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11 06
2018

レイライン・死と再生

物足りない――『ケルト 再生の思想』 鶴岡 真弓



 近年、ハロウィンの祭りが新興してきて、その起源をケルト思想にさぐった書物で、河合隼雄学芸賞をとったから注目していた本を読む機会にめぐまれた。

 死と再生の物語は、エリアーデや井本英一、大和岩雄などに多く学んだから、この本は物足りなかった。記号的な肉とならないような知識が羅列されているだけで、賞をとるには不足分のほうを私は感じた。先学はもっと深くこの世界観を掘り出していると思える。

 ケルトでは、四つの季節祭に分節されていて、11月1日の「サウィン」から、5月1日の「ベルティネ」までが闇の半年とされる。その闇の半年がはじまるサウィンによみがえる死者を歓待したサウィンが、ハロウィンの起源とされる。そのほかの春のインボルク、秋のルーサナを、四つの章で紹介したのがこの本である。

 死と再生の物語は、古代に世界中に広まっており、世界各地には共通した痕跡を読みとることができるし、人間の性とも重ねたその世界観は、豊穣な象徴的世界観を生み出してきた。どちらかというと、性の放縦さに結びつけないとその世界観は、踊り出してこないものである。表層的で、お行儀のよい世界観では、迫れない世界である。性そのものが要の世界観である。

 死者がよみがえる祭りは、日本にもお盆を連想させるものがある。これは夏の終わりにおこなわれるものだ。お盆をさしおいて、外来のハロウィンが流行るのは、外からの舶来を喜ぶ日本人の心性といえるだろうか。ハロウィンは、ゾンビやコスプレの格好で盛り上がれる祭りとして、近年、急速に普及した。古層の祭りとも習合して、日本的なものに変化するのはクリスマスも同様だ。欧米のように家族が主役になる祭りにならない。

 未来の輝かしい技術文明を期待する「進歩史観」がよどんできたところに、ハロウィンのような古代の「生命循環的な世界観」が普及しはじめる。ある意味、「明日はもっとよくなる」という進歩史観の終焉も意味するのだろうか。TVでは「ジブリ・ループ」がくり返されており、日本はこれまでと違った時間軸の世界観を生きることになるのだろうか。

 外来のクリスマスが流行った理由を、商業的なものに求める説明は多かったのだが、ハロウィンでは古代の生命循環的世界観のよみがえりだという説が多くなるのだろうか。近代の進歩史観的な世界とはちがった日本が、これから現れてくることになるのだろうか。



ハロウィーンの文化誌生と再生─イニシェーションの宗教的意義飛鳥とペルシア―死と再生の構図にみる (小学館創造選書 (76))神々の考古学


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