FC2ブログ

HOME   >>  書評 哲学・現代思想  >>  『怒る技術』 中島 義道
09 16
2007

書評 哲学・現代思想

『怒る技術』 中島 義道


怒る技術 (角川文庫)
中島 義道

怒る技術 (角川文庫)


 中島義道は怒る、怒る。教室で怒鳴る。電車のなかで怒る。レストランで怒る。洋服店で執拗に怒る。商店街で怒る。マンションの騒音問題で怒る。それも少年時代にはまったく怒れなかったそうで、だからこそどうやって怒れるようになったのかと実体験から聞きたくなるものである。

 かくいう私も怒れない。必要なときに怒りや憎しみを表わせないで後悔することも増えてきた。どうやったら怒れるようになるか教えてほしい。私が怒れないのは怒る人の恐さや恐ろしさに出会ってきて、あんな他人の気持ちを感じられない行為をおこなったり人になりたくないという思いにもとづいていると思う。というか、自分の弱さだと思うが。

「怒ることができない人、とくに怒りを相手に伝えられない人は、何を恐れているかと言えば、相手から仕返しを受けることも当然ながら、それによってさまざまな不愉快な思いをしなければならないこと。
いったん相手にはっきり怒りをぶつけてしまうと、それからは相手からの執拗な怒りを覚悟しなければならない。そうでなくても、いたるところで相手の冷たい態度とつきあわなければならない」



 けっきょくのところ、関係がこじれたり、嫌われたり、怒られたりする関係が恐いのである。だからひたすら怒らない人間をまわりに演出するのである。

 対立や憎しみあう関係をひたすら日本社会は避ける。悪いことだとされる。あってはならないことだされる。日本社会はとくに現代になって顕著になってきたと思われるのだが、街中でケンカを見かけることはかなりなくなってきた。対立や憎しみをひたすら隠蔽する社会が完成しかかっているようだ。

 中島義道が怒る理由がよくわかる気がする。対立や反対がなければ、意見や独自の哲学や思想は生まれない。対立を避けていれば、ひとつも意見も哲学も育たない。議論や哲学のない社会はよういに多数者の専制や少数意見の抹殺にかかる。これでは社会に自由はないし、画一化や同一化の強制や暴力は激しくなる一方だし、「みんないっしょ主義」や「仲間・友だち主義」がはびこる理由もわかるというものである。

 つまりは対立や憎しみを避ける社会というのは、いっけん平和で安全でしあわせそうに見える社会なのだが、一皮剥けば、人々の精神に同調化や画一化を強制する恐ろしき社会なのである。こういうのを「ファシズム社会」というのだが、いっけん穏やかな対立や反対意見のない社会だからこそ、病理や症状は深刻といわざるをえない。

 私たちは対立や怒りをひき受けるしかないのだろう。意見や議論や哲学が育つ風土というのは、たくさんの対立や反対意見が言い表される社会である。それが評価され、承認される社会のことである。だから哲学や少数意見に価値をもつ中島義道はひたすら怒るのだろう。

 だけどこの本残念ながらほとんど怒りの技術の話からはじまる。なぜ怒れるのか、どうやったら怒ることのやましさや抑制を解除できるのか、どうやったら人からひどい、残酷と思われることにたえられるようになるのかという基本的な前提を教えてくれない。私はまずこの抑制部分をとっ払う正当化の理論がほしいのである。そこがなければ、怒りの習得にはかんたんに飛びつけない。私は人から嫌われたり恐れられたりする人間になってよいものだろうか。

「わが国では、「~をするな」とか「~が厭だ」とか「~をやめてくれ」という言葉を正確に発するだけでも、たいそう反感を買い、その場を一瞬ぐらりと揺さぶります」

「怒鳴ること以前に、厭なことをされたら「やめろ(やめて)!」とはっきり言って拒否すること、これは、人間が生命・身体・名誉・財産を守るうえで基本的な能力だと思うのですが、どうもある種の人はこれさえうまくできない。~こういう場面になっても、とっさに叫べない人は、人間として、いや生物体として、自己保存能力が欠如してしまっている。善い悪いの判断以前に、まともに生きてはいけません」

「われわれが、自分の快楽のためにやすやすとひとを苦しめることは、人類の歴史をちらりと眺めてみただけで、あるいは文学作品をちょっと開いてみれば、あるいは能でも歌舞伎でもオペラでも枚挙にいとまないほどの事例によって証明されます。ただし、だからといってそれが「善い」ことだとは教育されなかったことも事実です。
この区別をしなければならない。人間にとって自然であることと善いこととは別なのです」



 対立や憎しみのない社会は平和に見えるけれども、これほど危険な社会もないといえる。ケンカや争いがしょっちゅうあったり、危険思想だといって思想家が監獄に入られたり、ストが弾圧されたりする時代のほうがまだまともだったのかもしれない。自分の意見や考え、思想をもつことができたからである。

 対立や反対意見がない社会というのはそれさえ禁じられる。友だちや仲間集団において「ダサい趣味」やグループと違う行動をすると徹底的にバカにされたり排斥されたりする力学が全社会をおおってしまっているのである。この深くて深刻な病に危機感や警戒心を抱かなくてどうするんだと思う。


ひとを“嫌う”ということ (角川文庫) カイン―自分の「弱さ」に悩むきみへ (新潮文庫) 悪について (岩波新書) 働くことがイヤな人のための本 (新潮文庫) 私の嫌いな10の言葉 (新潮文庫)
by G-Tools


関連記事
Comment

行動哲学で斬る

こんにちは。

中島義道の本を読むと、鬱屈した日常に対する闘争心が沸いてきますね。

何よりも、ニーチェが、ハイデガーがこう言った、というような「借り物の知恵」に依存していないから惹き付けられるのだと思います。

本来、世の中は性欲と暴力といった衝動で成り立っている側面があるかもしれません。

意外とバカなのが人間という存在であり、だからこそ理性と知識にすがるのでしょう。
そして、感情を捨て、理性的になろうとするほど脳は爬虫類化していく・・・。

ところで、怒りを表現する方法については、僕も日々研究しています(笑)。
職場のイヤな野郎に負けるわけにはいきませんから。

これは技術論の話ではないかもしれません。
己の肉体に防御力を身に付ければ、私生活も積極的になり、充実するという話もあります。

中島義道の『どうせ死んでしまう』はうえしんさんもお読みなっているかもしれませんが、111頁の記述は強く印象に残っています。

「知的エリートは・・・」で始まる一節ですが、結びがいいですね。

「それを勘違いして、これこそ『人間として正しい生き方』なのだと大上段から構えてお説教するから、多くの日本人が精神に変調をきたすのである」

拠り所があるから説教を垂れるわけで、それをぶった斬れば勝負ありですね。

では。

はじめまして、ミュルアといいます。
流れ流れてたどりつきました。
お隣の東住吉区に住んでます。
私はよく怒りますよ。怒りを感じたらすぐその場でいわずにはおれません。といっても職場に限りますが。理不尽だと感じたことは上下とわず怒るというか言わせてもらうのです。できれば電車の中で携帯をかけてる人、タバコを吸いながら歩いてる人、商店街を自転車に乗って通る人…怒りたい人がたくさんいます。
こんな私ってただの神経質な奴なのかも。

たいく~んさん、こんにちは。

中島義道のいいところは悪をすすめることですね。悪というよりか、良識や善をおこなえという命令でぎしぎしになっている「いいひと」に、徹底的にその逆のススメを説いていることですね。

あまりにも善や良識に囚われていると、人間らしく生きられなくなってしまう。これは「いいひと」の最大の欠陥であり、失敗ですね。人間らしい人というのは自己中心的で、自分勝手で、人に迷惑をかける人なのかもしれません。

それを善人は矯正されつづけますね。「人に迷惑をかけるな」「だれらかも好かれる人になれ」「友だちがたくさんいる人になれ」「人から不快に思われる行動は避けよ」――たしかにこれは「正しい」生き方です。しかしこれは人間としては死んでいる。他人の都合のために動物としての自分は徹底的に息を止められてしまっている。

こういう殺された生き方をするなという中島義道のメッセージですね。私はこのメッセージに共感するから、中島義道の本をつぎつぎと読みたくなるのですね。

私もかなり「いいひと」に思われたいと思ってきたクチであり、動物としての身勝手さやずる賢さ、衝動、根性悪というものがかなり抑え込まれていると思っています。人を傷つけたくない、他人と対立したくないとか、嫌われたくないという防御で、自分の身のまわりをかなり固めてしまっています。だから中島義道のメッセージはひじょうに学ぶものがあるのだと思います。

私は晴れて根性悪の人間になれるでしょうか(笑)。でもそういうのを目標や理想にしすぎるのも危ういな~。ある程度のバランスが必要なんでしょう。

怒りの表現は身につけるべきですね。人間、自分を守らなければならない。私はひたすら他人を傷つけたくないという思いから怒るを控えてきましたが、怒りのメッセージは人間界では大切なメッセージでもありますね。人を傷つけても、嫌われても、発さなければならないメッセージがあるのだと自分に言い聞かせるべきなのかな~と思います。


ミュルアさん、はじめまして。
いぜんは失業中とかに長居公園でよく昼寝をしていた私です(笑)。

この本では怒ることのススメが説かれています。私自身は怒りっぽい人に脅威を感じる人間なので、怒れませんが。。

中島義道は怒りつづけて、冷静に怒りを演技できるようになったということです。怒りのコントロールができるようになったのですね。

人間の頭というのは連想ゲームみたいなもので、怒りの感情はつぎつぎに怒りの対象をつなげてきます。なにもかもがムカつくとなりますね。

コントロールの方法は怒りの感情を他人事のようにながめて、見つづけて、どのように消えてゆくかと静観することにあるようです。その感情の中に入らない、同一化しないということが怒りのコントロールにつながります。怒ることと、怒らない対象を選別することが怒りの賢者のすることだと思います(笑)。

ちなみに私は街中のマナーのない人はまったく気になりません。ど~でもいいんですね。怒ったら、自分のよい気分の損害になると思っていますから、気にもなりません。

怒りのススメの項目に怒りの制御法を説いてしまって、すいません。。こんな私ですから怒れないのですね(笑)。

初めまして

 初めまして。20代の男です。実は、うえしんさんのサイトを数年前に見つけて、全部ではありませんが、興味を持って読んでいました。書き込みをするか躊躇していたのですが、今日初めて書いてみたわけです。様々なことに対して深く考えていらっしゃって、尊敬します。僕も、中島義道さんの本が好きで、以前から何冊か読んでいます。一応、僕のホームページのURLを載せておきます。では、失礼しました。

エーリクさん、はじめまして。
うえしんです。

中島義道はもっと読みたいのですが、なぜか読みすぎたくない部分もあります。
この人のメッセージはキレイゴトに縛られるな、逆をおこなえということでひじょうに共感するのですが、一冊読んでもなぜか充足する部分が少ない。決定的な代表作がなくて、ほかにも読まなければならないという部分があるのかなと考えてみたのですが。

コメントに抵抗があるのなら、拍手ボタンでもありがたいのでよろしく(笑)。

ホームページのほうがんばってください。いっしょにひとつのテーマを考えられればいいですね。

 こんにちは。御返事、有り難うございます。
 中島義道さんの本は、確かに、読みすぎたくないというのはあるかも知れませんね。僕は最近は読んでいませんし、好きというよりは、興味を惹かれるといったほうが適切かもしれません。
 そうですね。関心が共通している所もあると思うので、一緒に考えていけたらいいですね。それでは、今後とも、よろしくお願いします。

大体こんなのに影響されるのが情けないんだと思います。
Trackback
Trackback URL
Comment form









管理者にだけ表示を許可する






プロフィール

うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。神秘思想、仏教、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

Kindle本、2冊発売中です。

google adsense
全ての記事を表示する
ブックガイド特集
月別アーカイヴ
FC2カウンター

Page Top