HOME   >>  恋愛・性・結婚  >>  男にとって女性の描いたものとは
02 16
2004

恋愛・性・結婚

男にとって女性の描いたものとは


 さいきん、女性の描いたものばかり読んでいる、マンガに小説と。まあ、女性の心を内面から知りたいと思ったからだ。なにかが理解できるとか達成できるとかは思わないが、近づける程度にはなるとしよう。

 女性に近づけものとは思ったら、まずは恋愛小説よりマンガのほうが現代の女性の感覚に近づけると思った。よりリアルではないかと思ったのである。でも男の私にとって少女マンガしている世界はやはり拒絶感がある。入り込めもしない。書店の少女マンガコーナーに立つのも恥かしい。

 なぜなんだろう、マンガはどうして男モノと女モノがきっぱりと分かれて寄せつけないのだろう。マンガも更衣室や公衆トイレ、銭湯のように隠蔽しなければならない秘密の女体でもあるのだろうか。女が養成されるところだろうか。ほんとうは理解され合わなければならないのに隠さなければならないとは残念なことである。

 少女マンガはやはり恋愛ものばかりで男は戦闘ものばかりである。女は人とつながることばかりに熱中し、男は人と闘うことばかりに気がとられる。女モノに戦闘ものが登場したりして両者の関係は融合しつつあるのだろうけど。

 少女マンガにとって気になったテーマは少女からオトナの女に脱皮するのはむずかしいだろうということだ。少女のからだから男にじろじろとながめまわされる性の対象になることはたいそう驚きや苦痛の体験になることだろうと思う。女性はそういう関係性をうけいれていかなければならない。性をはげしく嫌悪すれば、大人の女になることはたいそうむずかしいことだろう。

 私が読んだ女性のマンガはやはりエッチもしっかりと描かれている大人のマンガになった。南Q太、桜沢エリカ、やまだないと、安野モヨコなどだ。いずれもあまり少女マンガっぽい絵柄をしていないからすんなり入れた。

 物語から遠ざかって理論や分析ばかりに熱中してきた私としては物語になにを求めるのだろうかという前提がぐらついている。共感? 教育? 経験を補うこと? 喜びや楽しさ? 想像力や空想力の訓練? いやはや、物語を読むのにこういう問いはあまり似合わない。

 南Q太は恋愛の成就としてのセックスではなく、肌淋しさをおぼえた女のセックスが描けるマンガ家として歓迎されたそうだ。でもあまりめぐまれた恋愛物語ではない。桜沢エリカはおしゃれなマンガを描き、かわいい女の子が出てきてセックスもさらりと描かれており、理想や憧れを絵にしようとしているのではないかと思う。

 やまだないとはかわいい女の子も出ているが、恋愛より欲望としてのセックスに女性がめざめたさまが描かれており、ちょっとオソロシイ。安野モヨコは恋愛狂の女性が共感をもって描かれていて、その酔狂ぶりを客観視できるきっかけをあたえたのだろう。

 大人向けのマンガがたくさん出てきたといってもマンガは幼稚っぽい印象やまだまだ子供向けというイメージはぬぐえない。おそらくそれは絵のようなダイレクトに視覚に訴える媒体より、活字のように記号だけでよりゆたかな想像力を必要とする能力が評価されるからだろう。マンガは手続きがかんたんすぎるのだ。

 女性の描く恋愛小説をいまは片っぱしから読んでいる。現代の感覚に近い女性作家をなるべく選びたい。江國香織、山本文緒、唯川恵、村山由佳、藤堂志津子など。

 いぜん私は純文学とか世界の名作だけを奉じるような偏屈な読書をしていたことがあったが、その網からはぼろぼろと漏れていたふつうの小説である。恋愛や女性について知りたいと思ったらこういう世界がひろがっていた。女性が読む女性のための小説だ。だから男の私は読まなかった。

 斎藤美奈子はこれらの女性作家群を「L文学」と名づけた。『赤毛のアン』やコバルト文庫で育ったあらたな作り手と読み手が生まれているそうだ。少女マンガやポップミュージック、トレンディドラマ、女性雑誌などの女性マーケットが小説の世界にもようやくおよんだということである。

 私としては唯川恵の小説が等身大のOLを主人公にしていていちばんよかったかなと思う。身近にもありそうな恋愛の話だし、恋愛のいろいろな感情を味わえるのがよい。山本文緒は冷静さと客観性をもちすぎていてあまりロマンティックではないのがよくないかな。

 といってもほとんど一二作しか読んでいないので、てんで全体的なことはいえないけど。村山由佳はよくできすぎたあまりにも当たり前の物語を描くのに人気があるとはどうも理解ができがたい。藤堂志津子はいろいろな恋愛バリエーションの宝庫みたいな作品を描いているが、文章がカタくていまいち今っぽくないかもしれない。桜井亜美はたぶん主観から描かれたというよりか、客観的に描かれたものだと思うので、主観的な気持ちを信用していいのかなと思う。

 現在の感覚に近い女性作家を私は読みたいから、林真理子とか内館牧子とかは除外するべきなのだろうか。まあ、私は現代のふつうの女性の世界を主観から知りたいと思っているわけである。

 物語を読めば、現代の女性の主観や世界を理解できるものなのだろうか。女性の思いや考え、気持ちなどを女性の身の上のように知ることができるだろうか。女性は現代の物語を読むことによって女性としてかたちづくられるのだろうか。それとも女性としてのかたちづくられた素質が、女性の物語を読ませるのだろうか。まあ、男の私はせいぜい物語の読書体験を共有できるくらいだろう。

関連記事
Comment

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

新しい作家はつぎつぎに出てきますね。

ひまわりさん、コメントありがとうございます。

男と女は好みがどうして違ってくるんでしょうか。
私は基本的に男も女もそんなに違うものではないと思っていますから、文化的に条件づけられたんでしょうか。

新しい女性作家はつぎつぎと出てきますね。
さいきん、私は物語をフォローできない年齢というか(笑)、境地になってきてきました。としをとったんでしょうかね(笑)。

平安寿子とか瀬尾まいこ、沼田まほかる、前川麻子とかははじめて聞いた作家です。しっかり名前を覚えておいて、書店に寄った折にはチェックしておきたいと思います。

ありがとうごさいました。

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

女の共感と男の否定


女性は慰めるとき、「そうそう、私もよ」といって共感して慰めるそうですが、男は否定によって慰めるそうですね。「君はそうじゃないって」。

女性は「私も仲間よ」といって仲間入りするわけですが、男は事実を否定するにとどまります。コミュニケーションがうまいのは女性ということになりますね。この否定の男性論理で女性にうけこたえすると、女性に「なんて冷たい人だろう」となりますので、気をつけよう(笑)。そういう男は男の論理で慰めているんだと理解してあげましょう。

私は年をとったら物語とか音楽とかに興味をもたなくなるものだと自分の両親をみて思ってきましたが、そうではないんですね。なんか安心しましたね。興味の質が変わっただけなんでしょうか。

それにしても十代のころは映画とか音楽のない生活なんて信じられないと思っていましたが、さいきんは音楽も聴かなくても平気、映画もめっきり見なくなりました。好奇心の低減かな~。。物語や音楽は作為性がどうもひっかかってきたんですね~。

男くささをつくっている根本のものってなんなのでしょうね。少年少女マンガなんかみたら一目瞭然ですが、筋肉とフェミニンの両極端に走ってゆきますね。強さとあたたかさといってもいいんでしょうか。願わくば、中庸をねらいたいところです。
Trackback
title>
Trackback URL
Comment form









管理者にだけ表示を許可する






google adsense
全ての記事を表示する
ブックガイド特集
月別アーカイヴ
プロフィール

うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。ビジネス書、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、精神世界、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

twitterはこちら→ueshinzz

FC2カウンター

Page Top