『職工事情〈中〉』 犬丸 義一校訂


職工事情〈中〉 (岩波文庫) 職工事情〈中〉 (岩波文庫)
犬丸 義一 (1998/10)
岩波書店
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 中巻では、鉄工、硝子職工、セメント職工、燐寸職工、印刷職工などがとりあげられている。上巻では綿糸紡績職工や生糸職工などの女工の状態がしるされていたが、こちらではすこしく男の職工の状態がわかる。

「鉄工の勤続年数の短期なることは明らかにこれを認めることを得べし」と書かれているように、すこぶる鉄工の移動は激しかった。全国の鉄工を調べると、一年までの勤続者で5割をこえ、三年までで4割、五年以上はたったの一割である。女工のみならず、男もこのような状態なら、いったい生活はどうやって安定したのか、将来の保証はあったのか、結婚や家庭はもてたのか、維持できたのかと心配になるほどだ。フリーターだらけである。まだまだ農業や漁業を男一生の仕事とみる風潮が強かったのだろうか。

「殊に事業繁忙、職工の欠乏を告ぐる場合には単に僅少の給料の差異により軽々しく他工場に行き、事業の閑なるに及びてまた大工場に移る等、工場の間を転々するもの多く、また当初身を本業に投ずるときよりこれを以って終生の業となす決心のもの少なく、中途倦厭し、もしくは多少の貯蓄をなし、廃業するもの少なからず」



「鉄工の貯蓄心に乏しきことは実に驚くに堪えたり。賃金渡し日の翌日には休業する者多きの事実あり。また賃金渡し日には職工の妻はその夫が工場より帰ることを案ずるなり。しかして工場の門前には掛取り群をなして、職工が賃金を受け取るや否や直ちにこれを請求せることは常に見る所なりと」



 こんな職を転々とするフリーターのような男でも妻帯者は三、四割をこえ、給料日のつぎには休んだり、あるいは酒や散財に給料が消えてしまい、妻が工場の門前に待ちかまえているということがあったようである。なんていうか、こんにちの定年まで会社に勤め、家庭を守るといったまともな男は存在しない。それだけ工場労働や明治の労働市場は安定せず不安定だったのだろうけど、こういう無責任男でやっていけた時代がうらやましくもある。

 セメント工場の報告では、残業をして稼ぎ溜めをしたり、翌日は休んで用をたしたり、逸楽をとったようである。金が必要なためにむりな徹夜をおこなうのだが、夜には監督がゆるくなるために受け持ちの場所で居眠りをしたり、受け持ち場所からはなれて寝ていたこともあったようである。

 セメント工場では雑談や喫煙して仕事を休んだり、就業前から帰り仕度をはじめ、仕事が不規律の傾向があったようである。出来高を満たせばそれでよかったようである。

「これらは大抵妻帯者にして、独身者に至りてはおおむね皆着の身着のままなるを常とし、遠き将来は申すに及ばず、明日の慮をなすものなしというて可なり。……老年者はともかく一般職工にありては貯蓄心その他後図の思慮は皆無にして、ただその日の収得金の多からんを欲するのほか脳中に何物もなく、……親切、責任等の思想はほとんどこれを欠如せり。かの入場の際における契約の如きは夢にも実行するの意志なく、機会あれば去りて他の賃銭高き所に行くを常とす。工場においても彼らの出入りに全く重きを置かず、……」



 こんにちの愛社精神や終身雇用といったものは微塵も存在せず、職工たちはワイルドで豪快であった。笑ってしまうが、愛しくもある。このような人たちがずいぶん丸めこめられて、おとなしくなって、こんにちの貯蓄心にとみ、将来や老後を心配して、安定や保証を欲するサラリーマンにどのように変貌していったのだろうか。不安定で流動的な市場に漂わざるをえなかった職工たちをそのような存在にしたのだろうが、私はこのような人たちがいなくなった現在はひじょうつにまらない世の中になったものだと思う。

 燐寸工場にしても煙草工場にしても全体の7割8割は三年以内の勤続者である。印刷職工も出入りがはなはだしかったが、ひまになるとクビになったようで、経営者側の理由もあったようである。フリーターだらけであり、それだけ明治の工業というものは安定せず、将来の見通しも立てられず、あるいは職工自身にも立てる気持ちもなく、浮き草のような人生を妻や家庭ととも送っていたのだろう。社会主義や福祉国家の夢や計画が生まれる前の人生はこんなものだったのである。貧困や不安定さは人々をむしばんだのだろうが、ワイルドで豪快な人生もまた楽しかっただろうと、福祉国家と終身雇用がおおうこんにちの監獄の時代からは思えるのである。

 下巻は女工たちの虐待や脱走の談話がなまなましく記述されているようで、これは真に迫るものがあるようである。


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