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09 06
2007

書評 社会学

『「人間嫌い」の言い分』 長山 靖生


「人間嫌い」の言い分 (光文社新書)
長山 靖生

「人間嫌い」の言い分 (光文社新書)


 「人づき合いは面倒くさいな」とか「だるいな」と思ったことはだれだって一度はあることだろう。人間嫌いというのはこの気持ちを延長した先にある、もしくは肯定したところに生まれるのであって、人づき合いのだるさを人間嫌いというのなら、多くの人が人間嫌いを自覚することだろう。

「子どもの頃の方が私はずっと大人だったように思う。クラスメート達のお喋りに合わせて無理して笑ったり、誘われれば興味のないアイドルのコンサートにも行ったりした。友達扱いしてくれる人に嫌われるのが恐く、楽しくなくても楽しいふりをした。けれど、まわりにいる大勢の人達への『なじめなさ』は年々大きくなってきて、最近で会社の宴会にしぶしぶ出たりすると、上司のプロ野球談義や説教や、それに合わせて適当に頷いている若い子達に殺意さえ覚えるときがある。」――山本文緒『ファースト・プライオリティー』



 「みんなといっしょでなければならない」「協調性がなければやっていけない」「友達や仲間がたくさんいなければならない」「仲間外れにされたり、人に嫌われれば人間失格だ」みたいな雰囲気や強制が世の中をおおっている。とくに「友達至上主義」や「仲間主義」は壮絶に私たちを鎖の関係に縛りつける。

 たいがいの人はこの絶壁から落ちることを極度に恐れる。私たちの日本村のオキテであり、その場から外れることは奈落の底に落ちることだからだ。そして「うっとうしい」「だるい」「ブチ切れる」と思いながらも、きょうも仲間といっしょにつるみ、行動をともにし、趣味をそろえ、楽しいふりをする。そうして心の中のうっとうしさは日増しに抑圧され、人と関わることのストレスは増大する。

「煩わしい人間関係のなかでも、もっとも人工的であり、そのくせ異常な密着を迫られるのが「結婚」である」



 若者の晩婚化の理由をこのような人間嫌いの抑圧に見い出しているのはこの本の真骨頂だろう。恋愛や結婚もたんなる人づき合いの一種であり、ずっと群れて、しゃべることの強制であり、同調行動の修羅場である。なるほど「仲良しゴッコ」社会の究極の先は結婚関係の拒否につながるのである。

 私たちの社会はなぜこうも「仲間主義」の世の中になったのだろう。「村八分」がとてつもなく恐ろしい社会である。対立や不和を恐れる弱さや未熟な精神性が、窒息しそうな仲間主義を生み出すのである。まあ、これは集団で仕事をおこなうこんにちの経済条件にもとめられるのだろう。そして終身雇用の拘束や労働市場の未発達性がそれを後押しする。要は移動が容易でない社会の失敗である。

 仲間というのは同調行動をおこなわないと、その集団を嫌っている、否定しているということになる。だから行動や趣味はみんな同じになり、意見や考えもみんな同じになり、そして四六時中つるんでいないと仲間外れにされないかと不安になる。

 この画一化・均質化の恐れは20世紀の大衆社会のはじまりから――おもにアメリカから一部の知識人に嫌われ、恐れられてきた。キルケゴールやニーチェ、トックヴィル、J.S.ミルなどがその不快感や嫌悪感を表明し、それはオルテガやフロムやリースマンなどの哲学者・社会学者によって精緻に分析された。

 この画一化・均質化は日本社会をおおい、仲間主義や友達主義はわれわれの人間関係を鎖や重りのように縛っているのだが、日本人からこの不快感や恐れが聞かれることはあまりない。おそらくみんなその水の中であっぷあっぷしているのだが、その水が先人たちの指摘した腐った水であるということに知識のつながりを見い出せないのだろう。なんとも警戒感や危機意識のない国民であることだろう。

「「みんなといっしょ」がいいことだと刷り込まれている人たちは、出家でもしない限り、人から笑われたり陰口をきかれることを気にして、自分が「正しい」と思うことはおろか、「こうしたい」という欲望さえも抑えて生活することになる。これでは欲求不満がたまって、生き霊になるしかないだろう、と私なぞは思うのである」

「「自分はみんなと同じ意見なのだけれども、そのみんなはどんな意見をもっているのか」が分からないという不安に、常に怯えている」

「友達にシカトされるのがこわいからと、無理して話を合わせたり、心にもないことを言ったりしなければならないとしたら、それはストレスも溜まるだろう」

「そしてその協調性というのは、結局は多数意見もしくは教師が誘導する「正解」を鵜呑みにする従順さのことでしかない」

「「けっきょくは「自分で考える」ことよりも、「自分の考えに固執せずにみんなに従う」がよしとされてきた」

「どうしたら「他人といっしょ」でありながら「自分であること」が守れるのか、子供たちには分からない」



 私たちはこの社会の異常さや病気に気づいたのなら、少しずつ「人間嫌い」の訓練を、徒歩をはじめるべきではないかと思う。けっきょく失うのは自分の個性であり、自由であり、欲求であり、人生そのものである。仲間主義や友達主義のいちばん恐ろしいことは、魂を奪うことである。集団に同調し、人に嫌われないように、浮かないようにしていれば、安全は図れるかもしれないが、自分というものをまっ先に失う。だから私は仲間からはずれ、人から嫌われ、仲間外れにされてもすっくとひとりで立てるような人間にならなければならないと思うのである。こんな社会からはなにも生まれない。天才も、自由も、個性も、自分も、すべて殺されてしまうのである。

画一化・均質化する大衆への批判
死にいたる病、現代の批判 (中公クラシックス)善悪の彼岸 (岩波文庫)アメリカの民主政治〈上〉 (講談社学術文庫)自由論 (光文社古典新訳文庫)
大衆の反逆 (中公クラシックス)世論〈上〉 (岩波文庫)自由からの逃走 新版孤独な群衆

いっしょに暮らす。 (ちくま新書) 不勉強が身にしみる 学力・思考力・社会力とは何か (光文社新書) 若者はなぜ「決められない」か (ちくま新書) わかったつもり 読解力がつかない本当の原因 (光文社新書) 謎解き 少年少女世界の名作 (新潮新書)
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うえしん

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