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03 21
2006

労働論・フリーター・ニート論

働かない人生を国家目標にしろ!


 いま、リバタリアンの本をいろいろ物色中だが、リバタリアンは国家の介入を減らせば自由な商業がおこなえて自由になれるという。う~ん、なんかね、経済の放任にそんなに自由があるのかと疑念に思うところもある。私は会社で働くことほど不自由なところはないと思うからだ。

 そもそも20世紀に人々が社会主義のとりこになったのは、働かない悠々自適の人生がおくれると宣伝されたからではないのか。人が金持ちになりたがるのは働かないで贅沢な暮らしができると夢見ているからではないのか。基本的に人は働かない人生を一度は夢見たことがあるはずだ。

 ホンネのところでは働かない人生を夢想しておきながら、この社会はどんどん労働から降りられない社会をつくってきた。ますますカネが必要になる社会になっている。グルメやらファッションやら、家電やら海外旅行、マイホーム、車、そして健康保険や年金。人が生きるためにますますカネと労働の重荷が必要な社会になってしまったのである。少子化はこの重荷の帰結だともいえる。

 私たちは贅沢な暮らしを手に入れようと思えばますますカネが必要になり、ますます働かざるを得なくなり、夢見た働かなくてもよい人生はどんどん遠のいてゆくばかりだ。私たちは贅沢だけどそれを楽しむ時間もない労働の人生か、それともそんな贅沢より働かない人生のどちらのほうが望みだったのだろうか。

 私は会社に生涯を拘束される人生より、贅沢はできないが自由な時間がたっぷりある人生のほうを選びたい。会社で仕事ばかりしていたら、いったいなんのための人生かと実存的に悩まなければならなくなる。必要なカネだけが稼いだらあとは休むといった生活が理想なのだが、現実問題としては転職先がないのでひとつの会社に長時間拘束されるしかない。

 私たちはなぜ目標をまちがえてしまったのだろう。生涯を保障されているけど、金ぴかのバカ消費と奴隷労働の人生をなぜ選びとってしまったのだろうか。ひとえに私たち自身の肥大した欲望のなせる業である。自分のあれもこれもほしいと欲張りが通ってしまう民主政治と福祉国家のせいである。私たちは自分の欲望の重荷にたえかね、そしてみずからの首を絞めているのである。

 私たちはもう一度働かない人生が目標になるような社会を生み出せないものだろうか。いまの二十代やニート、フリーターならおおかた賛成してくれるだろう。もちろん国家や企業が保障してくれる人生なんかまちがっても望むべきではない。それは家畜と奴隷への道である。私たちは人生のモラルとプライドにおいて自分の生活の糧は自分で得るべきである。なおかつ働かない時間をおおく手に入れる。そんな人生や思想が生み出せないものだろうか。

 国家は民衆にカネをもっと稼いでもらわないと税収でうはうはの生活ができないから、消費振興と労働主義イデオロギーを押しつけてくるのはまちがいない。国家とは他国との競合のことだからだ。国家は民衆をぎゅうぎゅう働かせて血税をむさぼりとることしか考えないから信用できない。

 私たちはカネで得られる楽しみを減らしてゆくしかない。そうすることでしか自由な人生は得られない。消費と保障の人生は奴隷の人生である。私たちは豊かだけど、どうしようもなく陰鬱で重苦しいこれまでの世代をたっぷり見てきた。このような人生のわだちを踏まないためには、なにかを失わなければならないのである。どっちみちこれからは保障が不可能な世の中になるから、自由を選ぶしかないと思うのだけど。


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Comment

砂上の楼閣

今晩は。

このエッセイはかなり面白かったです。
とくに「どうしようもなく陰鬱で重苦しいこれまでの世代」という表現が印象的でした。

賃労働とはギブ・アンド・テイクでしかないのに、仕事をして肉体や精神を病むなんて、本末転倒でしかありません。

恐らく、彼らは魂までは捧げていなかったのではないでしょうか。
生き延びる為に軍門にくだったフリをしていた・・・。
だとしたら、その処世術は、まさにアカデミー賞級の演技です。

また、ニート問題を「心の問題」で片付けようとする風潮には、僕も異議を唱えたいですね。
「できることなら働きたくない」という気持ちは誰だって抱いているわけですから。

やはり、ジェネレーションなんだと思います。
僕としては何とも言えませんが、人間性を捨てないで働ける世の中になればいいなぁ、と漠然と考えています。

では、このへんで。

だれが働かせたいのか。

たいく~んさん、ありがとうございます。
うえしんです。

団塊の世代だって、「働くばっかりなんていやだよう」といってたみたいです。山田太一が『ふぞろいの林檎たち』でいわせていました。

でも貨幣経済の世の中では働かざるをえない。そのうちに団塊の世代も生産マシーンになって、そろそろ年金生活に入ろうとしている。

フリーター、ニートの世代はもう金持ちになんかなりたくないと思っているのではないでしょうか。もう馬車馬のように働きたくないと。親の世代とか見ていたら、なんのために生きているんだろうと思いますよね。

そうしたら若い世代は「下流社会」だとかさげずまれて、また働かせようとしている。

もうこれから労働やカネに幸福を見い出す時代ではないのに、と思いますね。

政治家とか官僚というのは国民の税金で食っているわけですから、あの人たちは国民を稼がせようという方向に絶対にいってしまうのでしょうね。

いったいだれが働かない人生の幸福に目標を向けてくれるのでしょうかね。

下流社会と呼ばれる人たちが自分たちの世の中をつくってゆくしかないみたいですね。

金儲けに煽動しようとする人たちを警戒するしかありませんね。

中高年者を雇え

求人は、「若者優先」です。中高年者は、働く意欲が有っても働けない。中高年者を、採用してください

年上の部下を使いにくいというのがあるのでしょうね。きっちりした会社では年齢で年功エスカレーターをつくっていますから、あてはめられないのでしょう。

年下の部下にしっかりと頭を下げられて、給料も新卒並みにたえられないと、会社に入れることはないのでしょうね。

会社が変われないのなら自分の頭を変えるしかないのでしょうね。わたしも40をこえて年齢制限のカベはずっしりと感じていますが、自分の考えを先にリストラするしかないと思います。

最近の若い人はこの傾向があるのではないのでしょうか、スローライフというか多くを望まない人が多いです(もちろん先行きの暗さから保守的になっている部分もあるのかもしれませんが)。しかし若者がそのような傾向にあるにも関わらず、世界が競争の激しいグローバル社会に向かっているのは皮肉な話です。

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