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12 16
2018

映画評

解釈は薄い労作――『フィクションの中の記憶喪失』 小田中 章浩



 そういえば、記憶喪失にまつわるドラマや映画が増えたなと気になっていた。『掟上今日子の備忘録』『一週間フレンズ』『50回目のファーストキス』『アイム・ホーム』『ラブリラン』『大恋愛』と、記憶にまつわる物語にあふれている。タイムリープ物語に変わる記憶ブームが来ているのかと思ったが、まあ、さかのぼれば『冬のソナタ』も『天国の階段』もあったし、記憶喪失ものはベタな「私とは何者なのか」というテーマには使いやすい道具なのかもしれない。

 ちょっとさかのぼれば、『トータル・リコール』もあったし、『野生の証明』もそうだし、『眠れる森』もあったし、『時をかける少女』もタイムリープに属するが、記憶がなくなる話である。『私の頭の中の消しゴム』や『きみに読む物語』『大恋愛』はアルツハイマーだが、愛した記憶が失われる記憶喪失の変奏ともいえる。

 マーク・ノーランズの『哲学の冒険』の『トータル・リコール』論を読んで、あらためて記憶を失うことの意味の「言語化」されたものを読みたくなった。『トータル・リコール』で問われたのは、「私」という永続化されたものは、時間の中にあるのかという問いだったのである。アリストテレスはそれはあるといったが、ヘラクレイトスは存続する自我などないといった。それで記憶喪失物語は厳密に言葉でいえば、どういう意味であり、なにが訴えられているのか、言語で明確化したくなった。

 それで見つけたのが、本書である。本書を読めば、おもに第一次大戦の戦争のトラウマ(シェル・ショック)が知られることにより、記憶喪失の物語が増えたことが知られるのだが、記憶喪失の物語はたいへんに長きにわたり、多くの作品がつくられてきたことがよくわかる。なにもさいきんになって、急に増えた物語ではないのだ。

 ベタベタにたくさんつくられてきた記憶喪失の物語だが、一冊の本にまとめた論考というのは、この本以外ほとんど見かけないのである。ぎゃくになぜ言語化されなかったのか不思議なくらいだ。ベタすぎて問われなかったのだろうか。いや、けっこう、記憶は私なのかという問いは、私たちのアイデンティティを決定づける根幹にかかわってくるものだと思うが。

 ただ本書はトーキーもふくむ20世紀の映画や小説などから記憶喪失物語を選りだした労作なのだが、それは膨大な労力を必要とした力業であったのはわかるが、なにぶん解釈や読解が少なく、期待が大きかった分、失望も感じざるを得ない著作であった。あらすじを並べただけの百科全書なら、雑誌からでも出せる。私は解釈や言語化こそを読みたかったのだが、この本では満足するものを得られず不満に終わった。記憶喪失物語のデータベース止まりである。

 どの記憶喪失物語が、時代を画したのかも強弱がはっきりせず、いったいどの作品をメルクマールとして覚えておけばいいのかも明瞭ではない。レベッカ・ウェストの『兵士の帰還』(1918)が近代を画する物語なのか。フレデリック・アイシャムの『三人の生霊』(1918)の大ヒットがエポックな作品なのか。作品にはもうフロイトの精神分析手法も用いられる。

 『独裁者』(1940)と『心の旅路』(1942)は時代を画した作品としてとりあげられる。スパイ小説やフィルム・ノワール、サイコスリラーの作品にも、記憶喪失は多くとりあげられる。

 現代では『トータル・リコール』や『ブレードランナー』の原作者であるフィリップ・K・ディックの意味が大きい。

 私はもっと解釈や言語化されたものを知りたいのである。なにを問われていたのか、なにを意味するのか。映画やドラマで情緒を揺さぶられるだけではなく、明晰に言語化されたものをつかみたい。いったいなにを問われているのか。

 いま問われている記憶のなくなる物語は、旧来から問われていたものと同じなのか、なにか変わったのか。記憶が失われる中で私とは何者かと問われるのか、あるいは恋人との思い出の位置づけなのか、ただ切ない気もちやナゾが解けてゆく解放感だけでは終わりたくない。言語化されたもので、その意味を知りたいのである。自分から進めればいいのだが、稚拙な羅列になってしまうので、踏み出せないな。

 本書の巻末には堂々たる15ページにわたる作品リストがあげられている。それほどまでに記憶喪失物語は多くつくられてきたということだ。こんなに記憶喪失物語はたくさんつくられているのに、解釈や言語化された本は、散らばっているためか、ほとんど見かけない。どうしてこんなに物語において問われてきたことが、言語化されてこなかったのでしょうね。なにを問われているのか。



時間ループ物語論時間SFの文法: 決定論/時間線の分岐/因果ループ哲学の冒険―「マトリックス」でデカルトが解る愛の真実と偽りをどうみわけるか―映画でみる精神分析 (講談社プラスアルファ文庫)トラウマ映画の心理学―映画にみる心の傷


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世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。神秘思想、仏教、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

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