『画家と自画像』 田中 英道


画家と自画像―描かれた西洋の精神 (講談社学術文庫)
田中 英道

画家と自画像―描かれた西洋の精神 (講談社学術文庫)


 期待していなかったが、意外におもしろかった。自画像とはたんに自分の顔を描くだけだと思っていたが、さまざまな感情や思想をこめることができる。この本を読んでいると自画像ひとつにそこまで深い情報をこめられるのかと少々驚いて楽しめた。類書があればまた読んでみたいと思わせたし、再読に値する本かもしれない。

 画といえばむかしは宗教画が多かったのだが、画家はその聖なる瞬間に群衆のひとりや観衆のひとりとして描かれていたりした。脇でこちらをひとり見つめていたり、群衆にまぎれてひとり目線がこちらを向いていたりした。客観的・批判的な目でそれらを眺める視点を画家をもっていたのである。

 しかしキリストや聖者の顔に自分の顔をしのばせるような、ときには聖者の集まりに自分を登場させたりして、画家は聖者と同一化するような時代もあらわれたのである。

 自画像の中にはりっばな、高貴で、威厳のある哲学者・宗教者のような風貌が描かれることが多いが、じっさいはむさくるしく、醜かったという例もあるようである。ダ・ヴィンチとかデューラーなんかはりっぱな自画像がよく見られるが、ほかのデッサンをみるとじっさいはもうちょっと体裁の上らない風貌をしていたようなこともあったようである。

 自画像を多く描いた画家といえば、レンブラントであるが、じつに表情豊かな、驚く、笑える自画像をたくさん描いている。結婚したてに描いた「幸福な夫妻」、「乞食姿の自画像」、「叫ぶ自画像」、妻ににらまれて脅える「サスキアと一緒の自画像」、破算で心労した自画像、そして狡猾でえげつない顔をした「笑う自画像」。じつにヴァラエティー豊かな人生の変遷をそのときの自画像で描いているのである。「笑う自画像」についてこう書かれている。

 03rembrant2.jpg 「笑う自画像」 レンブラント


「この姿ほど、私たちを打つものはない。……死に近い老人が、苦しむその自分を認知する自己を保持していること、それがわれわれを打つのである。ここには、「神」のもとに行くという確信による心の平穏さもない。ただこうして生きてきた自分を笑う精神があるだけである。

その自己を笑う精神こそ、自己を救うものである。それは肉体即精神、という現代人の考え方、生き方を批判するものである。自己の他人に対する権力を望み、自分の力をふるうことを生き甲斐とする近代人たちの、「自由」の名を借りた権力欲に対し、それが滑稽なものであり何の意味もない、と語る精神のありかを教える。ここでは敗残者は、むしろ現実の破産者ではない。そうした自己を認識できない人間こそ、敗残者となるのである」



 「自己の他人に対する権力を望み、自分の力をふるうことを生き甲斐とする近代人たち」――この言葉はひじょうに深い。そう、われわれは暗黙には他人への権力欲を人生の最大の目標としているかもしれないのである。それを「自由」という名のもとで。このような自己を笑う客観性を保つことこそが、現代人に課せられた人生をよりよく生きるための課題なのかもしれない。

 かつての西洋人は神とともにあり、威厳や安定をもてたが、現代はただ「個人」として、不安な存在として、ひとり世界に対峙している。現代の画家はそのよう「個人」としての自分を描くしかなくなったのである。

 いや、意外におもしろい本だった。自画像から西洋の精神をここまでくみとれるとは思わなかった。願わくば、もうすこし単純に類型化したかたちでその精神の流れを理解しやすかったらよかったのにと思う。自分を見つめるという行為は多くのことを私たちに教えるのである。


自画像の美術史 500の自画像
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