FC2ブログ

HOME   >>  幻想現実論再読  >>  弁論巧みであるが――『告白』 アウグスティヌス
09 01
2018

幻想現実論再読

弁論巧みであるが――『告白』 アウグスティヌス

4003380517告白 上
(岩波文庫 青 805-1)

アウグスティヌス
岩波書店 1976-06-16

by G-Tools

4003380525アウグス ティヌス 告白 (下)
(岩波文庫 青 805-2)

アウグスティヌス
岩波書店 1976-12-16

by G-Tools


 アウグスティヌスの時間論が気になっていたのと、信仰とはどのようなものかと思って、読んだ。

 アウグスティヌスは、弁論の教師をやっていたこともあって、キリスト教に懐疑にたいする巧みな言葉使いや、秤で疑問を比べてゆくような言葉の裁き方は、感嘆ものである。この文章の魅力は、内容いかんにかかわりなく、読む価値があるのかもね。

 信仰にかんしては、わたしはまったく人格神を信じることはできないので、共感をうることはなかったが、どのような論理でそれを信じることができるのかという興味で読んだが、その解答もこの本でも得られることはなかった。

 上巻は、キリスト教に懐疑をもつアウグスティヌスがキリスト教に回心するまでが描かれ、下巻からはがらりと変わって、記憶、時間、創世期についての哲学的、弁論術的な考察にうつる。

 時間に対する疑問や考察は、現代でもまったく通じる考察をおこなっており、このような明晰な論理術をもつ人が、わたしには理解できないキリスト教の信仰に投じる論理の整合性が、わたしにはつなげることができない。

「すなわち過去のものの現在は記憶であり、現在のものの現在は直覚であり、未来のものの現在は期待である」



 わたしたちは、過去を思い出す際、過去を過去「そのもの」と思ってしまう。過去の記憶は、「現在」に思い出している記憶の心象にすぎない。だけど、過去「そのもの」に勘違いしてしまう。アウグスティヌスは、その違いをしっかりと峻別している。

 わたしたちは、過去が存在しなくなったことを忘れて、過去の心象を過去「そのもの」と思い、悲しみ、嘆き、地獄を見る。存在しなくなったものなのに、なぜ嘆き悲しむのか。この「存在しない」という過去の性質をしっかりと峻別しているアウグスティヌスは、普通の人が陥るような感情の落とし穴には落ち込まないのだろう。

 わたしはこの本に、神秘思想的な神を期待して読んだのだが、アウグスティヌスにはそのような要素はあまりないようだ。神秘思想的な神というのは、言葉でもかたちでもとらえることができず、目や触感などの感覚ではとらえられないものであるという。つまり、人間の言語や感覚をこえている。老子でもバガヴァット・ギータ―にも出てくる超越的存在のありようである。そのような世界観こそ、宗教の根源にあるものだと思う。人為をあきらめた世界こそ、帰るべき場所である。

 ということで、このアウグスティヌスの『告白』は、わたしにはあまりうるものがなかったようだ。キリスト教の信仰を知ろうとして、ロヨラの『ある巡礼者の物語』も読んだこともあるが、わたしには感銘を得ることはなかった。キリスト教信仰って、なにによって成立しているのか、わたしにはいまだにわからない。


神の国 1 (岩波文庫 青 805-3)神学大全I (中公クラシックス)エネアデス(抄)〈1〉 (中公クラシックス)ある巡礼者の物語 (岩波文庫)神曲 地獄篇 (河出文庫 タ 2-1)


▼わたしの初のKindle本発売中。いままで知らなかった心の扱い方に出会えます。
 
思考を捨てる安らかさ
(2018-08-14)
売り上げランキング: 3,819



関連記事
Comment
Trackback
title>
Trackback URL
Comment form









管理者にだけ表示を許可する






プロフィール

うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。神秘思想、仏教、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

Kindle本、2冊発売中です。

 

twitterはこちら→ueshinzz

google adsense
全ての記事を表示する
ブックガイド特集
月別アーカイヴ
FC2カウンター

Page Top