高安山レイラインを検証する
こんかいのレイラインは生駒山系につらなる高安山が主役。冬至の日の出が高安山からのぼる地点は大阪天神橋にちかい座摩(いかすり)神社であり、夏至の日の出が高安山からのぼる地点は高石市の等乃木神社である。
このことが書かれているのは、大和岩雄の『天照大神と前方後円墳の謎』(六興出版)であるが、さっそくマップにおこしてみた。角度的にふたつとも30度をこえて大きすぎのようだ。本の図では高安山と住吉大社が春分・秋分ラインのように書かれているが、右上がりになりすぎ。住吉大社は法隆寺が東西線である。淡路の岩屋神社を結ぶには高安山-住吉大社ラインは角度がいいかもしれないが、住吉大社の東西線ではちょうど明石海峡をとおってしまう。
大和岩雄によると、高安山手前にある岩戸神社の洞窟から太陽がうまれ、淡路島の石屋神社の洞窟に没すると古代人は観念していたという。正確な東西線をあらわしていないようだが、すこし早めの春分ラインに意味があったということにしておこう。
淡路島までのラインは情報量オーバーのためか線が反映されなかったが、高安山-等乃木神社-淡路の由良の門はなかなかきれいに一直線にならんだ。『古事記』にあるように等乃木の巨樹の影は高安山と淡路にかかったのである。それは等乃木から見て高安山に日がのぼる夏至と、淡路島左端あたりに日が沈む冬至の日のことをあわしているのだろう。高安山から見て淡路島の左端に太陽が沈むとき、つまり太陽がいちばん衰える冬至に太陽の再生が祈られたのだろう。
ちなみに等乃木神社から見て二上山雌岳に日がのぼるのは春分と秋分の日であり、夏至には高安山からのぼり、冬至の日の出が見られるのは金剛山である。古代人はこの山アテによって田植の時期を知ったり、太陽の復活を祈ったりしたのだろう。
高安山に冬至の日の出を見る座摩神社はもとは大阪市中央区石町にあり、神功皇后の鎮座石があるそうだが、移転先の久太郎町は百済の当て字であるとはおどろきだ。ちかぢかこのレイラインめぐりの写真をアップしたいと思います。
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