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01 01
2006

日常

戌年だけに犬論



 2006年は戌年だということで、犬について考えてみよう。

 犬と人間の関係というのはまったく不思議なものだと思う。種が違う生き物をわざわざ食べさせる関係が不思議でならない。しかし考えてみると人間は観賞用に植物を育てることがあるし、労働や食用としてウシやブタなどを家畜として生かしてきたのである。ただ愛玩用にほかの種を生かすという点で、犬は不思議な存在である。

 犬はかわいい。なついたり、服従をディスプレイしたり、主人とあがめたり、大げさに喜びや関心を表現する様は見ていて、とても愛しくなるのである。この特質はおそらく犬同士が集団で生きるためのボディ・ランゲージから発達したものだと思われ、それが人間にも通じるところから人間はこのコミュニケーション能力に魅力を感じてきたのであろう。

 私は十代のころをつづけて二匹の犬を飼ってきたが、人間より犬のほうが好きだと思うほど犬が好きだった。食いつくような好奇心や慕ってくれる表現力、喜びを大げさにあらわす無邪気さ、ほかの種でありながらコミュニケーションがなりたつという関係におおくの魅力を感じたのだろう。

 人間より好きだと思ったのは、なぜなんだろうと思う。やっぱり永久に私の上位に立つことはないということで、私は安堵できたからだろうか。あるいは人間の感情的なトラブルは長つづきして苦痛大きなものに対して、犬にはこのような感情のトラブルの経験がほとんどなかったような気がするからだろうか。飼っている犬は私を批判することはないし、怒ったとしても、放っておいたらいいだけである。ストレスの少ない関係であったのである。

 いまの私はマンション暮らしだから犬を飼うことはできないが、よその家の犬はなかなかよい関係が築けないと思っている。小さい座敷犬は小さいくせに吠えることが多く憎たらしいし、散歩中の犬はかわいいと思ってもそうそう頭をなでることもできない。かわりに自転車で走っていると追いかけられたり、ホームレスの放し飼いの犬に目をつけられたりと、ろくでもない関係も多くある。

 犬を飼うというのは不思議な人間の行動だとつくづく思う。まるで人間に望めないものを犬に求めているようである。人間に欠如していて、犬にあるものとはなんなのだろうか。無邪気さや計算のなさなんだろうか。

 言葉のない関係が癒すのかもしれない。言葉というのは人間を傷つけ、苦しめる根本のものである。犬との関係につかのまの言葉のない世界――つまり過去も未来も評価もない「いま」に癒されるからかもしれない。

 犬はステイタスの要素もある。たとえば一戸建てや庭がないと飼えないから裕福さの目印になったし、ある種類の犬はとても高い値段で取り引きされたりしている。流行もあるんだな。オオカミのようなハスキー犬が流行ったり、コーギーが増えたりと、人間のファッションやトレンドのような要素もある。ステイタスのために犬を飼育する人間というのは、つくづくつまらない生き物だと思う。

 20歳の時の死んだ私の友だちであった犬のことをたまに思い出すことがある。イジメたり、思いっきり叩いたことがあって悪かったなと思ったり、幸せな犬生?を送れたんだろうかと懐古したりする。またいつか私の友となる犬と暮らせたらいいのになと思う。その前に人間の家族と暮らすことが先だと思うのだが、人間の女性や子どもは犬よりもっと愛しい存在に思えるものなんだろうか。

 ▼1月1日のきょうもバイクでひたすら北上したが、きょうはやたら救急車が多かった。正月で浮かれて発作でも起こしやすくなるのだろうか。不思議な現象と思った。


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Comment

はじめてコメントさせて頂きます。

[お金] [再分配]というキーワードでこのブログにたどり着いて、
いくつかの記事を読ませて頂きました。
特に女性・経済・労働に関する記事を読みましたが、とても自分に近い考えの方だと思い、とても楽しく読ませて頂いてます。まだ他に、興味のある記事がたくさんあるので、日を改めてまたお邪魔させて頂きます。

私も犬が大好きなんです。でも、この感情は子供が好きという感情にとても近く、自分の犬が特に大好きなんですよね。
私はまだまだ、マザーテレザにはなれませんね。

はじめまして、 GLOQの母さん。
うえしんです。

記事はやたら集積されていますから、いぜんのホームページを合わせると10年分になりますから(笑)、ごゆっくり興味のある分だけごらんください。

犬はかわいいですね。そしてフシギなことに自分の血や遺伝子のつながらないほかの生物を必死に世話するというフシギな関係ですね。

自分の犬が好きというのは、よそ様の犬は主人に服従を誓っていますから、とうぜんなつく自分の犬のほうがかわいいですね。けっこうよそ様の犬はアカの他人には冷たいですからね。

これらかもよろしくお願いします。

>フシギなことに自分の血や遺伝子のつながらないほかの生物を
>必死に世話するというフシギな関係ですね。
>犬との関係につかのまの言葉のない世界――つまり過去も未来も評価も
>ない「いま」に癒されるからかもしれない。

計算も打算もないから癒されるし、主従の関係というより、
お互い自己中でも良い「対等」な感じが私にはたまりません。

私は犬を飼いはじめてまだ4年ですが、犬がこんなに
かわいい生き物とは知りませんでした。
犬といっしょに生きてるーって感じる時、幸せ。
喜びを全身で表現するしぐさ、寝顔、寝息、ため息、
遠吠え、色形のいい健康的なうん〇、すべてが愛おしい。

つい最近、犬嫌いの叔母夫婦にうちのダメ犬のむだ吠えを
「どうにかしろ」と怒られ、気持ち凹んでたのですが、この日記を読み、
良犬目指して躾けることを最重要課題とするより(ダメ犬と呼ばれようとも)
愛犬との蜜月を大事にする今のスタンスで育てていこう、と思えました。
もちろん、マナー違反でないかどうかは飼い主が注意するこですが。

うえしんさんが犬について書かれているのを読んで、
犬好きのイメージがなかったので少し意外でした。
犬好きというより、「自分の犬好き」ですね、私もです。


石蕗さん、こんにちは。

犬好きな人の話を聞いていると、やっぱりとことん不思議に思えますね(笑)。
種が違う生き物をどうしてここまで愛しむのだろうと。

生物学では生物は遺伝子をのこすために生きているうんぬんといわれますが、犬と人間の関係、あるいは猫も、については、どういうことなんだろうと思ったりします。

人間には交遊を楽しんだり、つながりを重視したりする気持ちがありますし、生命を愛しむという気持ちがありますね。犬は違う種であるからこそ、なおさら私たちのそういう気持ちを駆り立てるのかもしれませんね。

私もまた犬を飼いたいですが、いつか果せるときがくるかはわかりません。
むかし飼っていた犬のことを愛しく思うのは、思い出の女性より多いかもしれません(笑)。
どこかクルマで遠くへ連れていってやりたかったですね。

私はけっこう人なつっこい犬のような習性(笑)をもっていると思うんですが、あまり人に依存しすぎたくなかったり、関係の維持をしんどいと思ったりして、だいぶ関係の薄い人間になりました。犬みたいなやつだと近づくと、傷つく人がいるみたいですね。。。

むだ吠えは矯正したほうがいいと思いますよ(笑)、犬の習性を理解したうえで。
あまり吠える犬は近所の者としてやはりいい気持ちがしませんものね。
なわばり意識が強すぎるのは人間社会ではちょっと困りますね。
まわりに愛される犬になってほしいですよね。

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