FC2ブログ

HOME   >>  社会批評  >>  非社会性を人はなぜ叩くのか
04 16
2005

社会批評

非社会性を人はなぜ叩くのか


 われわれの社会では非社会性は非難の的である。犯罪を犯すだの、成長できないだの、就職できないだの、人格に欠陥があるだの、ありとあらゆる陰湿なイメージをふっかけられる。

 どちらかといえば現在で問題なのはその実体よりか、そのメッセージ自体が若者を追い込んでいないかと問うことこそ重要に思える。強迫観念のように若者を追いつめていないだろうか。

 なぜ社会は非社会性をそんなに非難するのか。友だちがいなかったり、おたくであったり、ひきこもりやニートであったとしても人の自由であるし、勝手だし、人にとやかくいわれる筋合いはない。非社会性は人に迷惑をかけるものなのか。ぎゃくにもっとも人に迷惑をかけないひっそりした人たちではないのか。

 非難する人たちは怖れているのだと思う。自分の中のそういう部分を投影しているのだと思う。自分の非社会的な部分を必死に叩いているのだろう。

 そもそもわれわれの社会は経済の効率化やサービス化をめざしてきて、徹底的に非社会的な社会をつくってきたのではないか。いっさい話さずともモノやサービスが買える社会をわれわれはつくってきたのではないか。非社会性をめざしてきたのはだれなのか。

 人間の社交や交流も経済サービス化したために社会性を失わせたのはだれなのか。われわれは人と会わなくても古今東西の有名人の話やお笑い、歌などを本やTV、新聞などで見聞きすることができるのである。人と会うことの魅力の大半はメディア産業に奪われてしまったのである。このメディア産業をブッつぶしてしまえば、われわれは社交というものに強烈に飢えることになるだろう。しかしそれは不可能というものだ。

 このような社会でわれわれは自身の非社会性にやましさを感じ、怖れているのである。そして社会性が育たないことを知っているからこそ、非社会性を非難しなければならなくなったのではないか。社会性が魅力でないサービス化社会の功罪なのである。

 非社会性を非難する人なんか相手にしても仕方がないのだろう。われわれ自身こそがメディアやサービスによって非社会的な社会を押し進めたのである。反省するなら若者を叩くより、産業を問え。この非社会的なサービス社会をわれわれは手放せるというのか。

 そしてそのツケは社会性を育てられない若者の大量出現となって現れたのである。この非社会的な社会をやめられない以上、非社会性に寛容になり、容認し、非社会的でも生きやすい世の中をつくってゆくしかないだろう。そういう社会や若者をもとめてきたのはわれわれ自身ではなかったのか。


関連記事
Comment

かくいうぼっちの一人です
友達が居ないことの何がいけないのか
付き合いを持たないといけないのか
わかりません

皆は皆、友達づきあいをしているからという
同調圧力でもあるのではないでしょうか
同じでないと仲間はずれにするという具合のものに似ていると思います。
大抵は自分と違うような人間を排除したがるのです。
明るい人は暗い人にもっと元気よくなれよと言って”自分と同じ”ようにしたい
そういうふうなものが入ってると思います

書き込むか迷ったのですが………日本の労働環境を考えるとニートは逃亡奴隷ですよ。引きこもりだって所謂ストーカーや虐め問題の被害者は警察が動かないのであれば安心して外を歩けなくなってしまうものですよね。 これらの人々を護ろうとしないばかりか叩きに走る人達というのは人権意識が低く想像力の足りない人達だと考えます。そのような人達が多数派であるということがこれから沢山やって来る外国の方々にバレてしまったら恥ずかしいですよね
Trackback
title>
Trackback URL
Comment form









管理者にだけ表示を許可する






プロフィール

うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。神秘思想、仏教、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

Kindle本、2冊発売中です。

 

twitterはこちら→ueshinzz

google adsense
全ての記事を表示する
ブックガイド特集
月別アーカイヴ
FC2カウンター

Page Top