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03 03
2005

映画評

優秀さを競うために人は殺される


  azu1.jpg 平和のために人を殺す『あずみ』

 きのう上戸彩主演の『あずみ』という映画を見た。人が大量に殺され、いかに鮮やかに殺されるか、いかに強く殺すことができるか、いかに華麗に殺されるか、といったシーンばかり見せつけられて、この映画はいったいなんなんだと悶絶した。

 強さに価値をおくのはわかる。だけど殺人や殺戮シーンに美学を見いだすような価値観にはついていけない。人が鮮やかに殺されるシーンが額縁に飾られるような見せ方というのはいったいなんなのだろう?

 われわれは人を殺す物語をしじゅう見ている。マンガや特撮番組からはじまってサスペンスやドラマや映画にいたるまで、人が殺されるシーンばかり見ている。

 人が殺されるのは勧善懲悪やなんらかの殺すべき理由があったり、倫理観にかなった殺人が描かれるのがふつうである。意味や理由もなく殺される物語もたくさんあるけど、つうじょうは倫理的な要請から殺害がおこなわれる。

 でもほんとうは倫理的な正当化なんてタテマエにすぎないのだろう。人が殺されるシーンを人は見たがっているのだ。

 なんで殺人という人間社会にとって最大のタブーが、人間社会の虚構物語に多く描かれるのだろう。人はそれだけ毎日毎日だれかや人を殺したいと念じつづけているからだろうか。

 腹の立つ上司や教師や、ムカつく家族、道ですれちがったうっとうしい人、いいがかりをつけてきた人、金持ち、自分より優れた人、政治家、差別されている人、みんなみんな人はしじゅう殺したいと思っているのだろうか。

 精神分析家なら殺人シーンというのは、自分の内なる悪や凶暴性を丸め込めるための方法論だというだろう。つまりじっさいの人を殺しているのではなく、われわれの心の内部では、それら殺される人はみずからの悪や凶暴性が象徴されたものだというのである。だから徹底的に丸め込める残虐さが必要だというのである。

 人が殺されるのではない。私の中のその人のような部分が殺されるのである。そういった正統的な理由なら殺人シーンも無益なものではないだろう。童話が残酷なのはその意味で必要なのである。

 われわれは子どものころからマンガや特撮映画などで人を殺すシーンばかり見てきた。悪役も人間と見なすのなら、人間が殺される物語ばかり見てきたことになる。まさかこの社会は殺人を奨励する社会であるはずがないだろう。

 人が殺されるのは相手が悪や敵であったり、または主人公の優越や勝利を得るためだったりする。そのためには人は殺されても仕方がないというか、奨励されることなのである。

 主人公が優れたり、勝ったりするためには相手を負かさなければならない。そういう競争的価値観のなかで主人公は人を殺す。優越や勝利の目印として人は殺されるのである。主人公はそこで勝利や金メダルを得たことになるのである。殺害とは主人公が優秀であることの承認である。

 優れることや正しいことはわれわれの社会の多くの人がめざす価値観である。その至上価値をめざして、人は闘い、人を倒し、そして殺す。優秀さや正義に向かって人は争い、そのために人は殺されるのである。

 人が殺されるくらいなら優秀さや正義を競うことをやめさせるべきだろうが、自分が優れている、正しいと思いたい人がこの地上から消え去ることは決してないだろう。そして物語の中で人は殺されなければならないのである、私の優秀さや正義のために。

 子どもの物語では自分の優秀さが競われる話ばかりたたきこまれる。私は優れなければならない、称賛されなければならない、勝たなければならない、――そうでないと私の人生には意味がない。そうして私の優秀さの犠牲として人は殺されてゆくのである。

 優秀さに駆り立てられる病というものが現代を殺戮映画だらけにしているのだろう。偽善者ぶって殺人シーンを規制したってはじまらない。残酷シーンを規制しようとする正義漢や優秀さのアピールこそが問題なのである。


 ■参考文献 
 『老子・荘子』 世界の名著 中公バックス
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 「もしわれわれが賢者に力をもたせることをやめるならば、人民のあいだの競争はなくなるだろう」――老子


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Comment

競争社会。

生物でも人間でも強い物が生き残る様に遺伝子に組み込まれています。
最終的にはどうなってしまうのでしょうか。長い年月をかけて、最強に強く
優秀な生物が誕生し・・・・その後はどうなるのでしょうか。
生物はいったい何処に向かっているのでしょうか。知りたいです。

mosikaさん、古い記事に着目してくれてありがとうございます。

まあ、生物は優勝なものが生き残るとは限りませんし、優秀さはある一面から見れば、愚かであることもあると思います。たとえばヘラジカの巨大化したツノ、孔雀の華やかだけど危険な羽、大昔に絶滅したサーベルタイガーの巨大化した牙。

生物は優秀なものが生き残るとは限らず、どちらかというと、たまたま環境に適した、または偶然による作用も大きく出ると思います。

人間の優秀さも、いまは高く評価される優秀さも、明日や遠い未来には優秀でもなんでもない、バカなモノサシだと評価される時代がきているかもしれません。人間の価値観なんて180度変わるなんてしょっちゅうだし、個人によっても価値観はまるで違ったりします。

どんなものが生き残ってゆくかというと、優秀なものが生き残るとは必ずしも言い切れないのが生物というものではないでしょうか。
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うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。神秘思想、仏教、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

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