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07 10
2006

市場経済

金儲けと利己主義


 こないだから散発的に考えている金儲けについてだが、まったく考えがまとまらないばかりか、どのような問いをしたいのかも自分でよくわからない。そういうときにはむやみに書くしかない。

 「金儲け」という言葉はたいてい非難するときにつかわれる。自己の利益のみを追求して、他者の迷惑や損害にまったく考慮がおよんでいないという非難だ。それは儲かっている人や金持ちに向けられる。

 いっぽうでは、われわれは金儲けをしなければ生きてゆけない世の中に住んでいる。家を追い出されても、食べ物を買うお金がポケットに数十円しかなくても、私は断固として金儲けのような汚いことはしないと断行できる人間は存在しないだろう。

 私たちは金儲けをしょっちゅう非難しておきながら、毎日金儲けの活動に費やしているし、内心ではすこしでも多くの金を稼ぎたいと思っているし、いつも心の中で高級品や贅沢品をもっとほしいと思っている。思いっきり矛盾である。ケッペキな私は人を金儲けで批判するのなら、自分自身は金儲けをやめられるのかといいたくなる。

 世間というのは利己的な人間をいくらでもたたいてよいという不文律がある。金をたくさん儲ける人は自分の利益しか追求しない、他者への配慮が欠如した人間だと思われている。だから金儲けという言葉はそれだけで非難の言葉になる。

 金儲けは人から奪ったり、功利的にだましたり、自分のためだけにおこなわれるものだと思われている。しかし他者の利益や喜びに奉仕しないサービスや商品をいくら売っても、金儲けで成功するわけがない。コンビニでも、百円ショップやドンキホーテ、または車やIT産業はわれわれに便利さや喜び・楽しみを与えるから、多く儲かるのである。金儲けというのは「利他主義」でしか儲からないものなのである。

 金持ちが利己的や貪欲だと罵られるのは、自分だけが多く儲けていると思われているからだろう。一度手に入ったお金はその人の自由になるし、他者の利益ではなく自己の利益につかわれることになる。金儲けの最初は利他行為であるが、お金が蓄財されると、こんどは利己主義につかわれるのみになる。

 日本では金持ちが慈善事業に寄付したという話はあまり聞かない。イメージとしては豪邸に住み、高級車を乗り回し、高級品を数多く所有しているといったものだ。これは世間がバッシングしてよい免罪符となる利己主義だ。金持ちは人を助けることのできるお金をたくさん所有しているのだから、その分社会にお返ししなければならないと思われている。それをいまは政府がかれらから累進課税でこっぴどく高額な税金をとるから、つまり政府が手柄を横取りするから、かれらは社会に還元しようという気持ちをなくすのかもしれない。

 金持ちは社会に多くの利他行為の喜びを与えたからかれは金持ちになる。お金は利他行為を与えたことにより、自分に与えられる利己主義に使ってよいクーポンである。利他行為の貢献量である。あまり裕福ではないサラリーマンは市場によって効用のある利他行為を与えたと見なされないから、収入が少ない。おまけに会社ではポストのある者の裁量により恣意的に給料は分配される。もちろん売り上げがゼロだったからその月は給料が支払われないという危機はないのだが。

 金儲けを非難する者は、かれがもし誠実な人間だったら、かれは金儲けを自重するだろう。じつのところ、非難の強い者ほど、その非難が自分にいちばんあてはまるというのが事実なのだが。いったら、かれは利己主義者だから、人の利己主義に目が向き、叩きたくなるものである。人は自分にあるものしか見えない。かれは金儲けの与える面より、奪う面ばかりに目が奪われるから、かれは金儲けを非難して、そして自分の仕事でも与える面を見ない。かれは自分を守り、奪うことしか考えないのだろう。金儲けを非難する人は自分の利己的傾向に反省する必要があるのかもしれない。

 金儲けを嫌う人は自分の仕事でもお客に与えるサービスや会社への貢献より、自分の取り分や利益のことばかり考えてしまう人間なのだろう。かれは自分を守り、自分の得になるように考えているだけである。しかしかれは金儲けを利己主義のしくみだと考えたばかりに、かれが社会に与える利他行為は少なくなるばかりである。かれは利他行為を減らしたほうが自分の利益になると考えてしまうからである。

 この貨幣社会では多く与えた者ほど多く得ることができるしくみになっていると気づいたときに、かれは自分の貧乏な理由を悟ることができるのだろう。金儲けとは利他主義のことなのである。


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Comment

To be or not to be...

お久しぶりです。
毎回、気を付けてはいるのですが、結局、パラノイアチックなコメントを書いてしまい、恐縮です。

さて、「金儲け」関連の一連のエッセイは参考になりました。
難しいテーマだと感じています。

いい商品やサービスを提供することにより金を得る。
この原則は覆すことはできませんね。
大事なのは、行為における「人間性」まではジャッジすべきではないということですね。
「全ての商売は汚いもの」 と認識しては、この世を渡っていけません。

ルイ・ヴィトン、リーバイス、ポルシェ、フェンダーにギブソン・・・こういった企業が不動のブランドを確立し得たのは、上の原則により、いい評判と熱狂的ファンを獲得したからだと言えます。

よくソニーやトヨタがエクセレント・カンパニーだと言われていますが、それは企業ブランドの話であって、製品レベルでは上記の企業には遠く及ばないというのが僕の考えです。

で、個人ではどうでしょうか。
スポーツと創作の分野が代表的なプロの道として思い浮かびます。

会社勤めでありながら、プロ道を目指すのは難しいと思いますね (大企業のごく一部では可能かもしれませんが)。
なぜなら、セオリーから逸脱するような仕事の仕方を会社は許さないはずだからです。
僕は、会社と従業員の間に存在する「リスク管理」の限界をここに感じるわけです。

個人レベルでは、自分の人生を生きることが重要過大なわけで、金持ちであることは、羨望こそすれ、さほど重要ではないと思います。

好きなことでメシを食うこと... これを諦めたら生きる意味はないと僕は心から思うんですよね。

では。

金儲けの利己主義・利他主義


こんちは。うえしんです。

さっぱりコメントのないブログになりましたが、まあ、モノローグ(ひとりごと)・ブログでがんばろうと思ってます(笑)。

金儲けは利己的行為だと思われたりしますが、客に喜びや利益を与えないことには儲かりませんね。金儲けは利他的行為の成功だといえるのに、どうして貪欲や利己的と思われたりするのでしょうね。やっぱりそれは嫉妬であったり、利己的な自分の鏡を見ているに過ぎないのかもしれませんね。

金儲けで考えたいことは、まだ自分でもはっきりわからないのですが、なぜ男女間や友人間にカネが入ったらだめなんだろうということも考えたいと思っています。カネと無償の関係を分けるものはなんなのでしょうか。無償とカネはなぜ生まれるのでしょうか。

私が金儲け本ばかり読むのは、金持ちになりたいのではなくて、カネとは何かということをうきぼりにするためであって、誤解されないように(笑)。といっても、金は必要だといえば必要ですけどね。

ブランドものにかんしては、私はそういう承認のシンボルを必要とする現代社会の空しさや孤立といったものを批判的に見たくなりますが、クリエイターたちはみごとにそのニーズをくみとったわけですね。りっぱな利他的行為だ。

あとひとつ、カネというのは人間の交換的要素だけに価値をおいてしまって、人の役に立たなかったり、自分だけの楽しみといったものを排斥しがちですよね。

私は他人の役に立ったり、他人に喜ばれるためだけに生まれてきたんじゃないと思います。他人に無価値だと思われようが、私は自分の楽しみを生きたいと思うのですが、カネの世の中は人の役に立たないと意味がないという方向にどんどん進んでゆきますね。私はこれには絶対、否といいたい。

お金について考えるのはむずかしいですね。私はなにを問えばいいのかすらわかりません。しばらく金持ち本を読み進めることになると思いますが、私は金儲け利己主義者に転向したわけではありません(笑)。

金儲けの利己主義批判を払拭すること、金儲けの罪悪感を消すこと、とりあえずはこれが目的なんじゃないかと思っています。
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