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11 24
2018

社会批評

これまで考えてきたことをまとめる

 ほぼ二年くらい神秘思想の探究にひたっておりましたが、そろそろこのテーマから離れることにしました。

 わたしはだいたいは自分のおもしろいと思ったこと、疑問に思ったことをテーマに読書と思索を集中的におこなうパターンをおこなっており、ある時期がくると、そのテーマがもう探究できなくなったり、飽きたりしはじめると、ほかのジャンルにさまよいだします。

 ひとつの専門を探究しつづけるより、自分の興味の羅針盤を大切にしたいタイプです。だから専門のジャンルにとどまりつづけることはできません。視点をひとつに固定するのがいやですし、専門の視点からしかものごとをながめられないのも、危険だと思っています。たとえば心理学などは、外側の社会や経済からながめないと多くの欠落をかかえると思います。たんに飽き性なのですが。

 今回の神秘思想の探究は、いぜんには自分はどんなことに興味をもっていたか忘れるくらい、のめりこんでいました。

 ということでブログの過去記事をながめながら、自分が過去にどんなジャンルを掘りすすんでいたのか、思い出すことにしました。(全記事表示)

 だいたいの傾向であって、ひとつのテーマを掘りすすんでいるときにはほかの本を読むこともありますし、テーマがかっちりと決まっていないときも多いです。のめりこんでいるテーマがあれば、あまりほかのジャンルの本を読みたいと思わない気持ちのほうが強いですね。

 大まかには、以下のようなテーマの変遷がありました。このブログをはじめてからのテーマですね。


 2017.1~ 神秘思想
 2016.4~ やらされ感
 2015.9~ マーケティング・販売
 2013.10~ 戦前の右翼化
 2012.6~ 生殖論的世界観
 2010.7~ 起業
 2009.2~ ポジティブ自己啓発
 2008.2~ 芸術創作論
 2006.9~ レイライン



 だいたい基本は社会学や労働論が中心です。心理学の軸ももう一方ではもちますから、社会や心理をいったりきたりしますね。自分にかかわる問題を、社会の軸や心理の軸にとらえる時期があるようです。

 神秘思想は、96年くらいにトランスパーソナル心理学を集中的に探究して、だいぶ長い間はなれていたのですが、ハラリのフィクション論に啓発されてもう一度なぞりなおすことにしました。言葉や思考、存在というものが、いかに実在の弱いものか、あらためて深く実感できる進歩があったと思います。

 90年代は現代思想や社会学の古典を中心に読んでいたのですが、その中で共同幻想論の興味も多かったです。国家や企業などが実在と思われる社会の中で、それらが幻想やフィクションで組み立てられていると知る世界観。この世界観が個人の認識に向かうと、神秘思想になりますね。各興味はそれぞれ螺旋で回りながら、いずれはほかにつながってゆく過程を、なんどか味わってきました。まったくべつのジャンルの探究と思われるものであって、なにかとつながっている。ジャンルや視点を変えるのは、そのような全体の連関に気づくまでの一過程なのかもしれません。

 やらされ感というのは、自発性と外発性の話で、会社や労働がなぜ強制的なやらされ感に満ちているのか考えてみました。なかなかそういう本がなくて、毒親論みたいな親子関係の強制論におちいったのですが、教育論まできたときに、専門性が強すぎて、あとは断念しました。社会のやらされ感、強制感というのは、私の大きなテーマであって、いぜん大衆社会論に強く魅かれたのも、そのせいだったと思います。

 それ以前にマーケティングや販売の本を読んでました。労働を強制ややらされ感でしか捉えられない私は、労働や仕事の自発性をなんとか掘り出さないと、仕事ができない、おもしろくないという悩みにさいなまされるだけです。仕事の自発性をひきだすには自分から売るという姿勢をつくりださないと、忌避感から助け出すことができません。起業の本を読んだりしたのも、そういう努力の一環です。

 戦前の右翼化の本を読んでいたのは、さっこんの右傾化の疑問からです。どうして国家のようなフィクションに一体化できるのか私にはナゾなんですが、個人主義の私は、集団に一体化することがとことん嫌いです。戦前も現代と似ているように、国家目標が一段落すると、青年の煩悶が問題になるようになり、右傾化が昂進し、破滅の戦争へといたったようです。この探究は、やっぱり私は集団一体化の気持ちなんか、じつは「ぜんぜん興味ないわ」とわかって、潮が引きました。

 生殖論的世界観というのは、古代の世界観ですね。地理的なものに興味をもってレイラインを探索していたのですが、そこから死と再生の世界観を掘り出して、どうもそれが性を暗喩にした物語であることを知って、天体も大地も性によって生み出される古代の世界観を掘り出すことに熱中しました。これはこんにちでも季節循環の暦にのこっていて、現代にもその目をたまに出すことがあります。進歩史観が終わり、循環的世界観に戻るのかもしれませんね。

 ポジティブ自己啓発は、失業中に精神がどん底におちいっているとき、やむなく自己暗示的なポジティブ自己啓発を服用しました。神秘思想は心をとことんまでなくそうとしますが、ポジティブ自己啓発は心や言葉で感情をつくろうとします。人は感情をどこまで言葉でつくれるのかの実験ですね。トランスパーソナル心理学をへたあとのポジティブ自己啓発はウソくささがたえずガマンならなくなりますが、心がたまらなく陰鬱に落されるときには、仕方ない処方箋と見なしました。心の実在性をなくす前には、そのような心の効用を使うことができるのかもしれません。

 芸術の創作論は、ネット時代のクリエイティブ論をやりたかったのかもしれません。私たちは創作によって自己を表現し、承認されたがっています。でも労働社会においては、モノやプロダクトによる満足を他人に与えるサービスで成り立っており、私たち個人の承認欲求はなかなか満たさないかたちになっています。そういう時代にどうやって生きてゆけばいいのか、探りたかったのかもしれません。

 レイラインと死と再生は、生殖論的世界観につながる探究ですね。地図に冬至や夏至のラインを引き、そこにある寺社の符号を探そうとしてました。オカルトとかあやしいとかいわれるのですが、あくまでも古代人の世界観を追究するわけであって、現代人に信じろというわけではありません。古代人の世界観のパースペクティブを広げることによって、その世界観を垣間見ることができます。この死と再生の世界観は、人間の成長論とも重なっていますから、探求のしがいはありました。

 おおまかにいえば、以上のようなテーマ探索をへてきました。しばらくはどんなことを追究しようか、模索です。自分の興味やおもしろさを羅針盤にして探せば、おのずと自分に必要な鉱脈を見つけると思っています。自分にとって必要な知を見つけるための探索をたえず、私はおこなってきたわけですね。知識を知ることによって、自分の障壁や困難、ひっかかりを乗り越えたり、闘ったり、あるいはその正体を見きわめる探索を、私はおこなってきたのだと思います。つぎはなにを探ろうかと、しばらくは放牧を楽しもうと思っていますが、興味が重なったときにまた出会いましょう。



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プロフィール

うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。神秘思想、仏教、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

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