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12 22
2019

セラピー・自己啓発

相手を責める間違い――『自分の小さな「箱」から脱出する方法』 アービンジャー・インスティチュート

  

 評判を聞くことがあったので、読んでみた。

 なるほどね、箱に入るというのは、自己正当化と他人を責める立場になることをいうのね。「自分が正しくて、相手がまちがっている」だ。私たちはたいていは無意識にこの前提や立場に立っていて、箱の外に出ることはない。

 ただこの本は物語形式でなかなか核心に迫らず、謎解きのようなスタイルになっているので、ぎゃくに結果からいってくれたほうがわりやすく、話も広がったと思うのだが。それと参考文献や類書もあげてくれれば、この視点の徹底化には役立つと思うのだけど。

 相手を責めはじめると、相手がいかに責めるに値する人物かと自分を正当化する理由がもっと必要になる。相手に失望し、責めるに足りる人間であることの必要性がますます高まる。「犠牲者」になることが、もっとも自己正当化の機会を手に入れられる。相手だって、人から責められれば、相手もひどいやつだという証拠を手に入れられるので、相手にたいしてもっとひどくて、はらわたが煮えくり返るような態度を返すことになる。おたがいが被害者と正当化の「共謀」や「共犯」の関係になる。

 こういう関係は親子関係や非行少年の関係にもおこるし、議論の応酬でおこることだし、会社では社長や従業員、また部門別対立や同僚同士などでおこってしまう。どこにでも転がっている「相手を責める」という関係が、人を箱に入らせ、ますます対立が激化してゆくという最悪な関係になってゆく。

 相手を変えようとしても、離れようとしても、また自分を変えようとしても、箱の外には出られないという。相手も、自分と同様に尊重されるべきニーズや希望や心配をもったひとりに人間と見はじめた瞬間に、箱の外に出られるという。

 この自己正当化と相手を責めるという人間関係のパターンは、どういうジャンルの知識から出てきたのかと、私には気になった。

 交流分析のゲーム分析と似たものを感じるし、非行少年のレッテル貼りがさらにその非行行為を増長させてしまうという関係に同じような指摘を見たこともある。交流分析の「人生脚本」のように「お前はこういう人物だ」といわれれば、その人生脚本のまま人生を演じてしまうといったことに近い。これは自己啓発にもいわれている。箱に入るとは、おたがいが「被害者と加害者」のゲームで、責め合う関係といってもいいか。

 スピリチュアルでは、ハリー・ベンジャミンという人が、自我の存在理由を「自己正当化と自己賛美キャンペーン」だといった指摘には、私はえらく感銘したことがある。「想像上のそれ」は、自己の価値を感じられないと存在する理由がないのだ。かくして、「頭の中のおしゃべり」でたえず、自己正当化と自己賛美のキャンペーンがくりかえされることになる。この愚かしさを外側から見れれば、すこしは自己正当化の恥ずかしさを感じられるようになるだろう。

 ジャンポルスキーは、攻撃的な人はだれよりも恐れている人といった。恐れが攻撃を生むのである。攻撃はディフェンスであり、防衛である。箱に入る人は、自己正当化の欠損や存亡を恐れていて、防衛しているのである。

 ウェイン・ダイアーは他人を変えようとする人は、みずから犠牲者になっているのだといった。肩をすくめて忘れれば、その腹立たしい人が自分をさいなますことはない。だのに、いつまでも他人が変わることを期待し、強要し、変わらない他人に腹を立てつづける。他人の考え方を変えることは自分の力にも自分の仕事でもないといったのは、ストア哲学やアドラーである。切り離し、あきらめることによって、心の平安をうる、楽しみを追求する、そちらの人生のほうがめざす方向なのだ。

 他人を変えようとする人は、物質主義や科学の犠牲者である。自分の考えや見方を創造するのは、自分である。しかし物質主義は、自分の心は外界や他人の「結果」でしかないと考える。素朴な臆見である。そのために他人を変えようとして、変わらない他人や外界にさいなまされつづける。見解や意見を創り出せるのは、自分の心だけであって、他人のものではない。ならば、統治できるのは自分の心のみであって、統治できない外界にわずらわれるのは、自分の限界をこえた試みである。物質主義によって、私たちはこの犠牲者になっているのだ。

 私たちは他人を責めれば、他人を悪くいえば、他人を変えられると思いこんでいる。しかし、自分が当の責められる立場になれば、責める相手の言い分をすなおにうけいれるだろうか。まずは反発や怒りを感じ、相手のまちがいや自分の正しさを証明したくなる。断じて、「自分は悪くないし、自分は正しい」。責められることは防衛や反発を、まずは起こさせるものである。なのに、他人に意見すれば、かんたんに他人が変わると思っているのだろうか。まずは、自分を守ることが頭にのぼるものではないのか。

 本書の自分の小さな箱は、そのような知識の片りんはすこしも触れていない。この一書だけで独立している。ために私はこの書をどこに位置づけてよいかわからない。この知識を深く掘り下げるためには、つぎはどの知識を参考にすればいいのだろうか。本書はどこに行こうとしているのだろうか。

 でも本書は、だれもが当たり前に陥る「自分が正しくて、相手が悪い、責める」という行動パターンのまちがいを指摘した大切な書であると思う。私たちはこのパターンの陥穽に注意深くあるべきなのである。だれもがその落とし穴にはまり、自分の小さな箱に入っている。まずはそのパターンに気づくことだ。





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うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。神秘思想、仏教、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

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