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10 17
2019

幻想現実論再読

三十代の軽いノリには――『これのこと』 ジョーイ・ロット

これのこと
これのこと
posted with amazlet at 19.10.17
ジョーイ・ロット
ブイツーソリューション (2015-04-05)



 36歳の著者が軽い文体で、単純なこと、これがあるだけと、原点に戻るようなことをうながす書である。

 ただ私にはひげをはやしたような年老いたグルなら信頼したかもしれないが、著者はあまりにも若すぎる。軽く語るので、よけいに重みを失う。こういった偏見や抵抗もあるので、すなおに摂取できにくい書であった。

 よいこと、しっかりした内容のことを語っているのかもしれない。だが、著者のいうような理解や探究をめざして誤った高台に乗り上げたと指摘されるような五十代の私には、やはり抵抗を拭い去ることができない。

 著者は、強迫観念や恐怖症になやまされた経験をもつ。共同幻想という社会の共有幻想をするどくえぐり出した岸田秀も強迫観念に悩まされた経験をもつ。思考に切羽詰まった体験に追いつめられる強迫観念は、幻想をそぎ落とすには好都合な窮状を導くのかもしれない。

 非二元は、三十代の著者も駆り出されるような老成したような人物がまだ豊穣でない分野なのだろうか。この本で言及される人たちは、たとえばラマナ・マハラシやニサルガダッタ・マハラジ、エックハルト・トールといった人たちである。クリシュナムルティやラジニーシ、ケン・ウェルバーといったトランスパーソナル心理学にふくまれたような人物たちは、この系統に入れられていないのだろうか。

 非二元は、だれもいないといったことや、分離された個人はいないということを強調する。この著者は瞑想や理解しようとする探究もいらないという。思考の静けさや観照と、あることの単純さはいっさいどんな関係もないという。私には、現代人は思考を自己や中心にしてしまうから、マインドフルネスの方向は大事だと思うのだが。

 五十代でまだ、「これのこと」がわからない私は三十代の軽いノリには抵抗を感じざるをえなかった。



▼ジョーイ・ロットの動画(日本語訳なし。チャンネルをもっているよう)



アイ・アム・ザット 私は在る―ニサルガダッタ・マハラジとの対話ラマナ・マハルシとの対話 第1巻さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる最初で最後の自由(覚醒ブックス)存在の詩 和尚 OSHO


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