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01 21
2008

社会批評

「謝罪」国家の真の謝罪させたい相手はだれなのか


 shazaikaiken.jpg  きょうもどこかで頭を下げる企業トップ

 ニュースをみるとどこかの会社のエライさんが頭を下げた写真ばかりがならぶ。きょうのニュースをみると再生紙偽装問題とNHK株不正問題でトップが頭を下げていた。

 最近の日本は謝罪ばかりである。建築偽装問題に食品偽装問題。トップが頭を下げる。そしておかしなことにこの偽装問題は数年前、あるいは何十年も前からつづけられていたものだと思われることだ。きのうきょうに始まった問題ではないのだ。なんで数十年も前から平然とおこなわれていたことがマスコミの表舞台に引っぱり出されて、わさわざ糾弾されなければならないのだろう。

 日本人はトップの謝罪になにを求めているのだろうかと思う。あるいはマスコミが新たな「商品」発掘に目覚めただけなのだろうか。企業トップに謝罪させれば購買部数と社会の関心が集まると発見されて、埃に埋まっていたような不正問題が掘り起こされるのである。日本が貧しく、必死だったころにはもっと偽装問題が日常茶飯事だったと思われるのに、どうしてここにきて不正問題がこんなに世をにぎわすのか。

 期せずしてボクシングの亀田親子が反則問題で日本中から謝罪会見を求められた。ここまでくれば、もう「謝罪狂国家」である。誤ればすべての問題が解決するといった観がする。問題の根底は謝罪によって解消する問題なのだろうか。謝罪はその問題がおこった原因や社会背景の追究を無化してしまわないか。

 相撲界の朝青龍が休場中に故郷モンゴルでサッカーをしたということで謝罪が求められたのだが、謝罪をしない朝青龍はぎゃくに「ヒール(悪役)」として相撲会場を満員御礼にもりたてた効用がおこったのである。朝青龍が土俵の土をつけば、座布団が舞い踊り、観客は胸の溜飲を下げる。世の中は「悪役」を求めているのである。世の中は憎らしい相手が負けること、謝ることを渇望しているのである。そこですっきりしたいと願っている。

 かつて日本がアメリカに負けた後、プロレスブームがおこった。日本の力道山が外国の「悪玉」アメリカン・レスラーをやっつけることに狂喜乱舞するというブームが日本を覆ったのである。これはもちろん敗戦国日本のアメリカに対する憂さ晴らしの効用が求められたのだろう。

 こんにちの「悪玉」は企業トップである。世の中を不景気にし、私たちの賃金を下げ、息子たちを非正規・不安定雇用の職につかせ、年金も健康保険も破綻寸前である。だれが悪いのかということである。そしてその責任は偽装問題という些細なことがらをきっかけに、企業トップの謝罪連鎖へと導かれたのである。私たちは企業トップが謝るという「物語り」にこれまでの怨恨の解消を求めているのである。事柄の大小は重要ではない。「謝らせる」ことが私たちいまの日本人にとっては重要なのだろう。

 戦後の日本人はこれらの企業トップによって導かれてきた。企業のために必死に働き、貢献すれば、われわれの生活は豊かになり、所得は倍増し、「坂の上の雲」に到達できると信じてこれまでがむしゃらに働いてきたのである。しかしここにきて、約束はおろか将来の安定も老後の年金も保障されないではないか。いったいだれが責任をとるのか。「謝れ! 謝れ!」というわけである。

 2006年のひとり当たり国内総生産は18位に転落した。経済は「一流」ではないといわれる。(名目GDPはまだアメリカに次ぐ2位だけどね。平成18年度国民経済計算確報)。このように堕ちてしまった日本人の威信に対して謝れというわけである。

 おそらく日本は1998あたりの大手銀行・証券会社の倒産により、「第二の敗戦」をむかえたのだろう。そのような「レッド・パージ(赤狩り)」のような気運が、企業トップへの謝罪要求へと向かうのだろう。政治家は短命首相がつぎつぎに入れ替わったときにその要求はつきつけられ、こんどはその下の企業トップにまで降りてきたのだろう。私たちは些細な偽装問題に謝罪をつきつけているのではなく、戦後日本を導いてきた企業全体にこんにちの決算の謝罪を求めているのだろう。表面的な問題にだまされていけない。

 だけど謝罪には私たちの胸のつかえを下ろす役割はあるだろうが、われわれの真の目的はそうではないのだろう。謝罪要求が政治家や企業トップにきたあと、謝るのは自分自身についてである。私たちが信じた世の中が終わろうとしている。そのような夢を信じた自分たちを葬りたいと思っているのである。私たちはこれまでの企業中心の世の中、または企業や消費が導く希望の社会像の終焉、といったものの総決算をつけたがっているのだと思う。あるいは社会保障や生活保障といったものの福祉国家の夢がご破算に陥ったケジメをつけたがっているのだろう。

 企業トップの謝罪とはわれわれ自身の過去の夢との決別の決意でもあるのかもしれない。<悲哀の仕事>をおこない、過去との決別をおこなおうとしているのだろう。私たちは泣きながら、喪に服しているのだろう。そのような<泣いている>私たちに私たちを導いた企業に謝れと言い放っているのが、こんにちの企業トップの連続した謝罪会見にあらわれているのだと思う。。

 その喪に服した期間を過ぎれば、私たちは<新しい社会>や<次の生き方>に向けて、心の準備を新たに立ち上げることができるのだろうか。泣きはらした目の向こうには、「坂の上の雲」は光り輝いて見えるのだろうか。


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Comment

アマ論

おはようございます。

ご存知かもしれませんが、最近、学校経営者が相次いで逮捕されました。
これほど現代日本の「労働中心社会」を浮き彫りにする事件は無かったのではないでしょうか。

ワンマン経営者と奴隷根性の臣下たち。
組織は経営の論理ではなく、抑制不能な性欲で動いていたというのが、何とも悲しい。

さて、ここ数年の不祥事についてですが、僕はこれを 「第2次ビッグバン。」 と捉えているんですよ。

10年前の金融システム改革は外圧によるものでした。
今回は内部告発といいますから、ビッグバンそのものではないですか。

それにしても、仕事というのは不思議なものですよ。
どんなに仲の良い二人で取り組んでもケンカになるのですから・・・。

プロになれ!という風潮に多くの人が騙されている現状。
野球もサッカーも カネ、カネ、カネ!で、夢も何もありゃしないのに。

オリンピックもプロ化が進んで、巨大ビジネスになりました。
北京では民家立ち退きの問題が起きている。
クーベルタン男爵もあの世で嘆いている気がします。

このへんで、仕事など全てやめてしまえば、どれほど地球にいいことか・・・。

まあ、今日は穏やかな休日を楽しむとしましょう。

それでは、また。


P.S. このスローナンバーがこの頃のお気に入りです。

Reflection-Christina Aguilera (Mulan)
http://www.youtube.com/watch?v=SnXTH88AHqM&feature=related

たいく~んさん、こんばんわ。

企業の内部告発はたしかにビッグバンの要素をもちますね。
会社に守られているあいだは内部の不正など外部に告発することはなかったのでしょうが、いまは内部の人間が不正を告発するようになりましたね。会社の正義が日本の公正であるといった傾向から脱することができて、とてもいいことだと思います。われわれは会社人間である前に社会人でありますね。

金融ビッグバンは雇用ビッグバンになってゆくのでしょうかね。雇用流動化は派遣やワーキングプアの増加などの負の側面が大きくクローズアップされますが、あと一歩もっと転職や流動化がマイナスにならないような雇用環境ができあがれば、日本人はもっと自由に生きられると思います。雇用流動化はマイナスの面も大きいですが、企業に隷属していた日本人を解放するという意味でひじょうにプラス面も大きいと私は考えています。

あとひとつ社会保障のビッグバンもおこるのでしょうかね。年金や健康保険などの規制緩和もおこなわれば、いろいろ困ることはあるのでしょうが、なによりも私は日本人の生き方をようやく自由に解放することになると思っています。社会保障というのはなによりも人の人生を拘束・束縛してしまう。国家や企業にぶら下がる人生が最高のステータスのような時代がながくつづきましたよね。そういうメンタリティはかなり軟弱で危険な状況だと思います。したがって規制から解放されることは、日本人をかなり自由にすると期待しています。

エッセイの吹き荒れる謝罪要求は日本人のひとつの決算を告げているのだと私は解釈しました。日本人は企業主導のやり方を改めて、新しいメンタリティを生み出そうとしているのか。いまはひとつの時代の変わり目に立っているのかもしれませんね。

追伸 クリスティーナ・アギレラは1stアルバムを2500枚も売った怪物ミュージシャンみたいですね。80年代に3000万枚を売ったマイケル・ジャクソンは怪物でしたが、さっこんではフツーになってきたのでしょうか。さいきんはさっぱりチャートの情報が入ってこなくなりました(笑)。ブリトニー・スピアーズも3000万枚売りましたね。いやはや時代は知らないところで動いているのですね。新しい情報をありがとうございます。

坂の上の雲

幕末や明治と違い、やいまや時代も社会も坂の上の雲を用意してくれない。自分自身で雲を見つけるしかないのだ。国家一丸となって坂を上がっていった時代は、とっくに終っているわけです。いまはむしろ環境問題から誰もがモチベーションあがらないわけです。しかし避けられないテーマでもあるのだが。

FREEHANDSさん、こんにちは。

政治家が頭を下げ、企業トップが頭を下げる熱狂の時期は終わりましたね。
わずか半年前のことでしたが、このような時期があったことをどれだけの人が思い出したり、覚えたりしているのでしょうか。

つぎは自分自身が信じていた夢や「坂の上の雲」と決別しなければならない時期に来ているのでしょうが、はたして個々人はそのような反省や後悔を自分の身の上に引き受けて、決着をつけているのでしょうか。

自分の謝罪を棚の上にあげたまま、いまの日本がよい方向に向かってゆくとは思われないのですが、生き方や考え方を変えようという日本人の気運が盛り上がることもありませんね。

日本人、個々人が変わらなければならない潮の目にきていると思うのですが、あいかわらず流されてゆくばかりのように思えます。

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うえしん

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世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。神秘思想、仏教、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

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