久米宏の『新ニッポン人現る』を見た

久米宏経済SP 『新ニッポン人現る』を見た。テーマは「お金を使わない20代の若者」だ。
クルマがほしくない、海外旅行にもいこうとも思わない、酒も呑まない、狭い範囲の日常で満足する、消費より貯金をといった、これまでの日本人とかけ離れた人たちが現われたと報告する報道番組であった。
私もちょうど7年ほど前にこの若者の消費離れについて考えていた。「若者は「脱所有」「脱消費」をめざすのか 2001/9/16」。のちに『下流社会』というベストセラーを生み出す前の三浦展が『マイホームレスチャイルド』(文春文庫)でそのような流れをとりあげていて、私もおおいに興味をもったのである。いつの間にかこの脱消費の流れが「下流」の傾向だと押しつけられたのだが。

クルマがほしくなくなるのは都市圏に住んでいたらとうぜんのことであって、自動車産業の衰退はかならず来ることだろう。いっときクルマが若者に売れないと騒がれたようだが、自動車産業は日本企業の看板産業のようなものであるから、日本全体の没落のようにショックだったのかもしれない。
クルマとか海外旅行などのひと昔前のステータスは完全に没落を開始し、オヤジたちはそのことに驚いているということである。日本人が変わったのではなくて、産業や時代の変遷がやってきたことだけであって、こんなのはいつの時代でも当たり前のことである。おおむかしには繊維や鉄鋼、造船、炭鉱が花形の時代もあったわけで、昭和の興隆産業や価値スタイルがいつまでもつづくわけなどない。むかしの興隆スタイルが通用しなくなったといって嘆くだけでは、ただのオヤジの懐古趣味である。
問題なのは、消費でなりたってきた経済がなりたたなくなるということと、あるいは若者に夢も希望もなくなった時代の到来なのかということではないのかと思う。消費の夢も上昇志向もハングリー精神もなくなったら、この社会はひきこもりの若者のようにひたすら落ちてゆくばかりではないのかということである。
お金を使わない、消費に興味が向かないということは、若者の未来に夢も希望もないということなのである。それはおそらくはアメリカのような消費社会を実現するだとか、ヨーロッパ型の文化経済社会を構築するだとか、民主政治や社会主義の完備した社会を完成させるだとかの、大きな夢や希望が終わってしまったということなのである。そのような大きな夢が終わったとき、人は何に希望を見い出し、なにに目標をおいて生きればいいのかという重い問いがのしかかってくるわけである。その解決をまったく見ないことが今日の失われた15年や若者の脱消費を生み出しているのである。これは文明論的問いも投げかける難しい問題なのである。
たぶんに文明というのはどこか文化発展が盛んな国が魅力的な文化や産業を生み出して、それを他国が摂取、模倣して、中国やイスラム、ヨーロッパとその中心が変遷してきたのだろう。この何百年かはヨーロッパやアメリカがそれを牽引してくれて、日本もその完成版をキャッチアップすればよかったのだが、そのネタのほうも打ち止めらしい。そのような夢や希望がなくなったことはわれわれ大人たちもうすうす知っていることだろうし、若者はミニマムな生活をすることによってその性質を露にするのである。大きな文明の夢を失ったとき、われわれはなにに希望を見い出したらいいのだろう。
「失われた15年」とはわれわれの文明の希望の終焉でもあるのだろう。シュペングラーは100年ほど前に『西洋の没落』という本を書いたが、伝播や模倣の時期が西洋の没落を押しとどめているのだろう。あるいは約100年前に生み出された社会主義国家の夢が終焉したことの苦悩をいま経験しているのかもしれない。日本はゴルバチョフがいったように世界一成功した「社会主義国家」だったのであるから。

それともそんなに大げさに捉える必要はなく、産業の変遷・転換期にすぎないと捉えることもできる。インターネットやケータイなどの通信革命は進行中であるし、日本のアニメは世界的に文化的影響を与えているし、社会はどんな悲観的な時代をへようと新しい産業、文化、経済を生み出すものである。個人や企業はなんらかの商売や営業を考えていかないと今日明日を生きてゆけないのである。
どちらにせよ社会全体で共有される目標や希望が失われた社会は閉塞感につつまれるしかない。われわれはそのような陰鬱な社会でどのように小さな個人の夢や希望をつむいでいったらいいのだろう。
お金を使わない脱消費の若者はそのよう空隙の時代の夢や希望のない姿を象徴するのである。社会全体の「希望のなさ」が若者に写し出されているのである。
文明の大きな夢や希望が失われると、社会は収縮するし、経済も縮小するだろう。ほしいモノや消費したい物がなくなる。そして人々から職は奪われていって、ますます悪循環に陥ってしまう。個人はひたすら文明の嵐が通り去るまで縮こまって生きるしかないのだろうか。
どうやら文明の収縮期、沈滞期にラクに生きられる社会を構築する必要があるのだろう。社会全体の夢や希望が失われたとき、個々人はミニマムな世界で幸福や安全を図るしか楽しく生きてゆく方法はないのである。あるいはミニマムな幸福や安楽を人生の目標だと見なす価値観が必要なのかもしれない。お金を使わない若者はそのような時代の生き方のコツをつかんでいるのだろう。
コメント
縮小する経済
ひきこもり・現世否定
50代、独身、都会のアパートひとり暮らし、インテリ、退屈な仕事、
この男の趣味は、「ひきこもり」だ。
いや、この男の主張によれば、「瞑想」だそうだ。
彼の生き方を、どう考えるか、
彼は、仏教思想にカブレテいる。
いや、仏教の持つ、現世否定趣味に浸っている、と言った方が正確だろう。
悲しい話である。
別に、悟りを求めているわけではない、世の中が嫌になっているだけである。
その時、仏陀の教えは、耳に聞こえが良い。
総て、現世は、自己の執着が作り出した幻想だ、と看破する。
ほんとうに、そんな気持ちを持続的に持てたと仮定しても、これは、そうとうバカバカしい。
世間を動かしている力は、邪悪である、と主張する。
これ、ただ現実逃避しているだけじゃないか。
本人は、仏教思想が、どたら、こたら、と能書きたれているが、
敗者の弁解、あるいは、逃げ口でしかない。
それが証拠に、彼は、文句をいい、現世をのろいながら、職場へ行くのである。
現世は、すべて執着の結果であり、その執着からの脱却以外に道はないのなら、職場へ行って、給料もらうなよ、と言いたいのだ。
そうしてこそ、筋が通るというもんだろう。
一切、職場へも行かず、当然、金もなくなり、食事も取らず、餓死する。
ここまでやれば、悟りは完成する。
そこまで、出来ないくせに、ただ、現世否定の都合の良い部分だけを、いじくり、自己欺瞞しつづけている。
こいう、インチキ仏教徒が、増えているのだ。
これは、問題だろう。
たしかに梅田氏などが提唱する「チープ革命」も一翼を担っているのかと思いながら、やはりこれといって欲しいものがない、というのも実情です。
いわゆる「足るを知らされた世代」のような気もします。
車なんて持ってないし、服などに拘る奴なんてほとんどいない。同級の女の子だってほとんどブランドモノなんてもってなくて、ユニクロの破れたGパンを履き尽し、髪の毛は自分の頭の上で丸めるて、サンダルを履いて大学に来ています。
消費実態が大きく変わったのは、一つにはまったくテレビを見ない若者が増えたのもあるようですね。また僕のように携帯電話を持たない大学生も増えているようです。
成熟社会で育った我々独自なモノアレルギーのようなものがありますね。部屋もできるだけモノのないだだっ広い空間を好みます。
しかし消費がないから希望がない、と言う感じはしません。
よく分からないのですが、別に「希望」が生きる上で必要不可欠なものなんて思ったことないし、これからも持ちたいとも思いません。
どんどん生き方が多様化して、いろんな人がいていいんでしょうね。
それでも十分楽しく生きていける寛容力のある日本だったらいいですけどね・・・。
私も40歳ですが、おっさんなどと思ったりしませんが、おっさんなんでしょうね〜(笑)。意識的に思わないようにしていますが(笑)。
40代の世代はバブリー世代ですから、ブランド消費とか個性消費とか、けっこうトレンドといったものに踊らされた世代だと思います。私も『ポパイ』とかファッション雑誌を読んでワイズとかコムサの服をきて、踊らされました(笑)。
いまはすっかりそんな流行なんかどーでもよくなりましたし、買いたいものもほとんどない。私は本しか買わないし、tat2008さんも山に登るのならほぼ電車とかバス代しかいりませんよね。私も低山ハイキングをしていましたが、カネもかからないし、風景だけで楽しめるというのは幸せでした。
むかしはクルマとか家電とかTVとかほしいものがたくさん出てきた時代があって、その時代と比べたら、ほんとほしいものがなくなりましたね。これは若者だけではなくて、みんなそうでしょう。働いて働いてお金を貯めるけど、はて、ほしいものってなんかあったっけという状態なんだと思います。
経済や社会は縮小してゆくばかりですね。というか、ほしいものとか新しいものがなにも出てこなくても、人々は生きて経済を回していかなけれはならないわけで、難しい時代に落ち込んだものです。
まわりがどうであろうと、小さなことでも自分が楽しみ、喜ぶことを見つけてゆくことが大切なんだと思います。
キリスト者の水がめ座さんにとっては仏教は宿敵のようですね(笑)。
私はどの宗教にも属しませんが、というか、信仰することと知識を知ることとの違いがよくわかりませんが、私がよく知っている宗教としては、仏教のほうが多いと思います。
仏教は現世否定することによって心のコントロール法を教えただけだと私は思っていますが、水がめ座さんは仏教徒にオカンムリのようなので(笑)、あまり擁護の見解はのべないようにしますね(笑)。
今回の記事と関連したことをいうと、ものを買わない若者は老荘や仏教のような悟りに近い老成した人物になっていますね。
戦後の日本は欲望ばりばりのあれもほしいこれもほしい、もっと大きくしたい、もっともっとばかりと欲望の炎に焼かれてきたわけですが、若者たちはほしいものをなくして、すっかり知足安分の悟った状態になってしまったわけですね。欲望の父のあとに悟りの子どもが生まれてしまったというのは、なんともヘンな時代のめぐりあわせですね(笑)。
ほしいものがなくて、少々のことで満足できる若者のほうが長い満足を味わえるのでしょう。欲望の多い父のほうは不満だらけで、だけど夢や希望はあったけど、叶わない苦しみや嘆きも多かったのでしょう。悟りの若者に大きな夢や希望はありませんが、安楽ではありますね。
欲望の父は老荘の子に不満や不足を感じるのでしょうけど、老荘の子はそれで満足なのでしょうね。ただ老荘の子は経済を回さないから、ちょっと困ったことだとはいえると思いますが。
若者の生活の実感がよくわかる文章をありがとうございます。
服にこだわらない若者が増えたというのは意外ですね。私は残念ながらバブル世代でして(失笑)、学生のころはバイトしてDCブランド(わからないか)を買っていました。というか、バイトしても買うものがないと気づいてしまったからでもありますが(笑)。
大阪ではアメリカ村というファッション街がむかしにくらべてどんどんふくらんでいる感じがするのですが、ブランドものが没落して、ユニクロ路線にシフトする流れは強まっているのでしょうね。
TVをまったく見ない若者やケータイをもたない若者がいるなんて知りませんでしたが、商業やコマーシャリズムに踊らされない人たちがいることはりっぱなことですね。私たちバブリー世代はファッション雑誌やトレンド雑誌に踊らされてバカな目に会いました(笑)。というか、そういう踊らされる人たちがいないと経済が回っていかないのがツライところですが。裸の王様カモーンですね(笑)。
希望についてですが、べつにそんなものがなくても人は生きていけるものですね。ただ歴史の長い目でみると、日本人はアメリカ人のような消費生活だとか、北欧のような福祉国家だとか、ソ連のような平等で保障された社会主義国家、またはフランスやドイツのような先進国に憧れて、明治以降の国家や国民をひっぱってきたわけですね。このような大きな潮流が私たちのいまの社会をつくってきた事実は否めません。
いまはそのような希望が潰えた、終焉してしまった時代なのだと思います。そういう人類の大きな希望や夢がついえた時代というのは、多くの人の生きる張り合いや意味を失わせてしまうものです。経済だって、明日への期待や投資もうまく起き上がってきません。だから大人たちは老荘のように悟りきった若者たちの出現に困っているわけですね。
経済や国家を回してくれる人はあれもほしいこれもほしい、これがカッコイイとかおもしろいとか、文化とか憧憬をつくりだす人たちや文化です。このような推進役がいたからこそ、経済は回り、進歩はあったわけです。もしそれが失われてしまったら、経済も社会も減速し、縮小してゆかざるをえないですね。それが困るというわけですね。
生き方としてはべつにほしいものがないという状態のほうが仏教や老荘の悟りに近い状態で生きられるといえますが、一定の人は踊らされたり、カッコよさや憧れを欲望ばりばりで求めてくれないと、社会や経済というものは回らないのが困ったものですね。欲がなくてもしっかりと経済が回る背丈のあった経済が回る仕組みが考えられる必要があるのでしょうね。
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はじめまして。
確かに20代の頃に比べ、ほしい物がなくなってきた。(失業、転職して収入が激減したのもあるが・・)
趣味のもの(山屋なもんで)には多少金をかけるが、20代の頃のように周りに合わせてというか、周りが持ってるから俺もなんて感じは今の若者にはないだろう。
若者は消費しない、高齢社会で、年齢的衰えで消費しなくなる老人とまあ明らかに、経済は縮小していくことだろうねえ。税収も減り、国家財政破綻も視野に入ってくるかも。
40代のおっさんとは、団塊の世代のように周りに合わせたというか派手な消費は嫌いだが、今の若者のライフスタイルもまたなんか違和感がある半端者であります。
世の中、変わっていくだろうが、慣れるまで何を楽しみに生きればいいのか、たえず模索しているこの頃です。