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12 28
2018

書評 心理学

言葉で過去を分断する――『記憶の持続 自己の持続』 松島恵介



 そういえばドラマや映画で記憶喪失の物語が増えていて、なにが問われているのか、言語化したいなと思っていた。記憶喪失の物語はなにもいまに増えたのではなく、第一次世界大戦のトラウマからずっとつくれていると本で読んだ。最近はアルツハイマーもその一種につけ加えられてきた。マーク・ローランズの『トータル・リコール』論も忘れがたい。

 まだこのテーマで深堀りする気持ちはないのだが、図書館には記憶にかんする本がそろっているので、思わず記憶の本ばかり借りてしまった。恋愛の記憶喪失物語において、なにが悲しまれているのか。現代人は記憶に自己のなにを賭けているのか。そういう問いにたいしてしっかり返答してくれる記憶の本は、すぐには見つからないのだけどね。

 現代人は、思い出や過去の想起をひんぱんにおこなうために、過去がどこにも存在しなくなることを忘れがちである。そういう過去の不在を元に立てられた過去や想起の上に自己や恋愛がつみあげられて、現代人の「幻想」の自己物語は信仰されている。この物語を言語化したい。つまり相対化したい。情緒だけで感じられる自己物語は、客観化とコントロールの力をもてないのである。

 この本は私の問いと近いかもしれないが、まだ満足するものではとうていない。過去が存在しなくなることをしっかりと根底に捉えた記憶論、過去論でないと、役に立ちそうもないと思うが、この本ではしっかりとそのベースは確保している。

 断酒会の自助会において、なぜ過去を語ることが効用をもたらすのか、言語での分析をこころみている。言語が過去と現在の私を、区切るのである。「飲んでいた過去の私」と「飲まなくなった現在の私」は、語られることによって、過去と現在の区別をしっかりと打ち立てられることになる。過去は語られることによって、現在の私との区別が明確に宣言され、実行されることになる。

 自転車を乗れるようになったら、その前の乗れなくなった私を忘れることになる、これも問われている。「できる人」が「できない人」に教えるのがむずかしいのは、できなかった感覚を知らなかったり、できなかったことができるようになったプロセスをもう思い出せない、もしくは言語化できないからである。入院前や失恋前の私が、自分のことのように思えず、他人事のように考えられる事柄ものべられる。私たちはなにかが変われば、過去の自分を排他的に排除してゆく自己なのである。

 この本では裁判の過去の検証にも焦点が当てられるが、自分のそのつどの変わるかもしれない想起より、調書の過去を基準にされる裁判のむずかしさが語られる。ふと思い出して記憶が変わったり、言葉の誘導によって過去の記憶は変わったりする。しかし裁判では調書の過去が基準となって、その矛盾や違いを問われてゆくことになる。

 私がいまのところ問いたいのは、恋愛物語においての記憶の喪失は、自己のなにが喪失しているのかといったあたりである。だから、この本はそういう問いに直接答えてくれるわけでは、とうぜんない。だけど、記憶や想起の言語化の能力は、こうやって組み立ててゆくしかない。



生み出された物語―目撃証言・記憶の変容・冤罪に心理学はどこまで迫れるか (法と心理学会叢書)記憶はウソをつく (祥伝社新書 177)過去と記憶の社会学―自己論からの展開想起のフィールド―現在のなかの過去想起の思想史: プラトンから大森荘蔵まで

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