FC2ブログ

HOME   >>  幻想現実論再読  >>  井筒俊彦とは何者なのか――『井筒俊彦』 若松 英輔
08 28
2018

幻想現実論再読

井筒俊彦とは何者なのか――『井筒俊彦』 若松 英輔

4766418115井筒俊彦―叡知の哲学
若松 英輔
慶應義塾大学出版会 2011-05-01

by G-Tools


 井筒俊彦の生涯や経歴を見てみたかったから読んだ。

 井筒俊彦は海外で活躍して海外で評価される国際人であって、位置づけは鈴木大拙に近いだろうか。海外に評価されて再ピックアップされたような南方熊楠のようなポジションにはいないが。

 岩波文庫から出ている主著とされる『意識と本質』はあまりにも難解であって、禅や神秘思想の素養がない人は、慎重にまわりを固めて読まないと、とても意味の通る本ではないと思う。禅を西洋哲学言語で語った西田幾多郎に近い。わたしは西田幾多郎のほうがさっぱりわからない。

 関心領域があまりに広くて、イスラム哲学者の顔の割合が大きいのだが、ギリシャ哲学もやったし、ロシア文学にも造詣がふかく、禅は子どものころから叩き込まれたというし、本人は言語哲学者だといっているそうだが、この人は何者だろうかと思うほど、手がけた領域は広い。

 わたしには神秘思想家に思われ、それを世界中に狩猟した人であって、現代で神秘思想やスピリチュアルをやる人はもっと怪しい人というイメージが付与されるのだが、井筒俊彦は、堅実な学究者であるというイメージが揺るがせられることはない。神秘思想家が怪しいイメージを付与されないポジションにある不思議な例であると思う。

 井筒俊彦は子どものときから父に禅の素養を叩きこまれ、言語を手放すことには徹底的に拒んで、精緻な言語使いの道を選んだといえるし、禅の世界を世界中に探し回った禅の継承者ともいえる。牧師の子であるニーチェが、「アンチ・キリスト」を書いたように、井筒俊彦は、言語の不立文字に抗うように、言語の精緻な極みに立とうとした。だけれど、追究するのは禅であり、神秘思想であるという土台は揺るがなかったわけだが。

 禅の共通性を、ギリシャ哲学のプロティノスやイスラム哲学のイブン・アラビー、老子に見つけた人なのである。ケン・ウィルバーも東西の神秘思想の共通性を見いだしたわけだが、井筒俊彦は各地域に停留する深さが、かぎりなく深かった。

 イスラム哲学に停留する期間があまりにも長くて、イスラム哲学者の相貌を見せているわけだが、神秘思想家なのであったと思う。だが、神秘思想家や禅者は哲学者や学者になってはならないのであるが、禅の禁忌を破って、どこまでも言語を手放さない人であった。言語で描ける知識を捨てさせるのが禅であって、井筒俊彦は、この禅の教条をかたくなに拒みつづけた人であるということができる。

 ナーガルジュナやウィトゲンシュタインは言語内において言語の論理矛盾をうきあがらせた言語限界論者であったわけだが、井筒俊彦は言語で語れる世界を究極的に追究した学究者であったのだと思う。禅者ではなくて、仏教学者であり、神秘思想学者であったわけだ。

 この本は文芸評論家が書いたものであり、文芸評論は要領の得ない話がつづくことがあるのだが、明晰さを欠き、なにを語ろうとしているのかよくわからないところがあった。もちろんわたしの読解力のなさを棚上げしていっているわけだが。

 著者の若松英輔はツイッターでもよくつぶやく人のようで、アイコンはよく見かけることがある。たまに霊性や宗教について語るようだが、文芸評論も手広く手がけているようだ。この本においての各ジャンルの詳細さは、生半可なものではない。

 井筒俊彦の著作は、図書館で全集を見られるので、大きめの図書館で当たることができます。



井筒俊彦 (言語の根源と哲学の発生 増補新版)意識と本質―精神的東洋を索めて (岩波文庫)禅仏教の哲学に向けて霊性の哲学 (角川選書)アラビア哲学 一九三五年 ― 一九四八年 (井筒俊彦全集 第一巻)


関連記事
Comment
Trackback
title>
Trackback URL
Comment form









管理者にだけ表示を許可する






プロフィール

うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。神秘思想、仏教、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

Kindle本、2冊発売中です。

google adsense
全ての記事を表示する
ブックガイド特集
月別アーカイヴ
FC2カウンター

Page Top