フリーター「怠け」言説が隠してきたもの。
ひところフリーターは「怠けている」「責任感がない」「身勝手だ」「自由気まま」と大人たちに批判された。いまはそれがひっくり返って、「貧困だ」「転落だ」「哀れ」「格差」「一生はいあがれない」と悲愴な目で見られるようになった。
「怠け」や「責任感がない」と罵られている最中に進行していたことは、若者たちの雇用の排斥や切り下げであったことが、さいきんの認識としては一般的になってきた。ということは、フリーター怠け言説は、若者を大人たちの「正社員共和国」から放り出すさいの煙幕や、若者を切り捨てる際の良心の痛みを緩和してきたということができると思う。
一方では「怠けている」「やる気がない」と叱っておきながら、一方では若者から雇用を奪い、年金や健康保険の折半を廃棄し、月給から上らない時間給へと切り下げ、解雇が容易で短期の雇用に切り替えていたのである。「怠けている」「怠けている」と個人や本人の資質の問題に帰しながら、一方では若者全体を社会からリストラしていたのである。
社会的な問題や経済的な問題を、個人の問題に帰す趨勢は、ちょうどこのころ心理学ブームにより、いっそうの勢力をもった。たとえば会社からリストラされてうつ病になったとしても、個人のせいにされて個人の治療だけがめざされる。学校や会社でいじめをうけても、治療がおこなわれるのは個人であって、学校でも会社でもない。社会的・経済的問題はすべて個人の治療されるべき問題となったのである。そのような趨勢の中で隠蔽されるのは、個人に犠牲を強いている社会的・経済的な問題であり、個人に帰せられた背景的な問題はなにひとつ手がつけられないのである。フリーター怠け言説はこれらと同じ構造をもっている。
それがいまは「貧困」や「一生はいあがれない」という悲愴な言葉でフリーターや派遣などの非正規は語られるようになった。世間に表立って語られる言説とは、べつの様相が深層でおこっていると考えるのが、上の例では妥当と導かれるかもしれない。これらの「かわいそう」言説は社会のなにに煙幕を張っており、なにを隠蔽しようとしているのかと見るほうが、上の例からは正しいと考えるほうが妥当である。
すこし角度を変えるが、私はこれはバブル期に起こったレジャーや余暇への欲求の経済界からの復讐や懲らしめであったと考えたい。バブル期に浮かれたように、仕事や滅私奉公の人生より、レジャーや余暇に生きるのがこれからの生き方だという風潮が世を覆った。経済界はそこに怠けや労働からの逃走の危機を感じ、働かずに遊ぶものは、このように「非正規雇用のように貧困や下流からはいあがれない人生が待っている」と転落人生を世間に見せしめたかったのではないかと思う。
平等や保障された人生を約束された労働者はあまりにも傲慢に利己主義になりすぎた。ここらで保障や平等を外していって、一定のそれらの恩恵をうけられない集団層をつくって、社会への戒め・懲らしめとして、世間に曝そうというわけである。世間は非正規に必死にブルっている。ひところの勤勉でまじめで滅私奉公の日本人が古巣に帰省するというわけである。
かつての日本人は平等や保障を欲したがために必死に働いた。これからの日本人は非正規や下流といった格差を恐れるがゆえに必死に働くという次第である。フリーター「悲愴」言説とは、労働への新たな鞭なのである。
社会の、あるいはマスコミの語られる言説とは、意図や目的をもっている。事実や客観的様相が語られているというよりか、「意見」が語られているものである。世論を誘導したり、世間を導引するための「意見」と考えたほうがよいと思う。
成熟した社会の客観性をもてる人なら、これらの言説に惑わされずに、自分の進むべき道を見い出すべきだと思う。われわれは豊かな社会に生きている。そして不必要なモノをたくさん消費する人生を送っている。こんなに豊かになり、多くを消費しておきながら、われわれは生涯の多くの時間を労働に費やさなければならない。これまでの豊かになるための道のりはいったいなんだったのだろうと思う。これ以上の豊かさとはなんなのか、必要なのかと問い直したからこそ、余暇やレジャーは求められたのである。その時点を忘れるべきではないと思う。現代の貧困はかつての貧困とは違う。
▼参考データ
非正規労働者比率の推移(男女年齢別)
コメント
コンペンセーション
健康保険ってほんとアホらしい制度って思います。医者にかからなかったら、毎月何万ものお金を捨てている気分になります。そんなんだったら、病気になってはじめてお金を払ったほうがよほどトクだ。この狂った金銭勘定っていったいなんなのかと思います。
入院とか手術になったらそうとうの高額が必要なのはわかりますが、自分の財布から毎月から出ているお金が自分ではちっとも使えない無益さに天を仰ぐ気持ちです。
国民健康保険なんかでは月15万円程度の収入で4万もの請求がマジで来たりするんです。この制度は狂ってるのかー!とマジ思います。しかも一銭も使えない。そりゃあ、国民健康保険の未払いが増加するってものです。
社会保障ってすべてひっくるめて、なにかがおかしい、逆立ちしているという気持ちが拭い去れないです。社会保障のための人生になったら、老後を若者のときから心配して生きる人生って、本末転倒の人生だと思います。
社会保障完備の世の中というのは多くの人の夢だったのはわかります。いまでも多くの人が必要としていて、しっかりもっていないと、不安になる気持ちというものは拭いきれないものです。でも人生を老後や健康の保障という面から考え始めると、人生はきっと逆立ちしたものになるという思いを消し去ることはできません。
切実に必要とされる制度ですけど、生き方の逆転がおこるこの制度。そして綻びはあちこちでおこり、崩壊もおこりかけていますね。保障外の人生が恐ろしくてたまらないという人たちは、これからの危機をのりこえることができるんでしょうか。
記事、楽しく読ませていただきました。
その上で、すこし異論があります。それは、フリーター「悲愴」言説の「意図」や「目的」についてです。上の議論を私は、フリーター悲愴言説は経済界による「怠け」矯正言説であるという風に読みました。(この認識が間違っていたらごめんなさい。)しかし、これは間違いだと思います。私の知る限り、フリーターその他に対する「怠け」「自己責任」などの個人還元主義的言説を論駁して、構造の問題を指摘して、二度と這い上がれないフリーターの悲愴さを描き出したのは、(経済界ではなく)むしろ学者・研究者たちだったと思うし、その状況は今も変わらないと思う。
そして、私はそれらの学者や研究者たちが、何か裏の意図を持ってそのような言説を行ったとは思わないし、誠実な学問的関心と政策決定への介入の意思をもって行ったのだと思っている。
しかし、こう言ったからといって、私はそれらの言説が新しい労働への鞭として機能してしまっていることは否定しません。彼らの言説の通りに社会が変わるわけではない以上、そして読者に、社会(構造)は変えられると言う確信がない以上、これらの言説は読者の中に「フリーターにだけはならないぞ」といったようなことを動機づける以外の機能を果たしえないからです。社会の構造を変えるための言説が、実は構造のより強力な再生産を動機付けてしまうという逆説。
思うに、社会に流通する言説には裏の意図があるというのは事実の一面にしか過ぎず、より重要なのは、一度社会に放り出された言説は著者の意図を超えてさまざまな機能を社会の中で持ってしまうことなのではないでしょうか。
私の文章ではきっちりと分けられていないと思います。
怠け言説は経済界の若者の切り捨ての動きを隠蔽する役割を果たしたと思います。若者はあえて自らフリーターを選ぶという説や風聞が世間にささやかれましたが、このときすでにパートや臨時工なみの不況期の雇用調整の役割として用いられ始めていたのだと思います。
大人たちが若者を切り捨てておきながら、あえて怠けて選んでいるんだというふうに大人たちは正当化、もしくは自分たちの残酷さを隠蔽したのだと思います。日雇いやホームレスの人たちにも怠けているからああなったという言説が聞かれますが、切り捨てているのは自分たちや経済界の論理であることを隠す役割をもっていますね。良心の呵責を癒す役割をもっていたり、自分たちの責任逃れを助けたりするのでしょう。精神分析的な抑圧といっていいかもしれません。自分たちが格下げする人たちを必要としておきながら、彼らの意図や自身のせいにする。
これにたいして悲愴言説は学者たちが若者たちの陥った落とし穴に救いをさしのべる、世間の誤認をただす救世主の役割をもったと思います。宮本みち子や玄田有史なんかが早くに指摘してくれましたね。
怠けを矯正しようとしたのは、経済界だと思っています。
平等や保障を与えすぎたら、人は働かなくなる。
これらのカットする人たちや階層をつくりだして、ふたたび勤労意識を高めようとしたのは、経済界の意図だったと思います。
学者たちは、世間の流布するあえて自ら選んだとされるフリーター怠け言説を事実誤認だと指摘したわけですね。進行しているのは切り捨てだと、あるいは階層化社会だと。学者たちは経済界の切り捨ての事実を知らしめることにより、ぎゃくに世間の人たちの恐れを煽る結果になってしまったのだと思います。
むかし学者やマスコミは加熱する学歴競争をしきりに叩いていたことがありました。事実を世間に知らしめれば知らしめるほど、この世は学歴社会だ、一度転がり落ちたらはい上がれないと世間に知らしめ、学歴競争をもっと加熱させたことがあったと思います。学者の事実の告知は、世間をよけいに恐れさせて競争を過熱させる役割を、皮肉にも果たしたわけですね。事実をあらわすと、太鼓もちになったしまったわけですね。
今の世の中で大切なことは非正規雇用を必要以上に恐れることではなくて、みんなが平等や保障を約束された正社員になるのではなくて、非正規雇用でもラクに生きられる社会にするべきだと私は思います。オランダ・モデルのようなパートタイムの人生も選択できるような社会ですね。
正社員は滅私奉公や会社人間、社畜といわれる人たちを生み出してきた反省から、若者や大人たちはそのような過酷な労働社会から逃れられる希望を、初期にはフリーターに見い出した経緯があります。悲愴言説はただ正社員のような滅私奉公の社会をつくりだすだけだと思います。
フリーターをただ這い出すための悲愴なものを見なすのではなくて、正規雇用のような社畜や滅私奉公に戻る人生がいいとはとても思えませんので、パートータイムでもしっかりと生きられる世の中にすることが大切だと私は思います。経済界のムチに煽られすぎるのは、社畜や滅私奉公の会社人生を通り過ぎてきた時代の次として、賢明な対策とは思えません。
良くも悪くも、非正規雇用増加の趨勢はとめようがないのだと思います。希望やそこによい価値観を見つけてゆくことも、必要なのではないかと思います。悲愴な面もあるのはたしかですが、それ一色に塗りつぶすのではなくて、肯定や価値観を見い出す言説も生み出してゆかなければならないのではないかと思います。
階層や格差を憂えているだけでは、経済界の思いのツボです。社畜の人生に舞い戻りたい人はまだまだたくさんいるのでしょうか。
今じゃ正社員も…
今では正社員もリストラ・倒産・敵対的買収などが当然になっています。
正社員も使い捨て。特にブラック企業と言われるところでは、露骨な搾取が行われています。
正社員の搾取はフリーターとちがって、健康保険や年金などの長期的な保障をしてやる代わりに、長時間労働や滅私奉公で返せという搾取方法ですね。人生を保障してやるということは、すべて捧げろという意味なので、正社員もまた恐ろしい人生の搾取ととりひきに陥っていますね。
フリーターは企業や国家からも生活の保障がすべて捨てられる。企業にとって必要なときだけ都合のよいときだけ働いてもらうということになっていますね。そうしたら生活の安定や保障が得られない。
どっちを選んでもイバラの道、企業の都合で働かされるのみ。
いまはフリーター悲愴言説がちまたに流通してますが、その逆のかたちにある正社員悲愴言説も忘れるべきではないと思います。極端に走ることなく、中立のバランスからものを見ることは大切なことだと思います。
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「シッコ」というヘンな題名のアメリカ映画が今、話題となっていますね。
映画は観ていませんが、国民皆保険を実現しているのは、どうやら日本と韓国だけらしいです(最近知りました)。
ちなみに、韓国は電子カルテをも導入し、医療では日本より先を行っているのだとか。
それにしても、この国の社会福祉はマコトにexpensiveでイヤになりますね。
東京・文京区に僕の職場はあるのですが、文京区では公共の費用(医療、教育、工事など)は、1人当たり年間16〜7万円ほどかかっています。
これを労働者、とくに働き盛りの人で支えていくのはキツイですね。
物理学の「エントロピー」という用語を使えば(この辺りは受け売りですが・・・)、今の日本は、これが最大の状態に近いのかもしれません。
お湯がグツグツと煮立っている状態と言えます。
無秩序で、新しい情報が出てこない、まさに終末。
いかにして今に至ったかを説明するのは非常に難しいと思いますが、うえしんさんの書かれた一節は重要だと感じました。
「平等や保障された人生を約束された労働者はあまりにも傲慢に利己主義になりすぎた」
今までの働き方を根本から変えなくてはダメでしょうね。
最後に、2006年2月のエッセイ「恐怖に縛り付ける社会保障」は参考になったことを付け加えて終わりにします。
では、また。