FC2ブログ

HOME   >>  セラピー・自己啓発  >>  パニック障害と西洋的自我の失敗
10 06
2019

セラピー・自己啓発

パニック障害と西洋的自我の失敗

 twitterのトレンド上位になるほど、パニック障害の認知度や経験者は増えているらしい。芸能人やスポーツ選手でも告白する人が多く、とりわけプレッシャーや不安が強い業種に多く見られる病気になっているようだ。

 私はこのパニック障害は、だれにでも見られる恐怖の向き合い方の失敗だと思っている。もっとわかりやすくいうと、人前で発表するときの緊張を抑えるさいの態度に近いものがあると思っている。多くの人は緊張を必死に抑えよう、隠そうとする。それが逆効果にはたらき、緊張がますます増すことはよくあると思う。パニック障害はこの失敗と似たようなものだと思っている。

 とつぜん動悸や呼吸困難の発作のようなものがおこり、それを防ごうとしたために、閉じ込められた電車のような空間が恐くなってしまう。恐怖から逃れようとした反応が、閉じこめられる空間を恐がるのである。つまり恐怖から逃れられない場所が恐くなる。

 この失敗は、恐怖を抑えよう、止めようとすることから起こると思われる。私たちは人目を強く気にする自意識をもつようになっていて、自分の恐怖や異常事態を隠そうとする衝動をもち勝ちである。そのためにその恐怖や症状を放っておけず、よけいにそのパニックを強くしてしまう皮肉な相乗効果におちいる。

 恐怖というのは、ほかの感情とおなじく、いちど起こってしまったのものは抑えるのがむずかしい。しぜんになくなる、消滅するのを待つしかないものである。もしくはさいしょの発生源を断つしかない。けれど、人は恐怖をあとから止めよう、なくそうといらぬ努力をしてしまう。その注目や心配がますます症状を大きなものにする皮肉な効果が、私たちにはある。

 恐怖や感情を、「実体」のようにある、と私たちは思いすぎなのである。それを物体のように動かしたり、なくすることができるというような考えをわれわれはもちすぎなのである。

 パニック障害の治療法に暴露療法という方法があるが、わざと症状を出させようとしたり、ひどくさせようとする試みがある。恐怖は逃げればますます恐くなり、向かっていけば、その恐怖に実体がないことが実感できる。恐がる人にはかなり難易度が高い方法だが、恐怖には実体がないこと、幻想であることに気づけることが、パニック障害の治療に大きな前進になる。

 森田療法は神経症の治療法としてだいぶ前からあるが、あるがままや不安があっても同居しながら行動するという療法である。この療法の実感はなかなかつかみがたいものだが、現代人は自我の強化やコントロール力を強く願うことにその要因があると思われる。放っておくこと、傍観するという態度をもちにくく、意識でなんでもコントールしようとする。

 私もこの森田療法のいっていることがつかみがたいなと思ってきたのだが、神秘思想やスピリュチアルを読むようになって、図式的な理解ができるようになった。こんな怪しいジャンルになぜ療法があるのかと思われるだろうが、自我はない、無我であるといったむかしからの考え方が、この障害の療法のキーポイントとして浮き上がる。仏教も無我を伝統的にいってきた。

 自我というのは、頭のなかで思い浮かべる自己像である。概念や言葉によってくみ上げられて、私たちの行動や考え方の基準や基盤になる。現代人はこの「頭の中のわたし」をとても大切に育て上げてゆくことを人生の目標にするのだが、神秘思想などではそんなものは幻想であり、虚構であり、ほんとうの自己ではないという考え方をもつ。

 この考え方がパニック障害とどう関わってくるかというと、恐怖をコントロールしたり、抑える「もうひとりの私」はいないということになるからだ。自我を育て上げる西洋では恐怖をコントロールしようとする。それに対して神秘思想の東洋では、無我――自分はいないのだから、感情をコントロールしたり、抑える「私」はいない。

 パニック障害の原因は、恐怖を抑えたり、コントロールすることにあると私はいった。恐怖は放っておき、手をつけずにおけば、しぜんに収まってゆくものである。しかしそれに対して逃げようとしたり、抑えようとすれば、注目と興奮によってますますその恐怖を昂進させてしまう。つまりこの症状は、自我――もうひとりの私が、身体の状態にたいして手を加えようとした失敗のためにおこる。

 私たちは、頭の中の私――自我を強化し、大切に育てる文化の中で暮らしている。自我のコントロール力、支配力を強めようとする文化のなかにいる。神秘思想の考えでは、それは「身体の私」と「もうひとりの私」に分裂してしまうことになり、身体だけで終わる活動が完結させられずに、もうひとりの私がその活動を昂進させるマズい効果をおよぼしてしまう。

 西洋的自我の影響下にある私たちは、自我を「実体」のあるようなものに考え、同じように恐怖や感情も「実体」のあるようにとらえる。それを「モノ」のような「実体」あるものととらえ、モノのように動かしたり、なくしたりしなければならないと考える。身体の中にふたつの指揮系統ができてしまい、身体の活動を抑えようとする試みが、その活動の昂進にエネルギーをますます注ぎ込むという皮肉な結果におちいる。

 恐怖がおこれば、それをどうにかしようと思わないことだ。それは来ては去ってゆく自然な現象だ。さらには実体のない幻想である。それを抑えよう、なくそうとしたときに、恐怖の連鎖回路がつくりあげられてしまい、パニック障害の連鎖がはじまってしまう。

 私たちは手放せない。放っておけない。自然の状態をあるがままに任せられない。気にしない、悔恨しないという心の放下の態度をもつことができない。なにもかも手を加えようとする。そしてパニック障害の恐怖の連鎖の回路をつくってしまう。よく聞くことのある「あるがまま」というのは、このような態度のことなのである。

 パニック障害というのは、頭の中の私という自我を「実体」のあるものととらえる文化が必然的に陥る過ちのように思える。頭の中の私が、恐怖をなんとかしようと手を加えた結果、よけいにそれを大きなものにしてしまうループにハマってしまうのである。

 西洋的自我では解けない問題である。しかしわれわれが怪しいと拒絶してしまう神秘思想やスピリチュアルにその解決策を見いだそうとすることは、なかなかむずかしいことに思える。西洋文化を手放せますかと迫っているような狭間の障害が、パニック障害だといえる。



パニック障害の治し方 まとめ

(1) 開き直る。受け入れる。
(2) わざと苦しくする。わざと恐怖を起こす。
(3) 治そうとしない。避けようとしない。
(4) 不安はあってもよいものだと受け入れる。不安は当たり前のもの。
(5) 不安を避けるからますます不安になる。
(6) 不安を受け入れたとき完治。
(7) 不安に動揺しない。深刻に受け止めない。不安を問題視しない。
(8) 恐怖を味わいつくす。踏みとどまる。


関連記事
Comment
Trackback
title>
Trackback URL
Comment form









管理者にだけ表示を許可する






プロフィール

うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。神秘思想、仏教、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

Kindle本、2冊発売中です。

 

twitterはこちら→ueshinzz

google adsense
全ての記事を表示する
ブックガイド特集
月別アーカイヴ
FC2カウンター

Page Top