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10 31
2018

幻想現実論再読

在るやいなや無くなる存在――『ハイデガー=存在神秘の哲学』 古東 哲明



 この本はこの一点だけがわかればいいと思う。

「つまりハイデガー哲学の根っこ。難解そうに見えるかれ独特の議論はすべて、この「存在と無は同一」という簡単なテーゼをベースに、編みあげられている。だから、このテーゼさえわかれば、ハイデガー哲学はすこしもむずかしくない。いわば秘密の扉を開く鍵。」



 ハイデガーの『存在と時間』は私も読んだことがあるが、氷の上をつるつるすべるように意味に到達できなかった。それを読み解くカギが「存在は無」であるということ。

 自分があるということが、不思議に思ったことはあるだろうか。この世界が存在することは不思議だなあと思ったことがあるだろうか。その感覚を延長していけば、ハイデガー哲学を説くカギにぶちあたる。この存在があることの不思議を思うことを、「タウマゼイン(存在驚愕)」とよぶ。この言葉や感覚は、ひじょうに大事だと思う。この世界を解くカギだ。

 ハイデガーはいった。「現存在は不断に死んでいる」。「刻一刻のわたしの現存在は、現事実としてはいつもすでに死んでいる」。「ひとは生存中に死を死んでいる」。「生の存在は同時に死だ。死が同時に生だ」

「現前するもの(存在者)は、刻一刻に宿るにすぎぬ。つまり存在者は、現れ出ることと立ち去りの内に刹那に宿るだけである。ここでいう刹那の宿りとは、到来から立ち去りへのうつろいである。だから現前するものとは、刻一刻そのつどの刹那だけ宿るもの。現前するものは、不在となることによって現前する」



 ハイデガーは、時間がこの瞬間にしかなく、その瞬間もつぎつぎと消滅してゆくことに、この存在のあり方を見ている。この世界のありようは、われわれの生、存在そのものだ。一瞬存在し、一瞬ごとに消滅してゆく時間と、存在。これが私たちのあり方とするのなら、私たちは存在しているといえるのか、生きているといえるのか。つぎの瞬間に、私たちはもうない。この世界も奈落の底だ。

 古東哲明は、わかりやすくそれを音のあり方に説明している。長いので、はし折る。

「音はふしぎだ。在るやいなや、すでに無いからである。
…音は現れては消え、消えては現れる。
…音は在るのに無い。まるで時の構造といっしょだ」



 音はこの瞬間にあり、つぎの瞬間にはなくなる。そして二度と現れることはない。私たちの世界のありようを、音は現す。そして私たちの生も、存在もこのようなものではないのか。刹那に現われて消える。

 私たちはこのような世界のありようを忘れて、ずっと恒常的に物体的に存在する世界にあたかも住んでいるように錯覚している。ハイデガーがいった「ダスマン(一般的な人々)」がそのような意味でいったかはっきりしないが、私たちは刹那ごとに消えてゆく存在とは露とは思ってもみない。

 社会の存在は、制度上の要請から、過去や言葉の実在を信じて生きるようになる。なぜなら過去の行為や言動になんの責任もとらないような社会は、秩序がなりたたなくなるからだ。私たちは恒常的に生きている存在になり、存在しなくなった過去は存在していないとは思われなくなった。私たちはこの制度の要請を生きているので、消滅や崩落の世界に目をふさぐのである。そして「仮構」の世界に生きてゆくことになり、目を醒ますことはない。

 私にはまるで、ハイデガーが神秘思想家に見える。『存在と時間』が神秘思想の書物とは聞いたことがないのだが、そういう目で見ると読めるようになるのかもしれない。言葉と時間の実在を信じている者には、読めない書物なのだ。

 私たちはいずれ死すべき存在として、この生の無意味さや無価値さを言葉で嘆く。サルトルの『嘔吐』は、人生の意味も価値もないむきだしの世界に嘔吐をもよおす書物である。しかしハイデガーは、生が無価値であるからこそ、豊穣さや充満が満ちあふれているという手紙を、サルトルに送ろうとしたようだ。未投函だったらしいが。ハイデガーは無であることに、存在の肯定性を見たのだ。神秘思想とは、無であることにニヒリズムになるのではなく、肯定と充実を見る。

 古東哲明は、後にこの瞬間が永遠であることを論理的に説くのだが、私には実感できなくて惜しい思いがした。

 ほかにこの本は、世界劇場や惑星帝国といった洞察も説くのだが、この存在と無の同一性というテーゼがいちばん大事である。私たちは恒常的に言葉も時間も実在していると信じる世界に住んでいる。そのためにこの瞬間以外は底なし沼のような無であることを見抜けなくなってしまう。そして仮構の、空想の世界に生きることになる。この世界のほんとうの法則に戻れ、ハイデガーや数々の神秘思想家はそう説いたのではないだろうか。


〈在る〉ことの不思議瞬間を生きる哲学 <今ここ>に佇む技法 (筑摩選書)存在と時間1 (光文社古典新訳文庫)存在と無 上巻宗教論―宗教を軽んずる教養人への講話 (筑摩叢書)

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うえしん

Author:うえしん
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