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10 03
2019

幻想現実論再読

禅問答?――『何でもないものが あらゆるものである』 トニー・パーソンズ



 書評の順番がぎゃくになってしまったが、いちばん最初に読んだ非二元の本である。読んでいるうちにどんどんわからなくなり、まるで禅問答を読んでいる気分になった。

 読み終えて一、二週間後にぱらぱらめくるとすこしはわかる気がするようになっていた。この間にルパート・スパイラ、グレッグ・ドットの本を読んだからだろうか。一回読んでわからないからと投げ出すのではなく、二度三度読みかえすと、じょじょに感覚をつかめてくる類の本かもしれない。

 この本の内容の説明はむずかしい。「分離された個人」や「だれもいない」ということが何度もいわれて、選択や行為や意志をはたらかせる個人やあなたはいなくて、ただ存在だけがあるという。しかしそれは、思い描くこともできないし、描写することもできないし、知ることもできないという。

 肉体はただ肉体精神機構であって、自己意志もなく、操り人形にすぎないという。脚本もなく、計画もなく、運命もない。永遠の存在が起きるように見えるなにかとして現われているだけだという。

 人が死んだらそれに再統合されるのですねと聞かれると、さいしょから分離もなく、ただ存在だけがあり、元の状態だけが残るというのである。分離されていないのだから、再統合する必要もない。

 老荘の無為自然の世界に似ているといえるだろうか。ただ「あるだけ」の世界であり、選択や行為もなく、分離された個人も私もいない。私たち人間の思い込みや世界観をぜんぶとっぱらい、ただ「あるだけ」であり、おこることはおこり、あることはある、といったなにもない世界に戻ることを奨励されているかのようだ。

 こんな世界観はただ禅問答を聞いているようなもので、さっぱりわからない。ただなんどもフレーズを聞いているうちに、そういう世界観がなじんでいって、なんとなくは定着はできないわけではなさそうだ。もっとも、言葉で把握できるような状態になることは、「それ」ではないのだろうが。

 クリシュナムルティも、おこることはおこり、あることはあるといった行為や主体のない世界のことをよく語っていた。トニー・パーソンズはこのフレーズの世界観を強調して語っているようだ。

 私たちは個人や身体としてこの世界で意志や選択をはたらかせて、主体的に生きる自己だと思っている。この世界は物質や物体の世界であり、その世界のなかで身体や物体としての他者に出会い、他者と交流し、物質を操作や制作する世界に暮らしていると思っている。この常識の世界を否定することは、禅問答にしか聞こえないのは当たり前だ。

 トニー・パーソンズは面喰いすぎる。ラジニーシやクリシュナムルティもさいしょに出会ったときは、そうだったが。この世界観になじむまでは時間がかかりそうだ。もっとも言葉でなじむことと、ワンネスの世界であることは違うのだろうが。



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