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01 04
2019

書評 心理学

記憶が私なのか――『奪われた記憶』 ジョナサン・コット

奪われた記憶―記憶と忘却への旅
ジョナサン・コット
求龍堂



 2019年初のブログ記事です。ことしもよいことがありますように。

 この本はうつ病の治療の電気ショック療法のために15年間の記憶をうしなった作家が、さまざまな記憶の専門家にインタビューする本である。心理学者から宗教者まで幅広い。

 あまり感銘をうける本ではなかった。それより、私自身が記憶についてなにを問いたいかも明確にできていない。

 記憶喪失の物語が増えていることと、神秘思想や禅では記憶を断絶する教えが説かれていることとのつじつまとか、そういったところをたぐりよせたいのかもしれない。

 精神の安楽のためには記憶や過去の想起はなるべくおこなわないほうがいい。だが、ちまたの物語では記憶をなくすことの悲しみがうたわれ、思い出の大切さが説かれる。私は記憶をどうとりあつかえばいいのだろう。

 記憶がなければ人生を生きてこなかったようなもの。記憶がなければ、自分が誰なのかわからない。記憶がなければ、ほかの人たちと分かち合った過去のつながりも失ってしまう。

 一方では、記憶力や想像力に欠けた人間は、その日その日を生きることになり、苦しまないともいわれている。愚かで怠け者が、人生を生きるあらゆる秘訣も知っていたともいわれる。

 さいきんのドラマや映画では、恋人の一方が記憶を失い、思い出や関係の記憶が失われ、その悲劇が悲しまれる物語が多い。私たちは思い出や記憶になにを賭けているのだろう? 記憶や思いでの喪失は、自己の死なのか。「私」とは記憶なのか。

 チベット仏教のリンポチェはいっている。私たちはほんとうは誰なのでしょうか。私たちとは、私たちの考えでしょうか。私たちの感情でしょうか。私たちの物語でしょうか。でもよく見れば、私たちは、つねに変化しているのがわかるでしょう。私たちは昨日の私ではないし、明日の私でもありません。

 現代人はとくに、思い出や記憶が私だと思い、片方の恋人の記憶が失われた悲しみに、人生の喪失やゆらぎの不安に脅かされている。

 私たちは、記憶の私とどうつき合ってゆけばいいのだろう? 私の中ではもう思い出や記憶を大切にしない方向に定まっているが、現代とのズレも感じざるをえない。ということでもう少し、記憶の問題は考えてゆきたい。



転生―古代エジプトから甦った女考古学者自伝的記憶の心理学子どもの頃の思い出は本物か: 記憶に裏切られるとき忘れられない脳 記憶の檻に閉じ込められた私つらい記憶がなくなる日―豊かな人生を手に入れるか、過去を失うか (主婦の友新書)


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うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。神秘思想、仏教、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

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