FC2ブログ

HOME   >>  書評 社会学  >>  被害者のドミノ――『ケーキの切れない非行少年たち』 宮口 幸治
09 22
2019

書評 社会学

被害者のドミノ――『ケーキの切れない非行少年たち』 宮口 幸治



 さいしょこの本をTwitterで知ったとき、ひたすらケーキを等分できない非行少年がバカにされ、嘲笑されていた。

 この本はそのような少年を非難するための本ではなく、かれらをいかに救い出すかの本である。これはまるでかれらがじっさいに嘲笑されたり、イジメられたりして、非行に走らざるをえなかった行為の再現が、この場でくりかされる図を見ているようだった。

 かれらは認知機能が弱い。だが、知能障害や発達障害と診断されるほどの度合いもなく、見過ごされ、社会での生きにくさや挫折をつのらせ、非行に追いこまれざるをえなかった境界知能とよばれるべき者たちであると本書はのべる。

 そもそも、見たり聞いたり想像する力が弱いのである。ために認知がゆがんだり、融通の利かない固定観念をもったりして、人とうまくいかなくて、イジメられたり、生きづらさをこじらせて、非行や犯罪に走ってゆくことになる。

 殺人や犯罪をおかしても、自分はやさしい人間だと思っていたり、自分のことは棚にあげて他人の欠点ばかり指摘し、プライドがみょうに高かったり、ぎゃくに極端に自信がなかったりする。認知能力が弱いために、どんどんと社会に追いこまれてゆく。

 この本では家庭環境のことをあまりのべずに、認知機能の弱さのみうんぬんしているが、殺人を犯すようなものはたいがい少年時代に親などから虐待をうけたり、成育環境がすさまじく荒っぽい。さらにそのうえに学校でイジメを受けたりして、当人の被害者意識は倍増し、社会に出るころはその「やられたパターン」で社会に対峙してゆくことになる。つまり受けた被害のやり方で、社会を渡ってゆこうとする。それはりっぱな加害者であり、犯罪者というすがたで、社会に出るわけである。ドミノの被害者が、加害者とよみがえるわけである。

 人は責めたり、怒ったり、体罰をおこなえば、少年は更生したり、ただしく育つと考えているようだ。だがそのようなやり方は、少年を追いつめ、被害感をつのらせ、社会に復讐をおこなうモンスターに育ててしまうことになる。

 犯罪の制裁や刑罰更生もおなじである。責めたり、攻撃すれば、改まると思っている。しかしそのやり方そのものが、かれを加害者や犯罪者とふたたび育て上げてしまうのではないだろうか。

 著者と同じ大学の前任者、岡本茂樹は『反省させると犯罪者になります』という本を書いた。かれらはずっと被害者意識をもって犯罪行為をおこなっている。反省はその意識をよりそわずに、フタをして、ただ反省を迫る。よって被害者意識を拭い去ることができないまま、かたちだけの反省をくりかえし、また犯行におよんでしまう。

 長谷川博一も『殺人者はいかに誕生したか』において、重大殺人者が成育環境においていかにひどい虐待をうけてきたか、暴き出している。さらには学校でも凄惨なイジメをうけ、社会に出て犯罪を犯し、また社会から総非難をうける。まるで少年時代に他人からうけてきた攻撃の範囲や大きさを波状状に拡大しているかのようである。

 かれらが被害者であるという認識をわれわれはもたない。犯罪や殺人をおかせば、われわれに前に現われるかれのすがたは凶悪犯や社会に害をなすバケモノである。被害者の家族からすれば、憎しみや怒りが消えることはない。社会も総攻撃、総バッシングで、その犯罪者を社会から排斥しようとするだろう。しかしかれこそが、生まれたときから社会からそのような仕打ちをうけてきた被害者だったという視点を、われわれはもたなければならないのかもしれない。

 薬物でつかまる有名人とおなじである。社会から総バッシングをうけるのだが、かれらは治療を必要とする病者なのではないのか。助け出したり、救出を必要としている人なのに、社会から攻撃と非難だけをうける。

 わたしたちは、攻撃や非難で人が変わる、ただしく導くことができると、勘違いしすぎではないのだろうか。責められたり、暴力をふるわれれば、だれもが自分を守ろうとするし、相手に攻撃を返そうとするし、被害者感は増すばかりである。なぜわれわれは攻撃や非難で人を変えることができると思いこんでいるのだろう?

 境界知能の少年たちも、その認知機能の低さ、もしくや親の虐待やひどい育て方があったりして、教師や学校からも見捨てられるようなあつかいをうけ、クラスからも排斥やイジメのような被害感を増す少年時代をおくる。クラスからバカにされ、嘲笑されれば、暴力や格好において威嚇という方法を身につけて、自分の身を守る鎧で固めることになる。非行少年は知能の序列でバカにされた者が、威嚇によって身を守ろうとする鎧である。その鎧をつけたまま、社会とのいざかいや犯罪をおこしてゆくことになってしまう。

 ドミノのように社会は、被害者を加害者に育て上げてしまう。われわれが攻撃や非難したやり方を身にまとい、その行為パターンで社会に向かってくる。かれを加害者や犯罪者のモンスターに育て上げたのは、だれなんだろうか?

 われわれがかれらと出会うときは、犯罪者のモンスターである。われわれが仕掛けた排斥や攻撃の方法をたっぷりと身にまとい、そのやり方で社会に帰ってくる。われわれ自身が育て上げてしまったもののすがたを、そこで出会うことになってしまうのである。


1日5分!  教室で使えるコグトレ 困っている子どもを支援する認知トレーニング122【2019年ビジネス書大賞 大賞】AI vs. 教科書が読めない子どもたち反省させると犯罪者になります (新潮新書)発達障害と少年犯罪 (新潮新書)獄窓記 (新潮文庫)刑務所しか居場所がない人たち : 学校では教えてくれない、障害と犯罪の話殺人者はいかに誕生したか: 「十大凶悪事件」を獄中対話で読み解く (新潮文庫)非行のリアリティ―「普通」の男子の生きづらさ


関連記事
Comment
Trackback
title>
Trackback URL
Comment form









管理者にだけ表示を許可する






プロフィール

うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。神秘思想、仏教、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

Kindle本、2冊発売中です。

google adsense
全ての記事を表示する
ブックガイド特集
月別アーカイヴ
FC2カウンター

Page Top