HOME   >>  書評 社会学  >>  『「関係の空気」 「場の空気」』 冷泉 彰彦
05 12
2007

書評 社会学

『「関係の空気」 「場の空気」』 冷泉 彰彦




「関係の空気」 「場の空気」
冷泉 彰彦

「関係の空気」 「場の空気」 (講談社現代新書)


 ノレない新書であった。「場の空気」という強制力や権力への危機感は私にもあるし、山本七平の『空気の研究』ももちろん読んでいる。この新書は私にはめずらしくほとんど赤アンダーラインをひかなかった。

 「空気」を語るのはむずかしいと思う。実例をひんぱんに出してくれないと「空気」がなんなのかわからなくなるし、危機感や問題意識が現われてこなくなる。なによりも自分側の危機感がそうとう深刻でないと、ノッてこれない問題なのかもしれないと思うが。

 私がいまこの「場の空気」を問題にしたいと思ったのは、「場」を処するテクニックが私に欠如しているのではないかという思いからだ。どうも私は集団での会話や一体化する仲間内の会話というのが嫌いだ。演技っぽくなるし、ウソっぽくなるし、場や権力に服従を強いられるし、大衆社会論で集団やグループというものがすっかり嫌いになってしまったからだ。

 おかげで私は集団での対立を生み出してしまうし、私の沈黙に対しては饒舌や会話の疎外という報復を受けてしまうのである。私はみずから集団への敵対や対立という行動様式を身につけてしまったようなのである。だから場の空気というものの処し方をもう一度学ぶ必要があると思ったのだが、いや「会話の集団内のルール」といったものがより近いと思うが、残念ながらこの本からは学べなかった。いったい私のなにがそんなに対立を生み出してしまうのだろうか。

 本の話に戻って、空気が生成されるメカニズムとして言葉の暗号化により「ウチとソト」の疎外感が生み出され、そのために理解への強迫観念と正当性が強制され、反対意見を封じ込めるという攻撃的な空気が生じるといわれている。

 空気の権力はまず仲間内の談合や連合から生まれ、疎外者もむりやり言葉のないそれにあわせようとするから、権力空間が場の空気に譲られるということになるのだろうか。もはや個人はそれを御することができなくなるのである。

 この新書は日本語の問題から空気の実質に迫ろうとする本なのだが、私はこれは人間関係の権力闘争から解くほうがいいんじゃないかと思う。権力関係の問題なのだと私は思う。

 私たちは仲間や人間関係の権力闘争や序列の問題を避けたがるし、言葉にしたがらない。そこで権力のありかや所在が不明確になる。ために権力をどこかに委譲してしまって、個人や人に権力はない、場に支配されてしまうというアナーキーな状態に日本人はより陥りやすいのである。いったら権力放棄や忌避の風土が空気の権力を生み出しているのではないだろうか。権力の所在に日本人は失敗しているといえるのである。

 ゆずってゆずって、頭を下げて頭を下げて、権力をどこか場や神棚にゆずってしまって、日本人は空気という暴力に最終的には操られることになるのである。根回し的で民主的な日本の風土も、欠点としてあらわれれば、とんでもない空気の暴虐の危険と隣り合わせということである。日本人は権力の所在をあいまいにするために権力を場にゆずってしまい、空気が絶対権力として猛威をふるうようになるのである。権力の譲位は、ときにはぜったいに譲られない断行として必要であるということは、ケモノなみの集団暴走に陥りがちな日本人にぜひとも必要な技能なのだと私は思う。


「空気」の研究 こころの格差社会―ぬけがけと嫉妬の現代日本人 「個」を見つめるダイアローグ 「場の空気」が読める人、読めない人―「気まずさ解消」のコミュニケーション術 人事制度イノベーション
by G-Tools
関連記事
Comment

言葉は人を殺すのだろうか霊

こんにちは。
最終段落が特に印象に残りました。

僕は今、夏目漱石の 『草枕』 を初めて読んでいるのですが、
冒頭に出てくる表現は見事なまでに今の日本社会を言い当てていると思いました。

 智に働けば角が立つ。
 情に棹させば流される。
 意地を通せば窮屈だ。
 兎角に人の世は住みにくい。

今も昔も、「権力」が存在する為に、仕事というものが確立されているのでしょう。
でも、実際は掴み所の無い「空気」というものに余計な神経を磨り減らすことが殆どですね。

元格闘家の前田日明氏が書いた 『誰のために生きるか』 (PHP) という本は面白いですよ。
一億総田舎者の国家に日本はなってしまった、と前田氏は嘆いています。
僕はコミュニケーションの取り方のヒントを、この本から得ることが出来ました。

都市にありながら画一的な生き方を僕らは強いらているわけですが、恐らく原因は「敬語」にあるのだと僕は思います。

人間が攻撃本能を持ったケモノである限り、言葉による対立をしないと、容易に暴力沙汰に発展してしまいがちです。
だから、敬語なんかなくしてしまえばいいわけですが、同時に礼儀や作法は継承すべきですし...難しい問題ですね。

では、また。

追記

タイトルは「言霊」です。
すみません。。。

『草枕』の冒頭は暗記しています。

 こんにちは。たいく~んさん。

 『草枕』の冒頭は私は暗記していて、いつもそらでつぶやいていますよ(笑)。

 私はとくに「意地を通せば窮屈だ」がいちばんあてはまるのかもしれませんね。外面はふにゃふにゃしているのですが(笑)、芯が頑固すぎるんですね。。

 場の空気というのはその場の雰囲気をつかめない人に制裁の矢が向けられるという特徴がありますね。だから場の空気というものにいつも敏感にならなければならない。なんで人間個人がもっと強くなれないのかと思いますね。

 場の空気というのは、集団の空気に権力をゆずるわけですから、集団嫌いの私はよく対立の契機をつくってしまうのですね。場の空気というのは、個人的「高貴さ」というものを許さない。ニーチェやオルテガで学んだツケは私にはかなり高くついているようです。。。

 前田日明氏が書いた 『誰のために生きるか』 (PHP)はチェックしておきます。コミュニケーションのとり方はぜひ学びたい。体育会系の人はけっこううまいと思いますからね。

 敬語はこの本では対等な関係がつくれるものだといわれています。タメ口のほうがなれなれしさから権力や疎外を生みやすいそうです。私は上下関係の複雑さを避けるために、だれでもかれでもとりあえず敬語でしゃべっていますけど(笑)。

 この本が出たと同時にPHP新書には空気に合わせるための新書が出ていました。集団の中で生きなければならないわれわれはおとなしく空気に流されるのが賢い生き方かもしれませんね(泣)。空気に「水を差す」人間は村八分にされますよ(泣)。表面的には空気に流されるのが日本人としての宿命かもしれませんね。。。 集団の敵意とか対立はほんとにアブないですからね。。

Trackback
title>
Trackback URL
Comment form









管理者にだけ表示を許可する






google adsense
全ての記事を表示する
ブックガイド特集
月別アーカイヴ
プロフィール

うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。ビジネス書、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、精神世界、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

twitterはこちら→ueshinzz

FC2カウンター

Page Top