ラファルグの『怠ける権利』があった



 前から読みたいと思っていたが、絶版のため読めずじまいだったラファルグの『怠ける権利』の翻訳がネットで紹介されていた。

 怠惰への権利(怠ける権利) 1884

 かなり短いので、とても本一冊の容量はないので、抄訳だと思う。ざっと読んでみると歴史的な記述が多くてあまり感動するものはなかったが、引用文を並べてみると、なかなか心に響くものがある。ラファルグは労働狂になってゆく時代の狂気をさかんに叫んでいるのである。

 しかしそれから100年以上たってもほとんど変わらない状況から、ラファルグの言葉は以後の社会をなにも変えなかったことがわかる。消費社会や平等社会、福祉国家がますますわれわれを労働狂の社会にはりつける。

 お金を稼ぎ、生きてゆくためには働かなければならないという自明性のもとに、ちっとも労働から降りられなくなってしまっている。なんとかここから逃れる方法はないのか、発想の転換はできないものかと思う。

12時間労働、それが18世紀の博愛主義者やモラリストたちの理想なのだ。なんとわれわれは最後の一線nec plus ultraを踏み越えてしまったことか! 現代の仕事場は大量の労働者が投獄される申し分のない矯正施設となった。そこでは、男ばかりか女性や子どもまでもが、12時間から14時間の間、強制労働に従事させられるのだ!(1) 大革命の〈恐怖政治〉の英雄の子孫は、1848年以降、革命の成果として、工場労働を12時間に制限するという法律を受け入れるほどに、労働の宗教によって堕落させられてしまったのだ。彼らは革命の原則として労働への権利を宣言したのである。フランスのプロレタリアートの恥とすべきだろう! ひとり奴隷のみがこのような卑しい行為をなしうる。英雄時代のギリシア人がこのような堕落を理解するためには、資本主義文明の20年が必要だろう。



そして、ヴィレルメは労働の長さについて次のように言う。徒刑場の囚人たちは8時間しか働かなかったし、中世西インド諸島の奴隷たちは9時間だった。しかし、それに対して、1789年大革命を成し遂げ、あの大仰な「人間の権利」を宣言したフランスでは、労働者に対して1日に16時間働かせ、食事のために1時間半しか認めない工場があった。



だがある経済学者--デステュット・ド・トラシーのことだが--は、次のように答える。
「貧しい国とは、人民が満ち足りている国であり、豊かな国とは、人民がいつも貧しい国である」



生産物を皆に分配し、万人の祝宴を開くために危機(恐慌)という機会を利用するかわりに、飢えで疲弊しきった労働者は、工場の門に駆けつけ、頭を打ちつける。憔悴した姿、痩せた身体、哀れな言葉で、労働者は工場長に訴えるのだ。「シャゴーさま、シュネイデルさま、わたくしどもに仕事を与えてください。わたくしどもを苦しめるのは、飢えではなく仕事への情熱なのです!」。そして、かろうじて立っているこれら労働者は、仕事が山ほどあるときよりも半分以下の安値で、12時間労働、14時間労働を求めた。こうして、産業の博愛主義者たちは、より多くの商品を製造するために失業を利用するのだ。



プロレタリアートに吹き込まれたことが邪悪なものであること、プロレタリアートが今世紀のはじめから自らをゆだねている気違いじみた労働が人間性をたたきのめすもっとも恐ろしい禍いであること、分別をもって最高でも日に3時間の労働に限るときだけ、労働は怠惰を楽しむためのスパイスとなり、人間の身体にふさわしい実践となり、社会全体に有益な情熱となるだろうことを納得させるのは、私の力に余ることだ。



しかし、どうしたことか? 機械が改良され、とどまることなく速さや正確さで人間の労働者を凌駕するようになるにつれて、労働者はそれだけ休息を増やすどころか、機械と張り合おうとするかのように、これまで以上に熱心に働くのだ。なんと無意味で、殺人的な競争だろうか!



資本主義的開発の権利でしかない人間の権利を宣言するためではなく、また悲惨への権利でしかない労働の権利を宣言するためではなく、日に3時間以上働くことから人間を守る青銅の法を鍛えるために、労働者階級が、彼らを支配しその本性の価値を切り下げる悪徳をその心から引っこ抜き、自らの並外れた力の中に立ち上がるなら、〈大地〉は、年経りた〈大地〉は、歓喜に震え、その中で新しい宇宙が躍り上がるのを感じるだろう……。



おお、怠惰よ、われらが長き苦しみを哀れみたまえ! おお、怠惰よ、学芸と高貴な徳の母よ、人間の苦しみを鎮めるものよ!



 こちらでは引用文があった。
 『怠ける権利』

 また関連して、ボブ・ブラックという人の「労働廃絶論」(1985)という文章をみつけた。

 こちらのほうが現代的でわかりやすいし、意味も通りやすい。

リベラル派は、雇用差別を終わらせるべきであると言う。
私は、雇用を終わらせるべきであると言いたい。
保守派は労働の権利を主張する。
カール・マルクスの義理の息子で気まぐれなポール・ラファルグに習って言えば、私は怠ける権利を主張する。
左翼は完全雇用がよろしいと考える。
シュールレアリストを真似て言うと、 − 私はふざけているわけではない − 私は完全失業がよろしいと考える。
トロツキストは永久革命を目指して闘う。
私は永久のばか騒ぎ(revelry)を目指して闘う。



ソクラテスは、手作業の労働者は、良い友人や良い市民になれないと言った。彼らは友情や市民権の責任を果たす時間を持てないからである。ソクラテスは正しかった。労働のおかげで、人々は何をしていようと、時計を見てばかりいるではないか。
いわゆる自由時間(free time)の唯一の「自由(free)」も、ボスにコストがかからない時間という意味でしかない。自由時間の多くは、労働のための準備、労働に行く通勤、労働を終えての帰宅、そして労働の疲労からの回復のために費やされる。
 自由時間とは、生産に必要な一種の特別労働の婉曲表現なのである。その間に、単に自身の出費において職場に通勤するだけでなく、当然のように自分自身の維持管理や修理の責任があるものとされる。



サーリンスは次のように結論づけた。「狩猟採集民族は、私たちよりも働かない。彼らの生活は絶え間のない労苦などではない。常に食物探索に汲々としているわけでもなく、豊かな余暇がある。1人当り年当りの睡眠時間を比べると、彼らは他のいかなる社会よりもたっぷり昼寝をしているのである。」
 彼らは平均して一日四時間働くだけだ。それが「労働」だと仮定しての話だが。



労働は人々の健康に有害」である。事実、労働は大量殺人あるいは大量虐殺である。この文章を読んでいる人も大半は、直接あるいは間接的に労働によって殺されるであろう。この国では毎年、一万四千人から二万五千人の労働者が労働災害によって殺され、二百万人以上が障害者にされている。さらに二千万人から二千五百万人が毎年負傷している。

このように、労働は、人間生活における殺人制度なのである。
自民族を大量殺戮したカンボジア人は狂っていると誰もが考えるけれども、我々は違うと言えるのだろうか? いかに異常だったとしても、ポルポト体制は少なくとも平等主義社会のビジョンを持っていた。我々は(少なくとも)六桁の人々を毎年殺している。それというのも、その生き残りにビッグマックとキャデラックを売るためにである。四万人から五万人に及ぶ交通事故死者は、殉教者ではなく犠牲者なのだ。彼らは無駄に死んだ、と言うより、労働のために死んだのである。
しかし労働には、命を捧げるような価値などない。



連中は、人々の時間を欲しがる。あなたを支配するために、あなたの時間を拘束したいのである。たとえ拘束した時間の大部分が無意味であるとしてもだ。もしそうでなければ、過去50年間に、週の平均労働時間がたった数分しか削減されなかったのはなぜなのか?



 若いころの私ならともかく、だいぶお金と労働に縛りつけられた私はこれらの文章がかなり空想めいた反抗文のように思える。メシを食うために働くしかないじゃないかと一般常識が目をくもらせる。労働しないで、どうやってメシと買い物をするのだ、としか思えないのである。若いころのように体験的に労働からの自由を模索する勇気もちかごろはついえた。それでも自戒をこめてなんらかの可能性やオルタナティヴを思索してみたいと思うのである。

 関連して、アントニオ・ネグリは「労働の拒否」というアウトノミア運動を60-70年代におこなったが、この主張はどの著作を読めばのべられているのだろう。近頃翻訳された話題になった『構成的権力』とか『マルチチュード』という著作はこれらのことをのべていないのだろうね。「労働の拒否か」、あまりにも非現実な空想に思えてしまうなあ、年かな〜。

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