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09 08
2019

人生論

底の抜けた死後観――『死後の世界』 立川 武蔵



 立川武蔵は、仏教を中心に東アジアの宗教をはばひろく研究した人なのかな。空関係の本を読んだかな。

 この本では、「なぜインドには墓はないのか」といったことや、「輪廻について」、「草や木に成仏はできるのか?」、「死は終わりなのか?」といったテーマで語っていたので、興味をもった。

 インドに墓がないという話を読んでいて思ったのだが、私個人には墓や遺骨に死者が宿るという観念がまったく根づいていない。死後や極楽の世界観もリアルと感じたことはまるでないし、自分自身の死後観をしっかりと組み立てないと、ちっとも死者を弔う儀礼によりそうことができない。このラディカルすぎて、底が抜け抜けた死後観に、いったいどんなかたちを与えればいいのだろうと思う。

 地方ではなく、郊外のベッドタウンで生まれ育った人はだいたいこんな風な底の抜けた死後観をもっているのではないだろうか。先祖のつながりも途切れ、死後の魂観も抜け落ちている。死者を弔う中身がまったく欠如した状態だ。戦後の無宗教者は、いったいどんなふうに人の死に向き合えばいいというのか。

 輪廻の世界観も、物語やテレビなどでたまに見聞きすることができるが、それをどこまで信じているかも疑わしい。オカルトの扱いだし。仏陀は輪廻からの解脱をめざすと説いたのだけど、現代ではどちらかというと輪廻や生まれ変わりがあってほしいという願望だけが、宙に浮いているのではないだろうか。

 古来の仏教儀式がのこっているにせよ、サラリーマンや都市消費をおこなう人にとって、宗教や死後の世界はもう身近に感じられない世界だ。このかたちだけが残り、中身がすっかり空虚に、からっぽになってしまった死後観に、どうやって人の死や自分の死に向き合うつもりなんだろう? どちらかというと、形だけをすまして、日常の生活に戻ってゆけばいいという現実主義だけで、死に関わればいいと思っているのだろうか。死の関わりがすっかり底を抜けてしまっている。

 草木の成仏など、現代人にはまったく論外の問題だろうが、区別も境界もないワンネスの世界をどう理解したらいいのかという点からだけ、私の興味をひいた。

 現代人は、人の死を弔うことのできないところまできてしまっている。魂や死後を信じずに、どうやって墓や葬儀の気持ちをこめておこなえるというのだろうか。故人の思い出や記憶が、その座にすわることになっているのだろうが、死後の世界の欠落は、墓や葬儀の形式もどんどん落としてゆくことだろう。あまりにもこの問題を棚上げしているように思われる。


人は死んだらどこに行くのか (青春新書インテリジェンス)葬式は、要らない (幻冬舎新書)もう親を捨てるしかない 介護・葬式・遺産は、要らない (幻冬舎新書)図説 死の文化史―ひとは死をどのように生きたか


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