HOME   >>  読書
11 16
2005

読書

疑問をもつことの大切さ


 yourou11.jpg

 養老孟司が『ハウルの動く城』のCMで、「物語はわからないほうがいい。疑問を起こさせるのが大事。おまえで考えろ」というようなことをいっていた。まったく同感である。

 疑問をもつことで、人は自分でものを考えようとするし、いろいろな本を読んでみようという気になる。疑問が多くの知識を引きつけるのである。

 対して世の一般の人は、「世の中のたいていのことはもうわかっている。難しい問題でも科学がとうに明かしているはずだ」、もしくは「科学者が明らかにしてくれる」とでも思っているのではないだろうか。こういうふうに考える人はまず自分で考えようとか、自分で問いを明かしてみようという気にはならないだろう。

 世の中の多くの人に共通する問題ならだれかが考えていてくれるかもしれないが、人生でぶつかる数々の問題というのはまったく個人的な事柄が大半である。自分で解かなければどうにもならない問題ばかりなのである。もし自分で問題を考えるという習慣をもたなければ、おそらくその問題の最善策はいつまでたっても得られず、同じ失敗をくりかえすことだろう。

 だからわからないことに対して疑問をもちつづけ、考え抜くという習慣がとても大切になってくるのである。

 本を読むという行為も同じである。疑問があるからこそ本は読まれる。というか、その疑問に吸い寄せられるように知識や本はやってきて、本は読まれるのである。私が本を読んでいるというよりか、「疑問」が本を読んでいるという状態になるのである。

 そうなると不思議なことに難解で読めそうもない堅物な本と思っているものでも、すらすらと手にとるようにわかるようになるものである。疑問の力が難解な本を読ませるようになるのだといっていいだろう。

 おそらく本を読まない人は「世の中はわかりきっている」とだとか、「学者がなんでも知っているだろうから私は考える必要がない」と思い込んでしまっているのだろう。学者や教師が世の中の知識を完成させてしまっているのだと思っているのである。

 とんでもない。世の中はわからないことだらけである。そして学者は穴だらけである。知らないことだらけである。間違いばっかである。学者も同じひとりの人間として、わからないことだらけの世の中にかろうじて対峙しているにすぎない。だいたい自分がぶつかった問題の壁は自分ひとりのみが解かなければならない問題なのである。だれかが自動機械のようにぽんと答えを出してくれる装置などないのである。

 疑問が人に本を多く読ませたり、ものを自分で考えようとする人間に育てあげるのである。世の中は疑問だらけでわからないことばかりだと不思議に思った者だけが、自分でものを考えたり、本を読む習慣を身につけるのである。どこかで頭のいい人たちが答えを見つけてくれるはずだと思い込んでいるたち人は、おそらく本を読んだり、考えたりすることもないのだと思う。

 世の中に疑問をもつ力のみが、人の読書の習慣や思考力を鍛えるのである。科学や学者がすべてを解き明かしているいるはずだなんて思い込みは、とんでもない「迷信」である。


12 30
2005

読書

2005年ことしの読書テーマ


 恒例になりましたことし一年の読書の総括です。

 ことし考えたことは去年からの読書のつづきで古代史をやっていて、そのなかから歴史とは優越意識を満足させるものではないのか、学問とはその優劣観の証明にすぎないのではないかということを探っていた。つまりは学問や歴史というのは、そのお国の「自尊心」物語なのかを問うたわけである。

 とうしょはビジネスやカルチャーのなかのナショナリズムを抉り出したかったのだけど、それは司馬遼太郎に典型的にあらわれていると思ったのだけど、読書するうちに、柳田国男の民俗学に民衆をひとくくりにするための国家の優越意識の高揚を見い出したり、先進国ヨーロッパの優越意識のなかに自己の優越感と他民族への侮蔑を見つけ出す流れになっていった。

 つまり学問とは自分たちを優越するものだと見なし、他者を侮蔑するための証明装置にすぎないことを発見したわけである。人間の知識の欲望の原点や限界を見た気分である。

 ▼ことしのGREAT BOOKS
 日本古代史と朝鮮歴史とはなにか司馬遼太郎と藤沢周平―「歴史と人間」をどう読むか南島イデオロギーの発生―柳田国男と植民地主義tunazawa1.jpg帝国意識の解剖学表象の植民地帝国―近代フランスと人文諸科学308935951.jpg

 このテーマの興味が終息したあと、新しく出てきた現代作家の小説を読んでみたけど、まったくなんの得るところもなかった。

 ことしは山田昌弘の『希望格差社会』や三浦展の『下流社会』が話題になったりして、アメリカのような格差社会がやってくるのかと人びとを脅えさせたが、私としてはみんなで豊かになるという近代の目標がもう終わってしまったのだから、カネで階層を測るモノサシなんて意味がないと思うのだが、人びとはそれぞれの幸福の基準を見い出していないようである。私はいつまでもカネでしか人を測れない人たちの哀れさを思うだけである。

 またことしは養老孟司の『バカの壁』が400万部を突破して、出す新書がつぎつぎと売れた年であった。なんで養老さんの本がそんなにバカ売れするのか不思議に思いつづけた。この人のエッセイはまあ冴えているし、脳化社会は重要な視点だと思うのだが、一般の人たちはなにを求めているのだろうと思う。人物としては魅力的であるし、知への情熱とか常識を笑い飛ばす姿勢はいいものだと思うし、NHKのTVなどによく出ていたことが一般の人たちの高得点を得たのだろうかと思う。たぶん本を読まない人をバカよばわりしたようなタイトルが功を奏したのだろう。やっぱり恐怖産業がヒットの秘訣。新書のヒーローになった。

 自分の読書に話をもどすと、いまは本田透の『萌える男』を読んでから、また恋愛資本主義とはなにか、恋愛結婚とは終わるのか、というテーマに火がついた。私はこの恋愛ファシズムのような社会に不快感や疑問感をかなりもっていたし、日本の性愛状況というのはどうなっているのかという疑問ももっていたから、今回はそれを結婚という切り口から考えてみようという気になった。

 私も独身でいつのまにか38歳にもなったのだから、なぜ私は結婚したいとは思わないのだろうか、なぜ女性を所有することの抵抗感が強いのか、結婚をどう考えるのかといったことなどを捉えなおす機会にもしたいと思ったのである。結婚の民族学とか人類学でも参考にしたいと思ったのだけど、案外そういう本は少なくて、はやくもテーマが終わってしまう感もなきにしもあらずだ。結婚を経済関係から捉える視点で考えたいと思っている。

 ▼ことしのGREAT BOOKS
tsikuma00111.jpg結婚の条件高学歴ノーリターン The School Record Dose Not Pay

01 03
2006

読書

私のサイトの人気本ランキング


 amazonとアフィリエイト契約していると、売り上げとクリック数をみることができる。ページのアクセス解析と違って、具体的に読者の方々はどの本に関心があるのかがわかってかなり参考になる。

 ちなみに去年十月にはじめてamazonから紹介料一万が銀行にふりこまれた。約一年目にしてようやくだからほぼお年玉程度である。このサイトから買っていただいたみなさまにはほんとうに感謝します。本の書評を書き続ける私に、哀れんで恵んでやったと思っていただければたいへんありがたい。

 さて第4四半期(10月~12月)のクリック数ランキングである。売り上げランキングはあまりにも少ないのでランキングはとれない。ちなみに第4四半期には131点の売り上げがあり、約五千円程度の紹介料である。

 正統の哲学 異端の思想―「人権」「平等」「民主」の禍毒リチャード・カールソンの楽天主義セラピー050[1]11.jpg023938730000[1].jpg

 1位は中川八洋の『正統の哲学異端の思想』(64クリック)である。民主制と平等といわれるものがいかに人の自由を破壊するかを近代思想から解き明かしており、瞠目の書である。

 2位はリチャード・カールソンの『楽天主義セラピー』(55クリック)で、私の人生を変えたといえるほどの本でイチオシである。思考を捨てれば人生こんなにラクになるんだと理論的に教えてくれた本で、しじゅう頭でものを考えて悩んだりしている人にはものすごくオススメである。私を苦しめる感情や思考は「虚構」にしかすぎないと教えてくれた知恵の書である。

 3位はケン・ウィルバーの『無境界』(47クリック)である。われわれが「自分」と思っているものは虚構の「仮面」にしかすぎなく、心や身体に同一化する過ちを説く本で、この意味を理解できる人には偉大な書であると思う。宗教がいっていることはこういうことなのかと理論的に理解できる本である。救いでも依存でも盲従でもない。

 4位は私には意外なことだが、ゴールドバーグの『なぜ彼は本気で恋愛してくれないか』(45クリック)である。もし女性の関心が高いとするのなら男のそのような姿勢を女性は感じているのだろう。みんなが求める男らしさというものが、女性の共感を阻むという本である。

 日本のニート・世界のフリーター―欧米の経験に学ぶパラサイト・ミドルの衝撃サラリーマン― 45歳の憂鬱    NTT出版ライブラリーレゾナント016tukino11.jpg

 5位は白川一郎『日本のニート・世界のフリーター』(38クリック)である。ヨーロッパではすでに30年前から若者は高失業率に悩んできていて、私は彼らがどのように生きてきたのかずっと知りたいと思ってきたのだが、出たのは政策本であったというのはがっくりである。

 6位はウェイン・ダイアーの『どう生きるか、自分の人生』(36クリック)である。「考えと現実は同一ではない」というダイアーの教えは瞠目ものであるのだが、この深い意味に気づく人はどれだけいるのだろうかと思う。私たちはふつう自分の考えのみが唯一の現実だと思い込んでいるのだが、それがたんなるひとつの「考え」にしかすぎないと実感したときの衝撃はわかるかと思う。動かしがたいと思う「現実」の壁の脆さに気づけ。

 7位は三神万里子の『パラサイト・ミドルの衝撃』(35クリック)である。45歳以上が会社を滅ぼすという本で、この関心の高さは世代間対立の進行を思わせるものである。ただ売れたという話は聞かないが。

 8位は内田春菊の『僕は月のように』(31クリック)である。たぶんハダカの表紙に関心が集まったのだろう。内容はただヤリたいだけの高校生と、ジラす女子高生のかけひきがおもしろいマンガである。私は相原コージの腹をかかえて笑った『コージ苑』を思い出した。

 高学歴ノーリターン The School Record Dose Not Pay「負けた」教の信者たち - ニート・ひきこもり社会論萌える男CIMG00021112.jpg

 9位は中野雅至の『高学歴ノーリターン』(30クリック)。やはり高学歴はもうメリットがなくなったのかと興味魅かれる本である。まあ、いまは学校よりメディアや消費のほうが力や魅力をもつ時代になったから、優等生が不遇になるのは十数年前から目に見えていたわけだが。

 同じく同点10位は斉藤環の『負けた教の信者たち』(30クリック)。閉ざされた学校が就職や社会のコミュニケーションの苦手な若者たちをつくりだしたが、この欠点はどうやったら解消できるのだろうと思う。というか、社会がコミュニーケーションをどんどん拒否する方向に進んでいるのに、どうやってコミュニケーションをうまくなれというのだろう。これは個人の問題というより、社会構造の問題だと思うのだが。

 10位は本田透の『萌える男』(29クリック)。恋愛の売春化を批判して、私にはエラく共感するところがあった。恋愛イデオロギーっていやだなあと思う。男の奴隷労働を隠して女はしゃーしゃと消費生活にのさばる。ほんとうに恋愛したいと思うのなら自分の経済力をつけなければならないはずなのに、男の経済力に買われても屈辱も感じない。歪んでいるなあと思う。

 ぐうたら学入門誇大自己症候群整体 楽になる技術
日本の童貞CIMG0001_111112.jpgCIMG0006121.jpg
菜根譚なぜ安アパートに住んでポルシェに乗るのか下流社会 新たな階層集団の出現

 以下はつぎのようにつづきます。

 11位 トマス・ア・ケンピス『キリストにならいて』 28クリック
 12位 名本光男『ぐうたら学入門』 26クリック
 13位 岡田尊司『誇大自己症候群』 25クリック
 14位 片山洋次郎『整体楽になる技術』 25クリック
 15位 渋谷知美『日本の童貞』 24クリック
 16位 櫻木健古『捨てて強くなる』 24クリック
 17位 クリシュナムルティ『自我の終焉』 22クリック
 18位 洪自誠『菜根譚』 21クリック
 19位 辰巳渚『なぜ安アパートに住んでポルシェに乗るのか』 21クリック
 20位 三浦展 『下流社会』 20クリック

 さいごにこのサイトは本の写真をクリックするとamazonにつながるようになっているが、読者の方のなかには私の書評を読みたいという方もいるかもしれない。それができないのが残念である。めんどくさいと思うが、下のほうにあるGoogle検索で探してもらうほかない。さいきんはコワイので性能を試していないが。。


01 09
2006

読書

本を読まないとバカになるか?


 養老孟司の『バカの壁』が400万部も売れたのは、もしかして本を読まない人をバカよばわりする戦略が功を奏したからかもしれない。

 ひところは「本を読まない人が増えて嘆かわしい」という新聞の合唱をよく聞いた。そういう戦略でベストセラーや教養本を読んだ人がたくさんいたのかもしれない。

 知性の欠如をバカにするのは、この知性や脳に価値がおかれた社会にはなかなか深刻に響く。「知性のない人は愚かな人だ」「知性のない人は幸福になれない」といった暗黙の了解がこの世にはある。そしてその恐れから学歴をめざしたり、本が読まれたりする。

 私はこの知性のヒエラルキーや恐怖戦略を信用しない。ランクや恐怖から知性を身につける人はたんにファッションや外見に知性を飾る戦略を生み出すだけだと思うからだ。

 知識というのはマンガにひきつけられたり、映画を見たいと思ったり、情報番組を見たいと思う気持ちと同じでなければならないと思う。見たい、知りたい、聞きたい、という欲求からはじまらなければならないと思う。バカにされたくないと思って本を読む人は、この好奇心がハナから欠如しており、知性を車やファッションのようなグレードで飾ろうとするだけである。

 私は本に価値があると思うから読む。この社会はなぜこうなっているんだろう、人はなぜこんなことをするのか、この世は変えられないのか、といった気持ちから本を読む。

 世の中はわからないことだらけだし、そもそも自分がなぜこういうことをしたのか、あのころはなんであんなふうだったのか、といった自分のことすらわからない。人は自分の行動や欲求の意味や理由すら知らないのである。ましてや自分が暮らす社会がなぜこうなっているのかなんてもっとわからない。本はその意味の手がかりを与えてくれる。

 現代思想家をカッコイイと思ったときがある。人間の知性の限界や深遠に到達していると思ったからだ。しかしいまは自分の身辺とあまりにもかけ離れたことを追究している気がして、ごぶさたになった。まあ、知性にはそういう深遠をのぞく高みがあるということである。

 さっこんは本を読まないからといってバカにされることはほんとなくなった。本の権威もなくなったし、古典本を読んでないからといって恥ずかしいこともなくなった。平和な時代である。よいことである。知性のヒエラルキーやランクという恐怖から強制されて本を読むのは知性のファシズムを生み出すだけである。もうそういう戦略は力をもたない時代になった。

 だからこそ私は自由に好きな本を読める時代になったと思う。他人の強制から本を読むなんて、本の価値を理解することはないだろう。自分の知りたいこと、理解したいことから、本は読むべきであると思う。本というのはそういう読み方をしてはじめて自分に価値のあるものになる。


03 25
2006

読書

大阪古本屋めぐり



阪急かっぱ横丁の古本屋街

 リバタリアンの本はいずれも高い。amazonとジュンク堂で目をつけておいたノージック『アナーキー・国家・ユートピア』、ロスバード『自由の倫理学』、D・フリードマン『自由のためのメカニズム』はほとんど四、五千円台だ。

 私にとって四、五千円台の本は高すぎる。よっぽど買う価値が認められないと買う気にはなれない。いままで高すぎて買えなかったドゥルーズとかブルデューの本も見送ってきた価格だ。二千円台の本が二冊買えるし、新書なら5、6冊は読める。

 さっそく大阪の古本屋めぐりだ。amazonやネットの古本屋で見つけられないわけではないが、私はクレジット・カードをもっていないし、やはり現物を見てさいごまで読めるのかの検討も必要だ。

 私は大阪市の南部に住んでいて、近辺とミナミ、キタのいくつかの古本屋を頭にインプットしている。高い本がほしくなったら、それらの古本屋をひととおりめぐる。まあ、そういう少ない本を探すときはたいてい徒労に終わるが。

 長居の福永壊徳堂?はあるていど専門書や新書はそろっているが、だいたい希望の本は見つからない。喜連瓜破(きれうりわりと読みます)の日の出書房は人文書は多いが、あと一歩のところだ。ブックオフも喜連瓜破にあるが、人文書目当ての私には魂の抜けた品揃えにしか思えない。ブックオフって愛書家の気持ちがまったくない。

 南田辺の古書店も人文書は多いが、いまいち古いのが多いのである。今里の日の出書房まで足をのばした。狭い本棚のなかに目当ての本は見つけられない。上本町に二店ほど古本屋を見つけているが、たまにしか行けない。近大の通りに寄ってみたが、大学のテキストなんかそろっていても意味がない。

 天王寺にはアポロビルと商店街に二店ほどある。期待の本がいつもないので寄るのを控え勝ち。ミナミには千日前や日本橋あたりに何店かあり、球場跡ちかくに数点集まっている。人文社会科学に強い古本屋ってそうないのだな。

 梅田にはかっぱ横丁に古本屋街がそろっている。専門書が充実した店が多いのだが、今回は目当ての本は見つけられず。大阪駅前ビルの地下の古本屋群は私の好みの本は少ないのでざっと寄るだけ。天神橋にも人気のある古本屋があるみたいだが、あまりなじみのあるところではないのである。

 私の大阪の古本屋マップはだいたいこれくらいで、探している本は見つからず、ぶらっと寄るときにはほしい本がみつからないといったことがふつうである。だから品ぞろいの多いジュンク堂か、新書の新刊をそろえた大きな書店ばかりがひいきになる。駅前の本屋に寄ることはまずなくなった。

 今回は目当ての本が見つからないのは予想していたことだ。ノージックの本をいぜんに見かけた記憶が一回あったかないていどだから、期待はさいしょからできなかった。

 いままで自転車や電車で探していた古本屋めぐりはバイクで行くようになって、効率的になったが、道に迷ったり、右折がむずかしいので(笑)、目当ての場所にたどりつくのもむずかしかった。まあ、私の宝探しはたいてい鉱脈にたどりつけない。

 神戸の三宮や京都に寄ったときには古本屋に寄ることもあるが、たぶんに多くの店を見つけられているわけではない。リバタリアンの本は図書館に頼ることにしようかな~。図書館はあまり好きではないけど。線引きはできないし、会員にならないといけないし。

 ▼大阪古本屋マップ
地図を組み込みましたが、正確な場所はかなりいい加減です。だいたいこのあたりにあるかなと? 多くの情報は書き込めませんので、このへんで。

 

06 15
2006

読書

読んだ本が文庫になるのはうれしいことだ。


 読んだことのある単行本が文庫になるのはうれしいことだ。さいきん、新書が文庫になった本も見かけた。

 講談社現代新書から出ていた今村仁司の『現代思想のキイ・ワードが』が文庫になっていた。私にとってドゥルーズやフーコーなどの現代思想の指南書となった新書だが、文庫で再刊されるなんて思いもよらなかった。

 『現代思想のキイ・ワード』
 講談社現代新書
 CIMG0003_111.jpg

 現代思想のキイ・ワード
 ちくま文庫
 44804221291.01._PE00_OU09_SCMZZZZZZZ_V51592031_.jpg


 『「分ける」こと「わかる」こと』坂本賢三という新書も文庫になっていた。「わかる」ということは「分ける」ことだという本書は人間の認識の根本に迫る本で、「分類」とともに重要な問題だと思うが、私はさしたる感興をうけた本ではなかったが。

 『「分ける」こと「わかる」こと』
 講談社現代新書
 『「分ける」こと「わかる」こと』
 講談社学術文庫
 40615976712.01._PE00_OU09_SCMZZZZZZZ_V51239130_.jpg

 新書の名作が文庫になることはこれから増えてゆくのだろうか。新刊がつぎつぎに出版される新書は消えてゆく本も多いのだろう。新書として再出版されるのはインパクトはないが、文庫として出るのならそれなりの評価をうけたということで、再評価の目印になるかもしれない。

 三浦展の『マイホームレス・チャイルド』も文庫になっていた。若者の消費行動を分析していて、とくに私は若者の脱所有の流れに興味をもったのだが、『下流社会』がベストセラーになったのだから、文庫になるのはふつうの流れである。


 『マイホームレス・チャイルド』
 クラブハウス
 020550830000[1].jpg

 『マイホームレス・チャイルド』
 文春文庫
 41676798841.01._PE00_OU09_SCMZZZZZZZ_V53272818_.jpg

 ゾンバルトの『恋愛と贅沢と資本主義』は古本でようやく見つけて読んだ本なので、文庫で見かけたときはうれしかった。資本主義の原動力は女性との恋愛や贅沢であるという本書はむかしからの名著であるから文庫になるのはとうぜんとして、生産のための生産、労働のための労働に堕してしまっている日本国にはとくに必要な本だろう。

 『恋愛と贅沢と資本主義』
 論創社
 503zeitaku11.jpg

 『恋愛と贅沢と資本主義』
 講談社学術文庫
 4061594400.09.MZZZZZZZ.jpg

 『夜這いの民俗学・性愛論』 赤松啓介はたまたま古本で見つけた『夜這いの性愛論』に世界観を転換させられるようなショックをうけたあとに出たので、出版社の慧眼には感服した。

 『夜這いの性愛論』
 明石書店
 CIMG0002118.jpg

 『夜這いの民俗学・性愛論』
 ちくま学芸文庫
 4480088644.09.MZZZZZZZ[1].jpg

 こういうのも文庫で出ていた。経済学者の人生をたどった本である。経済学者の本が文庫になるのは珍しいから、価値があると思う。というか、経済学の本はなぜいままで文庫として世に流通していなかったのだろう。かなり重要な現代の問題だと思うのだが。

 『世俗の思想家たち』
 HBJ出版局
 CIMG00011124.jpg
 『世俗の思想家たち』
 ちくま学芸文庫
 448008665X.09.MZZZZZZZ.jpg

 文庫になる本を先に読んでいたというのは、私も価値ある本を読んでいたんだなという気もちにさせてくれる。書評もUPされていたが、まあ私のHPの影響はまずないだろう。すこしは私のHPの影響もあるといっしゅんは考えたいが。。

 本好きな方は単行本で読んだ本が文庫になるうれしさを経験したことはありませんか。小説が文庫になるのはパターンだが、人文書はそうとはかぎらない。そういう本の楽しみ方もあるかもれませんね。


12 29
2006

読書

2006年のグレート・ブックス8冊



 ことしのグレート・ブックスに選出された本は8冊です。年間100冊以上よむ私がおおいに感銘をうけた本であり、みなさんにぜひおおすめしたい本ですが、なかにはあまりにもマイブームに走り過ぎた本もあり、おおくの人に普遍的興味を駆り立てられる本とは限りませんのであしからず。

 ことしの読書のテーマはブロックの『不道徳教育』を読んでからリバタリアニズム本を読んでみようとなったのですが、日常や社会を経済学する本はあまり心に響かなかったですね。本田健の『ユダヤ人大富豪の教え』に感銘して金持ち本を何冊か読んだりしましたね。

 ことしの最大のマイブームはレイライン(太陽の道)でした。宮元健次の『神社の系譜』には大阪や奈良に結ばれる神社や山岳の太陽の道が紹介されていました。そのレイラインや古代人の世界観や原始信仰をさぐろうとしたのが、ことしの探究の最大の楽しみでした。読書と探究の楽しみはこのような探索にいちばん秘せられていると思います。

 お正月に読書を楽しみたいと思っている方は興味をひかれた本を読んでみてはいかがでしょうか。


logo163.gif

 『新卒ゼロ社会―増殖する「擬態社員」』 岩間夏樹
 角川oneテーマ21 2005/12 686e
 40471002421.09._OU09_PE0_SCMZZZZZZZ_.jpg


 若者は会社のシェルターなんてほしがっていない。強烈に中高年の会社社会を批判しているのだが、いまの社会のムードとして非正社員はかわいそうという風潮になりかかっているから、会社のシェルターは解体されるべきなのか迷ってきた。


 『国保崩壊―ルポルタージュ・見よ!「いのち切り捨て」政策の悲劇を』 矢吹紀人
 あけび書房 2003/5 1700e
 4871540448.09._OU09_PE0_SCMZZZZZZZ_.jpg


 国保料のバカ高さは異常である。払えない人は保険証をとりあげられ、医者にかかれない人も続出である。国民皆保険の制度はすでに壊れているのである。月に何万も払って、何年も医者にかからない健康人のアホらしさ。いったい保険制度ってなんなのだろうと思う。だから国家が国民を丸抱えにする福祉制度って矛盾だらけで嫌いだ。平和憲法の自衛隊みたいなものでウソで固めた制度だ。


 『もうひとつの愛を哲学する―ステイタスの不安』 アラン・ド・ボトン
 集英社 2004 3200e
 40877344041.01._OU09_PE0_SCMZZZZZZZ_.jpg


 いまの世の中は会社で出世したり、金持ちになったり、有名になることを当たり前にめざす社会である。しかしそのステータスはほんとうに私たちを幸福にするのか、もし得られないときの不幸はだれが慰めてくれるのか。私たちはステータスをめざすことより先に、ステータスそのものが問われなければならないのではないか。『もうひとつの愛』とは世間から認められ、愛されることである。私たちはもっと愛されようとして心の傷を偉くなることで打ち消そうとするのである。ステータスをテーマにしたすばらしい本である。


 『「心」はからだの外にある―「エコロジカルな私」の哲学』 河野哲也
 NHKブックス 2006/2 1020e
 41409105341.01._OU09_PE0_SCMZZZZZZZ_.jpg


 感嘆の声をあげて読みたくなった本。こんにち支配的になっている心理主義を徹底的に批判した本だからだ。心理主義とはなんでもかんでも個人の心の問題に帰せられる考え方のことである。おまえの心が悪いのだ、おまえの心が異常だ、心を直せ、うんぬん。心理学がブームになる時代というのはすべて個人が悪者にされる政治イデオロギーの時代である。心理学の罠に陥っている自分たちの時代を見直せといいたい。心理学の悪弊は徹底的に批判しなければならない。


 『不安型ナショナリズムの時代』 高原 基彰
 洋泉社y新書 06/4 780e
 026632340000.jpg


 安定した会社社会終焉の宣告の書。流動性の時代がやってくる。「安定した会社勤め」や「まじめなサラリーマン」といったイメージが「落ちこぼれ」や「失敗例」と見なされる時代がやってこなければならない。さもなければ日本は新しい流動性の時代にとり残されるばかりである。新しい世代のための本である。



 『大和の原像―知られざる古代太陽の道』 小川光三
 大和書房 1973/1 1400e
 CIMG0001_2111.jpg


 大和に残る古代太陽の道を見つけた発見の書である。奈良の三輪山を中心に伊勢斎宮跡や淡路の伊勢の森にいたる一直線上に神社や山岳が連なるのである。いにしえ人は神の山や神社を冬至や夏至、春分・秋分の太陽のラインで結びつけた。稲作に必要な暦を知ったり、または神と出会うためだったのだろうか。古代の人は太陽の昇るところと沈むところに神の国や死の国を思い描いていたのである。太陽は夕に死に朝に甦る。または冬至に死んで新しく甦る。そして古代の天皇は神と交わり、太陽のように神として甦ろうとしたのである。


 『天照大神と前方後円墳の謎』 大和岩雄
 六興出版 1983/6 1200e(絶版)
 CIMG006611.jpg


 レイラインの太陽信仰の内実を知るのにこの本は最適であった。太陽は夕に死に朝に甦り、また冬至に死んで新たに甦る。生命の再生や誕生をつかさどるのは性交や性器である。ゆえに性交は神が甦る神聖な儀式になり、それは神と交わることであり、世界のあちこちに性のシンボルが探し求められることになった。太陽は性交によって生まれ、女陰をかたどる穴から生まれると考えられた。そしてその穴は再生と復活の子宮である。この神聖な場所での性交は神と交わることである。世界中で信仰されていた太陽の神や性と再生の物語がこの本から読めてきそうな気がするのである。


 『労働ダンピング―雇用の多様化の果てに』 中野麻美
 岩波新書 2006/10 780e
 400431038511.01._AA240_SCLZZZZZZZ_V37001644_.jpg


 賃金や労働条件がバナナの叩き売りみたいに投げ売りされて転がり落ちてゆく現在の労働者。非正社員地帯は治外法権のボートピープルみたいなものである。保護された正社員もうかうかしていられない。賃金が半分や三分の一の非正規におきかえられるのも時間の問題かもしれない。かつて労働者は守られていたが、人生の丸売りをもとめられた。いまは守られない、安く叩かれる、細切れ雇用、と労働者はかつてないほど悲惨な状況に投げ込まれようとしている。とうとうこの国の本性がむき出しになったという感だ。日本人はむかしから国家や会社から守られてこなかったのである。とうとうほんとうの対決の時期がきたのかもしれない。


読書の流れを変えた本3冊

 グレート・ブックスに選ばれませんでしたが、この3冊はそれ以降の読書の流れを変えた本です。同じような本を読みたいと思わせる本はそれだけ魅力的なテーマを内包している本であったわけです。願わくば来年もこのような本に何冊も出会いたいですね。読者や探究の楽しみを啓いてくれる本です。

 『不道徳教育』 ウォルター・ブロック
 40621327291.01._OU09_PE0_SCMZZZZZZZ_.jpg

 国家の正義や禁止がその意図とは逆にいかに逆効果をもたらすかの仰天の経済書です。

 『ユダヤ人大富豪の教え』 本田鍵
 44793000821.09._PE00_OU09_SCMZZZZZZZ_V58354725_.jpg

 金持ちとは人に喜びをおおく与えられた人。もらうことばかり考えている人にだれもお金や親切を与えようとしない。ほしければ与えよ。この世の基本ルールなのだろう。

 『神社の系譜』 宮元健次
 43340335121.01._SCMZZZZZZZ_V55390676_.jpg

 レイライン探究に火をつけた本。なぜこの場所に神社や聖地があるのかの疑問に答えてくれる本である。



02 04
2007

読書

本は捨てるべきか


 CIMG000122.jpg こんな状態、いやだ。

 長年の懸案だった本の整理。本棚をあふれ出して、床につみあげてゆくのはほこりがたまりやすく、乱雑で不快だ。ここは一丁、本を捨てようかという気持ちがわいてきた。

 だいたい私はほとんど本を読み返さない。感銘した本でも読み返すことはめったにない。記憶力はよくなく、読んだ本の内容を忘れていることも多いのだが、どうも私に再読の習慣がないようだ。だから私の文章では人の意見の引用や、だれかれはこういうことをいっていたという文章を書くのが苦手である。というよりか、覚えていない(笑)。記憶のひきだしをひっぱり出すのもうまくない。

 本棚にずらりと本をならべるのは、哲学者や学者の書斎のように壁一面に蔵書がならぶ書棚にあこがれたからだ。なにかそれはステータスや自分に図書館がそなわっているようなインテリの気分をかもしだしたものである。といっても私はその蔵書の多くを覚えているわけでもないし、タイミングよく書棚からある本をひっぱり出すというわけでもない。たんなる装飾品か、書棚の肥やしになっているだけである。

 本というのは物であり、コレクションの要素をもつ。だから捨てられずに積み重なってゆくばかりである。本というのはほんらいは情報であり、知識である。つまりは物体の要素をもたないものである。テレビやラジオの電波のように視聴されては消えてゆくものである。少年ジャンプのように読み捨てにするものである。本がコレクションの要素をもつようになったのは、愛蔵版のように装丁がしっかりしているからだろう。いや、折にふれ、参照にしたり、引用したりするために蔵書はなされるはずだが、私の場合はその機能をほとんど活用していない。

 いつか役立つはずだ、いつか必要になったり読み返す必要があるかもしれないという習慣はこの十年の間でほとんど私はおこなっていない。一冊まるまる読み返すなんて皆無だ。読み返す必要に駆られるのは、カールソンとかケンピスなどの心理的な慰めの本だけだろう。

 私の知識欲というのは知らない新しいフロンティアを開拓することに楽しみを見い出す。ひとつのテーマの謎を見つけると、そのジャンルをごっそりと探究することに費やし、通り過ぎてしまえば、そのわだちをふたたびなぞるということはほとんどない。興味をなくしてしまう。読み返すこともない。いったら未知の世界の探索のために本は読まれるのであり、それがすんだらその知識がかえりみられることはほとんどない。

 現代思想に大衆社会論に共同幻想論、隠遁・中国思想、社会生物学にメディア五感論、身体感情論に童話分析、文明優劣論、チャネリングに地理古代史、そしてさいきんのレイライン探索。ひとつのテーマをごっそり探究してしまえば、満足してしまい、つぎなる未知の領域を探して彷徨をはじめる。私の読書のパターンはこういうことをくりかえしてきたのである。だから読み終えてしまった本はほとんど価値がないのである。

 たぶんむかし読んだ本は捨ててしまって大丈夫だろう。残す本と捨てる本の線引きはむずかしいかもしれないが、名だたる古典より、自分の心に感銘をあたえた本を残すべきだろう。この十年はHPにおいてグレート・ブックスという感銘した本の選別をおこなってきたので、そういう本はしっかり残すべきだろう。

 古本屋に売りたいのだが、私は感銘した部分に赤線をひくのを習慣にしている。だから売り物にならない。捨てるしかないのである。

 私の場合は本のどの部分を買っているかというと、初見の部分に金を支払っているのである。蔵書や保管の部分にはあまり用途がないのかもしれない。本というのはほんらいは泡のように消える言葉を文字によって凍結し、モノのように流通させるために必要になった入れ物である。どちらかといえば、いまは保管の要素が強い。泡のように時間の中に消える言葉を、ある人が必要になったときにとり出せるタイムカプセルである。そのタイムカプセルも読み終えた私にはあまり必要のないものらしい。私の場合は読み捨てジャンプでいいのかもしれない。それにしては、本は装丁ががっしりとしすぎていて、私にはその装丁の部分がもったいないのである。

 さあ、この文章を書いて本を捨てる勇気がわいてきただろうか。ふんぎりはつけただろうか。いつか決断して、すっきりした本棚をめざさなければならない。私にとって読み終えた本はその時点でゴミになる、読み捨てるものであるという捉え方が必要なようである。


04 18
2007

読書

世界の名著を片っぱしから読む

meicyo.jpg


 ちくま新書から「名著シリーズ」が出ているのを見て、私も「世界の名著」を紹介したくなった。というよりか、本の画像をならべたくなった。

 もちろん私には世界の名著を選ぶ見識はないので、中公新書から出ている『世界の名著―マキアヴェリからサルトルまで』 河野 健二 を参考にさせていただいた。

 みなさんも名だたる世界の名著を読んでみてはいかがですか。41冊の紹介のうち、私が読んだのは14冊ほどである。名著とよばれものは思った以上に読みやすいものである。岩波文庫なんかでは千円以内で手に入るし、じつは薄い本も多い。あなたも世界の知性に挑戦してみませんか。

新訳 君主論ユートピア方法序説
デカルトの『方法序説』は意外に読みやすい。どうやって真理に到達するかという本である。マキアヴェリもさいきん読んでみたくなってきた。トマス・モアはたしか小説っぽかったと思う。

リヴァイアサン〈1) リヴァイアサン〈1〉明夷待訪録―中国近代思想の萌芽 人間知性論 1 (1)人間知性論 1 (1)
ジョン・ロックの『人間知性論』はヒュームの『人性論』とくらべて読むのがいいかもしれない。

法の精神〈上〉 法の精神〈上〉人間不平等起原論国富論〈1〉
ルソーの『人間不平等起源論』はじつに読みやすい。自然の楽園からの転落が描かれていたと思う。アダム・スミスの『国富論』は私は上巻だけで投げ出した。

純粋理性批判 上   岩波文庫 青 625-3フランス革命についての省察〈上〉 人口論人口論
カントは手を出せない。バークの『フランス革命の省察』は読むべし。革命思想にたいしての保守思想からの反論はなるほど納得するものだ。市場主義回帰は近代の計画主義の失敗を告げるものだ。マルサスの『人口論』はダーウィンの進化論の着想の元になったといわれる。

法の哲学〈1〉産業者の教理問答―他一篇アメリカの民主政治〈上〉
トクヴィルの『アメリカの民主主義』は均質化社会や平等への警鐘を鳴らした警世の書である。読んでないけど。

死にいたる病、現代の批判種の起原〈上〉自由論
ダーウィンの『種の起源』くらいは挑戦したい。私は未読だけど。ミルの『自由論』はすさまじくオススメ。多数者の専制に対する少数者の自由を説いた。

資本論 1 (1)権利のための闘争 世界史の流れ ランケ世界史の流れ―ヨーロッパの近・現代を考える
マルクスの『資本論』は20世紀のバイブルであったが、長大なんだな。

ツァラトゥストラはこう言った 上 岩波文庫 青 639-2人生論自殺論
ニーチェはぜったいにオススメ。『道徳の系譜』とか『善悪の彼岸』の断片集のほうがいいかも。『ツァラトゥストラ』は詩でわかりにくいんだな。デュルケームの『自殺論』も読みやすいし、わかりやすい。強固過ぎる社会もさみしい社会も自殺が増えると分析している。

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 世界の名著レーニン 世界の名著 63 レーニン (63)精神分析学入門〈1〉
フロイトの『精神分析入門』は講義録みたいなもの。精神分析の古典はやはり読んでおいたほうが。

民主主義と教育〈上〉 民主主義と教育〈上〉歴史と階級意識  歴史と階級意識三民主義 上 (1)  三民主義 上 (1)
デューイ、ルカーチ、孫文の本。

存在と時間〈1〉イデオロギーとユートピア 近代国家における自由 近代国家における自由
ハイデガー『存在と時間』は難しいよ。マンハイムもいいかもね。

ロシア革命史〈1〉相対性理論グラムシ・セレクション
アインシュタインに挑戦して理解できるでしょうか。

雇用・利子および貨幣の一般理論世界の大思想毛沢東 (3-14)自由からの逃走 新版
フロムの『自由からの逃走』はすさまじくオススメ。現代社会の病理を鋭く抉り出している。私のバイブルだね。

存在と無 上巻
サルトルはむかしものすごく流行った時期があったみたいでね。


07 29
2007

読書

学問バトン


 私のところにいままでバトンなど一度も回ってきたことがないのですが、バトンを放り投げている人がいましたので、強引にもらっておきます。

このサイトの著者の自己紹介のようなものです。著者がなにを探っているかよくわからないと思っている人は参照してみてください。


◆あなたの専門・専攻・得意教科は?

 社会学が中心、そのつぎに人文科学全般。興味はつぎつぎに変わりますから興味の赴くままに掘ります。現代思想、経済学、心理学、人類学、民俗学、古代史、サブカル、メディア論……なんでかもかんでも。

◆あなたは、どのようなテーマに関心がありますか?

 テーマはそのときの関心によって違います。いまは集団力学や権力闘争といったものに焦点を合わせています。そのまえは古代レイラン探究をしておりました。そのまえはたしか性愛論について考えていたような。めくらっめっぽうにその時の興味のわいたジャンルを掘り進めるのが私の楽しみです。

◆あなたは、なぜその専門・分野を選んだのですか?

 興味がわくから。知りたいから、謎や疑問を解きたいから。たぶんそのときの自分にとって処世するための知識や知恵が必要だからと思います。

◆あなたが最も影響を受けた人と、その理由を挙げてください(複数人可)。

 フリードリッヒ・ニーチェ、アルトゥール・ショーペンハウアー、ヘンリー・ソーロー、エーリッヒ・フロム、オルテガ・イ・ガセット、デヴィッド・リースマン、ジャン・ボードリヤール、ミシェル・フーコー、堺屋太一、ピーター・ドラッカー、竹田青嗣、今村仁司、中野孝次、リチャード・カールソン、クリシュナムルティ、ラジニーシ、ケン・ウィルバー、岸田秀、村上春樹、などなど。


◆あなたが影響を受けた本とその理由を、何冊か挙げてみてください。

 ・『楽天主義セラピー』 リチャード・カールソン
 ・『森の生活』 ヘンリー・ソーロー
 ・『幸福について』 アルトゥール・ショーペンハウアー
 ・『自由からの逃走』 エーリッヒ・フロム
 ・『大衆の反逆』 オルテガ・イ・ガセット
 ・『孤独な群集』 デヴィッド・リースマン
 ・『現代思想のキーワード』 今村仁司
 ・『清貧の思想』 中野孝次
 ・『無境界』 ケン・ウィルバー

 やっぱり二十代のはじめ・なかばに読んだ本が重く残っていますね。さいきんも感動した本にたくさん出会っているはずなのですが、このころ読んだ本のほうが影響は強いですね。というか選べないほど雑多な本に影響をうけているといったほうが近いと思います。


◆入門者に、その分野の「入門書」として一冊お勧めするとしたら何を薦めますか?

 上記参照。

◆あなたが考える、その専門・分野の「武器」はなんですか?

 武器? そんなものが必要なんでしょうか。知識は世の中を知るために必要なものであって、武器とはならないような。

◆他人に「君、大学では何を研究してたの?」等と聞かれた場合、なんと答えるようにしていますか?

 経済学。なんの役にも、自分のためにもならかった。社会学か哲学にいけばよかったと後悔するのみ。18のころに自分の興味なんかわからなかったし、そのころに興味があったことといえば、SF映画とMTVとデザイナーズ・ブランドくらいでした。

◆あなたがその専門・分野に関して、一般の方に知ってもらいたいところは何ですか?

 学問は言葉の訓練であって、言葉を持たないと世の中を知りえないし、描くこともできない。映画や音楽、TVだけでは言葉の技術は磨かれないし、ということはその世界は存在しないということです。

◆あなたがその専門・分野に今後期待することはなんですか? あるいはあなたがその分野で達成したい目標はなんですか?

 知識は世の中を生きる道具や技術となってほしいと思う。実践的な知恵や技術になってほしい。学問のための学問ではなくて、自分が生きるための技術になってほしいものです。それでこそ人は賢明に生きられて、世の役に立つものになるというものです。


■バトンはご自由にお使いください。


google adsense
全ての記事を表示する
ブックガイド特集
月別アーカイヴ
プロフィール

うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。ビジネス書、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、精神世界、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

twitterはこちら→ueshinzz

FC2カウンター

Page Top