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09 16
2006

労働論・フリーター・ニート論

企業は社会保障の廃止をめざすのか


 関西しかやっていないだろうけど、『雇用破壊~格差社会にもの申す』(アンカーSP)という報道番組を14日深夜にみた。おもに製造業の偽装請負や非正規雇用の問題をとりあげていた。宮崎哲哉や片山さつき、仙谷由人、小島典明(阪大)、脇田滋(龍谷大)、雨宮処凛といった人たちが出ていた。

 派遣というのは一年後に直接雇用に移行しなければならないから、偽装請負が横行しているという違法行為が叩かれていた。請負というのは派遣先の正社員から指示・命令をうけてはならないらしい。実態は派遣であり、企業は直接雇用をどこまでも避けたいらしい。

 工場などの製造業は派遣や請負がどんどん進行している。派遣や請負はそこの会社に属してながら、よそ者のような気持ちを味わわせるものである。そして給与は社員の半額程度であり、昇進もないし、社会保険が支払われることもめったにない。つまりは非正規雇用であり、アルバイトである。不安定雇用であり、使い捨て労働であり、結婚も子どもも持つことがむずかしいだろう。

 いまの日本企業は従業員に生活や人生の保証をするといった温情主義・家族主義的な、かつての日本企業のイメージをどんどん捨てつつある。まだ多くの人はそうであろうけど、企業は生涯を保障してくれるというあたたかくて、やさしいイメージを抱きつづけているのだろう。

 だからこそ、かつての日本人は企業に忠誠心をつくし、愛社精神をもち、長時間残業をいとわず、企業につくしてきたのである。滅私奉公には見返りがあった、もしくはそう好都合に考えてきたのである。そして会社人間や社畜とよばれるものになった。

 そんな都合のいい話があるわけがない。企業は経済論理で動く。好調なときにはそのような約束はできるが、、調子が悪くなるとたちまちその約束は捨てられる。それが経済やお金というものである。それなのに日本人は企業に聖人君子のような温情主義を期待してきたのである。この異常な観念の源泉には、年金や健康保険によって人生が保障されるというメルヘン的な依存心の育成があるのだろう。

 企業はこのメルヘン的な人生保障の約束をどんどん反故にしつつある。そのメルヘンは大企業や専業主婦、または多くの日本人の脳裏の中にのこっているのだろう。現実には非正規雇用の急激な伸びによってそのメルヘンがどんどんつき崩されているのだが、おおくの日本人はまだまだその現実を認めようとしないのである。

 企業は従業員の生涯保障なんてしたくないのである。必要なときだけ雇用したいのが企業というものであり、経済論理である。たとえば私たちは住まなくなった家の家賃を払いつづけるわけなどないし、乗らなくなった電車の定期券を買いつづけるわけなどない。企業も同じである。これが当たり前すぎる当たり前のことなのだが、どうも日本人は人間は違うといって、住まない家賃や乗らない定期券を払いつづけることを正当なことだと、人間の権利やとうぜんの保障だと思い込んできたようである。企業に生涯の保障を抱え込ませて、有利さを企業の長期雇用にあるようにひっぱってきた。労働市場を育てることのほうが重要だと思うのだが。

 企業は社会保障をどんどん捨てたい。国家の社会保障は見捨てられたかたちになっている。国民は社会保障にしがみつきたい。企業は給料を下げたい。そのような要求が絡んで、いまの企業の中には正社員や派遣、フリーターといった雇用形態が混在している。その格差は競争やがんばりのモチベーションとして利用可能かもしれないが、そこには年功賃金のような多くの人がしぶしぶ納得するような格差の正当な理由などまったくないのである。同じ仕事をしていて、だれが正社員とフリーターの違いを納得させることができるのだろう。

 なし崩し的に企業の社会保障は人々から奪われている。そして温情主義的な企業関係の中で労働者はすっかりおとなしくなってしまっている。待遇も給料も低くても、社会保障がなくても、フリーターや非正規雇用者はなにもいえず、黙ったままである。社会も政治家も世論も声を上げず、沈黙したままに、この給与ダウンと社会保障の喪失はどんどん進行しつつあるのである。ものすごく大きな日本人の生き方の転換につきあたっているというのに、人々は傍観か、無視しているだけである。

 なにが必要なのか。どうなればいいのだろうか。まずいちばん大事なことは企業と国家は社会保障をどうするのかコンセンサスを得るべきだ。企業は社会保障をどんどん捨てているのに、国家はそれを違法と見なすのか、取り締まるのか、それとも合法か、はっきりすべきだ。国家は企業が社会保障を与えないことを奨励するのか。

 これまでは企業が従業員の社会保障の支払や手続きは肩代わりしてきた。この役割を企業に放棄させることは、事実上の社会保障の廃止に近い。つまりは企業のみならず、国家も社会保障を廃止するのかということだ。非正規雇用の問題とはとどのつまりこのことである。社会保障は廃止なのかということだ。社会保障は一級国民だけのものになるのか、そうすればほかの人たちは税金も払わないし、国家と無関係に生きようとするし、戦争は一級国民だけの義務になる。

 もうひとつは正社員と非正規雇用の格差問題である。給与や生涯賃金で二倍~四倍ほど格差のある関係はこのまま放置されるべきなのだろうか。もし同一賃金同一待遇をめざすのなら、正社員のレベルが引き落とされるべきなのか、非正規雇用が上げられるべきなのか。正社員が落とせないから非正規が生まれたといえるので、非正規雇用を上げるしかないのだろう。といっても政府にも労働局にも実行力は皆無だろう。このままこの状態はつづき、人手不足がやってこないかぎり、非正規雇用のレベルが上ることはないのだろう。

 私がずっと思ってきたことは企業なんか信用するなということである。いくら生涯が保障される終身雇用が約束されたからといって、全人格的に企業に人生を捧げるなんてまちがっている。私たちは会社で働くためだけに生まれてきたのではない。人生を謳歌するためには必要以上に企業や労働に人生を捧げてはならないのである。

 企業は冷酷で、残酷で、非人情的なものである。それが経済やお金の論理というものである。そういう面から出発して、企業とのつき合い方を決めるべきなのである。メルヘンな終身保障なんて期待して、全人生を企業に捧げるべきではないと思う。ほんらいは非正規雇用の関係が企業とのふつうのあり方くらいに考えるべきなのだろう。そうすると企業とのドライで一面的な関係やつき合い方も見えてくるというものである。企業とは敵対して、闘争する関係なのである。温情的な関係を期待しておとなしくなるべきではないのである。


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