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07 27
2007

人生論

賞賛されるより、無価値のほうが偉い。


 「賞賛商品」でわれわれは自分の価値を補給する。世の中で賞賛されたもの、売れたもの、ベストセラー、ブランドといわれるモノを買うことによって、私は賞賛される人間であるかのように思い込む。

 いわば賞賛の代替品を手に入れるわけだ。私たちはその商品の実質や本質にはあまり興味がないのだろう。世の中から評価され、賞賛されたモノであるということで、その意味を買いとるのである。賞賛されたモノを身にまとうことによって、私は「賞賛された者」となる。

 私たちはベストセラー本を、多くの人が感動したから読むのではない。賞賛された本を読むことによって、私は賞賛される人間になれたかのように思い込めるからである。人気の映画やトップセールスのCDを観たり買ったりするのは、その内容がいいからというよりか、賞賛されたモノを見たり聴いたりすることによって自分も賞賛された人間になったかのように思えるからである。

 世の人々は賞賛がほしくてたまらないのである。そして商品や消費はその賞賛を得られるように、消費者やお客に回されるのである。

 私たちは賞賛や評価がないと、自分が無価値であり、意味のない存在に思えてしまう。存在する価値のない人間に思えてしまう。いてもいなくてもどうでもいいような人間はなりたくない。

 そして私は人から賞賛され評価される人間になろうとするのだが、ふつうの人が多大な評価を得ることなんてまずは不可能である。かわりに賞賛されたモノを買うことによって、私の価値観を補強することができるのである。私たち凡人は貨幣で賞賛商品を代替的に買うのである。

 私たちはたえられない、自分が無価値で、意味のない存在であることが。だれからも必要とされず、愛されず、評価されず、意味もなし、存在している存在していないかも分からない、そんな存在にはなりたくないと思う。

 お金があれば、もっとたくさんの賞賛を買える。りっぱな家に高級車、ブランド品の服やバッグ、そして美術品や知識や学歴の数々。私たちは賞賛そのものよりも、賞賛されるものをいくらでも買える金というものに多くの賞賛を期待して、来る日も来る日も金持ちになることを夢見るのである。

 金で買えるものは賞賛を見た目ではっきりと表わす。こんなにはっきりとわかりやすいものはない。豪華で豪勢なものは賞賛を明確に表わす。私たちはそんなはっきりと目に見える賞賛に圧倒されて、私ももっと賞賛品がほしいと思うのである。

 私はそんな価値を捨てられる人のほうが偉いと思っている。人からの賞賛を欲さない人のほうが勝っていると思う。

 賞賛なんてものは気まぐれな一時の感情であるし、不変であるわけがないし、賞賛されるモノはたえず変わってゆくし、モノはすぐに古びてボロは剥がれるし、永久的に賞賛を保持することなんて不可能である。したがってそういう永久に得られないものをはじめからあきらめたり、引き下げたりした人のほうがよっぽど賢いと思っている。

 だけど私たちは恐ろしいのである、自分が無意味や無価値であり、人からちっとも評価されたり賞賛されないことが。そんなふうに見られることは自分がこなごなに砕け散ってしまうような恐ろしいことに思えてしまうのである。

 この恐怖とセットとなった賞賛欲や認知欲といったものはなんだろう。私たちの心はなぜこのタコのスミのような感情や欲望を吐きつづけるのだろう。本能的なものはいくらかあるかもしれないが、多くは人工物だろう。社会化されるにしたがい、私たちの心はそのように創造・製作されてゆくのである。商業や知識などによる社会の要請によるものだろう。

 私たちの心の創造物はできるだけ剥がしてやるべきである。私の心は自由でもないし、思う存分に生きられるわけでもないし、自分の人生ではなく社会の価値のうえを生きるだけの存在になってしまうからだ。心に内面化された社会化の自我を剥がすことが、私たちの自由であり、解放であるといえるだろう。

 人や社会から無価値であり、無意味であり、存在している価値のない人間であることをめざせばいいのである。賞賛や価値をめざすべきではない。それは社会の奴隷や社会の規格品になることである。私たちはその要請を几帳面に生きるわけだが、この要請には距離をおき、相対化できるようになり、客観視できることが、われわれの生を自由にするのである。

 人や社会から無意味であり、無価値であると思われることを期待したほうが自由に生きられる。私たちは人からの賞賛を求めてしまうがゆえに不自由になり、社会に拘束された存在になるのである。

 私たちは無意味で無価値な存在になれるだろうか。私は賞賛や評価の価値というものをできるだけ外してゆきたいとは思っている。しかしこのブログによる考察も、自分が無価値でないというメッセージのなにものでもない。私はてんで無意味で無価値の存在にはなり切れていないのである。賞賛を求める気持ちがしっかりとここに刻印されている。私はこの気持ちを外せたときにもっと自由に生きられるようになるのだろう。


無価値になるための本。
CIMG0001_111112.jpg清貧の思想 (文春文庫)良寛にまなぶ「無い」のゆたかさ (小学館文庫)寒山拾得―座右版

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