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09 22
2018

幻想現実論再読

パラダイムが違いすぎる――『ブッダのサイコセラピー』 マーク・エプスタイン

4393364848ブッダのサイコセラピー
―心理療法と“空”の出会い

マーク・エプスタイン Mark Epstein
春秋社 2009-05

by G-Tools


 ケネス・タナカの『目覚める宗教』の中でアメリカで評価されているということをはじめて知って読んだ。トランスパーソナル心理学の流れはつかんできたのだが、この人の名はほぼ聞いた覚えがない。ジャック・コーンフィールド、ジョセフ・ゴールドシュタインといった人たちのインサイト・メディエーションの流れで、アーチャン・チャーのテーラワーダ仏教に学んでいる。

 精神分析と仏教の融合であるが、かなりのところ精神分析の度合いが強くて、わたしにはムリと思えた。

 過去を掘り出す強度が強くて、わたしの解釈での仏教は過去をいっさい思い出すなだから、過去の回想や記述が不快でたまらない。この精神科医はけっして仏教を理解していないわけでもないし、読んでいる最中でもそれなりに学べる解釈をもっている。だけど、基本的なフレーム――過去の実在化を避けろという教義が、根底から抜けている。

 認知療法でもそうだが、思考が感情をつくりだすのだから、過去の想起や回想は、不快感や悲しみ、恐れを、再生・強化することである。わざわざ感情的に苦しむことを再度掘り出すのである。その過去の粘着や執着が半端ではなく――精神分析だからとうぜんなんだが、わたしにはこの愚かさが理解できない。

 この過去の想起の点で、精神分析は仏教とまったく接合できないと思うのだが、この著者はその点になんの問題も感じずに、過去の掘り起こしと仏教の教説をならべてくる。

 たしかに仏教は、過去の想起をやめることにより、精神分析でいうところの過去の苦悩・出来事にふたをすることに習熟してしまうことになり、瞑想トレーニングの後に個人的問題をかかえて、精神分析の門をたたくということもあるだろう。

 仏教は、過去の問題であっても現在の問題と捉える。精神分析は、過去を実在化している。過去を実在しているとは見なさず、それを現在におこっている想起や感情の問題と捉えるのが、仏教だ。

 時間論のパラダイムが違いすぎており、仏教が否定している過去の実在化のパラダイムの上でしか、精神分析は語れない。だから、わたしは精神分析の方法はとっくに捨てているのだが、この著者はそれを並列的にならべるので、わたしには理解できない。

 仏教のパラダイム、時間論を理解した者には、もう精神分析は受けつけないと思うのだが、この著者はその要の部分をどう思っているのだろう?

 仏教が、過去のトラウマを乗り越えられるのか、その問題にかんしては、わたしも判断をもつわけではない。仏教は、過去は実在していると思うパラダイム、認識こそを変えるのであって、変えてしまったパラダイムの上に立つ精神分析を受けいれるとはとうてい思えない。


仏陀の癒しと心理療法禅セラピー―仏教から心理療法への道自己牢獄を超えて―仏教心理学入門呼吸による癒し―実践ヴィパッサナー瞑想心理療法としての仏教―禅・瞑想・仏教への心理学的アプローチ


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うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。神秘思想、仏教、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

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