『職工事情 (上)』 犬丸 義一校訂


職工事情 (上) (岩波文庫)
犬丸 義一

4003810015


 明治34年(1901年)におこなわれた職工の調査書である。現在の通産省がおこなった。工場労働者問題が社会問題として注目されはじめたことにより、調査がおこなわれたようである。

 戦前復刻や公刊がなされず、戦後になってなんども復刻された。無法な労働や劣悪な労働環境に国がようやく重い腰をあげたということか。工場法が成立するのは約十年後の明治44年になってからである。それまで無法地帯の工場で労働者たちの苦しみは放置されたままなのだった。

 岩波文庫に収録されたのは1998年である。バブル華やかしきころになぜこの本は文庫になったのだろう。

 げんざいこの明治の悲惨な労働報告を読む意味は、社会主義や福祉国家が崩壊もしくは瓦解しかかり、もとの市場主義にまいもどり、労働条件が切り下げられている中で、かつての労働状況がふたたびたち現われてくる危惧があるからである。私たちはこのような労働条件を克服し、封印してきたはずである。しかしいつこのような無法な労働条件に舞い戻るとも限らない。警世の書として読まれる必要があるというしだいである。

 上巻にはおもに「女工哀史」の中心であった繊維産業の職工――おおくの女工たちの労働状況が描かれている。労働時間や休日、賃金、衛生などがそれぞれの職種ごとに羅列されている。

 長時間労働や徹夜業、劣悪な労働環境、退職者数、そして児童労働者などが注目されており、改善や告発の意志を読みとることができる。

 たとえばある県の製糸工場では朝の4時、5時から就業し、昼休みはだいたい30分、終わるのは6時から7時であり、労働時間は13時間におよぶ。いそがしければ17、8時間になるのもまれではない。ぶっ通しでの徹夜も求められる。繊維業界はほとんどが女工に占められており、明治の女性たちはこのような過酷な労働についていたのである。現代のOLや専業主婦とはほどとおい過酷な現実を背負っていた。

 厳しさゆえに一年でほとんどの者は辞めてしまい、たとえば1000人の工場では出入り1200人に達し、毎年1200人募集したとされる。逃走除名が800人も達している。その工場では死亡者数が10人ほどになっており、帰休したものの中には屑綿塵埃が舞う不衛生な環境で病に伏したものも多くいたことだろう。

 工女たちは地方から集められ、寄宿舎に入れられ、したがって通勤者には不可能な朝の4時5時からの労働や深夜までの残業が課せられたのである。斡旋人や紹介人が地方におもむき、待遇や境遇がよく、労働時間をいつわり、田舎にくすぶるよりは手に職をつけるほうがいいこと、都会に見物に行き飽きれば帰ればいいなどと欺いて女工たちを集めた。

 とんでもない労働条件に驚いて逃亡を企てるのだが、そのような新聞記事が世を大きく騒がせたようである。紹介人は帰国した工女によって土地に実情が知れ渡っていると、嫌われ、子どもにはいたずらの罰には工女に奉公に出すと脅すほどになったようである。

 派遣紹介業がながらく禁止されてきたのはこのような歴史があったからだろうし、現在でも地方の工場が全国に募集をかけているのを見かけたりすると、あまり世の中変わっていないのだなという気がする。派遣紹介業の再開はこのような時代の逆戻りを願って再開されたとでもいうのか。

 児童労働は注意されて調査されており、必ず各職工ずつデータがとられている。14歳未満や20歳未満も多くの職工を占めており、明治の中ごろおおよそ100年前にはあたりまえのように児童労働がおこわれていたのである。

 それにしても職工のほとんどが20代前半までの若者で占められており、このような年齢層ばかりでどうやって仕事が回っていたのかと思う。ぼろぼろにすぐ辞める者ばかりに占められて、よく仕事が回ったものだと思う。それ以上の年齢の者はおそらく農業や漁業に従事し、職工という仕事をまだ大人の仕事や世間でのりっぱな仕事だと思われない風潮があったのではないかと思う。

 私たちはこの劣悪な労働状況をリアルなものと感じられない時代にへだたってしまっているけれど、職業の中にはこのような要素はすくなからず残存しているものだし、いまと変わらないものも多く含まれているものだと思う。経済や企業の実情――ほんとうの姿とはこのようなものではないのか。経済や労働の核や心の部分とは、いつの世も変わらないものではないのか。私たちは労働というものの本質からいつも目をそらしてばかりいるのではないかと私は思う。


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