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2006

書評 哲学・現代思想

『アンチ・オイディプス 資本主義と分裂症』 ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ

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 もうだめである(笑)。ほぼわからないながらも最後まで読み切ろうとしたが、下巻の半ばで時間のムダとしてさじを投げることにした。なにをいっているのさっぱりわからない(笑)。まるで詩のようである。

 「欲望機械」とか「器官なき身体」、「大地機械」、「専制君主機械」、「資本主義機械」とかの概念は魅力的である。しかし意味がまったくわからないのなら、電話帳のように読むだけムダである。そもそも私はフロイトのオイディプス・コンプレックスなんて信用していない。なのに「アンチ・オイディプス」なんて読むべきではなかったのかもしれない。

 私の理解できなかった哲学書の一冊として「殿堂入り」に加わることになる。ハイデガーの『存在と時間』、ヘーゲルの『小論理学』、メルロ=ポンティの『知覚の現象学』などの理解不可能の一冊にならびました(笑)。

 このドゥルーズ=ガタリの『アンチ・オイディプス』は現代思想の頂点として必読の書とされていた。私は六千円ほどする、偉く威容をほこった単行本をながめては高すぎて買えないなとか、理解できないかもしれないし、興味をもてないかもしれないしと読むのを見送ってきた。こんかい、河出文庫となって出版されたのを衝撃に思って思わず書店で目にしたその日に購入した。しかしやっぱり私には縁遠い本であった。そもそもさいきんは現代思想を読まなくなっていたし、興味もほかのテーマにかかりきりだった。

▼手にとってため息をついていた豪華本。分厚さと手ざわりが忘れられない。
アンチ・オイディプス千のプラトー―資本主義と分裂症

 内容のほうは「自己同一性批判」らしいが、そのような文脈は詩のような文章からまったく読みとれなかった。独特の詩のなかにぽっと理解できる文章が出てきて、いくらかは赤ラインをひいたのだが、またまた砂漠のような詩の中に埋もれてわからなくなってしまうのである。ただひとつこれはと思ったのはつぎの箇所である。

 「母と妹とは、彼女らが配偶者として禁止される前には存在しないのだ。……これらの名前は、彼らを性的パートナーにすることを禁じる禁制と切り離せないからである」

 ドゥルーズは生涯を閉じるにあたって、病気を苦にアパルトマンから飛び降りたそうである。現代の哲学者は人生の幸福や悟りとは違うテーマを追究して久しい。フランス哲学やドイツ哲学がふつうの人に理解できることはまずないだろう。現代の哲学者がわれわれふつうの人たちの幸福や安心を与えてくれることは、もうないのだろうか。


アンチ・オイディプス(下)資本主義と分裂症 フーコー・コレクション〈6〉生政治・統治 フーコー・コレクション〈5〉性・真理 シネマ〈2〉時間イメージ フーコー・コレクション〈3〉言説・表象
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