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04 05
2008

YouTubeマイ音楽館

テレビに出なくとも評価される歌手



 先日、テレビにめったに出ない竹内まりやがNHKの『SONGS』という歌番組で特集を組んでいた。テレビに出なくとも評価される歌手の、根強い人気や不動の評価を垣間見た気がした。テレビにあまり出ない歌手のほうが長く愛される歌を歌いつづけ、評価も長く、末永く愛されるようである。

 竹内まりや - うれしくてさみしい日
 母親の目から娘の結婚を歌ったもので、至福のメロディが涙を誘いますね。さだまさしの「秋桜」の母親版のようなものですね。

 竹内まりや -
 リクエストNo.1の曲で、やっぱりという感じがしますね。むかし愛した人を駅でたまたま見かけるということは多くの人が経験することなのでしょうし、関係が切れた深い傷は悲しみを呼び込むのでしょう。



 竹内まりやは歌っている姿をテレビにあまり出さずに、ライブもめったにしないが、テレビに曲を提供しないというわけではない。それよりか、テレビのドラマやCMとのタイアップで多大な人気を得たといった歌手のほうが近い。「ドラマの歌姫」なのであって、物語的な歌の力を最大限ひきだした。物語の記憶とともにメロディは強烈な焼き付けをおこなうのである。

 テレビに出なく長く愛される歌手といえば、私は浜田省吾が好きなのでまず思い出すが、浜田省吾はテレビにまったく出ずに長く継続したファンをつかみつづける稀有の存在である。テレビに出ないから知らない人はまったく知らないだろうが、ファンにはずっと愛されつづけている。

 浜田省吾の聴かれ方というのは、友人やカラオケなどの「口コミ」で広がることのほうが多い。聴いてみると青春の迷いや悲しみを歌った曲におおいに感銘して、私は何枚ものアルバムを聴きつづけたし、ほかの人は定評のあるライブに導かれるのである。テレビに出ないし、友人を介して知った曲などであったりして、ひじょうに個人的な経験なうえに曲もダイレクトに個人的な体験のように感じられる。それによって長く愛される個人的な曲になるのである。このような愛され方をする歌手というのはひじょうに幸せだと思う。

 19のままさ
 浜田省吾 ~ もうひとつの土曜日
 浜田省吾 初秋



 松任谷由実や中島みゆき、山下達郎や小田和正、矢沢永吉などの往年の歌手はテレビに出なくとも長く愛されつづける歌手である。むかし聴いた名曲のおかげでいつまでも愛される歌手になったのだろう。

 卒業写真 ~ ユーミン
 荒井由実-瞳を閉じて
 ひこうき雲 ~ ユーミン
 DESTINY ~ 松任谷由実
 中島みゆき わかれうた
 中島みゆき 時代
 クリスマス・イブ 山下達郎
 さよなら 小田和正
 ラブストーリーは突然に 小田和正
 矢沢永吉 Eikichi Yazawa  時間よ止まれ



 これに対して新しい歌手などはテレビの出演を人気のバロメーターと考えているようである。テレビに出なくなるとアルバムの売り上げも落ち、忘れられると考える。テレビに出なくとも長く愛される歌手に比べて、まるで自転車操業のようである。人気や売り上げは急激だが、落ちるときも急激である。テレビはジェットコースターのような人気をつくるようである。

 テレビは国民的メディアでありつづけているが、多くの人に認知されるためには必要な手段であるのだが、このような多くの人の認知を得るメディアは急激な忘却もセットである。新しく認知されようと宣伝・広告が激しくしのぎを削っている世界で、認知されても忘れ去られるのも急激である。長く愛される曲を生み出せなかったり、もしくは急激な人気や莫大な人気を誇ったために、逆に消却がよけいに急激に感じられることが裏目に出たりして、一時期絶大な人気を得た歌手も急激に忘れ去られてゆく。まるでテレビは「忘却のための装置」だという気がしてくる。

 テレビというのは視覚に訴えるメディアである。音楽というのは聴覚に訴えるメディアであるが、古来から音楽は観客の前で演奏される視覚・聴覚・五感ですべてうけ止められる体験であったのだが、レコードの発明により聴覚に限定されるメディアになった。個人的体験としての音楽になり、個人的・私秘的な経験にもなった。音楽は個人の部屋で、ひとりで聴かれるひじょうに個人的な経験になったのである。映画のような観客が一斉に見る形態から、読書のような個人的体験になった。

 テレビというのは映画や演奏会のようなみんなで共有するための共有体験という気がする。音楽は個人的経験というよりか、「共有のためのツール」という感がする。ニュースや天気の話、野球などの職場や学校などで会話が共有できる共通話題である。「つながるためのツール」なのである。テレビの新人歌手・人気歌手というのは、「友だちとつながるためのツール」のような気がする。友だちの間では飽きられたり、忘れられたり、新しい楽しみを見つけ出すのが急であったりして、テレビの歌手はそのような関係に呑み込まれるのである。かれらは「共有のためのツール」として浅い聴かれ方と記憶を忘却されて、消費されてゆくのである。時代とともに去っていったというよりか、その友達関係のなかで消費されてゆく泡でしかないのである。

 長く聴かれる歌手というのは、そういう共有体験よりか、個人的体験に重きをおいた曲づくりに成功したといえるだろうか。共有体験のみではなく、個人的な心の奥底に深く沈みこむ楽曲づくりをおこなったのである。あるいはテレビの急激な共有体験に呑み込まれることなく、着実に地味に浸透する長期的スパンで愛される曲づくりに成功したのだろうか。テレビはそのような経験をつぎつぎに捨て去って成り立つメディアである。記憶や銘記の時間を与えないのである。瞬間に売れ、多くの人の耳と心に刻まれることがあったとしても、つぎの瞬間には忘れ去られる。追い出された曲や記憶は長く心に残ることはないのである。

 だれもが瞬間に忘れ去られる曲より、長く深く愛される曲のほうをのぞむだろう。瞬間に愛される曲は花火のようであり、ろうそくのように長く心に残ってほしいのである。いつまでも愛される曲に出会いたいだろう。一瞬に消費され、時代とともに忘れられてゆく曲より、いつまでも感動を与える曲と出会いたい。私はこのような曲づくりに狙いを定めた音楽の方向にもっと期待したいものである。それこそがおおくの音楽家の真にのぞむことではないのだろうか。

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うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。神秘思想、仏教、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

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