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09 18
2018

幻想現実論再読

仏教とは、思考システムを変えることである

 仏教や神秘思想を、客観的に記述するとこういうことになる。

 心は自然のままに育つと、過去や未来の存在しない時間に入り浸ることになり、思考は存在しない仮構を構築することになり、感情の苦しみはそれによってつくられる。仮構や幻想の苦しみをつくってしまうのが、自然に育つ思考システムである。

 われわれの社会は、言語や思考がないことを無知や動物レベル、服従だと禁忌に追いこんでいる。言語と思考のシステムから逃れることは、この社会では禁忌・タブーである。

 言語・思考システムを使っていると、存在しない仮構、幻想の白昼夢に入り浸ることになるのだが、われわれの社会は、言語・思考システムの放棄は禁止されているので、このシステムの世界外に出ることはできない。

 思考を「わたし」だと思い込むようになるので、思考の放棄や消滅はおこなえない。思考が人生の支配者、制御者になるので、それを手放すことはいっさいできなくなる。思考や自我が、想像上の産物にしかすぎないことは、思考には理解できない。それが自己自身なら、外側から客観的に見ることはできない。しかし思考は物体のように対象である。

 思考は意志とかかわりなく噴出する自動装置になっているので、言語・思考は存在しない世界像を創造しつづける。われわれはこの思考システムの受動者になり、支配下におかれ、システムの奴隷となる。

 この世界の時間の法則は、過去はその瞬間に消滅し、未来はいっさい実在しない。思考システムにおいては、過去も未来も実在のレベルをまとわされて、わたしたちには現実の脅威に思われる。時間の法則から外れた虚構の、蜃気楼の苦悩を、思考システムは負わせる。

 仏教や神秘思想は、この思考システムをとりはずし、言語が世界像を構築しない、刹那に反応する心的システムにすげ替えることである。虚構や幻想の世界像をつくらない、言語の構築がない心的システムに帰ることである。

 過去の想起がなく、思考の後悔や悔恨をくりかえさず、未来の不安や恐れを実在化せず、よって感情の苦悩も悲嘆もない心的システムをとりもどすことである。刹那に生き、過去や想起は崩落する時間の法則に合致し、思考システムの構築をおこなわない。そのことによって、感情の苦悩も悲嘆もない。

 言語による蜃気楼をつくらない心的システムは、時間の法則に合致したなにものも心象をつくらない刹那に反応する心を残すのみである。言語でつくられた苦悩や仮構物をもたない。ただこの瞬間を生き、時間の法則から外れた心象や蜃気楼の世界をつくらない。

 心とは、言語によってつくられた幻の世界である。言語・思考は蜃気楼の世界を構築しつづける。われわれの社会はそれを文明や人間的知性の可能性とよぶ。よってこの言語・思考システムから離れることはできない。存在しない、実在しない苦悩に苛まされることは、文明の代償なのだろうか。

 言語が存在しない世界像の苦悩や後悔をつくっているという理解をもたないかぎり、この言語・思考システムの反省や大幅改良はおこなわれないのだろう。



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Comment

仏教思想や神秘思想は難解そうと、一般の人には荷が思い、エックハルトトールの本とリチャードカールソンの楽天主義セラピーの2冊のエッセンスをうえしんさんの本でわかりやすく説いているなと思ったのですが、瞑想の熟練者や真理の探究者以外の市井の人はあまり体感を持って、実感して理解している人は少ないのだろうなと思いました。
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うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。神秘思想、仏教、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

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