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03 30
2008

芸術と創作と生計

『月と六ペンス』 サマセット・モーム


月と六ペンス (新潮文庫)月と六ペンス (新潮文庫)
(1959/09)
サマセット・モーム、中野 好夫 他

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 サマセット・モームは私の好きな作家である。『月と六ペンス』の世俗の批判と、『人間の絆』の青春漂流にはえらく勉強させてもらった。だいたい20年ぶりにこの本を再読した。

 さいきん芸術と世俗のようなテーマで本を読んでいるので、ちょうどモームのこの本がぴったりだと思い、読みかえした。世俗への小気味よい批判はあいかわらず胸のすく思いがしたし、芸術や創造にとり憑かれた男の狂気には読ませるものがあった。モームは読ませるのがうまいのである。『人間の絆』もかなり長いが、飽きさせないのである。人間洞察の鋭さを自慢げに出しているところなんかはちょっとかな、と思ったりするが、20年前の私はこのような洞察に私の哲学好きな心が目覚めさせられたのである。

 周知の事だと思うが、この作品はポール・ゴーギャンの人生に啓発して書かれたものである。じっさいのゴーギャンと作品のストリックランドがどれほど同じで違うのかよく知らないが(こちらのページなど参考に)、この作品では徹底的に他人に対して冷酷な人間像が描かれている。創造に憑かれた人間は世俗の価値に拘泥しないためにそのような人間に見えることをモームは描いたのだと思う。人間の友好や愛に価値をおかない人間にはそのように見えるのである。

「なんてけちな了簡なんだろうねえ、女ってやつは! 愛だ。朝から晩まで愛だ。男が行ってしまえば、それはほかの女が欲しいからだと、そうとしか考えられないんだからねえ。いったい今度のようなことをだよ、たかが女のためにやるなんて、僕をそんな馬鹿な人間だと、君、考えてるのかね?」



「女というやつは、恋愛する以外なに一つ能がない。だからこそ、やつらは、恋愛というものを、途方もない高みに祭り上げてしまう。まるで人生のすべてであるようかのように言いやがる。事実は、なに鼻糞ほどの一部分にしかすぎないのだ。……だが、恋愛というのは、あれは病気さ。女というやつは、僕の快楽の道具にしきゃすぎないんだ。それが、やれ協力者だの、半身だの、人生の伴侶だのと言い出すから、僕は我慢ができないんだ」



「つまり、彼女こそは、女というものは他人の金で生きるもの、そんなことは当たり前だという、いわば奥様階級まるだしの本能を具えた女だったのだ」



 じつに男が出て行ったらほかに女をつくったのに違いないのだと疑う世間の下劣さをモームは小気味良くあげつらっていて、私もえらく共鳴する。女や家庭や安定が第一のような価値観なんて、つまらないのである。私もそれが最高の価値なんて思ってやしないし、個人としての女や人間にそんなに楽しみがあると思わない。どうも世間ではそのような「宗教」がいちばんだと思っているようだが。安部公房の『砂の女』にもそのような批判がこめられていて、おかげで私は家庭をもたない人生を歩んでいるわけだが、公房の『砂の女』は砂に閉じ込められた人生に満足を覚えてゆくのである。

「僕は言ってるじゃないか、描かないじゃいられないんだと。自分でもどうにもならなんだ。水に落ちた人間は、泳ぎが巧かろうと拙かろうと、そんなこと言っておられるか。なんとかして助からなければ、溺れ死ぬばかりだ」



「普通、生活の楽しみだとか、美しさだとか呼ばれる事物に対して、彼はいっさい無頓着だったのだ。金銭にはてんで興味がないし、名声にもまたそうだ。たいていの人間ならば、まず好い加減のところで世間と妥協してしまうのだが、その妥協の誘惑にさえ、彼は厳として打ち勝った。……彼の場合は、てんではじめからそういった誘惑がない。妥協の可能性などということは、最初から彼の頭には浮かんでこないのだ」



「……やっぱり馬鹿なことをしたもんだと言いたいねえ。自分の一生をこんなふうに台なしにしてしまうなんて、意味ないよ、君」
だが、果してエイブラハムは一生を台なしにしてしまったろうか? 本当に自分のしたいことをするということ、自分自身に満足し、自分でもいちばん幸福だと思う生活をおくること、それが果たして一生を台なしにすることだろうか? それとも一万ポンドの年収と美人の細君とをもち、一流の外科医になること、それが成功なのだろうか? 思うにそれは、彼が果して人生の意味をなんと考えるか、あるいはまた社会といい、個人というものの要求をどう考えるか、それらによって決まるのではあるまいか?」



「あのストリックランドを捉えていた情熱は、いわば美の創造という情熱だった。それは彼に一刻の平安を与えない。絶えまなくあちこち揺すぶりつづけていたのだ。いわば神のようなノスタルジアに付き纏われた、永遠の巡礼者だったとでもいおうか。彼の内なる美の鬼は、冷酷無比だった」



 芸術や創造にとり憑かれた男と、女や家庭との見事な対比が描かれていて、この世間の価値観に拘泥しなかった、見事にその価値観を無視しつづけた男の生涯が、私たちに当たり前の人生コースに再考をうながせるのである。男だったら、世間の価値観なんか捨ててしまいたいとは一度は思うんじゃないだろうか。世間のモノサシなんてどうでもいいと思う瞬間が訪れる男は、幸運なのかもしれない。そこまで賭けられる人生の大切なものを見つけられたからである。このように考えると世間のモノサシや価値観で測られる成功や階層なんてクソみたいなものである。ストリックランドは生涯を賭けた作品すら最期に燃やしてしまうのである。


ポール・ゴーギャンの作品(私にはそのよさがよくわからないんですけど(笑))

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サマセット・モームの作品 『人間の絆』はおすすめですね。
人間の絆〈上〉 (岩波文庫)読書案内―世界文学 (岩波文庫)サミング・アップ (岩波文庫 赤 254-10)劇場 (新潮文庫)

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Comment

Somerset Maugham

サマセット・モームは私の好きな作家である。『人間の絆』の青春漂流にはえらく勉強させてもらった。
私も全く同じです。「人間の絆」は暗記するほど読みました。
彼は同性愛者で、また第一次世界大戦中はスパイだったということを後に知りました。
「女というやつ」にほとんど興味を無くしたんでしょね。
「月と六ペンス」の上の表紙は良く憶えています。
私は「雨」も好きでした。
晩年は悲惨だったらしいのが、少し気になります。

蛇足ですがシャンソン歌手のAlain Souchonが「Someset Maugham」という歌を歌っています。

こんにちは。

あらためて自分の書いた文章を読み返して思いましたが、『月と六ペンス』は名著なんだと思います。

世間の成功とか階層、価値観をまったく蹴飛ばしている。女はそのひとつの象徴だと思います。

ふだんはどうしても世間のヒエラルキーとかカネの順位とかで自分やものごとを計ってしまう思考に慣らされてしまいますが、この本を読むとすかっとその価値観を蹴飛ばしてくれると思います。

マスコミ的価値観や新聞的価値観、または世間の価値観といったらいいでしょうか。ストリックランドの生涯はその序列の逆転した生き方を見せてくれます。

世間にうちのめされそうに感じるとき、ポケットにしのばせておきたい本ですね。

『人間の絆』はずいぶん楽しい読後感をもちましたが、むかしに読んでしまったので記憶がほとんど薄れてしまっています。映画化されていたら見てみたいものですね。

人間の絆

http://www.asahi-net.or.jp/~hj7h-tkhs/jap_brief/jap_brief_bondage.htm
2回映画化されているようです。私は新しいほうを偶然TVで見ました。上のリンクにあるように、原作とは全く違っていましたが、ミルドレッドという名前から、すぐに原作に気づきました。ミルドレッドの部分をクローズアップして映画化しています。
私の読後感は、驚きと失望でした。確かね、全く何の魅力も無い女に、意味無くプロポーズするところで終わっていたような記憶があります。全く心が動かない空気のように存在感の無い、便利なだけの女を、主人公が選んだことにかなり失望しました。これがモームの結論だったのでしょうが、女に対するこれ以上の絶望があるでしょうか。まあ、ミルドレッドは、結論のための伏線、言い訳、だと思います。
私の記憶では、原作ではミルドレッドは、客観的に全然いい女ではなかったと思います。どうして映画ではファッム・ファタルになっているのか、分かりません。振り回されるのは、若者の優しさ、純粋さ、気高さだと、又はお人よしさ、だと読み取りました。だから最後の結論に、がっかりした記憶があります。

ところで、うえしんさんは、上本町と心斎橋をくっつけたハンドルネイムなのですか?

こんにちは。

『人間の絆』の映画の紹介ありがとうございます。
恋愛が主題になっているようですが、原作は青春の漂流がメインだった気がしますが、この恋愛譚すら忘れているほど、私は物語を忘れていることに気づきました。悪女の物語は一般受けをねらったものでしょう。

うえしんという名前は本名の省略形で、信用金庫が「きづしん」とかいったりするようなものです。私は大阪人ですが、地名の名前をつけるほどこだわりもありません。

人間の絆

ちょっとくどいようですが、「人間の絆」に関する自分自身の文章を見つました。
http://someotherdays2.blog8.fc2.com/blog-entry-97.html
この内容が貴ブログのテーマとかすかに重なるところがあるとすれば、多分以下の部分だと思います。
ひとつ:ある年齢に達すると人は妥協して情熱よりも安定を求める。
年齢は現実に人間をより深く放り込むものなので、妥協するかどうかは大きなテーマだと思います。・・・
昨日NHKで放送していた「君たちに明日はない」は、もうそこまで行っているか、という思いがしました。首を切るのが仕事、の主人公の苦悩、極端と言えば極端ですが、現実はそこまで来ているのだと思います。・・・
社会的に遠心分離機にかけられても、自分の中のピュアーな独自の領域をなんとしても守り抜くか否か。

こんにちは。

う~ん、私はそういう面からほとんど考えたことがないのでなんともいえないなという気持ちが正直なところです。

妥協と考えるより、べつに流されて生きてもいいし、自分のなにかをつよく守ろうという気持ちもありません。そのときの状況でいいものを見つけて、妥協とかの問い自体が思い浮かびません。

ポリシーなき人間といえるかもしれませんが、観念にしがみつく気もありません。それをよいか、悪いかも気にならないといえるのでしょうね。
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