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10 13
2012

書評 心理学

たしいて感銘はない―『中年クライシス』 河合 隼雄

4022641134中年クライシス (朝日文芸文庫)
河合 隼雄
朝日新聞社 1996-06

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 40代になったころ、少々中年の危機というものを経験した。社会に出て二十年もたったのになにもなしとげていないという感慨だ。人生をふたまわりもすごしたのになにも得ていない。数字のうえの節目にしかすぎないのだけど、年月の重みを感じた。

 いまはすっかりあのころの気もちは忘れてしまったのだが、失業やリーマン・ショックの経済危機とか重なってけっこう追いつめられた気持ちになった。42歳くらいは厄年なんだが、なるほどこの年くらいには転回を経験するのかもしれないなと思ったけど、数え年がよくわからないまま過ぎた。

 『中年クライシス』はそのころ読みたいと思っていた本だが、読む機会にめぐまれた。読後感は残念ながらほとんど感銘を与えられなかった。ただ子どもの話には強い河合隼雄が大人の小説を読んでみましたという感じに終わっているだけ。

 ここで読まれている小説は、夏目漱石『門』、山田太一『異人たちとの夏』、大江健三郎『人生の親戚』、安部公房『砂の女』、谷崎潤一郎『蘆刈』、志賀直哉『転生』、夏目漱石『道草』などである。

 小説をちょくせつに読むより、批評文を読むほうがわたしには価値があるように思ってしまう。なにをいっているのか、なにをいいたいかをちょくせつ語ってくれたほうが、解釈がわかってムダがないと思う。

 どうもこれらの小説は中年の危機をメインテーマにしているような作品には思わなかった。だから中年の危機というものだけを期待すれば、肩すかしである。

 小説としては中年になった主人公が故郷に帰ってきてむかしの思い出を回想するというかたちが、わたしの中年の感慨にはフィットする作品かな。シュトルムの『みずうみ』とかゴールズワージーの『林檎の樹』が近いのかな。

 社会的地位にかかる「わたし」を知ることではなくて、魂のありかたを知ることが中年の大事な仕事だと河合はいっている。

「「年収」を大きな支えにしている人は、他の非常に多くの人々と同じ人生を歩んでいるわけで、特に「私」というものの独自性を示すことにはならないのではなかろうか。それに対して、ある場所である時に、自分のみが「ウン、これが私だ」と感じたことは、他との比較を超え、一般的尺度に還元しがたいものとしての独自性をもつと言える。…中年から老年にかけての課題のひとつとして、そのような「私」の発見ということがあげられるだろう」



 中年の危機にはつぎのような本も読みました。人生の空虚感にたいする慰め・考え方が必要なのかな。

『やっと中年になったから、』 足立 則夫
『大人の心に効く童話セラピー』 アラン・B・チネン


こころの処方箋 (新潮文庫) 働きざかりの心理学 (新潮文庫) 大人の友情 (朝日文庫 か 23-8) 「老いる」とはどういうことか (講談社プラスアルファ文庫) 生きるとは、自分の物語をつくること (新潮文庫)
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10 06
2012

書評 心理学

売れているようですね―『考えない練習』 小池 龍之介

考えない練習 小池龍之介の練習
小学館 (2013-11-01)
売り上げランキング: 1,529


 思考を捨てることにはこだわってきたから、確認の意味で読む。「考えない練習」という方法が30万部も売れたんだってね。

 この本は考えないために五感や身体感覚に集中する方法が説かれている。でも五感って思考みたいに刺激的や魅惑的でないから、つい回想や物思いにふけってしまうのだね。そもそも思考が害悪だという前提がないからすぐに思考のわだちにはまってしまう。

 「思考はよいものだ、優れたものを生み出す、思考なしでは動物だ」みたいな前提をもっていると、「考えない」ということはできないだろうね。それで考えすぎて感情のジェットコースター、牢獄に閉じ込められる。思考が病という前提がないと、この状態を一歩ひいた全体像でながめることができない。思考から距離をおいてはじめて、思考のコントロールは可能になる。

 なぜ思考がよくないのかという説得力を与えてくれた本はわたしにとってはリチャード・カールソンの『楽天主義セラピー』だ。考えるということは感情の炎にまきをくべる作業だと論理的に教えてもらった。人はこの愚かな連関に気づかないから、思考と感情のじゅずつなぎをどこまでも重ねてしまうのだろうな。

 それを知った上で思考の性質を知るための本にはエックハルト・トールの『超シンプルなさとり方』が参考になった。思考を時間の上で見ると、どこにも存在しない想像だということがよくわかる。この『考えない練習』にはこのふたつの大事な原理を読み込めないと思うから、ちょっと役不足かもね。

 小池龍之介という人はいま本をつづけざまに出していて、売り出し中のよう。78年生まれの34歳で、東大卒の僧侶。坊さんの言葉をありがたがる層というのはいまでもよくいるのでしょうね。わたしは西洋経由の論理的説明がしっくりきたのだけど、仏教の伝統的用語というのはどうもうけつけないのだろうね。そういう舶来変換のほうが合う人はトランス・パーソナル心理学のほうがいいかもね。


4393710312リチャード・カールソンの楽天主義セラピー
リチャード カールソン Richard Carlson
春秋社 1998-12

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4199060030人生が楽になる 超シンプルなさとり方 (5次元文庫)
エックハルト・トール 飯田 史彦
徳間書店 2007-11-09

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もう、怒らない (幻冬舎文庫) 煩悩リセット稽古帖 ブッダにならう 苦しまない練習 沈黙入門 (幻冬舎文庫) 平常心のレッスン (朝日新書)
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06 16
2012

書評 心理学

自然信仰として読み解きたくなった―『昔話と日本人の心』 河合 隼雄

4006000715昔話と日本人の心 (岩波現代文庫―学術)
河合 隼雄
岩波書店 2002-01-16

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 日本の昔話ってなにをいっていたのだろう。いぜんにこの本を読んだのだが、もう一度解釈をあたためたいと読み返したのだが、この本は明確な解釈をあたえてくれる本ではなくて、たくさんの類話を収集してくるようなまだたたき台のような本であることを忘れていた。不明なことが解消できる本ではなかった。

 河合隼雄はユング派の精神科医だから昔話によく出てくる「異界」や「他界」に出会う話を深層意識にもぐる話だと解釈する。わたしもこの心理学的解釈を期待したのだが、これは自然の富や豊穣との関係で読み込むほうが妥当なのではないかと思えてきた。

 浦島太郎の竜宮城などは「他界」の豊穣をもたらすものである。これは神があの世や異界からやってきて、人間界に富や豊穣をもたらし、秋や冬にあの世や山に帰ってゆく神の神話と構造とおなじである。つまりこのような昔話は自然との関係、神のありよう・関係を語った神話がベースになっているのではないのか。自然との関係を語った原始信仰・自然宗教的な世界観なのである。

 他界=自然=神を語った物語が日本の昔話といえるのではないか。

 鶴の恩返しなどは助けてもらった鶴が男の女房となる話だが、みずからの羽で織物をつむぐことを見てしまう秘密の禁を破ったことから妻は消えていってしまう。これはこんにち的には女性の本性を見るなという訓話に解釈されるのだろうが、みずからの身体を犠牲にして富や食料をもたらす存在は世界じゅうにある大地母神の原型である。

 大地母神はみずから殺されることによって富や豊穣がもたらされる。これはキリストの復活譚にも合流していて、殺すことが再生や豊穣をもたらすという話は自然との世界観の原型となっている。季節や新年度は死ぬことによって再生するという物語がベースとなっている。

 鶴の恩返しにはみずからの身体を犠牲にするというエピソードは、大地母神の身体の犠牲による富の獲得という神話と共通のものである。昔話というのはこういう自然との関係、神との関係が語られている・原型になっているのではないかと思う。

 原始信仰・自然宗教が原型となっているのが日本の昔話といえないだろうか。自然との関係=神が語られた神話なのである。

 この『昔話と日本人の心』ではとりわけ女性や結婚にまつわる昔話がおおくとりあげられている。日本の意識にとって女性や結婚はどう考えられてきたのかといったことが主題ともいえるかもしれない。

 女性の正体を見破られて去ってゆく昔話がじつに多い。女性の自然の本性や自我の確立などの意味に読み込まれているのだが、自然神話の解釈で読むとどうなるのだろうか。自然はみずからを犠牲にしているすがたを見られてしまったら関係は終わってしまうというのだろうか。わたしたちは自然の犠牲というあり方を見てはいけないのか。かわいがっていたウシやブタが食べれなくなるということなのか。

 わたしは昔話を心理学的に解釈するより、自然信仰の原型のかたちだと読み込む解釈に傾きそうだな。


昔話の深層 ユング心理学とグリム童話 (講談社プラスアルファ文庫) 無意識の構造 (中公新書 (481)) おはなしの知恵 (朝日文庫) 明恵 夢を生きる (講談社プラスアルファ文庫) 神話と日本人の心
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04 03
2012

書評 心理学

挑戦する勇気―『アドラー博士が教える「失敗に負けない子」に育てる本』 星 一郎

4413034740アドラー博士が教える「失敗に負けない子」に育てる本―自分で考え、イキイキ挑戦する力がつくヒント
星 一郎
青春出版社 2004-06

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 わたしはたびたび自分の仕事に不満をもってほかに挑戦しようと思うのだが、いつも同じ境遇にまい戻ってしまう。挑戦できない。同じ壁にぶちあたってばかりいる。臆病で挑戦できない気持ちはなにゆえに育まれたのか。これは心理学的問題ばかりに限らないのだが、まずはこの問題にこだわりたい。

 この壁にいつも悩まされるのだが、これはカール・ロジャーズのいっていた「理想自己」と「現実自己」の「自己不一致」に悩まされているということなのか。どうしたらいいのかということでロジャーズの本を探したがいいものが見つからなかった。

 「失敗を恐れる心」、「挑戦できない心」というものを問えばいいのか。たまたま古本屋で見つけたこの本は子育ての本だが、「インナーチャイルド」という言葉もあるように心のうちに潜む子ども向けに読むという方法も用いることができるだろう。

 自己啓発の「こうしろ、ああしろ」という指示命令のほうがいいと思うのだが、巡り合わせということで。この本はほとんど目次を読めば用足りるという感じもしないわけではないが、文脈での説得力も必要だ。

「同じ失敗を繰り返す大きな理由は、別のやり方を知らないから」。単純であるが、これが大きいのだろう。ダメと思う人は固定観念に凝り固まって、ほかのやり方、どうしたらうまくいくか考えることも挑戦することもなくなってしまう。

「「引っこみじあん」の子どもたちは、失敗するのが怖いのです。自分からは何もしないでいれば失敗しないですむのですから」

「「いつもいつも忘れてばかりなんだから!」と叱っていると、子どもも「自分は忘れてしまうんだ」と思いこんで、そんな自分を変えられなくなります。「どうしたら忘れないか」を自分で考えることが大切なのです」。行動の問題を人格のせいにしたら、その「レッテル」からずっと逃れられなくなってしまうのである。

「困ったことを人のせいにすると、周囲に文句を言う人間に育つ」。「物事が思い通りに進まないとき、他人のせいにしたり、自分を責めたりせずに、いろいろな打開策を思いついてチャレンジできること」。けっきょく、他人のせいにしていればラクである。自分で努力したり挑戦せずにすむのだから。その代わり、なんの成長も果実も得られない。

 子どもはほめて育てるのがいいという風潮があるが、「「ほめられて育った子」は、他人の評価を気にし、ほめてほしくて必死にがんばり、ほめられないと不満だし、批判されると非情に傷つきます」。自分の満足は他人から与えられるのでなくて、自分自身の充足感や満足が必要なんでしょうね。

「争いは「いい・悪い」ではなく「考え方の違い」を教える」

「「あなたはそうやって遠慮ばかりしているからダメなのよ。たまにはもっといい役に手をあげればいいのに」と言ってしまったら、子どもを否定していることになります。よけいに前に出る自信を失ってしまうのです。認められて初めて、子どもは「もっとがんばってみよう」と思えるようになります」。これが大事なんでしょうね。人格否定のレッテルを貼られると前に進めなくなってしまう。自己肯定を育んで、ようやく前に進めるのでしょうね。

「挑戦への意欲というのは、「絶対に負けられない」と追い詰められているからではなく、むしろ「たとえ失敗しても、精いっぱい力を出せばいんだ」という気持ちがあってこそ生まれます」。この結果いかんに関わりなく、恐ろしくても挑戦した、不安でも力を出したという勇気がその後の行動の違いをどんどん生み出してゆくのでしょうね。

「試験に落ちる「恥ずかしさ」より試験までの「がんばり」を受けとめる」

「子どもは自分の失敗が世界一みっともないことのように感じているわけですが、そんな話(母の失談)をするうちに、たいしたことじゃないんだなと思えるようになります」。自分が失敗すると世界でただひとり失敗したように思えて顔をおおいたくなるものだが、ほかの人の失敗の「比較の観点」を与えられると、その他の大勢のひとつにすぎないと安心できるのでしょうね。

「挑戦せずにやめてしまえば、不安なことも緊張することもなく、遊びを我慢することもなく、平穏無事に暮らせるかもしれません。けれど、不安なことに挑戦して一生けんめいやった体験というのは、子どもにとって、何ものにも代えがたいものになるのです」

「エリートというのは、成績がいい人のことを指すのではありません。社会のために自分の能力を役立てることができる人のことをいうのです」「自分の力を、どうやってみんなのために使うのか」

「「できない子」ではなく「できないこと」を見る」

「他の子と比較せず、その子の中の成長を認める」

「「結果」より「プロセス」に注目する」

 失敗というのは恐れる心をもちながらも挑戦したという勇気によって、どんどんと自信や肯定感を育めるのでしょうね。なにもしなければ失敗もしないが、なにも得られない。挑戦した人はたとえ失敗して恥をかいても挑戦するという勇気と誇りを勝ちとることができるのでしょうね。それが人生の満足を生み出してゆくのでしょうね。挑戦しない人はほしいものも得られず、挑戦したという勇気も行動力も一生得ることができないのでしょうね。




 失敗についての名言はロバート・シュラーの本にもあったので、のせておく。『いかにして自分の夢を実現するか


 ・失敗を恐れるより、挑戦しなければ成功は訪れないものだと考えよう。

 ・もしうまくいかなかったら恥ずかしい思いをするのではないかと恐れるより、もしかして成功するかもしれないチャンスを逃してしまうことを恐れよう。

 ・傷つくのを恐れるのをやめよう。楽な成功を待っている限り、あなたは成長しない

 ・失敗とは、あなたの挑戦は愚かだったという意味ではなく、あなたの勇気をもって成功と失敗の結果を体験したという意味だ。

 ・失敗とは、不名誉なことではなく、勇敢に挑戦したあなたの態度は高く評価される。

 ・失敗とは、人生を無駄にしたという意味ではなく、もう一度新しい気持ちで出直すチャンスをあたえられたと考えよう。

 ・失敗とは、もうあきらめなさいという意味ではなく、もっと努力しなさいという意味だ。

 ・失敗とは、神があなたを見捨てたという意味ではなく、神がもっといいアイデアを用意しているということだ

 ・失敗を恐れて挑戦しようとしない人こそ敗北者です。失望したくないからと尻ごみする人に比べ、失敗の恐怖を克服して挑戦した皆さんは、自信をもって人生の成功者と言えます。

 ・何もしないで成功するよりは、何かに挑戦して失敗するほうがましだ

 ・恥ずかしい思いをしたからといって死ぬ人はいません。人から笑われると、自尊心が傷つけられて、自分自身を愛せなくなるのを恐れているのではありませんか?」




▼探している本はこのようなものでしょうか。
「できない自分」を「できる自分」に変える方法考えすぎて動けない人のための 「すぐやる!」技術「できない自分」から抜け出す32の方法弱気の虫を飼いならす―人前で堂々とできない小心な自分と上手につきあう (アスカビジネス)

自分の小さな「箱」から脱出する方法ロジャーズが語る自己実現の道 (ロジャーズ主要著作集)人間尊重の心理学―わが人生と思想を語る

03 06
2012

書評 心理学

終わってしまった問題だけど―『心理学化する社会』 斎藤 環

4309409423心理学化する社会 (河出文庫)
斎藤 環
河出書房新社 2009-01-26

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 この問題はもう終わってしまった観がある。90年代にあれほど世間を騒がせた少年の凶悪事件はいまではすっかり退潮してしまって、もはや顧みられこともない。

 問うとしたら、あのころはどうしてあんなに心理主義化したのだろうということだろう。

 わたし宇野常寛の『ゼロ年代の想像力』を読んでサブカルの通史を通してもう一度確認したくなったから、この本を手にとった。何度も古本で見かける本だったが、終わった話として手がのびなかったのだ。

 心理学化を批判した本はそうないからこの本は価値ある本だろうし、心理学化の様相を多くカバーした本である。ハリウッドもトラウマなしでは映画をつくれなかったほどだったとは、日本の動向ばかり気にしていたわたしには気づいていなかった。

 でもまあ、迷宮みたいな議論がおおく、切っ先も鋭くはない。そりゃあ、斎藤環は精神医学から訣別したわけではないからね。

 どちらかというと現象や過程の分析がおおくて、どうしておこったのかという原因論・要因論は印象がうすい。

 大きな物語が終わってしまって、人を動かす要因が金や女では力不足で、トラウマが人を動かす要因としてもてはやされるようになったのではないか、といわれているが。

 あのころはなぜか「異常人格」がやたらともてはやされた。マスコミが扇情的な商品を未来や戦争にもとめられなくなって、心の深層に見つけたかのようだ。やはりそれは大きな物語が終わったことと関係があるのだろうか。心の深層というバケモノをマスコミが開発したのである。

 2000年代にはこの問題は終わった。代わって中東問題が前景に出てきて、人々はそちらにとりこになった。若者の非正規化や貧困化が問題になり、秋葉原殺傷事件のときはもはや心理的問題より雇用問題としてとりあげられた。世界株式危機がおこり、ヨーロッパの金融危機がずっとくすぶりつづけ、アラブの春がおこった。心理学化はもはや問題とされない。

 心理学が流行る時期というのは外側の大きな問題がなくなって虚脱した時期に、心の内面がバケモノとして浮上するのが大まかなストーリとして描けるのではないか。外側に問題がなくなって空虚になったとき、心のバケモノのストーリーは忍び寄るのではないか。だれだったか、人生に退屈したから神経症にかかるのだといっていたし。

 心理主義というのはなにかの問題を個人の心に帰着してしまう学問であると思う。経済や社会に問題が求められなくて、個人化・心理化に内閉してしまう問題を強くはらんでしまうと思う。

 わたしは心理学だけに問題を帰してしまう傾向には強く反対したい。心理学だけに問題や原因を帰さずに、もっと経済や社会関係に目を向けるべきだと思っている。



生き延びるためのラカン (ちくま文庫) 思春期ポストモダン―成熟はいかにして可能か (幻冬舎新書) キャラクター精神分析 マンガ・文学・日本人(双書Zero) 社会的ひきこもり―終わらない思春期 (PHP新書) 「心の専門家」はいらない (新書y)
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12 24
2011

書評 心理学

サンタ・クロースと現実のあいだ

 ツイートのまとめです。想像上の存在であるサンタと現実の世界が混濁している子どもの世界を思い出しながら考えてみました。




 nifty:デイリーポータルZ:サンタを信じている子供にサンタの矛盾を聴いて回る


 サンタを信じる・あるいは疑惑する子供の頭って、想像と現実の区別がつかないイマジネーションの世界でほんとうに生きているのかと頭によぎった。


 子供のときは伝聞で世界を構成するから、伝聞のなかに想像でつくられたものと現実のうえで聞いたものの区別や確認ができないだろう。でも大人になっても世界は伝聞でつくられている。マスメディアという伝聞。伝聞は事実をもとにしているが、想像でできている。


 ウォルター・リップマンの『世論』は第一章の「外界と頭の中で描く世界」を読むだけでも価値がある。「自分たちがかってに実像だと信じているにすぎないものを、ことごとく環境そのものであるかのように扱っていることに気づいていないのである」

400342221X世論〈上〉 (岩波文庫)
W.リップマン
岩波書店 1987-07-16

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「しだいに人間は、自分の手の届かない世界についての信頼に値するイメージを、頭の中に勝手につくることになった」 ウォルター・リップマン


 この世界はイメージや想像でしか捉えることができないのだが、それがいつしか「世界そのもの」と人は思うようになっているんだな。それはほとんどが想像やイメージで構成されたもの。


 子どものときは想像と現実の伝聞の世界の区別がつかないが、しだいにより分けられるようになるが、これは頭で描く世界がもともとは想像であったことに由来するわけだな。でも世界が想像で構成されている世界もまた楽しいものだ。『となりのトトロ』は想像の世界の楽しみを思い出させてくれる。

B00005NJLPとなりのトトロ [DVD]
ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント 2001-09-28

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 想像と現実の区分けはむづかしいもので、人は怪獣とか妖怪などが想像だと思っているが、人間の認識自体が想像だということに気づくのにだいぶ時間がかかった。岸田秀の共同幻想論とか、サピア=ウォーフの仮説だとか、仏教の認識論でやっとわかるようになった。人間の頭ってほぼ想像だけ。


 人間の頭って想像しているにすぎないものを「現実そのもの」と勘違いしつづけているんだな。日常やふだんの世界自体がそう。だから仏教ではそれを「サンサーラ=まぼろし」とよんだ。


 想像によって感情はつくられて、筋肉や心臓の血流を想像は調整するから、人は想像にすぎないものを現実と思うにいたる。映画やドラマは想像にすぎないのに現実のように驚いたり、悲しんだりできる。


 子どもの妖怪や怪獣の世界を大人もバカにできない。想像の世界に生きているのが人間。


▼この記事も同じようなことをいっています。
 「『エルム街の悪夢』と現実」


▼想像と現実のあいだに気づかせてくれる著作
ものぐさ精神分析 (中公文庫)ひき裂かれた自己―分裂病と分裂病質の実存的研究ポスト・モダンの条件―知・社会・言語ゲーム (叢書言語の政治 (1))言語ゲームが世界を創る―人類学と科学― (世界思想ゼミナール) (SEKAISHISO SEMINAR)言語・思考・現実 (講談社学術文庫)

リチャード・カールソンの楽天主義セラピー愛とは、怖れを手ばなすこと (サンマーク文庫 E- 45)どう生きるか、自分の人生!―実は、人生はこんなに簡単なものグルジェフとクリシュナムルティ―エソテリック心理学入門大乗起信論 (岩波文庫)

06 19
2011

書評 心理学

『分裂病と人類』 中井 久夫

4130020218分裂病と人類 (UP選書 221)
中井 久夫
東京大学出版会 1982-01

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 再読である。分裂病親和者と執着気質者が文明や社会にとってどういう役割をになっていたのかという文明論・性格論がおもしろいおぼえがあったので、再読した。

 ただしそのおもしろい項目は1章と2章を占めるにすぎず、半分をしめる「西欧精神医学背景史」は縦横に精神医学や西欧史を語っているのだが、1章2章ほどに興味をひかれるものではない。ほとんど抜書きになってしまうが、以下のようなことが書かれている。

 分裂病親和者というのはかすかな兆候に敏感である。先取り的なかまえが卓越しているという。狩猟民族では三日前に通ったカモシカの足跡を石のうえに認知し、草の乱れや風のはこぶかすかな香りから狩りの対象の存在を認知するのに長けている。狩猟民族ではかすかな兆候に敏感な分裂病親和者が決定的な力をもつ。

 かれらは一般に貯蔵しない。狩猟採集民の時間が強烈に現在中心的・カイロス(人間的)だとすると、農耕民は過去から未来へと時間が流れはじめ、クロノス的(物理的)時間が成立した。農耕社会は軽量し測定し配分し貯蔵する。貯蔵品は過去から未来へと流れるタイプの時間の具体化物である。

 執着気質者というのはほかから確実人として信頼され、模範青年、模範社員、模範軍人などとほめられている種の人である。

 江戸の天明期に二宮尊徳や大原幽学に代表されるような祭りや踊り、芝居が禁止され、禁欲や勤勉、倹約、忍従などの道徳訓があらわれてくる。昭和の高度成長をささえた倫理もこのような執着気質的な職業倫理ではなかったろうか。

 うつ病の心理の底に「くやみ」や「とりかえしがつかない」という感情があるとしたら、この感情を否認し、「とりかえしをつけよう」とするところに執着気質的努力の原動力がある。

 執着気質の破綻原因に「成功の秋」がある。執着気質的な職業倫理は成功とともにその模範の力をうしなう。目的喪失のなかにおき去る。高度成長の終焉にはこのようなことが起こったのではないだろうか。そのあとにはより陶酔的・自己破壊的・酩酊的・投機的なものがくるだろうと著者は予期した。日本は土地の投機にはしり、自己破壊的な壊滅状態におちいった。

 ものごとの維持は再建よりも困難な倫理である。再建のあとの維持は「とりかえしがつかなくなったら大変である」という動因にもとづく努力であって、不安を動因とし、恐怖が生じる。

 二宮は再建や建て直しの眺望はもったが、大局観はうとかった。執着性格者のみの社会を想定すると、かれらは大問題の認識、ポスト・フェステム(あとの祭り)的なかまえゆえに、思わぬ破局に足を踏み入れてもなお気づかず、かれらのお得意な小破局の再建を「七転び八起き」と反復できても「大破局は目に見えない」という奇妙な盲点がかれらを待っている。

 世直し路線は、眼前の具体的な事物ではなく、もっともかすかな兆候、もっとも実現性の遠い可能性を、もっとも身近に、強烈な現前感をもって感じ、恐怖し憧憬するという。

 ほとんど本文からの抜書きになってしまったが、日本社会、日本人の文明論・性格類型としてひじょうに興味あることが書かれている。勤勉をささえた執着気質は大局観や世直しを不得意とし、小局的な立て直しに終始し、カタストロフを避け得ない。

 82年に書かれたこの本の後の「うしなわれた20年」で確実にそのようなシナリオ通りにすすんできたのではないだろうか。社会をひとつの画一化された性格類型、気質、生き方で鋳型にはめこむことがいかに危険なことかわかるというものだろう。日本のみなが同じような生き方、職業倫理をもつようになったばあい、カタストロフに打つ手も、立ち向かうすべもないのである。


治療文化論―精神医学的再構築の試み (岩波現代文庫) 徴候・記憶・外傷 最終講義―分裂病私見 箱庭療法入門 方法としての面接―臨床家のために

05 21
2011

書評 心理学

『お釈迦さまの肩へ』 ひろ さちや

433400718Xお釈迦さまの肩へ―ひろさちやの幸福論 (カッパ・ブックス)
ひろ さちや
光文社 2001-07

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 古本屋に売る本を整理していて読み返したくなった。ひろさちやの考え方のエッセンス、根本的な思考方法を把握できないか。ひろさちやの考え方はなにがいいのか。

 たぶんに四角四面の考え方を丸にしたり崩壊させるから、気もちをラクにするのだろう。固定概念や常識といったものをつき崩したり、粉々にする。

 人は世界が固まっているもの、決まっているもの、変えられないものとして捉えるから苦しむ。常識やヒエラルキー、現実といったものを蹴飛ばしたとき、人は憑き物が落ちたように気楽になれる。あたりまえや常識なんてないのだ、そんなものはただの考え方、ひとつの固定観念だとわかったとき、高い壁に見えたものは存在しない。

 まじめや四角四面というのがいちばんいけない。でたらめ、あきらめ、いいかげんがいちばんいい。それはつまるところ、考えるなということであり、それだけをいえば勘違いされるが、常識やあたりまえに縛られずにそれをつき崩した上で考えるなということになるだろう。常識やあたりまえの上で考えるから苦しむのである。

 この本でいわれている本の章は。

「頑張ってはいけない」
「競争の渦に巻き込まれるな」
「自分と他人を比較するな」
「会社や組織を突き放せ」
「常識の奴隷になるな」
「よけいなことは考えるな」
「ほどほど、いいかげんがいい」
「あるがままに感謝しよう」

 社会や世間で価値あることといわれていることの強迫観念や常識をつき落とすのがひろさちやの手法である。仏教というのは基本的に逆ヒエラルキーをいくことであり、価値の底辺、どん底から社会をひっくりかえすこと、笑い飛ばすことに意味があるのだと思う。

 心理学の認知療法ではポジティブとネガティブの対比をおこなうが、世間や社会の常識の縛りからの解放はめざしていない。世間からの脱出をこころみた仏教はそれだけ進歩的な認知療法なのだとわたしは思う。

 仏教のいちばんすごいところは価値を認めないことだ。無価値に、無意味に生きろ、人生に価値を求めるなということだろう。人と比較して自分の価値を高めようと人は必死になる。それを死に物狂いでやってしまうから苦しむ。もしその価値競争を捨て去れば、ずいぶん楽になれることだろう。良寛は「大愚」と名乗り、愚かで落ちこぼれの人生を歩んだ。そこにこそ人としての最高の安心と安楽の道があるのだろう。

「私が私であってはいけないと思っているのです。いつも「もっとよくならないといけない」と考えますから、ただでさえ忙しいのに気が休まる暇がなくなるのです」

「「なんだっていい」「どう生きてもいい」、これが仏教の「自由」の教えなのです。…「諸方実相」には優等生が最高で劣等性が最低などという、世間の差別的な物差しなどこれっぽちもないことがおわかりいただけるでしょうか」

「どんな状態であろうと、今が幸せだと思わないかぎり、どこにも幸せはありません」

 わたしはひろさちやの本は数冊しか読んでいないが、『デタラメ思考で幸せになる!」(ヴィレッジブックス)という本がいちばん好きである。日本人の働き方とか会社べったりの生き方とか批判されているからだ。人によって効いてくるテーマは違うのだろう。『世間も他人も気にしない』とか『夜逃げのすすめ』、『阿呆のすすめ』など出世間を訴えていておもしろそうだ。


「世逃げ」のすすめ (集英社新書 435C) ひろさちやの「阿呆」のすすめ のんびり生きて気楽に死のう 世間も他人も気にしない (文春新書) 地獄を生きぬく 魔法の言葉

05 10
2011

書評 心理学

『時間と自己』 木村 敏

4121006747時間と自己 (中公新書 (674))
木村 敏
中央公論新社 1982-01

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 再読である。以前読んだときは禅や東洋宗教の考え方を理解していなかったので、それを知って以後、再読したいと思っていた。精神異常といわれる人の自我観や時間観というのは病気に範疇に入るよりか、東洋宗教でいう悟りに近かったり、自我の希薄性に気づいたからとはいえないのだろうか。

 精神異常といわれる人の時間観とはどのようなものだろうか。

「時間の流れもひどくおかしい。時間がばらばらになってしまって、ちっとも先に進んでいかない。てんでばらばらでつながりにない無数のいまが、いま、いま、いま、いま、と無茶苦茶に出てくるだけで、なんの規則もまとまりもない」「時間が経って行くという実感がない」「時と時のあいだがなくなってしまった」

 離人症患者の言葉だが、時間感覚の異常さは自己への感覚の喪失にも通じる。「自己を失い、存在感を失い、時間を失っている」のである。時間感覚に異常を感じる患者は、自己の非存在感、自己の喪失感にも悩んでいるのである。「わたし」というのは時間によって生まれ、あるいは時間が自己を生み出すのだろうか。

 ある分裂症患者(げんざいは統合失調症)の言葉である。「自分というものから一刻も目を離すことができないのです。すこしでも眼を離したら自分がバラバラにこわれてしまいます」。かれは美しいもの、うっとりさせるものを極端に恐れるという。それに夢中になると自分が消えてなくなるからである。

 別の患者は、「いつも気を張っていないと、他人がどんどん私の中に入ってきて、私というものがなくなってしまう」という。

 分裂病は「一貫して自己の自己性の不確実さという主要動機をめぐって展開している」

 分裂病の患者はつねに未来を先どりし、兆候の世界で生きている。「もっとも遠くもっともかすかな兆候をもっとも強烈に感じ、あたかもその事態が現前するごとく恐怖し憧憬する」。「むしろその事態がまだ現前していないということに恐怖と憧憬を抱くのだというべきだろう」

 木村敏はこの未来先取的なありかたを「アンテ・フェストゥム的」とよんでいる。「祭りの前」だ。「前夜祭的」ということである。それに対してうつ病は「取り返しのつかぬことになった」ということで悩むそうである。「後の祭り」である。うつ病の発病状況はすべて「所有の喪失」として理解できるとしている。自己の存在をそれまでしっかりと支えてきた秩序が失われたときである。

 てんかんも精神病理としてとらえられているが、ドストエフスキーの描写を読むとそれはまるで悟り、神秘体験と同じである。

「完全に獲得されたる永久調和の存在を、直感するのだ。これはもはや地上のものではない。…まるで、とつぜん全宇宙を直感して「しかり、そは正し」といったような心持ちなんだ。…何より恐ろしいのは、それが素敵にはっきりしていて、なんともいえないようなよろこびが溢れていることなんだ」

「ちょうどかれら無数の神の世界から投げられた糸が、いっせいに彼の魂へ集まった思いであり、その魂は「他界との接触」にふるえているのであった。彼はいっさいにたいしてすべての人をゆるし、それと同時に、自分のほうからゆるしをこいたくなった。おお! それは決して自分のためでなく、いっさいにたいし、すべての人のためにゆるしをこうのである」

 精神病理であつかわれている症例というのはことごとく自我の不確実性であったり、あるいは神秘体験に近いのである。それはまるで哲学者が自我の脆弱性を言語的に考えるにたいし、かれらは感覚で、体験でそれを感じるといえるだろう。かれらはひとむかし前なら禅者であり、求道者であり、シャーマンであっただろう。

 エックハルト・トールは思考と時間についての過ちについてわかりやすく解説しているが、思考というのは過去や未来にしか存在しない。いまという瞬間に思考はないのである。そして過去や未来はもう存在しないのである。つまり頭のなかで考えることはすべていまはもう存在しない。われわれは存在しない過去や未来、空想にいかに苦しめられる毎日を送っていることか。そしてそれはもはや存在しないのである。

 ハリー・ベンジャミンはグルジェフとクリシュナムルティの教えから、自我は空想の産物にすぎないと見なしている。頭の中のおしゃべり、不満、愚痴が「自我」をつくる。そしてそれは「実体」としてこの世に一度も存在したことはないのである。すべて頭の中の「仮構」である。しかしこの頭の中の「わたし」を実体あるものとして人は勘違いしつづけるのである。地図をじっさいに地上と思うようなものである。

 こういう考え方からすると、精神病者といわれてきた人たちの時間観、自我観というのははたして病気とくくる範疇のものなのかという懐疑がわきあがる。時間や自我の空想性や脆弱さを体感したからこそ、かれらは時間や自我の不確実性に悩むようになったのだといえないか。通常ふつうの人が感じない日常性の隘路に落ち込んでしまったのである。感覚の鋭敏さやある種の神経質さが、かれらをそのような感覚の世界に誘い込んだのである。

 かれらは時間や自我の確実性や堅牢さをとりもどすべきだったのだろうか。それとも時間と自我のちょうつがいを外した世界に漂うべきだったのか。時間と自我の手すりをなくした世界から離れることははたして狂者になることか、それとも悟った人になることなのか。なんだか自我と言語のちょうつがいをなくせば、狂者になってしまいそうなので、自我と言語の手すりを失ってはならない気がするが、覚者とよばれる人はその手すりをどうやって手放さずにいられるのだろうか。


▼わたしの書評です。
エックハルト・トール『人生が楽になる超シンプルなさとり方
ハリー・ベンジャミン『グルジェフとクリシュナムルティ

4199060030人生が楽になる 超シンプルなさとり方 (5次元文庫)
エックハルト・トール 飯田 史彦
徳間書店 2007-11-09

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4795223661グルジェフとクリシュナムルティ―エソテリック心理学入門
ハリー ベンジャミン Harry Benjamin
コスモスライブラリー 2000-09

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自己・あいだ・時間―現象学的精神病理学 (ちくま学芸文庫) 異常の構造 (講談社現代新書 331) 自分ということ (ちくま学芸文庫) あいだ (ちくま学芸文庫) 精神医学から臨床哲学へ (シリーズ「自伝」my life my world)

02 24
2011

書評 心理学

童話はどう読むのかのおすすめの本

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 物語の読み方ってわからないところがある。どう読んだらいいのか、どう解釈したらいいのか途方に暮れることがある。というか意味のわからないものは放ったらかしにしたままだ。

 童話のジャンルでは心理学的な解釈の豊穣な探求がある。物語の読み方がわからないとき、この童話の解釈学に学ぶのもひとつの手だと思う。子どものころに読んだ童話はこういうことをいっていたのかと改めて再発見できると思う。

 なお文章のほうは十年前に読んでいたころのものを再録した。当事のような記憶と鮮明さはもうないから。


4896914228昔話とこころの自立
松居 友
洋泉社 1999-09

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 童話の心理学的解釈でこれほどわかりやすい本はない。ユング派の解釈などとか読んでいるとだいぶ頭がこんがらがってくるけど、この著者のように「自立」というキーワードで読みとけば、ひじょうに話がわかりやすくなる。

 『三びきのこぶた』も『ヘンゼルとグレーテル』も、『三枚のお札』『白雪姫』もいずれも自立をしようとする子どもと、それを阻もうとする親との自立の闘いの話である。鬼や狼、魔女や鬼婆とあわされるものは、子ども自身の自立を阻もうとする気持ち、破壊的な感情が形をとったものだといえる。また子どもの自立をいつまでも阻もうとする親の心でもある。

 そういうふうに読めば『三枚のお札』の鬼婆は子どもの自立をいつまでも阻もうとする恐ろしい母親にほかならないし、『白雪姫』の継母は若さを娘に奪われてゆくじつの母親の嫉妬にほかならないということだ。昔話にこんな親への自立の警告が込められていたなんて思いもしなかったし、自分の家庭もかえりみずにはいられなかった。


44221112641_20110224133135.jpg名作童話の深層
森 省二
創元社 1989-05

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 この本では『白雪姫』『銀河鉄道の夜』『イワンのばか』『かぐや姫』『オズの魔法使い』『人魚姫』『幸福な王子』などポピュラーな童話がとりあげられていて、オトクな一冊である。

 忘れていたり、知らなかった童話のストーリーにもういちど触れられるのはオトナになってもけっこうウレシイものである。『幸福な王子』は泣けた。

 ところで童話や子供マンガに出てくる悪魔や悪というのは自分の内なる悪を志向する力のようである。だから私たちは悪を徹底的にやっつけなければならなかったわけだ。ただこんどはそれを自分の内なる心だと統合しなければならない時期がやってくる。それを外側の他人や嫌いな人に投影ばかりしていると心の成長は見込めない。


053006371.jpgアンデルセン童話の深層―作品と生いたちの分析
森 省二
創元社 1988-05

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 童話の心理学解釈のおもしろいところは、童話のいっていることが心理学的に説明されながら、もういちど童話の物語に触れられることである。童話ってタイトルとかだいたいの話を知っていても、くわしい内容まで知っていることは少ない。なるほど、こういう心理学的意味が込められていたのかと知ることは新たな驚きと楽しみである。

 この本では『マッチ売りの少女』『赤い靴』『おやゆび姫』『みにくいアヒルの子』『はだかの王様』等の心理学的解釈がほどこされている。ちなみにアンデルセンはペローやグリムとちがって創作童話であり、個人の心理分析もおこなわれている。


4566020703昔話の魔力
ブルーノ・ベッテルハイム 波多野 完治
評論社 1978-08

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 昔話の心理学的解釈の古典とか金字塔とかよばれるように、たしかにすばらしい本だ。400ページの二段組のぶあつい本だが、一行一行に深い、含蓄のある言葉が込められていて、まったく長さや倦みを感じさせない。

 昔話の意味や効用が説かれたあと、だんだんと物語解釈へと入ってゆく。現代の児童文学は衝動や荒々しい感情の葛藤の存在をまったく否定するため、子どもはそういったものをどうあつかったらいいかわからない。昔話はそういった葛藤が自分だけのものではないことの安心を知り、解決する方法も教えてくれるというわけだ。

 物語の解釈をしながら、子どもの心がどんなものだったか、どのような成長を経なければならないのかといった心の世界が、驚くほどの豊穣さと細かさをもって語られている。すぐれた物語解釈でありながら、子どもの心の内的世界の百科全書のようなものになっている。

 私はフロイトのエディプス・コンプレックスとか性的解釈にほんまかいなという気持ちを抱いていたが、この本ではじつに納得できるかたちでそれが呈示されている。『シンデレラ』の姉妹間の競争意識は親の愛や評価がその火付け役になっているのはよくわかるし、昔話によくある動物の花婿が人間の王子に変わるのは花嫁の性的抑圧がとけたからだという解釈はひじょうによく納得できた。とにかくびっしりと内容の濃い名著だ。


4-480-08325-11.jpg絵本と童話のユング心理学 (ちくま学芸文庫)
山中 康裕
筑摩書房 1997-03

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 佐野洋子の『100万回生きたねこ』は思わず泣けてくる傑作だった。100万回も生きたことを自慢するねこがそんなことをなんとも思わないめすの白ねこと出会って、彼女の死をきっかけに最期に死んでしまう話である。

 この本では絵本と童話のさし絵もたくさん載せられていて、それをながめるのも楽しい。童話によくある「なまけ」の話も読む価値あり。できないことがあったのなら外界ばかり見るのではなく、内界にも目を向け、力を得てくるという発想が必要というわけである。

 『アモールとプシケー』の話もあざやかである。住居や食べ物はふんだんにあるが、夫や召し使いの姿はいっさい見えない女性が、その禁を破って夫の姿を見てしまい、そこから試練がはじまる。

 これが象徴しているのは現状に満足してれば幸福であるのだが、意識の光が届くとその幸せはたちまち失われてしまうということである。疑問や懐疑の光を当てるのは賢明である一面、かならずしも幸福ではないのかもしれない。


4788503719.jpgグリム童話―その隠されたメッセージ
マリア タタール 鈴木 晶
新曜社 1990-06

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 さまざまな学者による解釈の戦場と化した童話解釈の総合化・審判のような本である。さまざまな学説を聞いていたら混乱することまちがいなしだし、錯乱を正してくれるような比較書はぜひとも必要だと思うのだが、でも解釈者の数と見方ぶんだけ現実があるという知見のほうがもっと大事に思える。

 この本のなかではおとぎ話に出てくる主人公たちの法則とかパターンを抽出する章がおもしろい。つらい目に会う者と探しに行く者が大方を占め、そして貧乏人や弱い立場、崩壊家庭から、金持ちや王家、新家族へと「ふたつの世界を旅する旅人」となる。

 おとぎ話ではいちばん出世しそうにもない者がいちばん出世したり、財産をすべて失って喜ぶアンチヒーローが出てきたり、いかに女性が家事労働から逃れるかといった話もあったりして、おとぎ話は順応的なイデオロギーのみを説いたわけではなかった。

 娘に嫉妬する継母の話の裏には、近親相姦的な父親の存在があり、だからこそ母親の異常な嫉妬がはじまるのであり、それをあからさまにした物語が削り去られていった経緯もなかなか興味深い。グリムは性的な話は徹底的に削除し、暴力的な場面はかれの検閲をとおりすぎたようである。

 この本はさまざまな学者の解釈によって暗い森でさまよったときにはうってつけの本であり、一筋の光となることだろう。いろいろな解釈をそそぎこまれるとほんとに混乱するが、私としてはユング派の解釈はいまいち頭で理解できなく、松居友とブルーノ・ベッテルハイムのフロイト派の解釈がいちばんしっくりときたし、「好み」でもある。


 むかしの書評。「物語を読む―童話心理学」 2001/3

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うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。ビジネス書、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、精神世界、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

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