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09 02
2007

人生論

『人生は負けたほうが勝っている』 山崎 武也


人生は負けたほうが勝っている―格差社会をスマートに生きる処世術
山崎 武也

人生は負けたほうが勝っている―格差社会をスマートに生きる処世術 (幻冬舎新書 や 1-1)


 残念ながらタイトルのように達観した本ではなかった。ふつうのビジネス処世術の本。

 「負けることで勝つ」ような人格的・精神的な悟りのレベルはかつての仏教で深く追究されたのだろう。釈迦は仏教僧に乞食になれといったし、良寛や西行、鴨長明はそういった人間的比較を超えた精神のレベルに達しようとしていたのだろう。風雅や隠遁のなかに人間の勝ち負けを超えた価値観を見い出そうとしていた。

 現代では負けることは恥だし、「下流」であるし、「落ちこぼれ」の「劣等生」であるし、ましてや人格的・精神的に「優れている」といわれることはまずない。そういう世間の眼目もなくなったといっていいだろう。むしろそういった伝統や評価がなくなったほうが恥だと思うのだが。

 世間では勝つことや優れていることが偉い、優れていることだ、評価されることだ、とばかり吹聴されているのだが、負けるほうが偉い、余裕がある、人との比較や競争に心を乱されることもない、自分の人生と平安を得られるという考え方もぜひ頭の片隅においておいてほしいものである。優劣を競わなければならない人生は悲愴である。そして大多数の人はそういう価値観しか知らないのがこれまた悲劇であるが。

 そういった人格的・精神的悟りに達した啓蒙書というものがこんにちまた見つけられること少ない。勝つこと、優れることの脅迫・強制の時代である。むかしの人はそんなに立身出世ばかりを夢見て人生を生きたのか、画一的に人と競うようなことはなかっただろうと思う。「知足安分」の精神は多くの人に安らぎと幸福をもたらしたことだろうし、そもそも比較対象の数すら少なかったと思われる。

 この本では出世や好かれるための負け、妬まれないための負けなどが語られているのだが、いくぶん功利的である。そして残念ながら達観のレベルに達していない。私もてんで達観のレベルに達していないのでぜひこのタイトルの本から学びたいと思ったのだが、学ぶもの少なしであった。

 少し本文から引用。

「見栄を張るのは、自分のあるがままの姿に満足していないことを示している」

「見せびらかしたいと思うのは、一般的に知られていないからであり、したがって大した業績でもないというのと同じだ」

「そもそも、(財産が)「ある」というのは有限であり、限定的である。それに反して、「ない」というのは無限であり、条件によって縛られていない。あらゆる発展の可能性を秘めている」

「何かを知っているということは、その対象となるものを限定的に考えていることでもある。範囲を定めて、そこから外に広がっていこうとしない結果にもなっている」



 私たちは負けることや劣ることの恐れや恥を刷り込まれて生きている。この考えから脱却できれば、多くの人は平穏に満ち足りて生きられるかもしれない。どんな考え方や常識も、その劣等や低位に満足したり恥と思わなければ、大多数の人は健やかに生きられる。それは覚えておくべき思考や考え方の知恵である。

 大多数の世相に足をひっぱられないで生きたいものである。ただそう思っている私は劣等や低位でいることに誇りや自信をもつことは、やっぱりできないでいるのである。


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