすという点で、「父なる」社会に適合してゆくということではないだろうか。日本ではいっけん成熟や成長もはたさない若者たちが物語上で愛されるが、社会という父のいいなりになることを拒むことであるともいえるかもしれない。どちらのほうがほんとうに成熟したといえるのでしょうね。

 ヤンキーなんかは学校には反抗するが、社会や家庭の保守的な価値観にはすんなり順応する。自立って親からの独立ではたせるのか、それとも社会や世間の価値観からも独立することではたされるのか。寅さんや漱石主人公は成熟できていないのか、それとも世間からの独立をめざしているのだろうか。社会で成熟しないものは、社会「から」の成熟をつぎにのぞんでいるのかもしれませんね。














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03 04
2012

映画評

「人がだれも信じられなくなった」時代のバトル・ゲーム的物語群について

 『LIAR GAME』(2010)とか『インシテミル』(2010)のようなゲーム的な映画が多くなったと思わないだろうか。

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 『LIAR GAME』では巨額の報酬をめぐっての疑心暗鬼にかかるゲームの中で、だれを信じられるかといったゲームがずっとくりひろげられる。『インシテミル』もだれを信じていいかわからない中で殺し合いがひっそりとおこなわれてゆく物語である。いずれも頭脳戦・心理戦といったものが特徴である。

 どうしてこういうゲーム的な物語がつくられるのだろうか。

 『DEATH NOTE』(2006)も殺人をめぐる頭脳戦・心理戦である。宇野常寛はこれらの想像力を「バトル・ロワイアル型」や「サヴァイヴ系」と命名している。こういった物語群を一群のまとまりとしてみたら、そういう物語群がたくさんつくられていることがわかる。

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 映画『バトル・ロワイアル』は2000年に映画でつくられた。とうじは少年の凶悪事件が世情をさわがせていたことがあって、その流れから生み出されたと思われる。だけど、だれも信じられない中で殺し合いのゲームがおこなわれてゆくモチーフは先の物語群にうけつがれてゆく。

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「信認」といったものがこれらの物語の中核のテーマを担っているようだ。

 映画『あずみ』(2003)も仲間同士で殺し合って生き残ることが物語として埋め込まれている。殺し合って、勝ち抜いてゆくことがこれらの物語にじつに多い。

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 こういうバトル・ゲーム的な物語といえば、『カイジ』(2009)だろう。借金を背負ったことにより命の保証もないギャンブルをくりひろげてゆく。下流や非正規に落ちた心情の一発逆転物語のように思える。

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 これらの物語群を時代に即して考えてみると、もう社会のだれも信じられなくなった、頭脳や心理戦で闘って生き抜いてゆくといった信条が浮かび上がる。

 世の中の状況をながめてみると若者は社会に出ると非正規や長時間労働で搾取か酷使されるかの選択しかないし、社会から拒まれてニートやひきこもりになってこじらせるとさらに生きにくい。

 大人や高齢世代の下敷きや人柱のように搾取されている気分になるだろうし、年金ももらえる額が払った額が少なくなると計算されているし、破綻してしまうかもしれない。

 よい子として勉強していい大学に入れば、生涯安泰といった夢や計画を裏切られたかっこうになっている。「だれも信じられない、裏切られた」という気分でいっぱいなのだろう。

 物語のゲームでだまされ、だれを信じていいかわからないといった思いは若者の心象風景そのものだろうし、殺されるかもしれない、殺し合いだという物語は若者のそこまで追いつめられた心象風景が垣間見えるようだ。

 「もうだれも信じられない」、「やられる前にやりかえせ」といった心のうめき声が物語にわきあがっているかのようだ。物語は時代の絶望を写しとっている。

 これは若者の気分だけの問題ではなくて、恩恵をうけれなかった人たち、こぼれてしまった人たちは中高世代にもとうぜんたくさんいる。「裏切られた、だれも信じられない」といった絶望は、若者だけのものではない。

 内戦状態といわれるみずから命を絶ってしまうたくさんの人たちのなかにも「人を信じられない」「裏切られた」といった気持ちでこの世を去ってゆく人もたくさんいるのだろう。「やられるか、やるか」の殺し合いの物語はなにも虚構だけの話ではないのだろう。

 「バトル・ゲーム」「サヴァイヴ系」の物語にはそこまでの人々の絶望が刻印されていると考えるべきだろう。

 この「人が信じられない」といった絶望は社会にどのような亀裂を生んでゆくのだろうか。

 仕事につければ社会保障はしっかりと与えられる社会であったが、職からこぼれると金や地域の縁からも切られた「無縁社会」「人情砂漠」の地域社会がひろがっており、非正規になれば企業や国家から保障されていた社会保障からも縁を切られる。

 職が見つからないと企業からも国家からも見捨てられ、人のつながりや金の縁も切り捨てられる。「だれも信じられない」「「裏切られた」といった世界はこのような隙間にひろがっているのではないだろうか。

 もう「やられる前にやってしまえ」と物語では殺人がおこなわれるレベルにメンタル象徴的な世界につきすすんでいるのではないだろうか。それが逆向きに向かえば自死にいたるのではないのか。

 身ぐるみはがされるような強欲な金融の世界を描いた物語も増えていた。『ナニワ金融道』(テレビドラマ1996)や『ミナミの帝王』(1992)といった物語はえげつない金融の世界をえがいて、人々にだまされないための人の疑い方や非信認のありかたを教えた。「もうだれも信じられない」。

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ジーダス 2009-02-27

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『クロサギ』(2006)といった物語や、『銭ゲバ』(2009)といった物語もドラマ化されている。もう「だましたれや」や「追い込んでやる」といった世界なのである。「オレオレ詐欺」というのは人を信じられなくなった、裏切られたという思いの噴出ではないのか。

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 人が信じられなくなったという心情のあとに生まれてくる社会のありようとはどのようなものだろうか。私たちは企業や国家を信じていた、信じられていた時代の臨終に向かいつつあるのではないか。それが外の人に向かっても、内の自分に向かってもたいそう悲惨な結果が待っていることだろう。

 社会の紐帯をむすんでいた信頼という絆がほどけてゆこうとしているこの社会はどこに向かってしまうのか危機感を強くしたほうがいいのだろう。バトル・ゲーム的な想像力の連鎖創出はそういう危機を抱かせるのである。

 「もう、だれも信じられない世の中」。

10 15
2010

映画評

『マトリックス』と知覚世界の幻影

 前回『エルム街の悪夢』と現実について書いたので、『マトリックス』の世界観についてものべておこう。

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 『マトリックス』では人は培養管の中に生き、コンピューターの仮想現実をリアルな世界として生きている。これは仏教や神秘思想でいわれたきた世界観と重なり、現実の世界は幻想にすぎないという世界観をSF映画にみごとにうつしかえた作品だといえるだろう。

 われわれは自分たちが生きているこの世界を幻想や幻と思うことは不可能である。こんなにリアルで生々しく、現実感にあふれており、これ以外に世界はないと考えるのはあたりまえである。

 では仏教僧はどうしてこの世を幻だというのか。

 『エルム街の悪夢』では意識や自我の幻想性をえぐり出していた。概念やイメージにすぎないものを現実に存在するもの、実体あるものという勘違いに人は惑わされている。これは人が社会生活を送るうえで記憶や概念、計画する自己呈示が重要になったからだろう。頭の概念、イメージが重要になってこれが存在しない頭の仮構であることにすっかり気づけなくなるのである。

 知覚・視覚世界は幻想なのか。この問いの答えは出せないが、生物の環境世界という考えにヒントがあると思っている。生物は環境で生きるために外界の現象を察知するための触覚や視覚などの外部センサーを生み出したが、この外界の知覚はあくまでも脳内でつくられる脳内映像や地図にすぎないと考えることができる。

 自我の過ちと同じようにイメージにすぎないものを現実と思っているのである。知覚センターの脳内ビジュアルである。それは「物自体」ではない。センサー装置に映る映像はわれわれはリアルな世界だと勘違いしているのではないだろうか。

 たとえばコウモリは超音波の反響によって環境の外形を知る。人間の視覚だって光の反射をとりいれて像を結んでいるにすぎないのではないか。視覚とは光の反射の脳内イメージでできた地図である。翻訳されたものである。耳は空間をつたわる振動やゆれを「音」という察知される知覚に変換されたものではないのか。振動の増幅装置が耳という器官だ。爬虫類や魚は振動をちょくせつからだに感じることができるからさほど耳を必要としない。

 視覚であれ、聴覚であれ、変換され、翻訳されたセンサー装置の映像を「現実」だと思い込んでいるのではないだろうか。それはあくまでも機器の映像であって、現実でも「それ」自体でもない。

 写真やテレビのモニターの自然の風景を見て、それが現実の自然風景だと思うことはない。しかし人は知覚においてこの過ちを犯しつづけているのではないか。知覚されるものとは脳内で変換された図像にすぎない。

 では人はこの知覚世界の囚われた世界から離れられるか。わたしたちが知覚器官でしか世界を知りえない生物だとするのならこの世界のほかを知ることはできない。もっともセンサー機器の発達で紫外線や赤外線で見た像を見ることはできるだろうが。

 仏教や神秘思想では肉体や意識を離れた存在であることを追及する知識もあるが、今日の科学観ではもちろん受け入れがたい知識である。臨死体験や幽体離脱でおこるような肉体知覚と異なった知覚をわれわれはもつことはできるのだろうか。それを設定しないことには意識や肉体からの脱同一化は図れないのであるが。

 たとえばわれわれは眠っているとき、意識や肉体感覚はどこにいっているのだろう。意識や肉体感覚がないとき、この世界は消滅しているのだろうか。もちろん他者の観察によってこの世界は滅んでいないし、自分も眠りから覚めることによってこの世界が存続することは常識になっている。眠りは死とひじょうに近い。わたしたちは眠っているとき、死んだ状態と同じになっているが、違いは目をふたたび覚ますことだ。

 神秘思想では境界のない世界、わたしと対象、あるいは内部と外部のないひとつながりの世界を体験することが悟りあるいは変性意識状態だといってきた。肉体と外界を区切ることによって世界を分断しているが、この世界は区切りのないひとつながりの世界だという。

 これ以上は迷宮になってしまうのでこのへんでやめておこう。ただ視覚・知覚世界は脳内の映像にすぎない幻であるという気づきは銘記しておきたいことにする。外に出れば、自分の肉体の外部に世界が広がっているという常識感覚、リアルな感覚はくつがえすほどもできないほどあたりまえの感覚になっている。せめてこの知覚世界を幻影だと思う知識は忘れないでおきたいと思う。


関連文献
生物から見た世界 (岩波文庫)動物と人間の世界認識―イリュージョンなしに世界は見えない (ちくま学芸文庫)瞑想の心理学―大乗起信論の理論と実践唯識のすすめ―仏教の深層心理学入門 (NHKライブラリー)無境界―自己成長のセラピー論

大乗起信論 (岩波文庫)

10 13
2010

映画評

『エルム街の悪夢』と現実

 眠ると夢の中で殺人鬼に殺されるという『エルム街の悪魔』というホラー映画があった。現実の中では殺されないで夢の中に入ると現実に殺されるのである。夢は現実に存在しないものを夢見るものだから、夢の中で殺されるわけがない。この映画ではどうして夢で殺されたのだろう。

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 夢の不思議や眠ることの不安を殺人鬼の恐怖と結びつけた映画だが、わたしはこれを「現実」のあり方の比喩だと捉えたい。

 夢は現実に存在しないものだが、人はその存在しない夢を現実だと思い、その現実に殺されるのではないかという比喩をたくみに語ったという解釈を提供したい。

 わたしたちが「現実」と思っているものは夢なのだ。

 どういうことかというと、わたしたちが頭で思い浮かぶ現実というのは想像やイメージであったり、言葉の構築や思考の編み物であったりする。これをじっさいにある、目の前に起こっていることだとわたしたちは思うのだけど、それは頭のイメージと同じである。現実というのは言葉や想像でイメージされた仮構にしかすぎない。

 時間で区切ればわかりやすいだろう。時間というのは現実に存在するのはいまだけである。過去はもう存在しない。未来もまだ存在しない。いましか現実に存在しないのだが、そのいますら一瞬に過去にすべり落ちている。はたしてわれわれは次々と時間が去る中でいまという現実にふれることはできるのだろうか。わたしたちがふれることができるものはほとんど「夢」なのだ。

 人は「地図」にすぎないものをじっさいの「大地」と勘違いするといったのはケン・ウィルバーだ。頭で思い浮かべるのは「地図」にすぎないのに人はそれを「大地」と勘違いする。そしてその「地図」のリアリティーは半端ではないのである。

 わたしたちが悩んだり、苦しんだり、悲しんだりすることはほぼ過去のイメージや思考の構築物である。未来の不安や恐れである。そして時間が現在しか存在できないなら、それらはすべて現実に存在しないもの――すでにないもの、あるいはいまだにないものである。わたしたちは夢の中で悩んだり、苦しんだりするのである。

 まさに「夢に殺されている」のである。

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 わたしたちはなぜ「夢」の比重がこんなに大きくなり、「夢」から覚めなくなったのか。言葉の想像やイメージにすぎないものを現実と思ったり、あるいは考えるわたしこそが「わたし」であるという強い思い込みによるところもあるのだろう。思考や想像こそが社会生活を送る上で必要な資質であり、頭の使い方である。これを「夢」であると思い込むのはむづかしいだろう。しだいに「地図」を「大地」と思うようになるのだ。

 「夢」を去らせるのはかんたんではない。それは社会生活の核であり、わたしの意識をつちかう支えとなるものだからだ。わたしたちが夢で殺されないためにはひたすら思考をなくしたり、頭を空っぽにする瞑想の中でしか気づけない、得られないものであるかもしれない。

 夢はいまも思考や言葉、イメージによってタコの墨のように煙幕を張りつづける。夢はどんどんいまもつくられている。思考も言葉もイメージもない、澄んだ、空っぽの意識の中にしか夢からの覚醒はないのだろう。フレディはいま目の前にいま生成されているのである。



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02 17
2010

映画評

映画『スラムドッグ$ミリオネア』と「悲惨鑑賞」の消費



 おそまきながら映画『スラムドッグ$ミリオネア』をみた。いまさらながらであるが、感想を書いて思ったことをまとめないではいられない。アカデミー賞8部門など数々の賞を総ナメにした社会派の感動傑作である。




スラムドッグ$ミリオネア (字幕版)
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ぼくと1ルピーの神様 こちらは原作です。


 インド、ムンバイのスラム街で育ち、イスラム教迫害で母を殺され、孤児になったジャマールと兄サリム、そしてその逃走中に知り合った少女ラティカが軸になって、インドのスラムやストリート・チルドレンの生き方が描かれてゆく。

 ストリート・チルドレンのジャマールの生き様は衝撃的であり、また生命力にあふれ、感動的である。いい映画だし、感動傑作だし、愛すべき映画だと思う。ただ、インド版『クイズ$ミリオネア』で賞金を得ることがサクセス・ストーリーなのかという疑問がはじめからずっとつきまとっていたし、クイズ番組で賞金を得ることはあぶく銭でどうせ一銭も身につかないと思っているから、なにか商売やビジネスで成功するという話であったら説得力があったと思う。それにしても、みのもんたの番組とまったく同じで、イギリスからの輸入物とは知らなかった。

 クイズ問題からジャマールの少年時代のエピソードがよみがえり、その経験から答えを知るという構成になっているが、答えがすべて少年時代のエピソードにつながっているというのはあまりにもご都合主義だと思うかもしれないが、その悲惨で凄惨な経験はすべて価値のあるものだったという賛美がおくられた寓話なのだと考えることができるだろう。スラム街やストリート・チルドレンで生きた凄惨な経験も価値があり、意味があったのだという賞賛だ。それがカネに換算されるといえば、あまりにも身もふたもないが。

 これは純愛物語であって、スラム街のドキュメンタリーのみではないところが物語のエンターテイメント性を損なっていないのだと思う。ジャマールはラティカへの想いを、たとえ物乞い育成集団にとらえられていようと、兄のサリムやギャング集団のボスの愛人にとらえられていようと、失うことがない。この純愛は兄サリムがスラム街の凄惨な生活からギャング集団に仲間入りした生き方の対比として、イノセンス(純真さ、正直さ)を失わずにいてほしいという願いのメッセージなのだろうか。どんなに悲惨な生活でも屈折しないで生きてほしいという想いがこの映画の純愛を支えているのだろうか。

 孤児になったジャマールらはゴミ山で暮らしていたが、子どもたちをおおぜい集め、無料で食べ物をほどこしてくれる「聖人君子」のような集団にひきとられる。しかしそこは子どもの目をつぶしたりして「哀れな子供」をつくりだし、物乞いで稼がせる集団であった。インドでは物乞いがおおいと聞くが、子どもの悲惨さを身体上にわざとつくりだし、物乞いの演出を高めるビジネス集団がほんとうにあるのだろうか。

 この集団の恐ろしさに視聴者は身をひくわけだが、じつはこの映画を鑑賞し、評価するわれわれの姿もかれらと同じではないかという厳しい見方もできる。スラム街で生き、ストリート・チルドレンとして生きなければならない少年の物語を、われわれは生きるために働かないですむ時間を確保しながら娯楽として、かれらの悲惨で凄惨な物語を消費している。物語は哀れで、悲惨であればあるほど、観客は深い感動をおぼえ、満足し、感傷にひたる。悲惨を「見せもの」として楽しみ、評価するわれわれと、また映画をつくる人たちも悲惨さの過剰をもっと欲す。じつのところ子どもの目をつぶした集団はわれわれが欲するニーズをとらえたことでの行為といえるのである。

 ジャマール少年らは観光ガイドで食べていけることを知り、スラム街の現実を見たいという西欧人をガイドするが、その間にクルマのタイヤやパーツをスラムの少年たちに盗みとられ、疑われたジャマールは警察に袋だだきにされる。「これがインドの現実です」。西欧人は豊かで金持ちの生活からかれらの悲惨な生活を高みから見物しようとし、悦に入る。豊かさで先進的な日本人も西欧人と同じである。生活を確保した人間が哀れさや悲惨さをみようと、スラム街を他人事の視点から見下ろす。このような映画はその視点からの危険があるのである。もしこの「悲惨鑑賞ビジネス」が儲かるからといっておおくの西欧人が群がれば、身体に欠損をつくりだす集団はもっと増殖するだろう。

 人は自分たちの悲惨さや悲しみが「見せもの」になんかされたくないだろう。スラム街で生きる人たちも同じ人間ならそう思うだろう。自分が悲しい、恥ずかしいと思っていることを、だれが「見せもの」にされたいと思うだろうか。ショービジネスや報道というのは悲惨な人を映し出すとき、かならずそういう倫理が問題になる。阪神大震災では報道者はカメラを向けるのをためらったという。家族が死んだり、家がつぶれた人たちにカメラを向けることは、かれらの悲しみを公共にさらけ出す二重の責め苦のようなところがある。かつて明治や大正のころ、日本でも貧民窟、スラム街探訪といったジャーナリズムがにぎわしたことがある。「われわれとかれら」は違うという意識が厳然としてあったのである。映画のヒットにより旅行企画としてとうぜんインド・スラム探訪といった企画が組まれることだろう。メディアの悲惨鑑賞はいかに危ういかということである。

 悲惨さは「売れる」のである。スラム街で生きることは商売になるのである。貧困や悲惨さは「見せもの」として消費されるのである。豊かで先進国の日本人は優越感と安全圏の中から、動物園の哀れな見せ物のようにかれらを見下す。「私はかれらのようでなくてよかった」「自分の生活は不満だらけだがかれらと比べるとめぐまれている」「私よりもっと不幸で悲惨な人間がいるのだ」とわれわれは自分の安全や豊かさに安堵する。そういう装置にかれらは利用されるのである。好奇な目やのぞきのようなまなざしでかれらを射抜き、かれらの貧困や悲惨さを他人事の不幸として消費する。悲惨な境遇の物語は、もしかれらの痛みを配慮する平等な関係ならそうかんたんにはとりあげられないテーマなのである。

 人の痛みや羞恥を暴きだして、われわれは感動やカタルシスを味わったとして満足する。人の痛みがわかるのなら、できれば好奇の目で見たり、つぎつぎとかれらの実情を暴き立てるなんてことはできないだろう。ただもしそれらの興味をかきたてられるとしたら、鑑賞の満足や消費だけでとどまらせないで、たえず解決や救いをめざしたまなざしや態度で見るのが倫理的態度というものだろう。好奇心や消費満足だけで見るのなら、かれらの状態が改善することも向上することもないだろう。悲惨なものを暴き立ててみるのなら、倫理的態度として改善や解決をめざした態度でそれは見られるべきだ。人の悲惨さをのぞき見るのなら、最低限はそのような態度で挑むべきだと私は思うのである。消費や興味本位で見ることはただかれらを傷つけ、永遠の貧困にとどめるだけだろう。せめてそれくらいの態度で人との痛みにむきあうのが人としてのマナーだろう。娯楽や消費としての態度だけで鑑賞することを恥じるべきだと思うのである。それがかれらの悲惨さをまなざした者としての責任というものである。


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