『月と六ペンス』 サマセット・モーム


月と六ペンス (新潮文庫)月と六ペンス (新潮文庫)
(1959/09)
サマセット・モーム、中野 好夫 他

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 サマセット・モームは私の好きな作家である。『月と六ペンス』の世俗の批判と、『人間の絆』の青春漂流にはえらく勉強させてもらった。だいたい20年ぶりにこの本を再読した。

 さいきん芸術と世俗のようなテーマで本を読んでいるので、ちょうどモームのこの本がぴったりだと思い、読みかえした。世俗への小気味よい批判はあいかわらず胸のすく思いがしたし、芸術や創造にとり憑かれた男の狂気には読ませるものがあった。モームは読ませるのがうまいのである。『人間の絆』もかなり長いが、飽きさせないのである。人間洞察の鋭さを自慢げに出しているところなんかはちょっとかな、と思ったりするが、20年前の私はこのような洞察に私の哲学好きな心が目覚めさせられたのである。

 周知の事だと思うが、この作品はポール・ゴーギャンの人生に啓発して書かれたものである。じっさいのゴーギャンと作品のストリックランドがどれほど同じで違うのかよく知らないが(こちらのページなど参考に)、この作品では徹底的に他人に対して冷酷な人間像が描かれている。創造に憑かれた人間は世俗の価値に拘泥しないためにそのような人間に見えることをモームは描いたのだと思う。人間の友好や愛に価値をおかない人間にはそのように見えるのである。

「なんてけちな了簡なんだろうねえ、女ってやつは! 愛だ。朝から晩まで愛だ。男が行ってしまえば、それはほかの女が欲しいからだと、そうとしか考えられないんだからねえ。いったい今度のようなことをだよ、たかが女のためにやるなんて、僕をそんな馬鹿な人間だと、君、考えてるのかね?」



「女というやつは、恋愛する以外なに一つ能がない。だからこそ、やつらは、恋愛というものを、途方もない高みに祭り上げてしまう。まるで人生のすべてであるようかのように言いやがる。事実は、なに鼻糞ほどの一部分にしかすぎないのだ。……だが、恋愛というのは、あれは病気さ。女というやつは、僕の快楽の道具にしきゃすぎないんだ。それが、やれ協力者だの、半身だの、人生の伴侶だのと言い出すから、僕は我慢ができないんだ」



「つまり、彼女こそは、女というものは他人の金で生きるもの、そんなことは当たり前だという、いわば奥様階級まるだしの本能を具えた女だったのだ」



 じつに男が出て行ったらほかに女をつくったのに違いないのだと疑う世間の下劣さをモームは小気味良くあげつらっていて、私もえらく共鳴する。女や家庭や安定が第一のような価値観なんて、つまらないのである。私もそれが最高の価値なんて思ってやしないし、個人としての女や人間にそんなに楽しみがあると思わない。どうも世間ではそのような「宗教」がいちばんだと思っているようだが。安部公房の『砂の女』にもそのような批判がこめられていて、おかげで私は家庭をもたない人生を歩んでいるわけだが、公房の『砂の女』は砂に閉じ込められた人生に満足を覚えてゆくのである。

「僕は言ってるじゃないか、描かないじゃいられないんだと。自分でもどうにもならなんだ。水に落ちた人間は、泳ぎが巧かろうと拙かろうと、そんなこと言っておられるか。なんとかして助からなければ、溺れ死ぬばかりだ」



「普通、生活の楽しみだとか、美しさだとか呼ばれる事物に対して、彼はいっさい無頓着だったのだ。金銭にはてんで興味がないし、名声にもまたそうだ。たいていの人間ならば、まず好い加減のところで世間と妥協してしまうのだが、その妥協の誘惑にさえ、彼は厳として打ち勝った。……彼の場合は、てんではじめからそういった誘惑がない。妥協の可能性などということは、最初から彼の頭には浮かんでこないのだ」



「……やっぱり馬鹿なことをしたもんだと言いたいねえ。自分の一生をこんなふうに台なしにしてしまうなんて、意味ないよ、君」
だが、果してエイブラハムは一生を台なしにしてしまったろうか? 本当に自分のしたいことをするということ、自分自身に満足し、自分でもいちばん幸福だと思う生活をおくること、それが果たして一生を台なしにすることだろうか? それとも一万ポンドの年収と美人の細君とをもち、一流の外科医になること、それが成功なのだろうか? 思うにそれは、彼が果して人生の意味をなんと考えるか、あるいはまた社会といい、個人というものの要求をどう考えるか、それらによって決まるのではあるまいか?」



「あのストリックランドを捉えていた情熱は、いわば美の創造という情熱だった。それは彼に一刻の平安を与えない。絶えまなくあちこち揺すぶりつづけていたのだ。いわば神のようなノスタルジアに付き纏われた、永遠の巡礼者だったとでもいおうか。彼の内なる美の鬼は、冷酷無比だった」



 芸術や創造にとり憑かれた男と、女や家庭との見事な対比が描かれていて、この世間の価値観に拘泥しなかった、見事にその価値観を無視しつづけた男の生涯が、私たちに当たり前の人生コースに再考をうながせるのである。男だったら、世間の価値観なんか捨ててしまいたいとは一度は思うんじゃないだろうか。世間のモノサシなんてどうでもいいと思う瞬間が訪れる男は、幸運なのかもしれない。そこまで賭けられる人生の大切なものを見つけられたからである。このように考えると世間のモノサシや価値観で測られる成功や階層なんてクソみたいなものである。ストリックランドは生涯を賭けた作品すら最期に燃やしてしまうのである。


ポール・ゴーギャンの作品(私にはそのよさがよくわからないんですけど(笑))

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サマセット・モームの作品 『人間の絆』はおすすめですね。
人間の絆〈上〉 (岩波文庫)読書案内―世界文学 (岩波文庫)サミング・アップ (岩波文庫 赤 254-10)劇場 (新潮文庫)

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