『「人間嫌い」のルール』 中島 義道


「人間嫌い」のルール (PHP新書 468) 「人間嫌い」のルール (PHP新書 468)
中島 義道 (2007/07/14)
PHP研究所
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 中島義道はいい。日本社会のウソっぽさや欺瞞をみごとにえぐり出し、息苦しさや窮屈を感じている人に痛快な風穴を開けてくれるからだ。人とうまく、仲良く、思いやりをもてという強迫観念に苦しんでいる人には福音になるメッセージを与えてくれる。

 もう一点、中島義道のいいところはほんとうの意味で「哲学」していることだろう。日本の哲学は海外の哲学者の思想をなぞることだとされているが、哲学というのはほんとうは日常の何気ないことをとことん考えることだと思う。人間関係であったり、愛であったり、感情であったり、ごくあたりまえのことを考えるのが哲学だと思う。中島義道は本当の意味で「哲学」しているのだと思う。私の知る限りではもうひとりの日本の哲学者は鷲田清一くらしいしか思い浮かばないが。

 中島義道はなぜ人間嫌いになったのか。

「人間が不純だからではない。不道徳だからではない、利己主義だからではない、むしろ(いわゆる)「よいこと」を絶対の自信をもって、温かい眼差しをもって、私に強要するからなのだ。とりわけ共感を、つまり他人が喜んでいるときに喜ぶように、他人が悲しんでいるときに悲しむように、私にたえず強要している」からだ。

「ひとりで生きてはいけない、他人に対する思いやりをもたなくては生きていけない、協調性がなくては生きていけない、そんな自分勝手では生きていけない……という言葉を――祝詞のように――彼らの耳に吹き込むからなのだ」

「日本社会をすっぽり覆っている「みんな一緒主義」、言葉だけの「思いやり主義」「ジコチュー嫌悪社会」が、少なからぬ若者を苦しめ、「もう生きていけない」と思わせ、絶望の淵に追いやっている」



 私もこの気持ちがひじょうによくわかる。とくに集団での共感ゲームが大嫌いだ。そのウソっぽさや演技性がどうも我慢ならないのである。ゲロを吐きたい気分になる。私は二人関係ではよくしゃべるが、三人関係になるととたんに黙りたくなる。

 中島義道もいっている。

「その和気あいあいとした雰囲気は共感ゲームで充たされ、大量の欺瞞が飛び交い、みなどこまでもよい気分でいたいという欲望がグロテスクなほど露出されていて、気持ちが悪いのだ」



 集団で気持ちや感情を共有するのが私はとりわけ嫌いである。集団になるともう行為は演技や功利で満たされ、欺瞞やウソだらけになる。ついでに集団の雰囲気や圧力が私たちを覆いこむ。私個人ではなく、「集団人」として感情し、行為しなければならないとなったら、とたんにその関係性を拒否したくなる。ひたすら同調や共有がめざされる関係が嫌いなのである。

 日本人はひたすら集団の同調や協調を強要する人たちである。集団に統率されない人間をひたすら嫌う。それはたんに管理者が集団で統率するほうが便利で合理的であるからだと思うが、私はそれがまるで幼稚園児のお遊戯に思えてくる。集団のかたまりとしか生きられない日本社会のつまらなさや窮屈さは絶望的だと思う。私は個人としての私の感受性や行為をたいせつにしたいのである。

 日本社会は「みんな一緒主義」を病気のように信仰し、そこに穴や傷をつける行動や言動や感情を徹底的に嫌う。集団の同調行動に逆らう人間はたちまち排斥の憂き目に合う。その恐ろしさに脅えて、多くの人はしたくもない同調や感情の模倣をおこなう。その欺瞞さやウソっぽさ、みずからの不誠実や仮面性に嫌悪や羞恥しながらも、なおうまくそれを演じなければならないのである。

 もういっそ自分の本心をさらして、好きなように生きよう、人間嫌いに生きようとしたのが中島義道である。私はなにもそこまで人間嫌いに徹しなくてもいいじゃないか、テキトーに愛想よくまわりに合わせていればいいじゃないか、ある程度集団欺瞞から逃れてひとりの時間をもてばいいではないかと思わなくもないが、もちろんそれは自分の弱さや人から徹底的に嫌われたり、排斥されたりする恐ろしさも勘案しないわけにはいかないからである。

「……愛情ですって……? こっけいではございませんか。心ですって? 可笑しくはございません? そんなものは権力をもたない人間が、後生大事にしているものですわ」――三島由紀夫『鹿鳴館』



 私はこの本は人間嫌いのススメとして読むほうがいいとは思わない。そんなのは苦しい、イバラの道である。人から嫌われたり、排斥されたりすることの苦しさなんてみずから進んで体験するものではない。

 この本は「人と仲良くしなければならない」「集団で常時行動しなければならない」「みんなと同じ感情や思いやりをもたなければならない」「人とうまくやることができないのは人間失格だ」と思っている人への癒しやセラピーとして読まれるべきだと思う。なにも人格や集団の「優等生」や「完璧」になる必要などないのだ。

 人とうまくいかなくても、嫌われても、仲間外れにされても、友だちがいなくても、充分それでいいんだ、やっていけるんだ、というメッセージとして読むほうが賢明だと思う。たぶん完璧な人格者をめざしている人は薄氷を踏む思いで、絶壁の淵を歩いているような気分で毎日を過ごしていることだろう。中島義道はそんな人生なんてさっさと捨ててしまえばいいんだと身をもって示してくれているのだと思う。「善人」や「いいひと」の欺瞞や偽善さにうんざりしてきた人にはいい薬になることでしょう。



過去に読んだ中島義道の著作
 『人生を<半分>降りる』 中島義道 新潮OH!文庫 97/5. 581e(古本)

人生を“半分”降りる―哲学的生き方のすすめ (新潮OH!文庫)

 皮肉で批判的な視線にユーモラスがあり、けっこう楽しませてもらった。有名欲の愚かしさ、善人の弱さ卑怯さ、専門家はタコ焼き屋台なみに人生が狭い、学界の電車並みの席取り競争、勝者は醜い、親は「自分のため」を子に強要する、など洞察力あふれる人間観察に共感をおぼえた。私も明るく楽しい人間関係がたまらなくウソっぽくて嫌いなのだが、会社の中では人間関係を断つこともできない。



 『ひとを<嫌う>ということ』 中島義道 角川書店 00/6. 1000e

ひとを“嫌う”ということ (角川文庫)

 中島義道はエライと思う。人から嫌われることを極度に恐れる世の中にあって、ひとに嫌われる、ひとを嫌うということをとことん考えつめるのはそうだれにでもできるものではない。たいていの人は嫌われていると思ったら、嫌われないように、好かれるようにと「正当」な方向にすすむ。

 これはまちがいだ。そうではなくて、嫌う嫌われる関係の波間にじっといつづけ、それを探求するというのはもっと大事なことだと思う。恐怖に駆られて逃走するだけでは、その恐怖は絶対に根絶されないのである。「貧乏」であれ、「落ちこぼれ」であれ、「負け組」であれ、すべてそうだ。恐怖から大多数の人のように勝者を正当的にめざすと、じつは恐怖を強め、増強したにすぎなくなるのである。

 中島義道は妻子からとことん嫌われたことにより、嫌うということを徹底的に考えたが、これこそが哲学することだと思う。自分の問題から考えるのが哲学であって、思想界や世間のトピックから考えはじめるのはほんとうの意味では哲学ではない。そんなのは自分のための哲学ではない。人に合わせるための世間話にすぎない。

 私は人から嫌われることをかなり恐れ、人を嫌うことすら抑圧した、他人に従順な奴隷のような人間である。だからこの本の人を嫌う気もちというのがいまいちぴんとこなかった。私は「ひとから嫌われる」という恐れを深く見極めないことには、ほんとうの自分というものを永遠に見出すことができないのだと思う。人から嫌われても気にならない心が必要なんだと思う。



『孤独について』 中島義道 文春新書 98/10. 660e

孤独について―生きるのが困難な人々へ

 孤独に対する一般論の話を期待するとがっくりする本だが、中島氏の小学校のときの小便もらしの経験とかまったく運動ができなかったこととか、けっこう親近感をもてて笑えた。大なり小なり人は小学生のときこういう気もちはいくぶんか味わっているのだと思う。

 そしてその後、悩みを考え抜くことを通して東大に入学できたのだし、教授にいじめられたことはあっても大学の教授にはなることができたのである。まあ、苦しい人生だが、思考すること哲学することに価値をおくと、悩みの世界は極大化し、自己は超特別な存在になるということである。あと紙一重のところに思考を捨てるラクな道もあるのだが。


 中島義道『時間を哲学する 過去はどこへ行ったか』講談社現代新書1293 650円

時間を哲学する―過去はどこへ行ったのか (講談社現代新書)

過去や時間について考えることは、われわれの悩みや悲しみから解放されるためには、ひじょうに重要な問いである。

 なぜなら、過去こそがわれわれに多くの苦しみをもたらすからだ。

 われわれはふだん過去や時間のことについて疑問に思ったり、過去はどこに行ったのだろうということを問うことはまずない。

 だが、そのような無自覚な姿勢こそが、過去からの牢獄を、わたしたちの身の上につくってしまうのである。

 この本はヨーロッパ哲学の影響のうえに、時間についての考察を進めているが、がぜん、おもしろくなるのは、5章からの「過去はどこへも行かない」からで、過去は「いま」を過ぎれば、すべてどこにも存在しない、一瞬のうちに奈落の底に消えてしまうという捉え方を打ち出しているところである。

 われわれは過去はある、と思っているが、じつは過去はこの地上にはどこにも存在せず、ただわたしの頭のなかにあるだけなのだ。

 頭の中に、過去の等身大のわたしや、経験や行為がおさまってしまうわけなどない。

 このことに気づいた哲学者たち――アウグスチヌス、デカルト、ヒューム、マクタガート、といった人たちは、全身全霊で恐れおののきながら、時間について語っているのである。

 それは同時に過去の呪縛から一瞬にして、解放されることを意味し、過去の非実在性をもっと深く理解すれば、われわれは過去の悔恨や恐れ、不安から、完全に遮断されることになるのである。

 この本はそのことに気づかせてくれた、ひじょうに驚くべき書物である。



コメント

知を愛し、愛を知る

こんばんは。

ついに真打登場、という感じですね。
『清貧の思想』や『楽天主義セラピー』とは真逆の事を言っている人ですから、うえしんさんは中島義道を取り上げる事はないと思っていただけに、ちょっと意外でした。

中島義道には僕も一時期、傾倒しました。特に『カイン』は強烈でしたね。
かなり、気分がラクになったことを覚えています。

今は中島義道に関しては、雑誌『新潮45』のエッセイを読むくらいですね。
そろそろネタ切れかなと感じなくもありませんが。

人間関係というのは結局、一対一の関係に終始するのでしょうね。
哲学の「実存主義 というのは、現時点での人間存在を言うらしいですし、これは日本で言う「一期一会」とそんなに変わらない気がするんですよね。

ちなみに、「タイマン」という言葉は本当に素晴らしい日本語だと僕は思います。

それでは、また。

たいく〜んさん、こんにちは。

私が中島義道を読むのは意外ですか。

『人生を半分降りる』とか『人を嫌うということ』は2001年に読んでいます。
『時間を哲学する』はもうちょっと前に読んだような。
『対話のない社会』もかなり前に書評に書いたような。

『カイン』あたりでひそかなブームがありましたね。
しずかな期待というものがいならぶ単行本の新刊の棚から感じられました。
『働くことがイヤな人が読むための本』がいちばん売れたのですかね。

まあ、『楽天主義セラピー』や『清貧の思想』は人格の成長や完成という要素もたしかにありますね。りっぱな人格になるというようなイメージもあるかもしれませんが、私はこれらを人との関係の本というよりか、自分の心をコントロールするための本としか読んでいません。人格の完成という方面では読んでいません。たしかに性格が清涼になるような部分はめざしていますが。

もともと私はショーペンハウアーのペシミスティックな処世術にかなり影響をうけています。人づき合いなんかやめろ、孤独こそが自由だのような生き方がかなり身に沁みた立ち振る舞いをしていると思います。ただショーペンハウアーのような根性悪や性格の悪さは学びたくないと思いましたが(笑)。

人から嫌われたり、集団から排斥される怖れというのはだれでもあると思いますが、この点で強くなりたいと思ったとき、中島義道の本は参考になりました。もちろんてんでそんな強さは身についていないのですが、中島義道は「いいひと」でなければ人間失格と思っているような人にはかなりの解毒剤になるのだと思います。この点が中島義道のいいところだと思っています。

人から嫌われても平気になる強さをもちたいものです。でも本で学ばなくても、ちまたの人は鬼畜や冷酷になれる性質をいつのまにか身につけていますね。本で学ばなければならない人はきっと「いいひと」の呪縛から抜け出れていないのだと思います。

私は人から嫌われても、排斥されても、平気で動じない人間になることが私の目標です(笑)。なんかヘンな目標ですが、いい本はないものでしょうか。

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